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吸命弓〜キュウメイキュウ〜

作者: 久作万塵

 男が弓を構えてブツブツと呟いていた。


「なるほど…。ウサギが『180s』で、ウシは『1h』と表示が変わるのか…。」


 街から少し離れた丘の上。

 そこでフードとマントに身を包んだ怪しい様相の男が、弓を構えてキョロキョロと狙いを変えていた。


 しばらくすると、街へ向かっていると思われる馬車が遠くに見えてきた。

 しかし何事かあったのか、随分とスピードが出ている様にも見える。


 男はバックから遠眼鏡を出して、馬車の方へと向けた。

 すると途端に男の視界は馬車の姿を大きく捉えた。

 それと同時にその背後へと迫る黒獅子の剥き出す牙も確認した。


 周囲には数名の騎馬兵が馬車の後ろを走っており、黒獅子と馬車の間に壁を作っている。

 しかし背後に向けて振れる武器など、そうそうあるものでは無い。

 かと言って黒獅子の横に移動すれば、馬車への道を空けてしまう事になる。


 このまま街へと向かって助けを求めるのが賢明であろう。

 だが最後尾の騎馬兵が武器に振られて体勢を崩すと、飛び込んで来た黒獅子の爪に顔面を裂かれてしまった。


 動かなくなった騎馬兵の体を蹴って、黒獅子が前に跳ぶ。

 すると意表を突かれたもう一人の騎馬兵も、体当たりにて馬上から落とされてしまった。


「ふむ…。騎馬兵は『30d』か。そして黒獅子は…『5y』と。」


 いつの間にか男は遠眼鏡を外して弓を構えていた。

 そして馬車の方を見ながらブツブツと呟いている。


 よくよく見てみると、男が構えている弓はとても古めかしいものであった。

 そこからは骨董品屋の入り口にでも飾ってありそうな、経年の匂いを感じる事ができる。


 グリップには赤布が巻きつけられており、弦は陽の光を弾くかの様に怪しく光っていた。


 数ヶ月前、森の中の祠で男はこの弓を見つけた。

 槍使いである彼が矢など持っているはずもなく、最近まではただ男の背中に担がれているだけであった。

 

 しかし数日前のある夜、いつもの様に焚き火に当たっていた時。

『弓も使えたら便利だろうな。』と軽い気持ちで古弓を構えてみた。


 すると視界に不思議な数字と文字が次々と浮かび上がったのである。


 男は驚いて思わず弓を落としてしまった。

 だが弓が手から離れると、数字なども一緒に視界から消え失せた。


 再び弓を拾い上げ気を取り直して狙いを定めると、やはり数字と文字が浮かんできた。


 冷静になってそれらを観察してみると、どうやら不思議な数字は標的となる生物の『何か』を表しているらしい。


 男は戯れに近くにいた鳥を射てみようと弦を引いた。

 不思議な数字は『120s』と浮かび上がっている。


 すると弦が虹色に変化して、それを引く指元へと集まって来た。

 そして次の瞬間、男の手には漆黒の矢が握られていたのである。


 だがまたしても驚いた男は、弦から指を離してしまった。

 すると漆黒の矢は空へと打ち上げられた。


 しかし森から上空へと飛び出した矢は、不自然に軌道を変え始めた。

 そして法則を無視した動きでUターンを描くと、狙っていた鳥の喉を見事に貫いたのであった。


 男は何が起きたのか分からず、ただ呆然としていた。

 しかしそれから数々の実験を重ね、この弓で狙った標的は必ず一撃で仕留める事ができるという事を理解したのである。


 だが視界に表示される不思議な数字と文字の意味が分からない。


 狙った獲物が強くなれば数字も大きくなるのだと思ったが、語尾の文字が変わると数字も小さくなってしまうのであった。


 これは何を表しているのか?

 それを確かめるために、丘の上からあれこれと狙いを変える怪しい動きをしていた訳である。


「ふむ…。とりあえず馬車に乗っているのは、それなりの身分の者だろう。十分な見返りが期待できるな。そして黒獅子ほどの魔獣でも一撃で仕留められるのか、良い実験にもなるだろう。」


 男は馬車が近づくのを待って、黒獅子へと狙いを定めた。

 すると引かれた弦はやはり虹色に変化して、漆黒の矢を生成した。


「どっこら…ショット!」


 完全なオヤジギャグであったが、それは関係無いとばかりに矢は猛然と走った。

 その瞬間、馬車に飛びかかろうとしていた黒獅子が何かに反応した。


 本能が警鐘を鳴らしている。

 それも半端なものでは無い。


 森でドラゴンの尻尾を踏みかけた時以上の危機。

 それが今迫って来ている事を、泡だ立つ全身の肌が物語っていた。


 方向は…丘の上からだ。

 そう感じ取った黒獅子が丘を見上げると、それに合わせたかの様に男の放った矢が黒獅子の頭を貫いた。


◆◆◆


ーーどうしてこうなった?


 フードの男は困惑していた。


「クラープラ殿?如何されましたかな?」


 男の顔を覗き見たのは、立派な鎧を身につけた老騎士だった。

 その後を五百名もの騎士達が続いている。


「い…いや、何でもない…。」


「これは失敬。キマイラを倒す戦術でも練っておられたのですかな?いやいや、頼もしい限りで!」


「は…はぁ…。」


 そう…。

 全ての始まりは、思い込みの激しいこの老騎士にあった。


 グラープラと呼ばれたフードの男。

 彼の予定では、黒獅子を討伐した後に街へ凱旋。

 それなりの身分の者から接待され、数日間はイチャコラホイホイな時間を過ごすはずであった。


 しかし蓋を開けてみれば、今いるのは樹海の真っ只中。

 これが現実である。


 黒獅子を一撃で仕留める様子を目撃し、そのまま逝ってしまうのではないかと思えるほど興奮していた老騎士がいた。


 彼は街に着くなり、

「このお方のお力を持ってすれば、キマイラなど恐るるに足らず!予備の兵力を総動員して、すぐにでも討伐に向かわせて頂きたく存じます!」

と、貴族然とした男に向かって願い出たのであった。


『いってらっしゃい!』

 そう叫ぶ様な…いや、請い願うような会心の笑顔で、その場から逃げようとしたグラープラ。


 しかしそれが無情にも周囲には

『任せておけ!』

という頼もしい笑顔に解釈されてしまい、騎士達の雄叫びを大広間に反響させてしまったのであった。


「ところで…」


 老騎士の声がグラープラの回想を遮断した。


「黒獅子を撃ち殺した絶技の名は何と言うのですかな?」


「え?いや…あれは単なる『どっこらショット』で…」

「はい?」


「ど…『どっこらショット』…」

「はぃい?」


「ど…『don't cry shot』…だったかな…。」


「………。」

「………。」


「それはそれは!難解な技の名ですなぁ…。さすが絶技!」


「そ…そう…かな?」


「その名の指す心は『泣かずに逝け!』という慈悲ですかな?…いや、もしくは『泣く暇もなく逝け!』という猛々しい名前とも解釈できますな。」


「ま…まぁ、そんなところだ…。」


 グラープラが目を泳がせながら頷くと、老騎士は興奮した様子で顔を覗き込んできた。


「是非ともその絶技にて、あの憎きキマイラを仕留めてくだされ!」


「あ…あぁ。任せて…くれ。」


 すると老騎士は満足そうに頷き、樹海の奥を睨む様に見つめた。


「もうすぐ奴のいる丘に出るでしょう。私は背後に回って、奴の退路を断つ為に先に行きます。今後の先導は副官に命じてあるので、何かあれば彼に聞いてくだされ。」


 グラープラが力なく頷くと、老騎士は敬礼して先へ走って行った。


◆◆◆


「いました!奴は予想通り丘の上にいます。」


 先導していた副官がいきなり足を止めると、小声でグラープラに告げた。


 丘の上には翼のある巨大な獅子が堂々と寝ていた。

 そして尻尾の代わりにそこに生えている一匹の大蛇が、キョロキョロと首を振って周囲を警戒している。


 その周りには黒獅子が五匹。

 キマイラの周りを囲む様に寝そべっている。


 副官の話によると、その全てがキマイラの子分なのだそうだ。


「グラープラ様。見ての通り、黒獅子達と尻尾の蛇が警戒している為にこれ以上は近づけません。」


「そう…みたいだな…。」


「少し距離がありますが、あの幻の秘儀『ドン喰らいショット』ならば十分射程距離内かと思われます。」


「い…いや、あれは『don't cry shot』…」


「どうか…どうかあの幻の秘技『ドン喰らいショット』にて、あの憎きキマイラを!」


「わ…分かった…。ド…『ドン喰らいショット』をここから射とう…。」


 副官のあまりもの剣幕に、グラープラは再び技の名前を変更した。


「黒獅子共は我々が必ず食い止めますので、グラープラ様はキマイラに集中されて下さい。」


「あ…ああ。分かった。やってみるよ…。」


 副官が部下に声をかけ、隊列を整え始めた。


 ここまで来たら仕方がない。

 グラープラはとりあえず古めかしい弓を構えて、黒獅子達を見た。


「三匹が『5y』で、二匹は『4y』か…。これは個体差があるって事なのか?」


 グラープラが注意深く『4y』と表示された二匹を見てみると、それは少し小柄の黒獅子であった。

 生物的に考えれば、おそらくその二匹はメスなのであろう。


 おそらく五回射てば、黒獅子を全滅させることができる。

 グラープラには妙な確信があった。


 しかしそれと同時に大きな懸念も存在していた。


 馬車を追う黒獅子を仕留めた時。

 数字の後ろに『y』が付く獲物を射たのは初めてであったが、何かをごっそりと持っていかれた様な感覚があった。


 何かを…。

 そう、何かとしか言えない。


 しかしそれはとても大切な物。

 それを代償として支払ったのだと本能が告げていた。


 あの五匹全てを任される事になるのは勘弁願いたい。

 そう考えながらグラープラは弓の向きを変えた。


「そしてキマイラは……なっ!!」


 グラープラがキマイラに狙いを定めると、半透明で表示されるはずの数字の輪郭が赤く縁取られていた。


 そして表記されたのは…『50y』。


 それはどう見ても警告の表記。

 グラープラは狼狽えた。


ーーダメだ!これをやったら多分取り返しのつか

  ないことになる。

  今すぐ断ろう。

  いや…もう逃げ出してしまえばいい!


 そう考えたグラープラが泣き出しそうな表情で横を向くと、そこにいた副官と目が合った。


 すると何かを勘違いした副官は『分かりました!』とばかりに首を縦に振り、そして声を張り上げた。


「全員突撃だ!グラープラ様が弓を射つまで、絶対に黒獅子を近寄らせるな!」


「うぉおおおお!」


 開幕からいきなりの総攻撃。

 戦術の『せ』すら聞こえてこない、単なるドタバタ劇となってしまった。


「ま…待ってくれ!違うんだ!逃げよう!逃げたいんだ!逃げさせてくれぇぇええ!」


 グラープラの叫びも虚しく、騎士達と黒獅子達がぶつかり合った。


 キマイラの背後を狙って老騎士達が飛び出してきたが、オスであろう黒獅子に割って入られてしまった。


「あ…ああ…。ど…どうすれば…。」


 グラープラはオロオロとするしかなかった。

 本音を言えば今からでも逃げ出したい。


 しかし自分を信じて黒獅子に向かって行った騎士達。

 これを見殺しにできるほど、グラープラは悪人ではなかった。


「ぐはぁ!」


 騎士達は黒獅子相手に善戦していた。


「が…がはっ!」


 しかしそこにキマイラが加わると、途端に一つの小隊が壊滅に追い込まれてしまった。


「グ…グラープラ様!まだ…まだ大丈夫です!まだ我々は粘れます!なのでどうか…どうかキマイラだけは!!」


 副官の悲痛な声が、グラープラの耳を突いた。

 まだ大丈夫だとは言っているが、剣を持つ手は震えて膝はガクガクと笑っている。


「騎士達よ!決して退くな!ここで退けば街も家族も…全て失うことになるぞ!」


 副官が飛ばした檄に、騎士達が裂帛の気合いにて応じる。

 しかしそれも虚しく、また一つの小隊が壊滅にまで追い込まれてしまった。


 その時、グラープラの足元にいくつかの騎士の首が転がって来た。

 その中の一つはとても若い青年のものであった。


 恐怖に顔を痙攣らせ、両目は涙で潤んでいた。


 古弓を持つグラープラの手がワナワナと震える。


「く…くそったれがぁああ!」


 そう叫ぶと、グラープラは古弓を構えてキマイラを睨みつけた。


「おい、テメェ!いつまでも調子に乗ってんじゃねえぞ!」


 グラープラが古弓を引く。

 なりふり構わずキマイラを睨みつけながら。


 すると今回生成されたのは漆黒のものではなく、血の滴る様な真紅の矢であった。


「上には上がいる事を教えてやる!理解したら…あの世で後悔しやがれ!」


 その時、キマイラが血相を変えた。


 おそらく本能が生命の危機を告げたのであろう。

 明らかに怯えた目になると上空へ飛翔し、一目散に逃げ出した。


「逃す…かぁ!!喰らえ!『ドン・喰らいショット』!!」


 古弓から真紅の閃光が飛び出した。

 

 背後から絶対的な何かが近づいて来るのを、キマイラは感じた。

 真紅の閃光が弧を描く。

 

 するとキマイラは、振り返る間もなく顎から脳天へと風穴を開けられてしまった。


 丘の上にキマイラの巨体が落ちて来た。

 だが顔の原型は何処にも無く、尻尾の蛇は気を失っていた。


 黒獅子も騎士達も動かない。

 あまりにも一方的な虐殺に、視覚と思考が繋がりを失っている様であった。


 「う……うおおお!見たか、皆の者!グラープラ様の『ドン喰らいショット』が、キマイラを一撃で葬り去ったぞぉおおお!」


 副官が信じられないものを見たといった顔で声を張り上げると、騎士達の歓声が丘を震わせた。

 その声で我に戻った黒獅子達は、脱兎の如く樹海の中へと逃げていった。


「うおおお!やりましたね、グラープラ様!さすがは幻の秘技『ドン喰らいショット』。キマイラでさえも一撃とは……。グラープラ様?だ…大丈夫ですか?グラープラ様?」


 キマイラの爪でえぐられた左腕を押さえながら、副官がグラープラに近寄って来た。

 しかしそこにいたグラープラの様子がおかしい。

 瞳は虚な状態であり、顔面は蒼白であった。


 グラープラは己の全てを吸い取られた様な感覚の中にいた。

 それが具体的に何を吸い取られたのかは、ハッキリとしなかった。


 しかしいつも漠然と心の中にある『明日も明後日も生きているだろう』という思い込み。

 それが今は心の中の何処を探しても見当たらなかった。


ーー俺は…死ぬんだな…。


 思考はもはや力を失いつつあり、これから死を迎えるという確信だけがグラープラの全身を包んでいた。


 視界が色と輪郭を滲ませていく。

 そんな中、グラープラは視界の右下にとても薄く表示されている数字に気がついた。


『17/100』


 それは今まで見えていた数字の法則とは全く別のもの。

 『y』や『d』などの文字は何処にも見えなかった。


 グラープラの体が崩れる様に地に倒れた。

 それに気づいた副官達が、悲壮な声を発しながら駆け寄って来る。


『18/100』


 左側の数字が増えるのと共に、グラープラは己の視界が浮かび上がるのを感じた。


 しかし体はまだ地に伏している。

 今、自分の目で見ているのだから間違いはない。


ーーあれは…俺の体なのか…?


 グラープラは今、自分の肉体を俯瞰する様に上から見下ろしていた。


 では今の自分は何なのだと、必死に視界を巡らす。

 だが下を向けばそこに見えるはずの両手や両足。

 それが何処にも見当たらなかった。


 何も無い所に視界だけが存在している。

 そんな状態にグラープラはあった。


 副官達が下に見えるグラープラの肉体を担ぎ上げた。

 街のある方角を指差し、急げと大声で叫んでいる。


 左手に握られていたはずの古弓は無くなっていた。

 いや正確に言うと、半透明の状態で視界だけになったグラープラの目の前に浮かんでいた。


 古弓は突然微光を放つと、若い男の姿に形を変えた。

 それは銀髪に青い瞳の、神話に出てくる神々を連想させる様な姿であった。


 男は悲しみを宿した瞳をグラープラに向けると、手を差し伸べた。


「来たれ…戦士よ。共に歩み…我が宿願を果たすのだ…。」


 男の言葉は、グラープラにとって意味不明のものであった。

 しかし不思議とその言葉に抗おうとする気は起きなかった。


 グラープラは男の手を取った。

 すると二人の体は光の粒子となり、古弓へと姿を変えた。


 再び実体化した古弓は、勢い良く上空へと浮かび上がった。


「西に類稀な才能を持つ女がいる。」


 謎の男の声が静かに響くと、古弓は西に向けて彗星の如く飛び去って行った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 寿命と引き換えに、必殺の矢を放てるという古弓の設定がとても良いですね。そして、使用者は弓に……という設定も面白い。文章も読みやすく、絶技の名を訊かれた際のやり取りは、クスッと笑えました。 …
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