後編
ユディタがエドアルドの転移魔法陣を見つけてから数日経った頃。
その日のユディタは、王宮の廊下を歩いていた。というのも、前々からお城の偉い人たちに回復したら是非また城に来てくれと招待されていたからだ。
曰く、意識不明に陥っていた半年間の見返りと無事に目覚めた快気祝いとして邪神討伐の報酬をさらに上乗せしたいという。
ユディタとしても貰えるものは貰っとけ、という精神なので、白パンの追加注文と改修した修道院にまた新しく畑と大きな池をつけてもらうことを条件として提示した。畑と池に関しては完全なユディタの趣味である。採れたての新鮮な野菜や釣りたての新鮮な魚で作った料理はさぞや美味しいことだろう。じゅるり。
ちなみにまた第二王子との結婚を勧められたりもしたが、それはすっぱりきっぱり断った。半年眠っても、やっぱり第ニ王子には全く惹かれなかったし、興味も湧かなかったからである。「やはり君には敵わないな……」とまた白パンに話しかけていたのは面白かったが。
そんなこんなで、王やら大臣やら国の偉い人々との謁見を終えたユディタはとある場所を目指していた。本音を言えば、偉い人たちとの謁見は城に来る口実で、ユディタの本当の目的は別にある。
この時間帯だとターゲットは執務室で書類仕事をしているそうだ。謁見室まで付き添ってくれた騎士に聞いた。
そうして、途中途中で聖女時代の知り合いに挨拶したり目覚めたのを喜ばれたりしつつ、無事ユディタは目的の場所に着く。
部屋の前に掲げられた金色のプレートには、「王国聖騎士団対魔獣第一前方部隊副長室」と書かれていた。長い長い長い。ユディタは読むだけ読んで、覚えることをすぐに放棄する。
「スーハースーハー……よし!」
空気をめいっぱい吸ったり吐いたりした後、覚悟を決めてユディタは三回ノックした。
瞬間、数秒の間ができる。あれ?とユディタが思った刹那、「入れ」と久々に聞く声が返ってきた。
「失礼します!」
扉を開くと、その部屋の主人は部屋の中央奥のデスクに座って何かを書いていた。トレードマークの鋭すぎて視線だけで人を殺せそうなキツい目つきは今は伏せられていて見えないが、どんな谷よりも深い眉間のシワはいつも通り健在である。今日も今日とて、背筋は木の板でも入ってるのかと思うくらい真っ直ぐ伸ばされていて、身に付けている騎士服も寸分の狂いなく完璧に着こなされている。
バタンと扉の閉まる音と同時に、鋭い瞳がユディタを見た。書類をめくる手を止めて、こちらに向き直って口を開く。
「久しいな」
「エドアルド騎士もお久しぶりです」
「息災で何よりだ」
「……はい、今はもうめちゃくちゃ元気ですよ。数々の試練を乗り越えましたからね」
目覚めてからの筋肉痛と回復魔法の繰り返しの日々に思いを馳せて、ユディタは思わず遠い目をしてしまう。出来ればもう二度と体験したくない。
「もう歩くのは慣れたのか」
「まだ走るのはガックンガックンしますけど、歩くのは全然平気です」
「そうか」
その声色は平坦で、動揺なんてものはかけらも感じられない。まるで何も知らないかのように、普段通りに、いつも通りにエドアルドは振る舞っている。それがユディタはひどく気に食わなくて、内心ムッとする。しれっとしちゃって、今までずっと私のことを避けていたくせに!そう詰ってやりたいのを、すんのところで耐えた。
「……その、お見舞いもありがとうございます。白パンとか、くれたそうで」
「ああ」
「…………」
「…………」
「…………」
「……用はそれだけか」
「えっ、違います違います」
そんなわけあるか。ユディタは慌てて首を振る。「何のために城に来たと思ってるんですか、貴方に会うためですよ!」と文句の一つでも叫んでやりたいところだが、とにかく聞きたいことやら言いたいことが多すぎて、どう切り出せばいいのか分からない。
「……何だ、言いたいことがあるなら言え」
「えーと、そのですね、」
「…………」
「……ぎゃ、逆に! えど、エドアルド騎士こそ、私に言いたいこととかないんですか」
「特に無い」
「ええー……? ひとつも?」
「無いが」
「聞きたいことも? 本当に?」
「くどい」
エドアルドの眉間のシワが濃くなる。第二王子よりも白パンを選んだユディタが言えた義理ではないが、もう少しこちらに興味関心を持って欲しいと思う。王子と違って、今のユディタには話しかける相手の白パンもいない。
少し肩を落としながら、ユディタは仕方なく口を開いた。
「じゃ、じゃあ、聞かせてもらいますけど……何で、私に会わずに帰ったんですか? 修道院には何度か来てくれてたって聞きました」
「その後すぐに予定があって、お前に会うだけの時間の余裕は無かった」
「私が目覚めてから、一度も? ……一瞬でも? 一眼見るだけでも?」
「そうだ。あまりの忙しさでな」
嘘だ。そう直感的にユディタは思う。エドアルドは何より無駄を嫌って、数週間先の予定まで頭にきっちり入れて行動する男だ。スケジュール管理など得意中の得意で、今まで彼が忙しさや時間の余裕を気にして何かをやらなかったり、後回しにしたりしているところをユディタは見たことがなかった。
まだまだエドアルドは知らぬ存ぜぬを突き通すつもりのようだ。そっちがその気ならと、ユディタは唯一掴んでいるネタを使って揺さぶりをかけてみる。
「……貴方の魔力で作った転移魔法陣がバルコニーにありましたけど。あれは何ですか」
「有事の際に利用するために設置したものだ、他意はない」
エドアルドはいけしゃあしゃあとそんなことを言う。思わず馬鹿にするなとユディタはその場で地団駄を踏んでやりたくなった。そんな嘘がユディタに通用すると思ったか。こっちは散々使ってたのを見ているんだ。さっさと白状しろ。そんな気持ちを込めてユディタは問い掛ける。
「……エドアルド騎士は、何でそんな風に振る舞うんですか?」
「何のことだ」
「貴方が私のことなんてめちゃくちゃどうでもいいって感じで振る舞って、避けるのは何故かって聞いてるんです」
挑むようにユディタはエドアルドの瞳を見つめる。けれど、依然として目の前の男の態度は変わらない。眉を顰めて、不愉快だと言わんばかりに厳しい視線をユディタに突き刺した。
「お前は余程自分に自信があるらしい」
「…………」
「だが、それは間違いだ。その能天気で自惚れた性格を直してくるといい」
「……そんな殺し屋みたいな目で睨んでも怯んだりしませんし、悪態ついたって今更無駄です。私には効きません。伊達に一年間貴方にしごかれてませんから!」
どうだと言わんばかりにユディタは胸を張る。ただ、自慢げに話している内容は軍議中のパンだ何だとエドアルドに怒られた過去であることが残念なところである。
「それに私、ちゃんと見てたんです」
「……何をだ」
「貴方が、エドアルド騎士が、眠っている私のところに転移魔法で毎日欠かさずやって来て、私に回復魔法をかけてくれてたところをです」
——バキッ!!
ユディタがそう言った瞬間、ものすごい音が部屋に響いた。その音はあまり耳馴染みのないものだが、何かが真っ二つに折れた音のようにユディタには聞こえた。そう、例えば、今まさにエドアルドが握っていたペンとか。
ユディタはまん丸に目を見開いて、デスクの上をころころと転がる折れて半分だけになった可哀想なペンの残骸を見つめていた。
「え……?」
「…………」
「エドアルド騎士……?」
「……そんなことは知らん。何のことだ」
「いやいやいやいや! ペン! ペンなんで折ったんですか!」
この状況でまだその茶番を続けるつもりか。
エドアルドの鉄仮面は相変わらず取れない。だが、デスクの上には真っ二つになったペンが転がっている。こんなのもう心当たりがありますと言っているようなものである。
ようやく感じた手応えに、ユディタはエドアルドに詰め寄った。その瞳は興奮して、キラキラと輝いている。
「エドアルド騎士? これって、そういうことですよね? そういうことなんですよね? ね?」
「…………」
「ね、黙ってないで、言ってくださいよ! お前のところに毎晩通って回復魔法かけてたのはこの俺ぇっ——ムググ‼︎」
ユディタが言い切るより先に、その口は両頬にむぎゅっと押し潰されて、タコのようになってしまう。彼女の頰肉には、お馴染みのエドアルドの指がぐぐぐと食い込んでいた。
「無駄口を叩くな」
「むひゃくひひゃはひはへん!」
上手く回らない口を動かして、ユディタは必死に抗議した。大体今のエドアルドに無駄を語る筋合いはないはずだ。自分こそ、無駄に毎晩毎晩、ユディタには効果のない回復魔法をかけていてくれたのだから。同類というやつである。もちろんユディタとしては大歓迎ではあるが。
「人語を話せ」
「はひゃはひゃへ‼︎」
頰肉に邪魔され、例え言語の体をとっていなくとも、必死にユディタは抗議し主張する。そんな様子に胸を打たれたのか、はたまた毒気を抜かれたのか、エドアルドはユディタの頰肉から手を離すと、長い長いため息を吐いた。
一方のユディタはというと、いつかのようにヒリヒリと痛む頬を撫でさすって「暴力反対……!」と呟いていた。
「……あんなに静かだったくせに、起きた途端、お前は一気に騒がしくなるな」
「! そ、それって……」
「お前は本当に、他人の調子を狂わせることに長けている」
「や、やっぱりそうなんですね……! あのエドアルド騎士は、私の幻覚じゃないんですよね⁉︎」
「誰が幻覚だ愚か者」
やっぱりあれはユディタの夢や幻なんかではなかった!
その事実に喜びで今にも踊り出しそうなユディタとは対照的に、エドアルドは頭に片手を添えて、じっと何やら深く考え込んでいる。しばらく黙った後、エドアルドは再び口を開いた。
「……ユディタ」
「はい! 何です?」
「……どうして分かった?」
「え?」
「あの半年の間、お前の意識は確かに無かった。他の人間に見られたこともない。……俺のことを、どうやって知った?」
「知ったも何も、透明になって全部見てたんですよ、私」
ユディタは眠っている間に自分の身に起きたことをエドアルドにすべて話し聞かせた。
司教様と同じく、聖騎士である彼もユディタが透明になっていた詳しい原因は分からないらしい。ただ、今回のユディタの長い眠りは枯渇していた聖女の力を回復するためのもので、本来心と身体の両方ともが揃って回復するはずが、何かの弾みでユディタの心だけが一足先に回復してしまったが故に起こったものではないかという仮説を立てていた。実にややこしい話である。当然ユディタはすぐに忘れた。
「……結局、隠しても無駄だったというわけか」
「そうですよ! エドアルド騎士はどうして私に会うのを避けてたんですか? こちとら貴方が来るのをずっとドキドキわくわくしながら待ってたんですよ!」
「……そうか」
「それなのに、なのに、貴方って人は……! 私が目を覚ましてから季節何回過ぎたと思ってるんですか!」
「二回だけだが」
「二回も、です!」
人差し指と中指を二本立てながら、ユディタはエドアルドに詰め寄った。側から見ればピースサインを突き出している滑稽な様子にしか見えないが、彼女は至って真剣である。
エドアルドはまた眉を顰めると、真っ二つに折れたペンを置いて、おもむろに席を立った。「お?お?兄ちゃんやる気か?」と言わんばかりにユディタは一応手足を大の字に広げてみる。精一杯身体を大きく見せる、アリクイと同じ威嚇の態勢である。
それを華麗に無視したエドアルドは、部屋の右側にある応接用のソファに座った。彼には珍しく、長い脚を投げ出して、その膝に両肘をついて頭を俯かせ前傾になるという姿勢の悪いスタイルである。
一方の威嚇姿勢を無視されたユディタはというと、特にそれを気にする様子もなく、呑気にエドアルドの後ろについて行ってソファのそばに立っていた。
「……話すと長くなる。お前も座れ」
「はい!」
「…………」
「どうしました?」
「……横ではなく正面に座れ」
「え、何でですか? 嫌ですよ! 絶対に!」
二人分のスペースは十分にあるのに、何故正面なんかを勧めるんだ。遠いだろう。またいつあの素っ気ない態度に戻るかも分からないので、ユディタは出来るだけ近くでエドアルドを観察していたかった。
断固として移動しない意志を伝えるため、当て付けのように、ユディタはもっと距離を詰める。すると彼の方が向こうのソファに移動しようとしたので、咄嗟に木に捕まる子猿のごとくその左腕にしがみついてやった。
エドアルドはというと、盛大な舌打ちとため息を溢していたが、しがみつく彼女を決して振り払うことはしなかった。それから移動するのは諦めたのか、浮かしていた腰を戻す。
「……わかった、横はもういい。ただし腕は離せ」
「しょうがないですねぇ。腕だけですよ!」
渋々といった様子でしがみつくのをやめたユディタだが、内心助かったと思ったりもしている。子猿のように情緒のかけらもなく抱きついていたが、エドアルドに密着するのはなかなか心臓に悪い。もう少し彼が言うのが遅ければ、今ごろ自分は照れで爆発でもしていたのではないかとひっそり思う。
自分の頬と耳が熱いのを誤魔化すように、ユディタはカラリとした調子で言葉を続けた。
「で? で? 理由を教えてくれるんですよね?」
「…………」
「エドアルド騎士! さあさあさあ! 全部吐いてください!」
「吐いたのはお前だ」
「誰が上手いこと言えと!」
過去の汚い話題を持ち出されて、ユディタは口をへの字に曲げた。どうやら軽口を返すぐらいの余裕はあるらしい。だが、素早く歯切れの良いレスポンスに定評のあるエドアルドにしては珍しく言い淀んでいる。
「……お前を避けていたのは事実だ。お前が目覚める前のことを誰にも知らせるつもりはなかったし、目覚めた後に俺からお前に顔を合わせに行くつもりも毛頭なかった」
「何だかちょっぴりわかってましたけど、面と向かって言われるとグサグサ来ますねこれ……」
「もうやめるか」
「いいえ! いいえ! 続けてください」
「…………」
凛と胸を張ってユディタが続きを促すと、むにっと再び両頬を手で押し潰された。だけどそれはいつもと違ってびっくりするくらい弱くて優しい力で、ユディタが驚いている間にすぐに離れていってしまう。
目をぱちくりとさせたまま固まる彼女をそのままに、エドアルドは何事もなかったかのように続けた。
「お前が邪神を倒した後、国中のほとんどの魔獣は浄化された。だが、全てではない。お前の護衛の任を外れた後、俺はそのわずかに残った魔獣の処理にあたっていた」
「……えーっと、残党処理ってやつですね。でも、その可能性は前々からエドアルド騎士が言ってましたよね? 何事においても完全完璧などはない、親玉の邪神討伐の後も魔獣の取りこぼしはきっとあるって」
「そうだ。魔獣のことは想定内で、何も問題はない。問題はお前だ、ユディタ」
「私?」
「問題はお前だ」と言われても、何のどの問題なのか分からない。つい半年前まで意識不明の状態だったし、基本的にユディタはいつでも問題を起こしているので、心当たりがありまくりだ。先ほどの謁見室でも王様と偉い大臣達と白パンを食べながらジャムとバターどっちが合うか談議していたのがエドアルドにバレたら、「謁見中にパンを食べるな!」とまた怒られるに違いない。
「あのぉ……一応聞きますけど、私のどこらへんが問題なんですか?」
「全てだ」
「すべて⁉︎」
「……と、言いたいところだが、今回についてはお前と俺が交流を持つことに関して問題がある」
「え、何でエドアルド騎士と仲良くしちゃいけないんですか? 元護衛ですし、一緒に邪神を倒した仲じゃないですか。水臭いですよ!」
エドアルドとの仲を問題呼ばわりされるのは心外だとユディタはブーブー抗議する。これはまた素っ気なくされる予兆かと、ついでに隣の彼の手をギュギュッと両手握っておく。今更逃してなどやるものかという強い意志を持って。
エドアルドはそれに関して嫌がるわけでも何か言うわけでもなく、ユディタのしたいようにさせたまま、言葉を続けた。
「聖騎士である俺と関わりを持つことで、お前がまた魔獣との戦闘に駆り出される可能性がある」
「うーん……それって、どういう意味です?」
握ったエドアルドの大きな手をムギュムギュと握って弄びながらユディタはそう尋ねた。
駆り出されるも何も、ユディタは聖女で、邪神及び魔獣に対するこの国の最終兵器みたいなものである。それを彼女自身も承知で、白パンやら修道院の改修工事やらと引き換えにその役割を引き受けたのだ。
「今は邪神を倒したことで、戦況が落ち着いている。それに加えて、お前もまだ病み上がりだ。お前に戦場に立てと言う人間はいないだろう。しかし、この状況がこれからずっと続くとは限らない」
「邪神と言わずとも、また強い魔獣とかが出たら私の力が必要とされるってことですか?」
「そういうことだ」
「でも、それとエドアルド騎士と私が仲良くすることに何の関係があるんですか」
「……俺は聖騎士だ。魔獣と戦う立場にある俺と共にいることは、お前が再び戦闘に駆り出される可能性を高める」
「え?」
「邪神は浄化された。お前は聖女の務めを立派に果たした。もう固くて汚い地面で野宿することも、補給隊とはぐれて三日三晩飲まず食わずの羽目になることも、死骸を見て誰にも知られない所で吐くことも、もうしなくていい」
「…………」
「これからは安全な場所で寝て、好きなものを食べて、馴染みの仲間に囲まれて、そうやって、ただのユディタ・ルクレとして生きろ」
目を見開いて固まるユディタを、エドアルドは静かに見る。いつの間にか、ユディタの小さな両手はエドアルドの大きな手に包まれて握り返されていた。
「王宮の人間であり、聖騎士でもある俺と一緒にいれば、きっと避けきれない。だが、城の人間と一切関わらず、修道院でただの女として生きているお前なら今後戦闘に駆り出されることはない。誰にもそうさせないと、誓う」
「…………」
「……だから、もう俺に会いに来るな。城に来るのも今日で最後にしろ」
「…………」
「ユディタ」
「……嫌です。それは絶対に嫌」
落ち着いた、毅然とした口調できっぱりとユディタは告げる。さっきまでの軽い調子は消えて、その二つの瞳は真摯にエドアルドのことを見つめていた。
「……貴方は私を避けて、そうやって遠ざけることで、護衛じゃなくなっても私のことを守ろうとしてくれてたんですね。これ以上、私が聖女として戦場に立たなくてもいいように」
「…………」
ユディタは自らの手を包む大きな手から逃れる。
それからもう一度その手を取って、今度は指を絡めて強く繋ぎ直した。エドアルドの手は一瞬ピクリと動いたが、抗うことなくユディタの指に絡まったままでいる。
「……でも、それでハイそうですかって、私が引き下がると思います?」
「……これがお前にとっての最良の選択だ」
「自分の行動は自分で選択しろって、私は貴方に教わりましたよ」
「…………」
ユディタはエドアルドが自分に浴びせた数々の言葉を思い出す。
『もっとよく考えて行動しろ!』
『何か頼まれてもすぐに頷くな! 慎重に考えろ!』
『そんなに光魔法を撃つな!』
『軍議中にパンを食うな!』
『よく考えてから動け!』
『だから光魔法を乱発するな!』
『しっかりしろ! 貴様の頭は飾りか!』
『ここでパンを食うな!』
『自分の行動は自分で選択しろ!』
厳しい言い方であったが、彼の言葉はどれも真っ直ぐで、隠しきれない優しさが滲んでいた。ユディタはエドアルドの長ったらしい役職名や肩書きは覚えられないが、彼がユディタのためにくれた大切な言葉はすべて覚えている。
「固くて汚い地面で野宿するのも、補給隊とはぐれて三日三晩飲まず食わずになるのも、死骸を見るのも、出来ればもう二度と経験したくはないですけど。それ以上に、エドアルド騎士に避けられてた方が私はキツいです。私は、貴方に会えなくなるのが一番嫌だ」
「…………」
「貴方に守ってもらう選択は、安全で快適で、苦労なんてまるで感じない道かもしれません。……でもきっと幸せにはなれない」
「…………」
「私は、それが貴方の望む形でなくとも、貴方と一緒にいる道を選択します。自分で考えて、そう決めました」
エドアルドはさっきから黙ったままだ。自分の言いたいことをうまく伝えられているだろうか、そう考えるとユディタは緊張して、握っていた彼の手のひらにより強く力を込めてしまう。すると、それまでされるがままで握り返してこなかったエドアルドの指に力がこもった。相変わらずキツい眼差しをよこしながらも、男が口を開く。
「……邪神を討伐する直前に、お前が俺に言ったことを覚えているか」
「……『貴方のためなら邪神も倒せる』?」
「そうだ」
思い出すのは、邪神を倒す直前に王宮の中庭で交わした会話である。あの時、確かにユディタは「貴方のためなら邪神も倒せそうな気がします」とエドアルドに言った。当時はあまり深く考えずにするりと頭に浮かんだことを言ったまでだが、それはいい加減なものではなく、紛れもないユディタの本心だった。
その後すぐにエドアルドに一蹴されて、うやむやになってしまったが。
「あの言葉を聞いた時、本気でお前を殴り飛ばしたくなった」
「……確かに、あの後めちゃくちゃ不機嫌でしたね」
「報酬のためならいざ知らず、自分でもない他人のために危険を冒して邪神を倒すなど、あれほどまでに傲慢で押し付けがましい馬鹿な台詞は生まれてこのかた聞いたことがない」
「え、ええー……辛辣過ぎません? 結構良いこと言ったと思ったのに」
「いいや、まったくもって浅慮な言葉だ、この愚か者。自分のために危険を冒すと言われて喜ぶ馬鹿がどこにいる。……あの言葉通りだと、俺のために邪神を倒した結果、お前は死にかけた挙句、半年も目を覚まさなかったんだぞ」
「…………」
エドアルドの口調は依然として強く厳しいものではあるが、その声の中に確かに悲哀と後悔の念が存在している。それを感じとってしまって、ユディタは何も言えなくなってしまう。自分の行動についてはユディタはひとかけらも後悔はしていない。何度やり直しても彼女は邪神を倒そうとしただろう。
だが、自分の浅はかな言葉でエドアルドを傷つけてしまったことをユディタは恥じた。横に座る彼が遠くを見つめながら続ける。
「……俺は、お前を守ると言いながら、その実お前には守られる側の人間でいて欲しかったのかもしれない」
「え……」
「俺は、お前が安全な場所で暮らして、いつものように意地汚く白パンを食って、いつものように誰かと笑っていればそれでいい」
「……その誰かの中にエドアルド騎士はいないんですか」
「いなくともかまわん。ただお前が生きて、幸せになってくれればそれでいい」
「私はいて欲しいです。貴方がいい。貴方がいないと幸せになりません」
「…………」
「エドアルド騎士!」
「…………悪いが、他をあたれ」
するり、と握っていたはずのエドアルドの手が離れる。慌てて追いかけて握っても、また外されて離れていく。そんな、どうして。やっとここまで来たのに。エドアルドから示された明確な拒絶の意思が、鈍器になってガツンとユディタの頭を殴ってくる。
胸が痛くて、自分の心臓がぐちゃぐちゃになっているのではないかと思いながら、ユディタは言葉を吐き出した。
「逃げるな‼︎ エドアルド騎士! 私から逃げるな!」
「逃げたつもりはない。俺もまた、お前の側にいないという選択をした」
「そんなもん、地の果てまで追いかけてやりますよ!」
苦しい、苦しい。胸が苦しくて痛い。詰るユディタの目尻に大粒の涙がひとつふたつと浮かんでは流れていく。
その雫を見て驚いたのはエドアルドの方だった。何故なら、出会ってからユディタは一度も泣かなかったからだ。魔獣に襲われても、三日三晩飲まず食わずになっても、戦闘で大きな傷を負っても、彼女は決して泣かなかった。
そんな女が今、自分に拒絶されて泣いている。その事実に、らしくもなくエドアルドは動揺した。
「……泣くな。お前に泣かれると、どうしていいか分からなくなる」
だから、さっきまで拒絶の意を示していたのも忘れて、エドアルドがユディタの濡れた頬を拭ったのも咄嗟にしたことだった。
自分の頬に触れる彼の指があまりにも優しくて、壊れものを扱うように丁寧で、またユディタの心臓はぐちゃぐちゃになる。何なのだ、この男は。拒絶するならもっと徹底しろ。こんなの、エドアルドの気持ちなんて丸わかりだ。ユディタは鼻声まじりの泣き声で抗議した。
「ズズッ、こんなの、ヒッ、こんなの貴方もゔ絶対私のごど好ぎじゃないでずか」
「何だその支離滅裂な発言は」
「ヒック、私も好ぎです……大好ぎでず!!!」
「待て、勝手に話を進めるな」
珍しくエドアルドの声に困惑の色が混じっている。今がチャンスと言わんばかりに、ユディタはエドアルドに抱きついた。肩あたりに鼻水がついたが、これは仕返しとして黙っておく。
「離れろ」とエドアルドは何度も言っているが、意地でも離してやるものか。しばらくそうしてエドアルドの首元ですんすん鼻を鳴らしていると、強張っていた彼の身体の力が抜けた。それから、ゆっくりと遠慮がちにユディタの腰に手が回る。
「……顔を見せろ」
「…………」
仏頂面でエドアルドに向き直ると、涙を今度は質の良いハンカチで拭われた。それから鼻水も「汚い」と嫌そうにしながらも優しく拭ってくれる。
「落ち着いたか」
「……はい。ハンカチ、ありがとうございます。後で洗って返しますから」
礼を言いつつも、泣き腫らしたユディタの口はへの字に曲がっている。それからポツリと呟いた。
「……エドアルド騎士が好きなんです」
「……さっき聞いた」
「私は貴方が好きで、ずっと貴方と一緒にいたいんです。貴方の後ろで守られるんじゃなくて、一緒に並んで、同じ道を歩いていきたい。……貴方がいないと、幸せになんかなれない。なってやるもんですか」
「…………」
「……だから、貴方は折れてください。側を離れるのは諦めて、大人しく私に好きって言ってください」
「…………」
「守らなくていいから、一緒にいて」
腰に回されていた手が、ゆっくりと上がって、ユディタの背に回る。もう一度きつく抱きつくと、今度は抱き締め返された。
それからエドアルドは小さく息を吐いた。右耳を掠めていく吐息が、少しだけくすぐったかった。
「……降参だ」
「え?」
「お前の粘り勝ちだ、ユディタ」
「!」
「……どうやら、一人前の騎士にならずとも、俺を負かすことができるお前を守る必要はなさそうだ」
「ええ、ええ! そうでしょうそうでしょう! この聖女ユディタ様の力に恐れ入りましたかエドアルド騎士!」
「調子に乗るな」
「ふぎゃっ!」
ユディタが声高々に挑発すると、またむにゅっと両頬を手で潰された。さっきと同じように柔く押されているが、今度は何度もムニムニと頬の弾力を楽しむかのように押したり戻したりされる。
「変な顔だな」
「失礼ですよ!」
「ユディタ」
「何ですか? まったく」
「……耳を貸せ」
今度は一体何なんだ。ユディタは口を尖らせながらも言われた通りに右耳を差し出す。ほんのり赤く染まったその小さな耳をまじまじと眺めた後、エドアルドは小さく言った。
「お前が好きだ。愛している」
「⁉︎ な、な、な、」
「お前がさっき好きと言え、と」
「い、今そういう流れじゃ、」
「そうか。ならもう言わなくとも、」
「待って待って待って待って! も、もう一回! エドアルド騎士、もう一回!」
さっきまで拗ねていたのがどこへやら、今のユディタは慌てふためいて林檎のように真っ赤だ。それをどこか楽しそうに見つめるエドアルドの口には、小さな笑みが浮かんでいた。