005 蜂蜜は少なめで
部屋の扉が音を立てて開く。
私はいつもその音で目を覚ます。
「レンリ。おかえりなさい」
「ただいま戻りました。あの……」
レンリの顔が真っ青だった。握った拳は小刻みに震え、私は飛び起きてレンリに駆け寄った。
「ど、どうしたの? 昨日の――」
「エミルのっ。……エミルの母親が亡くなりました」
「え?」
「昨夜……遅くに。エミルはゲインズさんの所にいます」
「私……全く気づかなかったわ……」
「エミルは母親の異変に気づいて、ゲインズさんに知らせて医師を呼んだそうです。エミルはまだあんなに小さいのに、泣くこともなく冷静に看取っていました」
レンリはそう言うとその場に崩れ落ちてしゃがみ込んで大きく息を吐いた。
「少し休んだ方がいいわ」
「すみません。エミルは落ち着いていたのに。僕は……。少し寝ます。誰か知らせに来たら起こしてください」
「分かったわ」
レンリはフラフラと立ち上がるとベッドに倒れ込み、そのまま静かに眠ってしまった。
◇◇
それからラッヘさんが知らせに来てくれて、貸家のみんなと、教会の子供達、それから町の人達と一緒にエミルのお母さんを見送った。
初めての事だったから、言われるままに行動して、何をしていたのかよく覚えていない。
ただ一つ覚えているのは、エミルが泣いていなかった事だけだった。
翌日、エミルはいつも通り教会へ行こうと私を誘いに来た。
「コレット先生。行こ~?」
「ええ。行きましょうか」
握った手はいつもと同じ、小さくて温かい。
でも少しだけ、いつもよりその手の力が強く感じた。
「エミル。今日は一緒に剣のお稽古をしましょうか?」
作った木の剣はまだ一度も振るった事がない。
エミルは目を丸くし、その顔は次第に綻んでいく。
「本当に!? やったぁ。きっと母様も喜ぶだろうなぁ」
「えっ。そ、そうね。きっと喜んでくれるわ」
エミルから母という言葉が出で、私の方が過剰に反応してしまう。
「きっとじゃなくて絶対だよっ。絶対!」
「そうね。絶対だね」
エミルは自信たっぷりに微笑んでいた。
教会では他の子に気を遣っているのか、母親の事を口にする事は無いけれど、私と二人の時や貸家で過ごす時に、エミルはよく母親の事を話す。
その度に私は身構えてしまっていて、それがエミルにも伝わったのか、こんな事を言わせてしまった。
「母様が言ってたんだ。父様はもういないけど、父様の話をすると、笑った顔を思い出せるよって。だから、ここにいるよって」
エミルはそっと自分の胸に手を置いて言った。
「父様の話を沢山するとね。父様も喜んでくれるって母様は言ってたから。ボクが母様の話をしたら、きっと喜んでくれると思うんだよね。――あっ。コレット先生の母様はどんな人?」
「えっ? 私の……」
まさか自分の事を聞かれるなんて思っていなくて、私は言葉を詰まらせた。
母と最後に言葉を交わしたのはいつだろう。
母は私が兄の真似事をすることを酷く嫌っていた。
だから――。
『そんな娘はいりません』
その言葉だけが頭の中に響いた。
多分、これが母に言われた最後の言葉。
「コレット先生?」
「あっ。ごめんなさい」
「ううん。あ、レンリ先生、そろそろ帰ってくるかな? 今日のご飯、一緒に作って待ってようよ」
どうしてか謝ってしまって、エミルは困ったような笑顔を私に向けた。こんな小さい子に気を遣わせてしまう自分が情けなくなった。
「ええ。そうしましょうか。そうだわ。時間もあるし、リンゴのパイを焼きましょう」
「美味しそう。でもボク、甘いの苦手なんだけど……」
「じゃあ、蜂蜜は少なめね」
「うん。少なめで!」
エミルは甘いものが苦手。レンリはどうだろう。
今度、レンリにも聞いてみよう。




