幕間(ヒルベルタ)
お姉様が家を出ていってからどれくらい経ったかしら。
もう毎日憂鬱過ぎで辛いんですけれど?
新しいドアマットを買ってくれるって言っていたけれど、家に来るのは使えない使用人ばかり。
料理人だってケーキの一つも焼けやしないし、皆どんどん辞めていくから、毎日初めまして状態で疲れてしまったわ。
やっぱり私が言った通り、お姉様を置いておけば良かったのに。
それに、ヴェルネル様ったら私にドレスの一着も寄越してこないのよ。会いに行っても屋敷にいないし。
挙げ句の果てにガスパルが謹慎処分を受けたとかで、私との婚約式は延期だってダヴィア侯爵から知らせが来たわ。
酷くないですか? ムカついたから城まで行って職務中にヴェルネル様に抗議することにしたの。
そしたらこれがまた最悪。
下っ端っぽい奴が、ヴェルネル様がいる部屋まで案内してくれたんだけど――。
「ヴェルネル様。婚約者の方がお見えですよ」
「そのような方はおりません。お帰りいただいてください」
私を目の前にしてそんな事言う? しかも笑顔で。
奥手なんだか恥ずかしがり屋なんだか冗談なんだか知らないけれど本当に酷すぎ。
「ヴェルネル様。婚約式が延期になったからって酷すぎますわ。正式には婚約者ではないかもしれませんけど、そんな格式張らなくても良いんじゃありませんの?」
「……ここは私の職場です。仕事の邪魔なのでお帰りいただけますか?」
「でもっ。折角ここまで来たんですのよ?」
「そうですか。忙しいので失礼します」
そう言って私の横を通りすぎて部屋から出ていこうとしたから、つまづいたフリして後ろから抱きついてやることにしたわ。
私、身体には自信があるのよね。
これで喜ばない男は男じゃない。
「きゃっ。ご、ごめんなさい。ドレスが――」
言いかけた時、私は肩に衝撃を受けて、気付いた時には床に尻餅をついていた。
「……っ。失礼した。――外まで送り届けてやってくれ」
何が起きたかよく分からないまま、私は下っ端っぽい奴に城の外まで送り出されて馬車に乗せられた。
ヴェルネル様に突き飛ばされた?
何あれ。女性の免疫ゼロって奴?
ガスパルと正反対で、可愛いところあるじゃない。
なんて思ってたんだけど。
その話が学園で噂になってしまった。
私が婚約者に無下に扱われていたとか。
婚約式は延期じゃなくて中止らしいとか。
有ること無いこと言われて、もう最悪。
しばらく学園は休むことにしたわ。
課題はこなせないし、朝の支度も間に合わなくて、いつも遅刻して怒られるのも嫌だったし。
私を慰めてくれるのは彼しかいないわ。
「ガスパル? 来ちゃった!?」
「ヒルベルタ」
ガスパルは今、謹慎中。ダヴィア侯爵は床に伏してるし、ヴェルネル様は不在。誰の目にも触れずに自由に出入り出来るの。
しかも今日は面白いものを見てしまったわ。
あのフィリエルが泣きながら帰るところを。
「フィリエルが来ていたの? もしかして、婚約破棄されたとか?」
「違う。青藍騎士団に戻らないかと誘われただけだ」
「なぁんだ。つまらないのぉ」
破棄されちゃえば良かったのに。
私、ヴェルネル様よりガスパルの方が好きなのよね。
ヴェルネル様と婚約したかったのだって、ガスパルには婚約者がいたからだし。親族になれば誰にも怪しまれずに好きな時に会えるかなって思っただけだもの。
「お前の姉のせいで俺は近衛騎士を免職されそうなのに。つまらないはないだろ」
「何でよ。剣が折れていたせいでしょ?」
「そうだけど……。はぁ。もう最悪だよ」
ソファーに寄りかかって天井を仰ぐガスパルの隣に私は腰掛けて彼の胸に頭を預けた。
「ねぇ。家に来ない? ここじゃ……ねぇ?」
「今は謹慎中だから、流石に無理だろ」
「えぇー。ガスパルを慰めてあげたいのにぃ」
鍛えられた身体にムギュって抱きついたら、ガスパルは頬を赤くして目を細めて私を見た。
いつも結構ぐいぐい来るくせに、私から行くと照れちゃうのよね。
「そんなに俺のこと好きなのか?」
「うん。大好きよ。――そうそう、お兄様もガスパルに会いたがっているのよ」
「へ? 何で!? 俺、ライアス様の顔に泥を塗ったようなものだろ?」
「だからよ。ガスパルを紹介したのはお兄様だから、何とかして近衛騎士に戻してやりたいのよ」
「ほ、本当か!?」
ガスパルは私の体を引き離して瞳を輝かせた。
近衛騎士の何が良いのか分からないけど、男って単純で可愛いわ。
「うんうん。没落貴族の陰謀論がどうこう言ってらしたわ」
「は?」
「意味分かんないでしょ? だから、家に来てよぉ。お義父様だって寝込んでらっしゃるんでしょ。もしバレても、近衛騎士に戻る為にって言っておけば大丈夫よ」
「まぁ。そうだな」
「私に任せて。ガスパルを絶対に近衛騎士に復活させてあげるんだから」
「近衛騎士に……。よし。行こう! でも、この前もフィリエルは疑ってたんだよな……」
「大丈夫よ。お兄様と夜通し語り合っていたことにすれば良いのだから。ねっ」
「お、おう」
背中からギュッと抱き締めたら、ガスパルは嬉しそうに頬を緩めた。
そうそうこれよ。
これが普通の健全な男の人の反応でしょ。
もう。ダヴィア家の兄弟は私がいないと駄目なんだから。




