第七話 告白、再び
その日、わたしは朝食を摂るために、いつものように、皇妃陛下付きの女官たちが集う食堂へ向かった。今朝の食事は何かな~、などと期待を膨らませながら扉を開ける。すると、こちらに目を向けた同僚たちが、ぴたりと話すのをやめた。
え? 何!? もしや、ヴィクター殿下を振った話が広がってる!?
若干びびりながら、みんなの様子を窺う。その中にはマダリーンの姿もあるが、彼女たちはなんとなくばつが悪そうな顔をしている。
マダリーンがそんな面持ちだということは、ヴィクター殿下の件じゃないな。彼女は口が堅いほうだから、わたしも話したわけだし。
わたしは笑顔を作った。
「おはよう。みんなどうしたの? わたしが来るなり黙っちゃって」
少し遅れて、同僚の一人が慌てたように言う。
「そ、そんなことないわよ」
やっぱり怪しい。わたしは彼女から視線を外し、マダリーンを見つめる。
「マダリーン、何があったの?」
「あなたにとって、とっても都合の悪いこと」
同僚の一人が、悲鳴に近い声を上げる。
「マダリーン、言っちゃうの!?」
「どうせ、わたしたちが隠していても、そのうち本人の耳に入るわよ」
とたんに場の空気が緊張する。マダリーンはわたしとじっと見つめ合っていたが、やがて目をそらし、ふうっとため息をついた。
「ランダルさまとセラフィーナ嬢が婚約したんですって」
一瞬、マダリーンが発した言葉の内容について考えることを、頭が拒否した。
婚約? ランダルさまとセラフィーナが? じょじょにその意味が頭と心に浸透していく。わたしは、ようやく反応を返す。
「──それは、いつ?」
「噂になって流れてきたのは、昨日の夜だって。まあ、まだ婚約式はしていない段階みたいだけど、今度はさすがにランダルさまも婚約破棄はしないんじゃない?」
マダリーンの説明を聴いたあとで、わたしは適当な席に着く。隣の娘が、おっかなびっくり、声をかけてくる。
「……ローザリカ、大丈夫?」
わたしは、にこやかに答えた。
「大丈夫、大丈夫。もう終わったことだから。全然、気にしてないわよ」
周囲の雰囲気が緊張から安堵へと変わる。だが、マダリーンだけは、「あ、まずい」という表情をしている。さすが、我が親友。
わたしは運ばれてきた朝食をやけ食いした。
*
なんなのよ、なんなのよ、なんなのよー!
それに、婚約を破棄してから、次に婚約するまでの間が短すぎるっつーの!
怒りを持て余したわたしは、修道女のごとく仕事に打ち込んだ。
こんなことなら、ヴィクター殿下の申し出を断るんじゃなかったかも、と、ちらりと思う。
……いかんいかん。それじゃ、殿下を復讐に利用することになってしまう。
そんな感じで自分を律しながら、一週間が過ぎた。
今日の皇妃陛下は乗馬をするので、わたしたち女官も馬場に付き従う。万が一、落馬など、何かあった時のための監視役兼連絡役として、わたしたちも馬に乗り、伴走するのだ。乗馬自体は、皇妃陛下とご一緒することもあるだろう、ということで、女官見習いの時に学んでいる。
「母上!」
開けた草地で皇妃陛下が馬を走らせていると、男性の声がかけられた。見ると、乗馬服姿も凛々しいヴィクター殿下が鹿毛の馬に乗って駆けてくる。
こうして殿下の姿を見るのは久し振りだけど、なんとなく気まずい……。
皇妃陛下は馬の速度を緩め、大きめの声で問いかける。
「あら、ヴィクター。どうしたの?」
ヴィクター殿下は皇妃陛下に馬を寄せ、何事かを話し込んでいる。しばらくして、皇妃陛下はわたしたちに向けて言った。
「ここはヴィクターが使うから、わたしは少し先に行くわ。あなたたちも、ついてきてちょうだい」
わたしが同僚たちとともに馬を歩かせようとすると、皇妃陛下はこちらを見て、にっこりと笑った。
「悪いけど、ローザリカ。あなたにはヴィクターのお目付け役をお願いするわね」
はい!?
「え……」
戸惑うわたしをよそに、皇妃陛下は同僚たちを引き連れて駆けていってしまった。
残されたわたしは、恐る恐るヴィクター殿下を見やる。目が合うと、殿下は爽やかな笑みを浮かべた。この笑顔の下に、振られた事に対する怨念が隠されていたらと思うと怖すぎる。
わたしはすぐに目をそらし、とりあえず皇妃陛下の言い付け通りに、遠くからヴィクター殿下を見守ることにした。
ところが、殿下はわたしのほうに近づいてきた。
どど、どうしよう!?
動揺のあまり、何も言えずにいると、ヴィクター殿下が話しかけてきた。
「少し、お話しできませんか?」
質問の形を取っているけど、彼を振ったという負い目のあるわたしには、半ば命令に等しい言葉だ。宮仕えの身の悲しさよ……と思いながら、わたしはヴィクター殿下に従った。
「はい……」
「馬上ではなんですから、あちらの木陰に行きましょう」
そう言うと、ヴィクター殿下は馬を立派なオークの大樹に向け、歩かせ始めた。心中穏やかでなかったが、わたしもそのあとに続く。幹の太いオークの木の前に着くと、二人で下馬する。
いよいよ話をする時がやってきた。おそらくヴィクター殿下は、この前の件についてわたしに物申したいことがあるのだろう。
だって、もしわたしがランダルさまと面と向かったら、絶対に何か言ってやらないと気がすまないもの。一体何を言われるのか、普段の殿下ならとても口に出さないような罵詈雑言を想像し、わたしは震えた。
ヴィクター殿下は放した馬が草を食むのを見ながら、オークの幹にもたれかかった。うん、とっても様になる光景だ。殿下はほほえんだ。
「あなたもどうですか? 母は活発な人ですから、お供をすると疲れるでしょう」
「そんなことはございません」
本心からの言葉だけど、最近、働き詰めだったからなあ。お言葉に甘えて、わたしはヴィクター殿下から少し距離を置いて、木にもたれる。
はー、なんだか、木に疲れが吸い取られていくみたいで気持ちいい……。
リラックスしてきたところで、再び殿下から声がかけられた。
「……実は、あれから、わたしなりに色々なことを考えました」
ヴィクター殿下の言う、あれって、やっぱりあの件だよね? わたしは瞳をキョロキョロ動かし、びびりまくった。
殿下は続ける。
「あなたの気持ちがこちらに向いていないのなら、仕方ない……と、何度も諦めようとしました。ですが……」
ですが!? わたしは死刑宣告を受けるような気分で、ヴィクター殿下の言葉を待った。
ヴィクター殿下は何かを決意したかのように、ばっと顔をこちらに向ける。釣られて、わたしも殿下を見る。真摯な光を湛えたロイヤルブルーの瞳が目に映った。
「どうしても、あなたを諦められないのです。ローザリカ嬢、改めて言います。わたしと付き合って下さい」
え、そっち!? 予想外の展開に、わたしはただただ呆然とした。ヴィクター殿下は、なおも言い募る。
「あなたが不安だとおっしゃるなら、今、この場で婚約を申し込んでも構いません。誰かのように、あなたを泣かせるようなことは決してしませんから」
ランダルさまのことは、ヴィクター殿下も相当意識しているようだ。わたしは目を白黒させながら、以前、殿下に投げかけたのと同じような疑問を口にしようと思った。
「あの、ひとつお訊きしたいのですが……」
「はい、なんでしょう?」
「わたしのどこが、そんなに殿下のお気に召したのでしょう?」
だって、どうしても分からないんだ。殿下のように、ちょっと恋愛方面に疎いのかな? というところくらいしか欠点が思い浮かばないような人が、わたしのような召使上がりの一介の女官を好きになる理由が。その恋愛に疎いってところだって、人によっては「誠実そう」という評価に変わるわけだし。
ヴィクター殿下は即座に答えた。
「あえて言うなら、全てです」
全て!? いや、今までほとんど接触がなかったのに、そんなこと言われても……。
殿下のお言葉は続いた。
「初めは、あなたの美しさに惹かれました。ですが、あなたの笑顔の可愛らしさや仕事熱心なところ……それに、ご実家の事情を知るにつけ、ますます惹かれていきました。その矢先、あなたが婚約したという話が耳に入り、絶望しそうになりました」
う……それは大変申し訳ございませんでした。しかも、あんな男に引っかかってしまったわけだしねえ。多分、ランダルさまも同じようなことを思っているんだろうなあ、と思うと腹が立つ。
でも、誰から聞いたのかは分からないから、ちょっと複雑な気分だけれど、ヴィクター殿下はわたしの実家の事情を知った上で好きになってくれたのか……。ちょっと心が動かされそうになる。
いかん! 相手からの熱烈アプローチからの婚約は、ランダルさまの件で懲りたはずじゃなかったのか。わたしは、婉曲にお断りすることにした。
「──あの、殿下、お気持ちはとても嬉しいのですが、わたしのような、よからぬ理由で婚約破棄をされた上に、実家が豊かではない女と結婚を前提にお付き合いなさることはないと存じます。何せ、殿下は次代の皇帝陛下でおいでなのです。わたしのような者が相手では、国民が納得しません」
「納得させます」
ヴィクター殿下は言い切った。
どうやって? と思ったものの、わたしは、とっさに反論できなかった。しかし、このまま黙っていても埒が明かないと気づき、「親の意向」という伝家の宝刀を抜く。
「ですが、皇帝陛下と皇妃陛下はどう思われるでしょう?」
ヴィクター殿下はにこりとした。
「その件に関しては、既に話を通してあります。あ、もしかすると、わたしが相手ではローザリカ嬢のご家族が反対なさるかもしれませんが」
……いや、独り身の娘が皇太子から求婚されて、「その話は断ったほうがいい」と言う親のほうが少数派なんじゃないかな(かく言うわたしは、お断りしたけど)。
とにかく、彼がわたしと本気で付き合いたいというのはよく分かった。結局口だけだったランダルさまとは違うようだ。
でも、相手は皇太子殿下。結婚が前提となると、わたしがどこかの王女さまや大貴族の令嬢でない以上、のちのち面倒なことになりそうだしなあ。
どう答えればよいものか考えあぐねて、わたしが沈黙していると、ヴィクター殿下は急に悲しそうな顔をした。
「……やはり、わたしでは、だめでしょうか?」
「え、だめということではなくてですね……その、なんというか──」
「なんというか?」
ヴィクター殿下は、わたしの顔を覗き込んできた。不覚にも、どきりとする。何せ、彼のお顔はとても端正な上、精悍なのだ。近い! 近すぎるって!
こうなったら、正論で勝負だ。
「率直に申し上げますと、皇帝陛下と皇妃陛下がご了承なさっても、国民が納得したとしても、宮廷人が納得しないと思うのです。そうお思いになりませんか?」
ヴィクター殿下は少し、しゅんとした表情になった。言い過ぎたかな?
「……確かに、ランダル・アークライトやセラフィーナ・ブラッドフォードの反応を見るに、そのような事態が起こることも考えられます。ですが」
ヴィクター殿下は、一度、言葉を切った。
「ローザリカ嬢、あなたのことは、必ずわたしが守ります」
殿下はしなやかな動作で跪き、わたしを見上げると、優しく笑った。
「改めて言います。わたしと結婚を前提に付き合って──いいえ、婚約して下さいませんか」
頭がくらりとした。そんな顔でプロポーズするなんて、反則すぎる。
「……はい」
わたしは、つい、そう答えてしまったのだった。




