010 無自覚
「コレット」
「はい?」
読んでいる途中で、急にメルヒオール様に名を呼ばれた。視線を向けると、彼はエミルに優しい眼差しを向け、頭を撫でてやっていた。
昼間も思ったけれど、メルヒオール様のエミルへ向ける瞳は優しい。
フィリエルは言っていた。メルヒオール様は、エミルをお姉様の生きた証として引き取りたいのだと。
エミルを大切にしたいという気持ちが伝わってくる。
「エミルが寝たぞ」
「あら。いつの間に」
エミルは俯いたままメルヒオール様に寄りかかって眠っていた。メルヒオール様はエミルの頭を撫でると呟いた。
「姉にそっくりだ。姉はエミルのように人懐っこい性格だった」
「そうだったのですね。エミルにも話してあげてくださいね。お姉さまのこと」
「寂しい思いをさせてしまうのではないか?」
「その心配はありません。エミルは両親の話をすることが大好きですから。そうすることで、両親も喜んでくれるって思っているんです」
メルヒオール様は顔を上げ、驚いた顔をして私を見つめた。
「そうか。姉と同じ事を言うのだな」
「え?」
「フィリエルが生まれてすぐ母が亡くなった。俺が二歳の時だ。小さい頃、姉は生前の母の話を良くしていた。しかし、俺はそれが嫌だった。母の記憶は殆どなかったからな。それに、会いたくても会えない人の話ほど、虚しいものはないと思っていた」
メルヒオール様のご両親はもういない。
エミルと一緒なのだ。
「あの時、姉は言っていた。母の笑顔が思い出せるから話しているのだと。俺も妹も、確かに母に愛されていたと伝えたくてそうしているのだと」
「愛されていた……」
小さい頃、寝る前に母が本を読んでくれていた。
私はすぐに眠くなってしまうから、本当に少しの時間だったけれど、思い返してみれば、あの短い時間の中に母の愛はたくさん詰まっていたのだ。
全部、私が壊してしまったのだけれど。
「姉は幸せそうだったか?」
「えっ? ――私はエミルのお母様と一度しかお会いしたことがありません。ですが、エミルを見たら分かります。メルヒオール様もお分かりなのではありませんか? だから、エミルへ向けるメルヒオール様の目はお優しいのだと思います」
「……優しい? 俺が?」
メルヒオール様の眉間がいつも通り仕事を始めた。
さっきまでとの落差が面白い。
「あ。今はまた怖い顔ですね。ふふふっ」
「何故笑う?」
「分かりません。顔は怖いのに、あまり怖くないなって思って」
「君は……失礼だな」
メルヒオール様はそう言って微笑んだ。
エミルに似た無邪気な笑顔が眩しいな。
私にもこんな笑顔を向けてくれるのだと戸惑うと同時に、昔のメルヒオール様の笑顔が重なって見えて懐かしく感じた。
「笑ってないで、もう君も休みなさい」
メルヒオール様だって笑っていたのに、私だけ叱られるなんて納得できないけれど、まぁいいか。
メルヒオール様は、自分がどんな顔をしているのか無自覚なのだろう。彼はエミルを優しく抱き上げると、ベッドへと運んだ。
「では、私は失礼致します。おやすみなさいませ」




