中編
エドアルドがいつも通りバルコニーから去った後のことである。その夜、ユディタは久しぶりに夢を見た。
陽もまだ出ていない朝早くに、一組の男女が噴水に並んで腰掛けている夢だ。
彼らがいるのは王宮の中庭だった。ちょうど人ひとり分くらいの間隔を開けて、二人が並んで座っているのをユディタはぼんやりと空から眺めていた。
ユディタはその光景を見つめながら、これは過去の自分の記憶だと何故か直感的に気づいていた。
この夢はきっと、邪神討伐の直前の記憶だ。来たる最終決戦に目が冴えまくってしまって、ユディタが中庭をぐるぐると散歩して気を紛らわせていた頃の。この時は確か、偶然エドアルドと出くわしたのだ。
「部屋に戻れ」と言ってこちらを睨む彼を何とか宥めすかして、せっかくだから何か話しましょうやと無理やり噴水まで引きずっていったのを覚えている。
「このごろ毎日中庭をうろついているようだな」
男の方——エドアルドが口を開く。
そんな風にひとを怪しい人みたいに言うのはやめてほしいとユディタは思う。
「ひとを怪しい人みたいに言うのやめてくださいよ」
と思ったら、夢の中のユディタが全く同じことを言った。まあ同一人物なので当然といえば当然なのだが。
「あの、これはうろついてるとかではなくてですね、散歩という健康な身体づくりの第一歩として——」
「眠れないのか」
ユディタのたらたらとした言葉に構うことなく、エドアルドはぶった斬る。
「眠れなくても無理矢理にでも寝ろ。睡眠不足は能力の著しい低下を招く」
「そんなことわかってますけれども……ギラギラに目が冴えまくってるんですよ」
「それでも寝ろ」
「え〜! ここはひとつ、エドアルド騎士が邪神からは俺が守ってやるから安心しろとか優しい言葉で安心させてくれるところじゃないんですか?」
ユディタがふざけて絡んでみると、盛大な舌打ちを返された。残念ながらリップサービスはくれないらしい。くれたらくれたで、大笑いして過呼吸になる自信しかないが。
「ね、邪神ってどんなですかね? やっぱり強いんでしょうか」
「そんなもの明日嫌でも分かるだろう」
この時のユディタは、実際に邪神は二回も復活して、地獄を見ることをまだ知らない。
愛想のかけらもないエドアルドの返事を特に気にすることもなく、足をぶらぶらとさせていたユディタは何かを思い出したようにハッとして言った。
「そうだ。あの、この際なんで訊いときたいことがあるんですけど」
「何だ」
「エドアルド騎士は、私と初めて会った時に言いましたよね。私みたいな小娘だけに邪神討伐を頼るのは不愉快だ、って」
「ああ、あれか。覚えている」
あの頃、ユディタの周りは聖女になった自分を歓迎する人ばかりだった。これで未来は安泰だ。どうか世界を救ってくれ。そんな言葉をこれでもかと浴びせられた。
ユディタとしては慈善事業のつもりはさらさらなく、白パンや改修工事を条件に引き受けたのでその辺の言葉に対しては「はいはいありがと〜! 頑張りまーす!」ぐらいに済ませて深く考えてはいなかったのだが、そんな中でのエドアルドの発言は随分と印象に残った。
彼は聖女歓迎ムードの中で、聖女に頼ることに対してハッキリと拒絶する態度を示したのだ。
「あれって、私を気に入らなかったのも勿論あると思うんですけど……、なんていうか、他の人にも向けた言葉ですよね?」
「…………」
「例えば、エドアルド騎士を含めた聖騎士団とか、国のえらーい人達とか」
「…………」
「そこんところどうなんです?」
ユディタは横にいる男をじっと見つめた。
エドアルドはどこか遠くを見たまま動かない。珍しい光景だ。彼はいつも誰かとコンマ数秒を争っているのかと思うほど返事が早いのに。
「……お前は時々、驚くほど目敏い時があるな」
「それって褒めてます? 褒めてます?」
「その考察力は、馬鹿ゆえの本能的なものか……?」
「絶対褒めてませんよね?」
心外だと言わんばかりにユディタが口をへの字に曲げる。まあ、すぐに忘れるのだが。
「……お前の光魔法は確かに強い。聖女の力は邪神討伐に必要不可欠であることは紛れもない事実だ」
「まあそうですね。最初断った時、色んな偉い大臣のおじさん達に考え直すよう何回もお願いされましたもん」
「だが、聖女に選ばれる前のお前がただの小娘で、魔獣を殺したこともない非戦闘要員であったことも事実だ」
「うーん、弱いからダメってことですか?」
「違う。お前は本来、聖女などに選ばれなければ、他の一般市民と同様に守られる側の人間であるべきだった。我々聖騎士団によって」
「…………」
「あの言葉は、本来ならば守るべき存在であるお前に頼らざるを得ないほど、邪神に対して無力である自分達が不愉快極まりないという意味だ」
それから少しの間を開けて、「……もちろん、事の重大さを深く考えようとせず、能天気に聖女を引き受けたお前に対しての言葉でもある」とエドアルドは付け足した。そのまま言葉を続ける。
「……初めての作戦で魔獣を倒した後、皆に隠れてお前が物陰で吐いているのを見た」
「ええっ⁉︎」
突然始まった汚い話題にユディタは色んな意味で驚いてしまう。
確かに初めての作戦の後、ユディタは盛大に吐いてしまった。だって人生で初めて魔獣と戦ったのだ。斬り落とされた頭やら腕やら、飛び散る紫色の血はあまりにも凄惨で、流石のユディタでも無理だった。
誰にも見つからない場所で吐いたと思ったのに、まさかエドアルドに見られていたとは。
「お前はひとしきり吐いた後、吐瀉物を処理して何事もなかったかのように帰っていった」
「あの、汚いんでもう少しぼかしてください」
「その後の作戦でも何度か吐いていたな」
「何でそんなに私が吐いてる現場に出くわすんですか」
「知らん。いつも偶然俺が通ったところでお前が吐いていた」
どんな汚い偶然だ。兎にも角にもお目汚しには違いないのでエドアルドに謝っておく。かまわん、とエドアルドも鷹揚に頷いた。
「お前が弱音のひとつでも言おうものなら、聖女の座から引き摺り下ろしてやろうと思ったこともあったが」
「言い方がいちいち物騒ですね」
素直にユディタが聖女の役割をきちんとこなせるか心配だったといえばいいものを、この男はいちいち誤解を招く言い方をする。
「だが、影では散々吐いているくせに、お前はそれを表に出さない」
「…………」
「お前なりに、聖女の任に向き合っていたということだろう」
「……まあ、一応報酬はもらってますし?」
何事にも深く考えず挑戦して全力投球できるのがユディタの長所であり短所である。魔獣がスプラッタだろうが、邪神がどんなに強かろうが、一度やると決めたことは投げ出さずにやり遂げるのがユディタなりの筋の通し方だった。
「それならば、と俺も護衛としてお前に向き合うことにした」
「なるほど、それで突然あの熱血指導が始まったんですね。最初はだんまり私のことをただ護衛してるだけだったのに、急にガラッと変わったので驚きましたよ」
「いや、あれはお前のあまりに目につく振る舞いにとうとう我慢がきかなくなっただけだ。軍議中にパンは食べるな」
「えー……」
ユディタが不満の声を漏らす。するとエドアルドが距離を詰めてきて、ユディタの両頬をムギュッと押し潰した。唇が飛び出して、タコのような間抜けな表情になる上に、頰肉に指が食い込んで痛い。
「食・べ・る・な」
「いひゃひゃひゃ! ひゃい! ひゃい!」
何とも気の抜けた返事だが、とりあえずは満足したのか、エドアルドの手が離れた。ヒリヒリと痛む頬をユディタは撫でさする。
「暴力反対……」
「何が暴力だ。あのような振る舞い、お前が一人前の騎士の男であれば100回は殴り飛ばしている」
「ふふん。もしそうなら私も100回やり返してやりますよ」
もちろん魔法でね!と付け足す。仮にユディタが男だとしても、一対一で肉弾戦になればエドアルドに勝つのはまず無理だ。というか魔法でもエドアルドに果たしてユディタは勝てるのかという疑問はあるが、それは言わないお約束である。
「そうか。お前が男でないのが残念だ」
そう言ったエドアルドは小さく小さく、本当に小さく笑った。すぐに消えてしまったが、ユディタは確かにその笑みを見た。
「エドアルド騎士! い、今の、もう一回!」
「は?」
「いま、ちょこっとだけ笑いましたよね! ね!」
「何のことだ」
ユディタが詰め寄ると、エドアルドは眉を顰めて、いつもの鋭い剣みたいな表情に戻ってしまう。
エドアルドの笑顔なんてレア中のレアだ。一生の運を今ここで使い果たしてしまったかもしれない。そう彼に告げると、「無駄口を叩くならもう部屋に戻れ」と言われてしまった。何故だ。
そのままあれよあれよと今まで腰掛けていた噴水の前から退場させられて、エドアルドがユディタを部屋まで送ってくれることになった。
いつの間にか朝日が登っていて、空は薄ぼんやりと明るくなり始めている。まだ目覚める時間には早いので、部屋に戻ってからも少しだけ眠れるかもしれない。
二つ並ぶ薄い影を眺めながら、ユディタはふと頭に浮かんだことを深く考えずに口にした。
「……私、思ったんですけど」
「何だ」
「貴方のためなら邪神も倒せそうな気がします」
「…………」
「何か、さっきまでの不安? みたいなのがエドアルド騎士と話してて消えました。今は何ていうか、やってやるぞ! っていう気分です」
エドアルドは黙ったまま答えない。ユディタは特に気にせず言葉を続ける。
「……あ、もちろん修道院と白パンのためでもありますけど。それはそれとして」
「…………俺のためだと?」
「はい。まあ、そんな感じです。私が邪神を倒して、平和な世が訪れて、貴方がさっきみたいに笑ってくれるといいなぁって思います」
どうです?なかなか良いでしょう?と、ユディタは得意げに笑って横を歩く人物を見上げた……が、一瞬でその表情は驚きの色に染まる。
今まで見たことがないくらいに、エドアルドがこちらをキツく睨んでいたからだ。
「え、エドアルド騎士?」
「……馬鹿が」
エドアルドはそれだけ吐き捨てるようにいうと、さっさと歩いて行ってしまう。取り残されたユディタも慌ててその後を追う。というか護衛はどうした。
「えっ、もうちょっとなんか無いんですか⁉︎ 私、結構良いこと言ったと思うんですけど! ちょっと、エドアルド騎士ー⁉︎ おーい‼︎ 歩くの速っ」
結局、部屋に着くまでエドアルドは一言も話してはくれなかった。
◇
リンゴンリンゴンリーンゴン。
今日も一日の始まりを告げる鐘が鳴る。いつもと同じ、最後だけ間延びしたお馴染みの音だ。
だが、今日のユディタはその音を聞いてもいつもと違って部屋を飛び出すことはなかった。
久々に随分と長い夢を見たからだろうか、何だか目蓋が重くて寝起きが悪い。ぼんやりとする意識を叱咤して、何とかいつものようにふわりと起き上がろうとする……が、出来ない。身体中がまるで何かに押さえつけられているかのように重くてだるかった。
これは一体どういうことなのか。混乱しながらも、重くてなかなか思い通りに動かない二の腕を何とか持ち上げ、顔の前に手の平を持ってきた。
そして、それを見た瞬間ユディタの瞳がこぼれ落ちそうなほど見開かれる。
「す、透けてない……っ⁉︎」
今度は突然自分の喉から聞こえてきたガサガサの声に驚く。久々に使った声帯特有の、かすれたクシャクシャの声が、確かにユディタの口からまろび出た。
……これはもしかして、もしかすると、そういうことなのか。まだ夢を見ているのかと、軋む二の腕を動かして頬をつねってみる。痛かった。
「あー、あー、あーうー」
試しに声を出してみる。夢で聞いた自分の声より少し低いような気がした。今は枯れてしまっているからだろうか。
とりあえず誰かに知らせた方がいいだろう。しかし全身が重いわ、だるいわ、苦しいわの三重苦で動かせない。いや、動かそうと思えば動かせるのだが、壊れたカラクリ人形みたいにゆっくりで不気味な動きになる自信しかなかった。
「どうしたものか……」とユディタが途方に暮れていると、部屋の扉が開く音がした。どうやら朝の礼拝が終わって、今日の世話当番がやって来てくれたらしい。助かった!ナイスタイミング!とユディタは手を叩きたくなった。今やるとシャンシャンと円盤型の楽器をぎこちなく鳴らす猿のカラクリ人形みたいになるのでやらないが。
こちらにやって来た当番の少女は慣れた様子で支度を始める。顔見知りの仲間だった。まだユディタには気づいていない。それならば、とユディタは口を開く。
「おはよう」
次の瞬間、少女の動きがピタリと止まる。それから、ギギギと正にカラクリ人形さながらに首がこちらを向いた。大きく見開かれたその目と視線が交わる。
「ぎ、」
「ぎ?」
「ぎゃああああああ!!!!」
「ゔわああああああ!!!!」
突然の少女の叫び声に、驚いたユディタもとりあえず一緒に叫んでおいた。
それからはもう、ユディタが目覚めた修道院では、泣くわ叫ぶわ喜ぶわの大騒ぎであった。皆の反応はそれぞれで、「やっと目覚めたか」と号泣する者もいれば、「遅すぎる」と泣きながら怒る者もいれば、「さっきはいきなり叫んでごめんね」と謝り倒す者もいた。
最後の者に関しては、何の心の準備もなく、意識がないと思っていた人間と目が合ったら怖すぎるだろうと同情の声が寄せられた。しばらく一人で手洗いに行けないかもしれないという意見が話を聞いた年少の仲間達から寄せられたので、それはユディタが責任を持って付き添ってあげることにした。
ちなみに育て親である司教様はというと、ひとしきり泣いた後にコツンと一発、かよわい拳骨をユディタの頭にくらわせた。「寝過ぎです」そう言ってまたその後泣いていた。つられたユディタも一緒にちょっぴり泣いた。
目覚めた時、ユディタの身体がやたら重かったのは、やはり半年も動かしていなかったからだという。
こればっかりはどうしようもないので、減ってしまった体力やら筋肉やらを自力でまた取り戻すしかない。しかし、凝り固まった身体の動かすのは中々に辛く、しばらくの間修道院にはユディタの呻き声が鳴り響いていたという。
そして、回復魔法やら何やらを駆使して、何とか元通り動けるよう、リハビリという名の地獄をユディタが終えた頃。
「……なんで、来ないの」
その日のユディタは日課である朝の礼拝を終えたばかりであった。努力の甲斐あってか、もう一人で難なく歩くことができている。しかし、その口はへの字に曲がっていて、肩は怒りに怒っている。誰が見ても「私、今とても不満です!」というユディタの気持ちが見て取れるであろう。
けれども、ユディタの感情がダダ漏れなのはいつものことなので、周りにいた仲間の少女達も別段気にすることなく声をかける。
「アンタがいじけてるの珍しいね。で、何が来ないの?」
「何って……エドアルド騎士……」
「エドアルド騎士……って、アンタの護衛務めてたっていう騎士のことでしょ?」
「うん……私が目を覚ましてから一回も来てない……」
への字に曲がった口がもっと下がり、怒っていたはずのユディタの肩は今度はずーんと落ちる。誰が見ても「私、今とても凹んでます……」とユディタの気持ちが読み取れる落ち込み具合である。
ユディタが目覚めてから、エドアルドは一度も彼女に会いに来ていない。目覚める前は毎日欠かさずやって来たくせに。
意識を取り戻してすぐの頃は、早く元気になった姿を見せたくてリハビリを頑張った。
それから一度季節が変わった後は、きっとエドアルドも忙しいのだろうと自分に言い聞かせてリハビリで気を紛らわせた。
その後また季節が変わって、きっと彼はリハビリが終わって元通りの姿になってから来るつもりなんだ!と執念で終わらせた。
そうして何とかリハビリを終わらせたものの、未だにエドアルドは現れない。目覚める前は毎日欠かさずやって来たくせに。何度だって言ってやる。
そんなユディタに、別の仲間の少女が声をかけた。
「何言ってるのユディタ、エドアルド騎士なら何回か来てるわよ」
「え?」
「今まで何度か夕食に白パンがめちゃめちゃ多い時あったでしょ? あれ、全部彼からのお見舞いよ」
「え? え?」
「私も前に来てたの見たわよ。アンタの顔見てけばって勧めたら、『そうさせてもらう』って言ってアンタの部屋の方に行くのを見たけど……どういうこと? 会わずに帰ってたの?」
「…………」
衝撃の事実にユディタの思考が数秒止まる。
どういうことだ。ユディタが目を覚ましてからエドアルドは何度か修道院に来ていた? 思い返せば、何度か夕食が白パンで溢れかえっていたことがあった。てっきり国の偉い人たちが邪神討伐の報酬をサービスで上乗せしてくれたのかとユディタは思っていたが、それはエドアルドの見舞いのパンだったらしい。というか何で白パンだけ渡して帰るんだ。まさかエドアルドはお見舞いのやり方を知らない? いや、あの男に限ってそれはない。それでは何故、ユディタに会わずに帰るのか。これじゃあまるで……
「……避けられてる?」
考えて考えて、自分の中で行き着いた結論にユディタは愕然とする。エドアルドの考えがわからなかった。なぜ今さら避ける必要があるのだろう? お見舞いにユディタの大好物を大量に持参していることから、嫌われているわけではないだろう。というか、そうでないとユディタはとても困る。だって、だってユディタはもうエドアルドのことを、
「ユディタ? どうしたの? さっきから立ったまま動かないけど」
「やっぱりまだ歩くの辛いの?」
周囲の仲間達に声をかけられてユディタはハッとする。こちらを心配そうに見ているに彼女達に首を振って「大丈夫だ」と告げる。そのまま続けて尋ねてみた。
「……あのさ、私が眠ってる間のことなんだけど」
「ああ、あの透明になって意識だけ起きてたっていう話?」
眠っている間の透明な自分の身体のことをユディタはもう修道院の仲間には話している。始めはみんな驚いていたが、本来なら眠っていたユディタが知るはずもないことを次々と言い当てて見せたので、今はもう修道院内でこの話は共通認識として扱われている。
だが、ユディタの育て親である司教でさえも明確な理由は分からないそうだ。ただ、ユディタの聖女の力は女神からもたらされたものなので、そういった人智を超えた事象が起こっても驚きはしないと言っていた。
「えっと、私は自分が透明な身体になってた期間しか分からないんだけどさ、」
「うん。それでそれで?」
「エドアルド騎士ってその、毎日っていうか、結構な頻度で眠ってる私のお見舞いに来てくれてたよね?」
「え?」
「……え?」
「うーん……来てた? かな? ごめん、私は見てない」
「アンタはどう?」とユディタの問いに答えてくれた仲間が別の少女に話を振る。だが、その少女も「見ていない」と言う。また違う人に尋ねても、「あまり見かけたことはない」と言う。
それから何人かに尋ねて行って、ようやくエドアルドをユディタが目を覚ます前に「見かけた」と言う人物が出てきた。
「見かけたけど、もう随分前だよ。確かユディタが邪神討伐の後、眠っちゃってすぐだったかな? 三日くらい連続で来てたよ。その後は見てないかなぁ……」
どうやら修道院の仲間によれば、エドアルドはユディタが意識をなくしてからすぐに来訪した三日間以降、それから目を覚ますまでは、ほとんどここにやって来てはいないらしい。
では、ユディタが約一ヶ月の間に毎日見ていた彼の姿は一体なんだったのか。まさか幻?それとも夢?現実ではなかったのか?
一旦黙り込んだかと思うと、考え過ぎのせいか、今度は冷や汗をかいて、ユディタはぐるぐると目を回し始める。そんな様子を見かねた周りの仲間達は、まだ本調子じゃないなら寝ていろと彼女をあれよあれよと部屋に連れて行きベッドに押し込んだ。
慣れた様子でテキパキと看病の用意を始める彼女達に慌ててユディタは主張する。
「ま、待って待って! 別に体調不良とかじゃ、」
「はいはい話は後でたっぷり聞くから今は寝なさい。ユディタ、アンタの顔真っ青だよ」
そう言った彼女は、いつかの日に第二王子の容姿を尋ねた三つ歳上の仲間である。それからしばらくユディタの様子を見た後、何か温かいものを作って持ってくるから待っていてと他の皆と共に部屋を出て行ってしまった。
「…………」
ひとり部屋に取り残されたユディタは、ぼんやりと天井を見つめていた。さっきのことを再び考えてみる。
どうしてエドアルドは他の修道院の仲間達に姿を見せなかったのだろう。まさか、本当にあれはユディタが見た都合の良い夢や幻だったのだろうか? 透けた身体の自分が恐ろしくて、エドアルドに毎日会いたいと願った自分の頭が見せた幻覚なのか。
そんなことはない、とユディタは思いたい。だってユディタが透明だった間に見て、聞いた出来事は本当に起こっていた。あの一ヶ月間は現実である……はずだ。
「まさか、エドアルド騎士のところだけは夢とか……?」
ポツリと呟いたその可能性の一つに、ユディタは身震いする。そんなのは嫌だ、悲しい。でも、あり得ないと断言できる証拠がない。あれが現実だと示すものがない。
思えば、ユディタが透明だった約一ヶ月間、仲間達は眠っているユディタの身体に様々な話を聞かせてくれたが、一度だってエドアルドの話題が出たことはなかった。流石に毎日来ていれば話題に上がってもいいはずなのに。
それに加えて、エドアルドの方も部屋にユディタ以外の人間がいる時は来なかった。単に時間帯が合わないだけかと思って深く考えていなかったが、これもわざとずらしていたのだろう。
大体、転移魔法を使ってバルコニーから来ている時点でおかしいと思うべきだった。おそらく、仲間が見たというユディタが眠ってすぐの三日間の来訪は転移魔法陣をバルコニーに設置するためのものだ。あの魔法は複雑すぎるのでそれくらいの日数がかかっても不思議じゃない。「転移魔法陣って便利だなぁ〜」と呑気に思っていたあの頃の自分にバカ!と今のユディタは言ってやりたい気分だった。
そこまで考えて、ユディタは気づく。
そうだ、あるではないか。あれが現実だと示すものが。
ガバリと勢いよく起き上がったユディタは、そのまま素足でバルコニーに向かった。
ユディタの背を優に超える大きな窓を開くと、風がボワッと髪を弄んでいく。髪が乱れるのにも構わず、窓から身体を出したユディタは辺りを見回した。
そして、お目当てのものを見つけた瞬間、全身の力が抜けてしまって、その場にぺたんと尻もちをついてしまう。
「あ、あったぁ……!」
バルコニーの端の端、よほど注意深く見ないと分からないようなそんな場所。そこに、エドアルドの魔力をわずかに感じる、驚くほど均整が取れて綺麗な転移魔法陣があった。