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庶民派女官は皇太子殿下に愛を囁かれる  作者: 畑中希月
第三章 ローザリカの選択

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第二十話 初めての喧嘩

 皇帝アルバートがラヴィニアたちの直談判を受けて、ヴィクターにローザリカとの婚約を破棄するように命じたという話は、皇妃ジェーンの耳にも届いた。

 皇妃はため息をつく。


 つくづくダメな夫だ。こういう時は、息子とローザリカを守ってあげないといけないのに、よりによって婚約を破談にする方向に持っていくとは。

 皇妃は女官たちとともに、自分たち夫婦の部屋の前で立ち止まった。


「あなたたち、もう下がっていいわよ」


 女官たちはお辞儀とともに、控えの間のほうに歩み去っていく。

 ノックもそこそこに、皇妃は部屋の中に入った。皇帝がはっとしたように顔を上げる。


「……なんだ、ジェイニーか」


「あら、ヴィクターのほうがよかったかしら?」


 皇帝は苦笑した。


「君は、意地悪だなあ」


 皇妃は皇帝の向かいのソファーに腰かける。


「意地悪にもなりますよ。わたし、ローザリカのことは気に入っているのですからね」


「彼女はそこまで肩入れするような娘かね? ヴィクターにはもっと──」


 皇妃は、意識して眉を吊り上げて見せる。


「よろしいですか? ヴィクターには、絶対、そのようなことを言ってはいけませんよ。でないと、親子の縁を切られてしまいます」


 皇帝の顔が強張った。


「……ジェイニー、わたしはヴィクターに、どうしても彼女と結婚したいのなら、皇太子の地位を返上しろ、と言ってしまったんだ」


 本当に、どうしようもないことを言ったものだ。

 呆れかえって、皇妃は盛大なため息をついた。


「あの子なら、本当に皇太子の地位を捨てかねませんね。何しろ、素直な性格だから。そんなことにも思い至らなかったの?」


「だが、もう言ってしまったことだし……」


 だからなんだというのだ。

 どこまでも情けない夫に、皇妃は気合いを入れるように言い募った。


「つまらない意地を張らないで、今から発言を撤回することだってできるでしょう? 大体、貴族たちに何か言われたからといって、わたしに相談もなしに、勝手に物事を進めて! 少しは反省なさい!」


 しゅんとする皇帝がさすがにかわいそうになり、皇妃は夫の隣に座った。

 彼は外では威厳ある皇帝として振る舞っているが、家庭では完全に尻に敷かれている。普段は父親の顔を立てているものの、そんな彼の言うことを、芯の強いヴィクターが聞くはずもない。


 ラヴィニアが投じた一石は、まだまだ宮中に大きな波紋を描いて広がっていきそうだ。そう皇妃は思ったのだった。


     *


 わたしがヴィクター殿下に会いにいく決意を固めたのは、セラフィーナから話を聞いた翌日のことだ。

 本当は、とても怖かった。でも、いくら会うのを避けたとしても、既にヴィクター殿下は、婚約を破棄するよう、皇帝陛下に命じられているかもしれない。このまま彼を苦しませるのだけは、耐えられなかった。

 休憩時間に殿下の執務室を訪れる。入室したわたしを、ヴィクター殿下は優しい目で出迎えた。


「どうなさったのです? よろしければ一緒にお菓子をいかがですか? 珍しいものが手に入ったので」


 いつも通りに振る舞う殿下の誘いに、わたしはかぶりを振る。


「いいえ、お気になさらず。今日は、お話があって参りました」


 わたしのただならぬ様子に、ヴィクター殿下は何かを感じ取ったようだ。短い沈黙のあと、応接セットを指し示す。


「……では、そちらでお話ししましょうか」


 わたしたちは、向かい合ってソファーに座った。今日も執務室で勤務中のネインさんは、紅茶を淹れてくれたあとで、「それでは、わたしはこれで」と、退室してしまった。

 何か大切な話があると察してくれたのだろう。これからしなければならない話の内容を思うと、ありがたい。

 緊張で乾いた口を紅茶で湿したあとで、わたしは切り出した。


「──それで、お話というのは、わたしたちの婚約のことです。皇帝陛下から、何か聞いておいでではございませんか?」


 殿下の端正な顔が強張った。彼は嘘がつけない人なのだ。そう直感したわたしは、この方のことをとても愛おしく思った。

 ヴィクター殿下は静かに問う。


「……誰が、あなたにそのような話を?」


「そのようなことは、どうでもよろしいでしょう。わたしの質問にお答え下さい」


 セラフィーナのことを庇ったつもりはないけれど、少しきつい物言いになってしまった。

 ごまかせないと悟ったのか、殿下は沈黙ののちに告げる。


「……確かに、昨日、あなたとの婚約を白紙に戻せないか、という話を父から持ちかけられました。ですが、わたしはこの婚約を破棄するつもりは、毛頭ありません」


 ヴィクター殿下なら、きっとそう言うと思っていた。でも、わたしが本当に恐れているのは、殿下に婚約を破棄されることではない。わたしとの婚約に固執することで、彼がどんなペナルティを課せられるかだ。

 子どもが帝位を継げなくなるくらいならまだいいが、下手をすると、殿下自身が帝位継承権を失うのではないか。


「お気持ちは、とても嬉しいです。ですが、皇帝陛下のお考えに従わなかった場合、殿下は……」


 ヴィクター殿下は悲しそうにほほえんだ。


「あなたには隠し事はできませんね、ローザリカ。でも、仕方がないことなのかもしれません。わたしは、そういったあなたの聡さにも惹かれたのですから」


 殿下は尋ねて欲しくないのだ。でも、ごめんなさい、殿下。これは、わたしたちだけではなく、この帝国全体の問題でもあるのだ。


「……皇帝陛下は、なんとおっしゃったのですか?」


「どうしてもあなたと結婚したいのなら、皇太子の地位を返上しろ──と」


 わたしは、とっさに答えていた。


「それはいけません、殿下。あなたは次の皇帝になられるべきです」


 ヴィクター殿下は、ロイヤルブルーの目を見開いた。


「あなたは、わたしと結婚できなくてもよいのですか……?」


「違います。そういうことを申し上げているわけではございません。ただ、あなたは次の皇帝になられて、なさるべきことがあるはずだと申し上げたいだけです」


 殿下はぐいっと身を乗り出した。


「同じことではありませんか。わたしはあなたと結婚できるなら、帝位など惜しくはない」


 本当に、まっすぐな方だ。けれど、そんな彼にしかできないことがあると、わたしは知っている。


「植民地を独立させるという夢は、お諦めになるのですか」


 ヴィクター殿下は、痛いところをつかれたという顔をした。


「それは……」


「わたしは、自分が原因で、あなたが夢をお諦めになってしまうなんて、耐えられません」


 殿下はソファーから立ち上がると、わたしの傍まで歩いてきた。わたしが腰かけているソファーの背もたれに手を乗せると、かつてないほど距離が近くなる。


「……ローザリカ、わたしはあなたのことが好きです。だから、あなたのことを誰よりも幸せにしたい。それは、いけないことでしょうか?」


 まずい。心臓がドキドキしてきた。このまま流されるのはよくない。ヴィクター殿下が帝位に即くか即かないかで、本国だけでなく、植民地の運命も変わってしまうのだ。

 自己陶酔癖のある人なら、「ああ、わたしって悪い女だわ」と悦に入れるのかもしれない。だけど、あいにくとわたしにそんな趣味はない。


 ヴィクター殿下のことは大好きだ。でも、相思相愛だからといって、彼やその周囲の人たちの将来を、悪いほうに変えてしまってよいわけがないのだ。

 わたしは、次に発すべき言葉を決めた。


「殿下、おやめ下さい」


 ヴィクター殿下は、はっとして背もたれから手を離し、身を引く。

 ちりちりする胸の痛みを感じながら、わたしは立ち上がった。うつむいたまま、ぼそりと呟く。


「……殿下は、ずるいです」


 だって、そんなことをされたら、全てを放り出して、殿下と結婚したくなってしまうじゃないか。

 わたしは立ち上がり、部屋の扉を目指す。

 こうして、わたしたちの初めての喧嘩は、不完全燃焼に終わった。

 殿下に呼び止められなかったので、わたしは扉を開けて廊下に出た。

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