第五話 告白されて
「円舞の間」と呼ばれる、三灯の大シャンデリアと、巨大な天井画が印象的な大広間で、その夜の舞踏会は行われていた。
わたしは瞳の色に合わせた淡い緑の、スカートを膨らませたクリノリン・スタイルのイブニングドレスに身を包み、マダリーンとともに円舞の間に足を踏み入れた。彼女が身に着けているものは、紫がかった青。色やデザインなどの細かな違いはあるものの、同じスタイルのイブニングドレスだ。
わたしたちの身に着けているものもそうだけど、舞踏会に出席している貴婦人たちのクリノリンは、スカートのうしろが大きく膨らんでいる。スカートの前をあまり膨らませないのが、最近の流行りなのだ。
「さて、いい男を捜すとしますか」
マダリーンが明け透けに宣言し、人々の間を縫うように前進していく。わたしは彼女を見失わないように歩いていたが、男性を物色していたマダリーンが急に立ち止まる。
「最高にいい男を発見してしまった……」
どこか芝居がかったマダリーンの口調に疑問を感じたものの、わたしは目をきょろきょろさせる。
「え? どこ?」
「あそこよ」
マダリーンの指さす先には、貴顕淑女に囲まれたヴィクター殿下が談笑している。マダリーンはため息をついた。
「困ったわねえ。皇太子殿下を見たあとだと、他の男が丸めた新聞紙にしか見えないじゃない」
「……それはあんまりだと思う」
わたしたちはきゃいきゃいと話しながら、一緒に踊ってくれそうな男性を探す。すると。
「あら、どなたかと思ったら、ローザリカさんじゃございませんこと」
聞き覚えはあるけれどあまり思い出したくない声をうしろからかけられ、わたしは振り向いた。
やはり、というか、そこに立っていたのは、セラフィーナ・ブラッドフォードだった。
こちらは、姿を見ることはおろか、口もききたくないというのに。
ええい、ここで負けたら、女がすたる! あとずさりしたい気持ちを抑えながら、わたしは応える。
「……ごきげんよう。セラフィーナさまも、今夜の舞踏会に参加なさっていたのですね」
セラフィーナは、余裕たっぷりにほほえんだ。
「ええ、もちろん。あなたこそ、よく顔が出せましたわね」
あ。今分かった。セラフィーナはわたしを社交界から締め出すつもりで、わざわざ衆目のある音楽会で、ランダルさまに婚約を破棄させたのだ。女官としても、婚活中の身としても、それは非常に困る。
わたしは若干青ざめていたのかもしれない。隣にいたマダリーンが、ずずいと前に進み出た。
「あら、セラフィーナさま、お言葉ですけど、ローザリカはきちんと皇妃陛下の許可を取って、この舞踏会に出席しているのですよ。あなたごときに、とやかく言われる筋合いはございませんわ」
「……何ですって?」
途端に場が険悪な雰囲気に包まれる。でも、マダリーンの気持ちはすごく嬉しい。
そこへ、またしても聞き覚えのある声がかけられた。
「行こう、セラフィーナ」
ランダルさまだった。彼は灰色の瞳でさっとわたしたちを一撫でする。その目のあまりの冷たさに、心を突き刺されたかのような痛みが走る。
本当に、セラフィーナの言葉を信じ切っているんだな……。
セラフィーナは喜色満面に、「はい、ランダルさま」と答えると、私たちを一睨みして彼と去っていった。
ランダルさまはセラフィーナをエスコートしているのか。やっぱり、この二人、付き合い始めたのかな。
「嫌な人たちねえ」
マダリーンが腰に手を当てて、吐き捨てるように言った。
「気にすることないわよ、ローザリカ」
珍しく慰めてくれるマダリーンに、わたしは弱々しい笑みを返した。
「庇ってくれてありがとう、マダリーン。悪いけど、わたし、ちょっと気分が優れないみたい。バルコニーに出て、風に当たってくる。あなたは舞踏会を楽しんで」
「……そう? 気をつけてね」
マダリーンは何かを察したのか、わたしの我がままを受け入れてくれた。普段は皮肉屋だけど、こういう時は優しいんだよね。
わたしは華やかな装いの人々にぶつからないように気をつけながら、バルコニーを目指す。
五月ということもあって、換気のために扉が開け放たれているバルコニーに出ると、月に照らされた薄闇に包まれる。舞踏の間とは別世界のようなその静かな風景に、少し心が落ち着く。昼間だったら、今の季節は庭園に咲き誇る花々がとても綺麗で、いい眺めなんだけどな。
欄干の前に進み出ると、夜空を見上げ、ぼんやりと満月を眺める。
他の女性と一緒になる決意を固めた父と再会した時、お母さまはどんな気持ちだったのだろう。多分、今のわたしよりも、ずっと辛かったに違いない。
なんだか、嫌だな。自分の惨めさを少しでも和らげるために、お母さまを引き合いに出しているみたいで。
そう思ってみても、父とランダルさまのことが、頭から離れなかった。もし、これから先、よい出会いがあったとしても、また裏切られるかもしれない。
これ以上、不快な気持ちを味わうくらいなら、いっそ独身でいたほうがいいのかな。幸いにも、女官という衣食住と名誉には困らない仕事に就いているのだし。このまま細々と仕送りを続けて、レミュアルの成長を見届けられればそれでいいじゃないか。
うん、そうしよう、と思いつつも、口からはため息が漏れる。わたしは両腕を欄干の手すりに乗せ、暗い庭園に視線を落とした。
「どうなさったのですか、こんなところで」
急に声をかけられ、驚いて振り返る。そこに立っていたのは、ヴィクター殿下だった。
わたしは姿勢を正しつつ、思わず反問した。
「皇太子殿下こそ、どうしてこちらに?」
ヴィクター殿下は、困ったようにほほえみながら、おもむろに歩いてくる。
「マダリーン嬢から、あなたがバルコニーにいらっしゃると聞いたので」
え? ということは、わたしを捜していたってこと? 一体、何の用だろう。
もう少し一人になっていたかったこともあり、やや混乱する。
わたしの表情から何かを読み取ったのか、ヴィクター殿下は立ち止まり、気まずそうな顔をした。
「申し訳ありません。邪魔をしてしまったようですね。……ですが、どうしても伺いたいことがあったので、来てしまいました」
何だろう。わたしは小首を傾げる。
「はい」
しばしの沈黙があった。ヴィクター殿下は、意を決したように口を開く。
「──ローザリカ嬢、その……今、想いを寄せていらっしゃる方は?」
何言ってるんだ、この人。
失礼だが、わたしはそう思ってしまった。だって、ランダルさまに振られてから、まだ、一か月もたっていないんだよ? 婚活を再開したとはいえ、よほどの恋愛体質でない限り、都合よく新しい恋に落ちるはずがない。
でも、相手は皇太子殿下。わたしの中で、ヴィクター殿下の評価が変わってしまいそうな勢いだけど、一応、答えておかないとな。
「いいえ……全く」
月に照らされたヴィクター殿下の瞳が細められた。彼はわたしまで二、三歩の距離まで歩いてくると、立ち止まった。
「では、わたしと付き合っては下さいませんか」
……は? 今、なんて?
脳が思考するのをやめ、わたしはぱくぱくと口を開け閉めした。やっとのことで声を出す。
「あ、あの? 付き合う、とは、どのような意味でしょうか?」
「むろん、結婚を前提としたお付き合いです」
結婚……? わたしの耳、急に遠くなったのかな。
返答できずにいると、ヴィクター殿下の表情が、不安そうなものに変わった。
「あの、急な話で驚かれたかもしれませんが、お返事をいただけませんか」
どうやら、聞き間違いではなかったらしい。頭の中で、ヴィクター殿下の言葉を反芻する。
わたしが、殿下と結婚を前提にお付き合いする!?
「……考えさせて下さい」
たっぷりと間を置いて、わたしはそう答えていた。