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【コミカライズ作品】俺はモブ扱いされる王太子なんだが

【コミカライズ化】モブ扱いされる俺は身分を隠して学園に通う王太子なんだけど、君たちが王太子と信じてやまないハイスペックイケメンは侯爵家のご令嬢だ。

作者: りったん

 大陸随一の農業立国ルーデル王国には変わった風習がある。

 それは王太子が15歳になると身分を隠して王立学園に入学することだ。これは高祖が『民の暮らしを知り、視野を広げよ』と愛息子を鍛冶屋に預けたことに由来する。

 といってもこの習わしは昔と違って形骸化されており、今は侯爵や伯爵令息といった高貴な身分が与えられることが多く、庶民に交じることはない。

 ところが今代は違った。

 現国王カリオンは高祖をたいへん崇拝しており、彼にならって12歳になった王太子バーザルの預け先を鍛冶屋にしたのだ。ちなみに国王と同じような性格の王妃は、鍛冶屋行きを告げられて呆然とする息子に「立派な鍛冶屋になるのよ!あなたの作った剣をダーリンの腰に佩く日を楽しみにしてるわ」と興奮気味に言った。

 バーザルは悪くて伯爵クラスだと考えていたのでまさに青天の霹靂である。自分で言うのもなんだがペンより重いものを持ったことがない自分に鍛冶屋の息子が務まるとは思えなかった。


「いやいやいや。ありえないでしょう!?温室育ちのボンボンがいきなり鍛冶屋なんて絶対無理ですよ!大怪我して二目と見られない姿になるに決まってます!」


「はっはっは。そう断言するでない愛息子よ。そなたは呑み込みが早く記憶力もよいし、王妃に似て賢くて弁も立つ。そしてモブ顔だから十分一般市民としてやっていける!」


 父と母はそれなりの美形だが、母は目がぱっちりで鼻は普通。父は小顔で鼻が高く目は普通。それぞれの普通の部分で構成されたのがバーザルの顔であった。


「顔のこと言うなんてひどいじゃないですか父上!気にしてるのに!というか一般市民の身分が嫌なんじゃなくて俺は肉体労働が向いてないんですよ。なのでぜひ本屋の息子でお願いします」


「だめよバーザル。あなたは引きこもりタイプだもの。本屋の息子になったら一日中読書に没頭して学校に行かなくなりそうじゃない」


 王妃アーリアは涼しい顔で言い放つ。

 バーザルの生態をじゅうぶん熟知した母親ならではの言葉にバーザルは口をつぐむしかなかった。

 押し黙ったバーザルに国王はキラキラとまぶしい笑顔を向けた。


「何も考えなしに鍛冶屋に行かせるわけじゃない。昨今は鍛冶屋業界は先細りしていっておるからな。お前の目で今どういう状況で何が足りないかを調査してほしいのだ。お前は手先が器用だし、十分やっていけるだろう。それに鍛冶屋はわしの趣味友じゃ。安心してよいぞ」


 父の顔は王としての慈愛にあふれるいい笑顔である。国の繁栄を日夜考える父は息子を愛してくれているが、優先順位はいつだって『民』である。それは母も同じだ。



 バーザルは仕方なしに覚悟を決めて鍛冶屋の息子となった。


 ■




 王立学園シュエリンダルに王太子が在籍しているのは国中誰もが知っている。だが、どんな身分で入学したかは秘匿されており、それに加えて王太子は誕生時から宮廷の奥深くで育つため、上位貴族であっても王太子の顔は知らない。しかし、今代に限っては百人中百人が「あの方が王太子だ!」と断言できる人間がいた。


「王太子殿下。授業を終えられましたらぜひ騎士官舎に足をお運びください。若い騎士たちの励みになりますし、何よりあなたさまの剣技はまだまだ伸びしろがあります。学園のお遊びのような指導では殿下の才能を生かしきれません」


 切々と訴える大男は騎士団長ローエンドである。壮年の偉丈夫は精悍な顔を崇拝と敬意の色に染め上げて片膝を突いていた。


「騎士団長殿。私は王太子殿下ではありませんよ」


 困ったように眉をしかめる美形こそ、ディアバルド侯爵家のユーリ・ディアバルドである。

 艶やかな長い黒髪を右サイドでゆるく束ね、常に微笑をたたえた表情は老いも若きも魅了するほどの美しさ。さらには学校一の秀才である上、剣技大会では騎士団長から三本中一本を取るほど武芸に秀でている。

 騎士団長はユーリが一本を取った後、その場で片膝を突いて深い礼を執った。まるで主君に忠誠を誓う騎士の姿はあまりにも神々しく、観客の歓声が水を打ったように止まった。

 ちなみにその光景は絵画部が目を血走らせながら描き上げ、後日絵画部の画廊で販売したのだが、学生のみならず、教員や一般人までも駆け付ける騒ぎになった。



 そんなこんなで、学園界隈ではユーリが王太子であると皆が信じて疑っていない。ユーリはいつも否定するのだが、「慣習ゆえに正体を隠そうとなさっているのだろう」と皆が勝手に思い込んでいるのだ。

 また、将来の国王というステータスと圧倒的な美形、頭脳明晰文武両道で性格も良しとなればモテるわけで、社交界の華と名高い侯爵令嬢が何度断られてもめげずにアタックし続けている。



「ユーリ様。王太子という重責はさぞお辛いことと思いますわ。このバーバラが殿下のお心を癒したいと常々思っておりますの」


 可憐な美少女が顔を赤らめながらユーリにしなだれかかる。嫉妬に狂った女生徒の悲鳴があちこちで聞こえるが、侯爵令嬢バーバラは意にも介さない。

 対するユーリは美の女神ですら卒倒しそうな顔に柔らかな微笑を浮かべ、恋を歌うように答えた。


「バーバラ嬢。案じてくれるあなたの心は嬉しいけど、私は王太子殿下ではないから重荷などないよ」


「まあ、ユーリ様ったら。ふふっ。身分を隠したいお気持ちはわかりますけれど、高貴な血筋は野に埋もれていても隠せませんわ。ですが、殿下がそうおっしゃるならわたくしもクラスメイトとして接しますわ。ランチはぜひわたくしと一緒に摂ってくださいませ。うちの料理長が腕によりをかけて作りましたのよ」


 めげずにバーバラがユーリに詰め寄るが、ユーリは首を振ってその申し出を断る。気性の激しいバーバラ嬢のことだから誰もが激昂すると思ったのだが、断る際、ユーリの美声が奏でる『ごめんね』の言葉で思考がぶっ飛んだらしく、恍惚の表情で大人しく去っていった。

 なお、周囲にいた通行人やユーリのストーカーたちも被弾し、神をあがめる敬虔な信徒のごとく、満ち足りた顔である。



 ちなみに本物の王太子であるバーザルは近くで本を読んでいたのだが、誰も気づくことはなかった。

 入学当時こそ「俺が王太子なのに!」と鍛冶屋のおばさんの手作り弁当を泣きながら貪っていたが、ユーリのスペックはあらゆる点で王太子にふさわしく、むしろ勘違いしてもしょうがないなと納得してしまったのだ。それにユーリはたいへんいい奴である。

 学業の優秀さと剣技大会の雄姿が強烈なため、皆はそっちの方に気を取られるがバーザルはユーリの優しくて温厚なところに好感を持っていた。

 そして何より、彼に王太子詐称の悪意はまったくなく、むしろ未来の王妃を目指す肉食系令嬢から追い回される不憫な人である。


 イケメンをうらやむ気持ちはあれど、肉食系女子に追い回されて生き抜く自信がないバーザルはユーリにこっそり感謝していた。


 身分的に在学中に接点はないだろうとバーザルは考えていたのだが、午後の授業でなんとユーリがバーザルに話しかけてきた。


「隣に座ってもいいかな?」


「お。おお」


 驚きすぎて間抜けな声しか出ず、肯定の意味ではなかったのだが、ユーリは「ありがとう」と酔いしれそうなほどの美声でバーザルの隣に座った。そのとたん、悪寒が一気に体を駆け抜けた。恐る恐る後ろを振り返ると悪鬼羅刹のごとく凶悪な顔をした女生徒たちがバーザルを睨んでいる。殺気のこもりっぷりは半端なく、授業終了と同時に絞殺されかねない。

 バーザルが絶望に心が打ちひしがれていると、柔らかい声がこそっと響く。


「大丈夫、君のことは守るから」


 突然言われた言葉にバーザルは何を言われているのかわからなかった。しかし、その意味を正しく理解した瞬間バーザルはユーリの手を縋るようにぎゅっとつかんだ。


「頼むぜ!俺を必ず守ってくれよ!」


 ユーリの白い手が命綱に見えた。



 あの日からバーザルとユーリは友人になった。

 最初は最強のボディーガードだひゃっほいと喜んでいたバーザルだが、ユーリと会話をするにつれ、趣味も思考も似通っていることに気が付いた。ユーリは聞き上手でバーザルのアホな話を楽しそうに笑ってくれて居心地がとてもいい。ユーリも「バーザルは私を色眼鏡で見ないから一緒にいると落ち着くよ」と言ってくれたので、一年を過ぎるころには親友になっていた。

 身分差はあるが、ユーリは平民だからと見下すことはなく、むしろ市場の買い物にもついてきたし、家に連れてきたときも庶民の料理を厭いもせず残さず平らげた。見かけによらず大食漢なユーリはおかわりまでしておばさんを喜ばせた。


 ある日、商店街の福引で温泉旅行プレゼントが当たったバーザルはユーリを軽い気持ちで誘った。


「温泉旅行?もちろん行かせてもらうよ。そうそう私は生物学上女だけど構わないかい?」


「ほへ?」

 バーザルはすっとんきょうな声を出していた。


「ああ、やはり気づいていなかったか。別に隠しているわけでもないんだけどね。女性用の服が似合わなすぎてメンズを使っているだけなのだけど、なぜか勘違いされてしまうんだよね」

 ふふ。っと優雅な微笑みで言うユーリは高貴なオーラが漂うイケメンである。モブ顔のバーザルと並んで「どちらが王太子か」クイズをすれば誰もが口をそろえてユーリだと答えるだろう。なにしろ騎士団長もユーリが王太子だと信じて疑ってないし、バーバラ嬢はもとより彼女の父親も用もないのに学園に来てはせっせと娘を売り込みにかけている。


 信じられない気持ちでバーザルは問う。

「えーと。女性?」


「うん。そうだよ。ほらタイの色が赤色だろう?」


 学園のブレザーは首元にリボンタイが付くのだが、女生徒は赤色。男子は青色と指定されている。服装は特に指定はされていないので、このリボンタイが生徒の身分証明証である。


 ユーリが赤いリボンをつけているのは周知の事実だが、黒い髪と白い肌に赤いリボンはとても映え、「おしゃれでつけているのだ」と皆が思い込んでいた。もちろんバーザルもである。


「ユーリが女?いやでも女子は皆お前をプリンスだって……そもそも体育の着替えとかは」


 バーザルの中で色々な疑問が浮かんでうんうん捻る。


「ああ、そのことかい。貴族は入学時に個室を貰うんだよ。親族が訪ねてきたときにくつろいでもらえるようにホテル並みの設備があるから、たいていの子はそこで着替えや用を済ませるよ」


「な、なるほどー!」

 さすが貴族。特権階級は学園でも恩恵を受けるらしい。

 生活に関する疑問は解消したが、それでもユーリが男装している理由はまだわからない。もしかして侯爵家ならではの深い事情があるんだろうか。


 バーザルの表情に暗い影が落ちたのに気付いたユーリは、元気づける様に背を撫でた。


「バーザルはやさしい子だね。ふふ、安心して?私がこの格好でいるのは女性服よりも男性服の方が好きだからだよ。そして私の家族は理解があるから不便なく人生を楽しめているのさ」


「そ、そうなのか?でも侯爵家にはご令嬢と嫡男が一人ずついるって噂があるぞ。ご令嬢は体が弱くて学園に通っていないとかなんとか……」

 ちなみにバーザルはこのご令嬢と婚約出来たらいいなあとひそかに狙っていたのだ。二年後の卒業パーティーで王太子であると発表された後に、「妹さん(もしくはお姉さん)を下さい!」と言うつもりだった。

 とまどいがちに尋ねるとユーリはあっけらかんとして言い放った。


「ああ。建前だよ。弟が一人いるんだけど、あの子はこの世の美を凝縮したような美少女でね」


「お、弟が美少女?」


「そう。本人曰く美の女神すら裸足で逃げ出す美少女なんだって。まあ、美の基準はそれぞれだから私も両親も好きにさせているよ。体はむしろ強い方だけど美の追求に時間を割きたいからと学園に通わず自宅学習で済ませているのさ」


 にこ。っと微笑むユーリの顔はとても美しかった。

 ちなみにユーリは弟をそれほど美しいと思っていなさそうだが、ユーリの美意識は世間一般とズレているので相当な美人で間違いないと思う。

 なにしろ、以前俺が歌姫の絵姿集を見せて「おまえ、どの子がタイプ?」と聞くと「うーん。ここにはいないかな。私はどちらかというと、一昨日行った肉屋の娘さんとかが好みだね」と答えた。ちなみにこの娘さんの顔は一言で言うならモブ顔である。薄くてあまり印象に残らないのだが、ユーリの目には絶世の美女に映るらしい。


 バーザルが余計なことを考えていると、ユーリはきらきらと輝く顔を向けた。


「それで他に質問はあるかな?」


「ナイデス……」


「で、どうする?温泉に行く?」


「え?」


「私はバーザルと行きたいんだけど、ダメかな?」

 ユーリはバーザルの肩に手を乗せるとぐいと引き寄せ、耳元でささやいた。

 めまいがしそうなほどの心地よい声と、魂が抜けてしまいそうなほどの麗しい顔にバーザルは思わず頷いていた。イケメン怖い。


 そしてバーザルはユーリが手配してくれた馬車に乗り、温泉と観光を目いっぱい楽しんで休暇を満喫した。実は行く直前まで「女の子と温泉旅行なんてやばいやばいやばい!」と寝台の上でのたうちまわっていたのだが、当日の朝に辻馬車で迎えに来てくれたユーリは庶民が着るブラウスに茶色のベストとパンツスタイルだった。質素な服でも高貴さは隠せず、どこからどう見ても『お忍びの麗しい王太子殿下』である。旅先でもユーリは相変わらずイケメンで女の子にモテまくり、温泉が別行動でなければ「あいつが女ってのは俺をからかっただけだな」と思ったことだろう。


 そして、温泉旅行を皮切りにユーリとバーザルは休日になると様々なところへ遊びに行った。釣りもしたし、舟遊びも楽しんだ。引きこもりタイプのバーザルだが、図書館に行ってどっちが何冊読めたかを競争したり、遠乗りに出かけて狩りをしたこともある。


 そんな生活が一年ほど続いたころ、バーザルはふと気づいた。

 侯爵令嬢が婚前に男と遊び歩くなんて世間体が悪いのではないだろうか。


「なあ、ユーリ。今更感がすごいんだけどさ、侯爵令嬢が俺と遊び歩いてると不都合があるんじゃないか?幸い皆はお前が女だとは知らないけど、将来的にお前は侯爵令嬢として伴侶を選ばないといけないだろ?そんときに俺との関係が足かせになりはしないか?」

 神妙な顔でバーザルが言うと、ユーリは目をぱちくりと瞬かせた後、くすくすと笑いだした。


「あはは。大丈夫さ。私の好きな人はそんなことで私を嫌ったりはしないからね」


「えっ!ユーリに好きな人なんていたのか!?」


「うん。まあね」


「へー。どんな子?かわいい?」


「そうだね。すごくかわいいよ」



 にこ。とユーリが微笑む。あいかわらずの綺麗な表情にバーザルはすっかり見惚れてしまい、イケメンはうらやましいなあとバーザルは思う。



 もしここに第三者がいればユーリの眼差しの意味がわかっただろうが、彼女いない歴イコール年齢のバーザルは何も気づくことはなかった。




 ■


 ある日、中庭でバーザルは女の子に囲まれていた。


「王太子殿下に近づかないでくださる?」


「はへ?」


 美少女たちにずらりと囲まれて男冥利に尽きるシチュエーションだが、彼女たちの表情は怒りに燃えている。ユーリが生徒会の用事で席を外したとき、バーザルの前にいきなり彼女たちが現れたのだが、正直なところ意味が分からない。

 なにしろ王太子殿下はバーザルであるからだ。

 いくら一般市民っぽいモブ顔であろうとも、硬い黒パンと昨晩の残りを詰めた弁当を食べようと、バーザルは正真正銘王太子だ。



「ユーリ様があなたを気に入っているのはよく存じてますし、あなたに他意はないことも知っています。ですが、ユーリ様の心を奪ったのは許せません」


「へ?」


 意味が分からず間の抜けた声がバーザルから漏れると、陣頭に立っていたバーバラ嬢が深くため息をついた。


「はあ。本当に何もわかってないなんて情けないですわ。あなたがどうしょうもない鈍感というのはわかりましたので教えて差し上げます。その耳かっぽじってよーくお聞きなさい。ユーリ様はなんとあなたを好いておられるのです!!」

 悔しくてたまらないと言わんばかりに顔をゆがめてバーバラ嬢は断言した。


「はあああああ!?」

 驚いたバーザルは絶叫した。


「いやいやいや!ないないない。あいつとは友達。フレンド!アミーゴ!」

 バーザルは訳が分からなくなって浮かんだ言葉を片っ端から吐き出す。


「わたくしだって認めたくないですけど事実ですの。殿方からはわかりにくいでしょうが、ユーリ様はあなたにだけ楽しそうに微笑まれるのです。それとなく触れる手には隠し切れない思慕を感じました」


 バーバラ嬢がぎりりと歯ぎしりをしながら言うと、同調するように周囲の女子がうんうんと頷いた。


「いや待って待って。俺たちは本当にただの友達だぞ?親友だからあいつもそんな対応なんじゃないの?」


「いいえ違います。あの方の眼差しは愛する者のそれです。豊満な女性が好みのあなたがユーリ様からの寵愛を認めたくないのはわかりますが、これは学園の女子全員の結論ですの。四の五の言わずさっさと認めなさい。そしてユーリ様から身を引きなさい!」

 びしいっと畳んだ象牙の扇でバーザルを指す。


「ここにあなたが一生働いても届かない額を用意しています。これを持ってさっさとこの学園を去りなさい」

 バーバラがぱちんと扇を鳴らすと、彼女の侍従が革で装飾された頑丈そうなトランクを運んできた。バーザルの前にどんと置くと、


「王太子殿下の伴侶に相応しいのは侯爵令嬢たるこのわたくしですわ!」

 バーバラ嬢はそう高らかに宣言した。

 彼女がそうおごるのも無理はない。

 なにしろ公爵家には年頃の娘はおらず、四つある侯爵家のうち二つは男児しかいない。残る二つがバーバラの生家とディアバルド侯爵家だが、そこの令嬢は体が弱くて家の外に出られないともっぱらの噂である。


 それゆえバーバラは王太子殿下の婚約者に自分が選ばれると信じて疑わなかったし、周囲もそうだった。

 身分的にも異を唱えることは誰にもできない。


 しかし、ある声がその空間を引き裂いた。


「おかしいね。侯爵令嬢は君だけじゃないのにどうしてそんなことが言えるのかな?」

 凛とした声は胸の芯まで響き、一瞬でその場にいる者の視線を集めた。

 堂々と立つ姿は圧倒的な神々しさが漂う。


「ユーリ様!」

 とりまきの女子が歓喜の声を上げる。

 だが、バーバラのひと睨みで彼女は押し黙った。


「ユーリ様。目を覚ましてくださいませ!あなた様にはふさわしい伴侶が必要です!」

 恋する乙女の目でバーバラはユーリを見つめて言う。

 だが、ユーリの表情は微笑を浮かべているものの、眼差しは冷ややかだった。ずっと一緒にいるバーザルですらユーリのこんな表情は初めて見る。少しでも気を抜くと腰が抜けてしまいそうなほどユーリが纏う気迫は恐ろしい。


「バーバラ嬢。質問に答えてくれないかな?誰が誰の伴侶に相応しいって?」


 ユーリの言葉は一つ一つがどれも刃のように鋭かった。気の弱そうな令嬢たちは今にも倒れそうに青ざめて、バーバラだけが震えながらもユーリと向かい合っている。


「で、ですから。わたくしが王太子殿下の伴侶に……」

 バーバラのセリフは後半はほとんどが言葉になっていなかった。

 恐怖で震える口元はかちかちと歯を鳴らし、目元はうっすらと潤んでいる。


 バーバラはユーリが自分に怒るとは信じられなかった。

 愛するバーザルと離別することに心を痛めることはあっても、所詮は庶民で道ならぬ恋である。王太子の責任を自覚してバーバラを認めてくれると思っていた。


 それなのに、ユーリはバーバラを恐ろしい目で見ている。

 愛する人から憎悪を向けられるなど、バーバラは悲しくて辛くて胸が引き裂かれそうに苦しかった。


「で、殿下……。わたくしは……」


「バーバラ嬢。あなたは社交的で明るく素晴らしい女性だ。さらには王太子殿下の好む豊満な体も持ち合わせている。君の言う通り本来なら私が身を引くべきだろうけど、あいにくただで引き下がるほど物分かりがよくないんだよ」


 ユーリの声は凍り付きそうなほど冷たい。

 ただ、ユーリの言葉の意味を理解できなかったバーバラは戸惑った。


「え?なぜあなたが身を引くというお話に?」


「なぜって君が王太子殿下の婚約者を主張したからだけど?私の家も侯爵だから君と同格で条件としては差異はないよ。君の体躯が殿下の好みである点以外は」

 ユーリが不機嫌そうに答える。


 ここでバーザルが気が付いた。

「お前、もしかして俺が王太子って気が付いてた?」


「まあね。でも最初からではないよ。この前の温泉旅行で君ってばアイギス商会が発行する会員証で買い物するんだもの。あれは王族しか使えないのにうっかりさんだね」


「マジ?」


「うん。割と有名な話だけど知らなかったのかい?」


「いや。旅行行くって言ったら鍛冶屋のおばさんがこれで金払ってって言ってきたから、みんな持ってるものかと」


 バーザルの返答にユーリは苦笑して肩を竦めた。


「貴族の私と旅行に行くからと気を利かせてくれたんだろうね。私の見ていないところで使えばいいのに堂々としているからびっくりしたよ。でも王太子殿下と知って逆に納得したんだ。平民を名乗る割には常識知らずで危なっかしいもの。それに鍛冶屋の息子ならもっと肌の色は濃いし、手の皮は分厚いからね」


 そう言われてバーザルは自分の手を見つめる。鍛冶屋のおじさんは剣の打ち方を教えてくれはしたが、「おまえさんはぶきっちょだ。大事な体を傷つけるわけにはいかねえ」と実務はさせてもらえなかった。頭脳系の仕事はこき使われたが、それでも苦労をした覚えはない。


「言われてみればそうだよなあ。甘くない業界ってことは理解したつもりだったんだけど、俺はやっぱり世間知らずのガキのまんまなんだな」

 これでも12歳から5年にわたって庶民生活を送ってきたのだが、貴族育ちのユーリに言われては立つ瀬がない。三つ子の魂百までとはよく言ったものである。


 しみじみと言うバーザルに、ようやく状況を理解したバーバラが震える声で言う。


「バーザル……様が王太子殿下で、ユーリ様が……ディアバルド侯爵家のご令嬢ということでよろしいかしら?」


「うん」

 とバーザルが答え、


「そうだよ」

とユーリが言った。


 二人の返答にその場にいた令嬢はがくっと項垂れた。

 バーバラなどは燃え尽きたように死んだ目をしている。


「そうなのですね。知らなかったとはいえ……王太子殿下の伴侶を主張して大変申し訳ありませんでした。また、王太子殿下に無礼を働いたこと、深く謝罪いたします。不敬罪で処罰されようと異存はございません」


 バーバラが身を引く宣言をするとユーリの表情はぱあっと明るくなる。ユーリにとってバーザルは絶世の美男なので、話の途中から入ってきたユーリはてっきりバーバラがバーザルを狙っていると勘違いしてたのだ。


 一方、バーザルとしては不敬も何も、表向きまだ庶民なので処罰する気はなかった。

「あー。色々誤解があっただけだし、気にしてないからいいよ別に。そうそ、正式に公表されるまで俺の正体は内緒で頼むわ」

 気恥ずかしくてぽりぽりと頭をかいて答えると、バーバラは深いお辞儀をした。他の令嬢もそれにならって丁寧に頭を下げた。


 断罪の場であった裏庭を去っていく彼女たちを見ながら、ユーリは言った。

「ねえ、バーザル。私は女らしくもないし、かわいくもないけど君への愛は本物なんだ。君が平民でも王太子でもそれは変わらない。バーザルはどうかな?」


 ユーリに問われてバーザルは息が止まった。

 気の利いた言葉が何一つ出てこず、バーザルは焦る。だが、ユーリはせかすことなく、じっとバーザルが話すのを待った。



「ユ、ユーリの気持ちはすごく嬉しい。俺はユーリのことは好きだよ。でもそれは愛とか恋とかじゃなくて、友情でしかないんだ。ごめん。本当にごめん」


 バーザルが顔をくちゃくちゃにして言うと、ユーリは一瞬傷ついた顔になったが、すぐに微笑を湛えたいつもの表情になった。


「きちんと向き合ってくれてありがとう。やはり私は君が好きだよ。だから傍にいることだけは許してもらえるかな?」


「もちろんだよ。ユーリは俺の最高の親友なんだから!」


 バーザルが叫ぶとユーリは嬉しそうに笑った。



 一年後、卒業パーティでバーザルが王太子だと公表されたとき、会場内は阿鼻叫喚の図だった。というのは、婚約者として皆の憧れのプリンスが紹介されたためである。

 黒の燕尾服に身を包んだユーリの姿は月の化身かと思うほど美しく、主役であるはずの王太子など完全にモブ扱いである。そしてその絶世のイケメンが身を固めるという悲報にある者は天を仰ぎ、ある者は廃人のような虚ろな目をした。


 正直なところ、バーザルもなぜ伴侶としてユーリが隣にいるのか理解できていない。


この一年、ユーリとは親友らしく過ごしてきたつもりだ。どうしてこうなったと過去を思い返してみるが、いつも耳に残るのはユーリのイケメンボイスである。

「バーザル。一緒に夕飯を摂ろう」

「バーザル、雨が降ってきたから泊まっていくといい」

「バーザル、たまには童心に返って布団の中で本を読まないか?」とどれも親友なら問題ない会話のはずだ。


「どうかしたかい?私の愛しい人」

 バーザルが思案にくれていると不意にユーリの美しい顔がのぞき込んできた。美の極致のパーツに見つめられてなんだか頬が熱くなってくる。

 ああ、そうだ。思い出した。

 一年間。ユーリはバーザルに「愛しい人」と語りかけてきた。

 あまい蜂蜜に毎日毎日漬けられれば、身も心も染まりきるのは時間の問題なわけで。しかも、ユーリの性格はバーザルにとって好ましく、趣味も一緒だし、思考も似通ってる。

 ふとここであることに気が付いた。


 もしかしたら、バーザルは初めてユーリに会った瞬間に恋に落ちていたのかもしれない。そしてユーリに対する気持ちが不変だったのは……。


「ユーリ。今更でごめん。俺、初めて会った時から愛してた」

 

 バーザルが言うと、ユーリは顔をうっすらと赤く染め、くすぐったそうに笑った。

 

「ありがとう!私もだよ!」


 半年後、二人は盛大な結婚式を挙げてユーリは王太子妃になった。


 月日が過ぎて王になったバーザルは様々な改革を行って民の暮らしを向上させ、国中を潤わせた。お調子者のバーザルは「後世の学者は俺のこと賢王って言ってくれるかなあー」と夢を見たのだが、各国の大使がルーデル王国に訪れた際、絶世の美男の王妃を見た彼らは、母国に戻って「ルーデル王は絶世の美男を王妃にして、側室も持たず睦まじく暮らしている」と伝えたため、のちの世で『男色王』と呼ばれた。

 そして、美形男子を王妃に迎えると国が繁栄するという厄介な伝承まで残し、子孫である王太子たちに恨まれるのだが、バーザルは知るよしもない。


皆さま、コメントを書いてくださって本当にありがとうございます。

いつも心躍らせながら拝読し、励みとして日々を暮らしております。

ところが、執筆時間が思うように取れなくなってしまいました。

私としても苦渋の決断なのですが、2021/01/25の時点でコメントの返信を一時中断させていただきます。


ご理解のほど、よろしくお願いいたします。

皆様の応援に応えるためにも、執筆に集中してより楽しいものを提供できるよう頑張る所存です。


皆様のコメントにいつも元気づけられております!

本当にありがとうございます!


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