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庶民派女官は皇太子殿下に愛を囁かれる  作者: 畑中希月
第三章 ローザリカの選択

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第二十二話 ヴィクターの決意

 ローザリカの婚約辞退をヴィクターが知らされたのは、その日の夕食が終わったあとのことだ。

 両親の居室に呼ばれ、気乗りしない様子の父から話を聞いたヴィクターは、珍しく声を荒らげた。


「父上は、彼女が自分から婚約を辞退したいと申し出たのに、何もおっしゃらなかったのですか!」


 父はしどろもどろになる。


「いや……彼女の意志は固そうだったしな……」


 ヴィクターは、自分の血管が切れる音を聞いたような気がした。

 一度、婚約破棄をされているローザリカが、どんな思いでその台詞を口にしたのか、想像すらできないのか。


 父にどう思われようが、もう知ったことか。今まで皇太子にふさわしい人間になろうとしていたことが、とたんに馬鹿馬鹿しく思えてきた。

 ヴィクターは、キッと父をねめつけた。


「父上、わたしは、たった今決めました」


「な、何をだ?」


「わたしは今日限りで皇太子の地位を返上し、彼女と結婚します」


「ヴィ、ヴィクター……」


 ヴィクターが父に反抗するのは、これが生まれて初めてのことだ。息子の剣幕に、二の句を告げられないでいる父を放置して、ヴィクターはローザリカを探すために部屋を出ようとした。


「お待ちなさい、ヴィクター」


 振り向くと、母が立っていた。

 今までローザリカとの仲を取り持ってくれた母に反対されることを訝しく思い、ヴィクターは彼女の次の言葉を待った。


「あなたが皇太子の地位を捨てることはないわ。そもそも、この事態はアテンシャー公爵夫人が、ローザリカを宮廷から追い出すために仕組んだことなの」


 寝耳に水だ。父は、今までそんな話を一度もしてくれなかった。

 母は父をじろりと睨み、ため息をつく。


「全く……大方この人は、貴族たちの言いなりになっているのを、息子に知られたくないから黙っていたのでしょうけど、情けなさが倍増することを分かっていないのね」


 父はもはや何も答えなかった。ヴィクターはそんな父を無視して、母に尋ねる。


「では、アテンシャー公爵夫人と、その一派をなんとかすれば、事態は解決するのですね?」


「ええ。そうなれば、この人も婚約を白紙に戻すなんて馬鹿なことは、二度と言わなくなるでしょう」


 その言葉に、ヴィクターの怒りは潮のように引いていった。代わりに冷静な思考が戻ってくる。


「母上、アテンシャー公爵夫人一派のリストは、手に入りますか?」


「宮内省を当たれば、彼女たちがこの人に謁見を願い出た際の書類が手に入るはずよ。そこに、メンバー全員の名前が書いてあると思うわ」


「分かりました。ありがとうございます、母上。あとは自分でなんとか致します」


 ヴィクターはいつものようにほほえむと、部屋を出ていった。


     *


 あとには皇帝夫妻だけが残された。

 皇帝が独り言のように、ぽつりと言う。


「……初めてだなあ。ヴィクターがわたしを怒鳴るなど」


「恋は人を変えるんですよ」


 皇妃は理解していた。今まで、ヴィクターは理想の皇太子を演じ続けてきたと言っていい。それが、どうしても傍にいて欲しい存在を知って、変わりつつあるのだ。

 その変化がこの国にとって、吉と出るか凶と出るかは、今は分からない。だが、ヴィクターだって一人の人間であり、皇妃にとっては愛しい息子だ。


 ヴィクターの、そして、彼の愛するローザリカの前途が明るいものであることを、多少の寂しさとともに皇妃は祈った。


     *


 アテンシャー公爵邸では、ちょっとした事件が起こっていた。

 先日行われた皇帝への謁見には不参加だったフローレンス・エイヴォリーが突如として訪れ、サロンでお茶を飲んでいたセラフィーナとラヴィニアに指を突きつけたのだ。


「あなた方のやり口は汚いわ。正々堂々と勝負するのではなくて、皇帝陛下を利用してご婚約を撤回させるなんて」


 どうやら、セラフィーナも先程耳にしたばかりの情報──ローザリカが皇帝に婚約辞退を申し出たという話を、どこからか聞きつけたらしい。

 セラフィーナがとっさに反応できないでいると、ラヴィニアが立ち上がった。


「わたくしたちは、皇太子殿下に釣り合わないご婚約はいかがなものか、と、皇帝陛下に意見を申し上げただけでしてよ。それに、フローレンスさまも、ヴィクター殿下のご婚約を反対なさっていたではございませんか」


「それはそうですけれど、当の皇太子殿下がローザリカ嬢と結婚なさりたいとおっしゃっているのですから、別に構わないでしょう」


「あら、名門の出でいらっしゃるフローレンスさまとは思えないおっしゃりようね」


 ラヴィニアが艶然と笑って見せると、フローレンスは一瞬、悔しそうに黙り込む。しかし、すぐに真顔に戻ると、吐き捨てるように言った。


「とにかくわたしは、これから先、あなたがたには一切加担致しませんから。では、ごきげんよう」


 踵を返し、嵐のように去っていくうしろ姿を見送ったあとで、固まったままのセラフィーナに、ラヴィニアが同情を込めた視線を送った。


「びっくりしたでしょう。フローレンスさまは陰謀には向かない性格なのよ。でも、いくらマリゴット公爵家のご令嬢といえども、宮廷の秩序を軽んじるのはいかがなものかしらね。あの方は、まだお若いから、それが分かっていないのですよ」


 本当に、そうなのだろうか。セラフィーナはうつむき加減に答えた。


「……はい」


 おそらく、ローザリカは本当にヴィクターのことが好きなのだ。だから、彼のためを思って、自分から身を引いた。そんな風に振る舞う女性が、ランダルのことをだますだろうか。

 自分たちは大きな間違いを犯してしまったのかもしれない。


 ひょっとしてフローレンスは、そのことに気づいていて、もうラヴィニア一派には加担しないという意志表示を、わざわざしに現れたのではないだろうか。だとしたら、陰謀に疎いどころか、大した策士だ。ひょっとしたら、自分の深読みなのかもしれないが。

 そう思いながらも、セラフィーナの不安はなかなか消え去ってくれなかった。


     *


 ヴィクター殿下との婚約を辞退したあとも、わたしは女官の仕事を続けていた。

 皇帝陛下と謁見したのは昨日のことなのに、正直、皇宮にいるだけで色々なことを思い出してしまって、ものすごく居づらい。けど、女官の仕事はメイドと比べるとやっぱり実入りがいいので、どうしても辞める決断ができないでいる。


 遅めの夕食を摂るために、一人、食堂に向かっていたわたしは、ふと足を止めた。向こうから、あろうことかヴィクター殿下が歩いてくるのが見えたからだ。


 既に殿下は、婚約辞退の話を聞いているだろう。わたしは動揺を隠すために、すっと壁際に下がり、彼が通り過ぎるのを待った。

 だが、殿下はわたしの前まで歩いてくると、立ち止まった。こちらの目を真摯に見据えると、唇を開く。


「ローザリカ、わたしはまだ、あなたのことを諦めていませんから」


 わたしはびっくりしてしまい、とっさに言葉を発することができなかった。

 ヴィクター殿下は、ふっと表情を和らげると、「それでは……」と去っていった。

 彼の背中を呆然と見つめながら、胸の奥が炎にあぶられたように熱くなってゆくのを感じる。


 わたしはまだ殿下のことが好きで、彼もこちらを好きでいてくれている。現状では、そのことが酷く悲しく思えたけれど、同時にとても嬉しかった。


     *


 ローザリカに自分の想いを告げたヴィクターが向かった先は、執務室だった。

 中に入ると、夕食を終えたばかりであろうネインがいた。そろそろ、皇宮にある自室に戻る頃だろうか。

 間に合ったようだ。ヴィクターは彼に呼びかけた。


「ネイン、すまないが残業を引き受けてくれないか」


「必要とあらば構いませんが……どうなさったのです? なんだか、お顔にやる気がみなぎっておいでですよ」


「実は、こういう事情なんだ」


 ヴィクターはネインに、これから行おうとしていることの仔細を説明する。話を聴き終えたネインは、しばらくの間、絶句していた。やがて、衝撃が去ったのか、恐る恐る尋ねる。


「……それは、本当に殿下がお考えに?」


 ネインがそんな感想を抱くのも当然だ。ヴィクターはいたずらっぽく笑った。


「そうだよ。賛同してくれると嬉しいが」


 ネインは表情を引き締めた。


「かしこまりました。仰せのままに致しましょう。確かに、わたしも彼らのことは鼻持ちならないと思っておりますしね。何より、これで殿下とローザリカさまがお幸せになられるのなら、喜んでご協力致しますよ」


 ヴィクターはほほえんだ。


「ああ、頼むよ」


 ──三日後、執務机の上に積み上げられた書類の山に目を通していたヴィクターが、顔を上げた。


「これで材料は揃った」


 その時ヴィクターの浮かべた笑みは、今までネインが見たことのないほど、深いものだった。

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