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『ヴィンテージギター1972』

作者: ことねん





中村さんは63歳。有名私大を卒業したが転落の人生を辿った。仲間達は皆経営者か会社の重役なのに、小さな酒場の雇われ店主をしている。




それにしても、男友達というのはいいもので、本人は身を落としたつもりでも、彼の古い友人たちは彼を慕ってやってくる




この1年間、中村さんは新大久保の中古楽器屋に時々顔を出していた。何故かというと、彼が19の時に買って、26の時に質屋で流してしまったギルドD50というギターが飾られているのを見に行くためだ。自分が買ったのと同じ1972年製のギルドD50。当たり外れの多い楽器で、良い状態で残っているのは稀だ。




あまりによく訪ねて来るので、店員も中村さんの顔を憶えてしまった。「弾いてみませんか?」声をかけられると、彼は少女のようにはにかんで、とんでもない!と顔の前で掌を振った。




ギルドD50。中村さんにとって因縁のギターだ。26で質流れして、2度買った。だがハズレだった。1本は質草になって酒代で消えた。もう1本は後輩に借金のかたで売ってしまった。



>


貧乏のドン底に陥った時に、眠っている妻の顔を見て、もうギターは要らないと思った。そんな時に、彼の二つ上の先輩からギターが届いた。





>


手紙が添えてあり、こう書いてあった。つまらないことで仲違いをしたな。おまへが俺に謝りたいと未だに悔やんでいると津島から聞いた。俺からのせめてもの罪滅しに受け取ってくれ。俺がハリウッドで買ったギルドD55だ。但しアジャスタブルロッドが折れている。リペアルームに行けば3万程で直るはずだ。直したら、もう1度ライヴをやろうぜ?」


中村さんは、号泣しながらギターを抱いた。




そして、原宿のリペアルームにギターを抱えて訪ねて行くと、修理代が23万だと告げられた。しかも、直してもネックが反り始めた頃に戻るだけで無駄だと言われた。工房にいたもう1人の若者は、友情のために治すべきだと言い、もう1人はやめた方がよいと言った。




途方に暮れた中村さんは、ギターの中でももっとも重い、ギルドの木製のケースをぶら下げて御茶ノ水に向った。運命的にも、先輩から戴いたのと同じ年の同じギターが飾られていたので、中村さんは衝動買いして、1ヶ月後、先輩にギターが直りましたと嘘をついた。




でも、気に食わなかった。中村さんにとっては、ハズレだった。


またしても、売り払って、そのお金は酒代に消えた。そして10年近い時が流れて、もう音楽に興味がなくなった頃に、新大久保の楽器屋で出会ったのが、経年劣化の見えない、自分が大切にしてきたギターと瓜二つのギルドだった。


月に何度か暇な時に見に行き、それで、もう満足だった。


・・・・・5台のギルドが目の前から消えた。縁がないんだ。自分にそう言い聞かせた。




或る日、中村さんがパソコンから楽器屋のホームページを見てみると、件のギルドは商談中になっていた。




そして、何日かして、大学時代の後輩から電話が来た。「先輩、あのギルド、どうしました?」「あぁ、あれか?あれなら商談中になっていたよ」「実は、その商談相手、俺なんですよ。新大久保で日曜日会いましょうよ」「え?何言ってるんだ!?」「ま、いいから。とにかく来てください」「え?何言ってるんだ!?」「ま、いいから。とにかく来てください」






(女房は楽器に詳しい。しかも、収入はすべて女房任せだ。もう手に入るわけがないのに)


新大久保に行くと自分より背の高い後輩が待っていた。アロハにつっかけの中村さんは、苦笑いした。「おまへ立派な紳士になったなー」「何言ってるんですか(笑)中身は変わりませんよ」




「先輩?店閉めた後、あちこちで飲んでません?あのですね?酒に溺れず又ライヴに出ると約束してくれるなら俺が買いますよという御提案です。ただし、月に1万返してください。酒代を俺に下さい。」




中村さんは困惑した。「俺が今更……」


「あなたは変われます」後輩が中村さんの目をじっと見つめた。


中村さんはしばらく俯いて悩んだ後、鼻から息を吐いて「おまえがそれでいいと言うなら、甘えてもいいか?」覚悟を決めた。




まぶたを閉じて腕組みした後、目を開くと急にその瞳が輝いていた。




購入が決まると、顔なじみの店員がいつものように「弾いてみますか?」と近づいてきた 。他の客たちも、見るともなしに彼の周りに寄ってきた。


軽く音を鳴らすと、ピアノの単音のような独特な思い音が響いた。


「まるで、これは俺のだ」 中村さんは一度カラダからギターを離して見つめ、溜め息をついた。




「それにしても背中のこの傷、川俣がベルトのバックルで傷つけたのと同じだな(笑)この持ち主も川俣みたいな奴にバックルで傷つけられたんだな」


「そうだ!津島ぁ!おまえ憶えてるか?この大きなピック!最初のギルドの保証書と記念にもらったでかいピックを持ってきたんだよ。いつも眺めてたんだ。どうだ!女々しいだろう!」




中村さんはよほど照れくさいのを我慢していたのか、わざと豪快に笑った。




後輩が、保証書を手に取り、サウンドホールの中を見つめて声を張り上げた。何度か見返すと「先輩!先輩!これ!」




「え?なになに?・・・・まさか?」   


中村さんは膝の上でギターをひっくり返し、19の時に買ったギターの保証書と、


サウンドホールの中の製造番号を見比べると、やはり絶句した。




「おい?これ!俺のだ!俺が質屋で流したギターだよ!」




店員が目を丸くしてポカンと口を開けた。




他の店員たちもやってきて、無関係な客たちも近づいてきて、中村さんは恥も外聞もなく、ことの次第をみんなに説明した。




初対面の赤の他人に自分の体たらくと過失の数々を語ったのは、後輩の素晴らしさをアピールする為に対比効果を狙ったのだろう。


後輩は顔を赤くして俯いた。




誰かが感嘆して、「ブラボー!すごい話しだよっ」と小声で言うと、小さな拍手が鳴り、やがて盛大な拍手に変わり、何事かとエレクトリックギターのフロアからも人が来て、客同士が伝言して、スタンディングオベーションが広がった。








。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜゜ ‐








中村さんはそれ以降お酒の量が減って、都内某所でライヴを再開した。




63歳にして、若者と混じってライヴをしている。




中村さんの代わりにギルドのお金を払った後輩61歳は久しぶりにベースを手にして、先輩の手伝いができるように練習を始めた。


それが、わたしの父親でした。



青春は終わりませんでした。





【後日談】

この物語を書いたのは三年くらい前です。

そして、

この物語の主人公中村さんは2019年5月に67歳で永眠されました。人望のある魅力的な個性は数多くの信望者がいて、本来なら彼はプロになっていても不思議のない人でした。


不器用な生き様は、他人を出し抜くことより、後発の若者たちの面倒を見ることに終始して、結果、彼をプロにさせてくれませんでしたが、葬儀には有名なアーティストも現れ、大の大人の男たちが棺に覆い被さるように号泣する姿を私は見ました。


作品が世の中に出ることのない最後まで無名のアーティストでしたが、彼こそが優秀な作品だったのではと最後の弟子は思った次第です。



おわり

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