第十八話 セラフィーナがやってきた
ヴィクター殿下に告白できなかったわたしは、再びマダリーンに泣きついた。
「お願い、マダリーン。一緒に来て。わたし一人じゃ、どうしても殿下に告白できそうにないの」
マダリーンはちょっと面倒くさそうではあったが、最後には「分かった分かった」と頷いてくれた。
翌日、わたしたちは休憩時間が重なった時を見計らい、殿下の執務室へ向かった。緊張を鎮めるために深呼吸をしたあとで、扉をノックする。ネインさんの声が返ってきた。
「よし」と気合いを入れ、扉を開くと、中にヴィクター殿下の姿はなかった。ネインさんはわたしたちを見ると、明るくほほえむ。
「おや、今日はお友達もご一緒ですか。ですが、残念でしたね。殿下はただいま枢密院会議にご出席なさっています」
やっぱり、昨日、告白しておけばよかった……。
打ちのめされそうになりながらも、以前のように、ここでしばらく待つという手段があることに思い当たる。
「……ど、どのくらいでお戻りになりますか?」
「まだ会議は始まったばかりですから、二時間はお戻りにならないかと」
二時間!? それじゃ、休憩が終わってしまう。
うしろで様子を窺っていたマダリーンが耳打ちする。
「ローザリカ、また日を改めましょう」
「……うん、そうする……」
ネインさんが黒い瞳を、ぱちくりとさせる。
「ローザリカさま、殿下にお言伝などございましたら、承りますが」
「いいえ、今回は結構です……。失礼致しました……」
わたしは思いっきり落胆しつつ、マダリーンに伴われ、執務室を出ていった。
*
アテンシャー公爵邸での集会の翌日、セラフィーナはラヴィニアをはじめとした貴族たちとともに、皇宮の控えの間にいた。
あれから、ラヴィニアは皇宮に使いを出し、皇帝との謁見を取りつけたのだ。今日、皇帝はたまたま空き時間があったそうで、謁見は順調に決まったらしい。
やがて侍従が現れ、セラフィーナたちは謁見の間に迎え入れられた。
玉座に座った皇帝は、執務の合間だからだろうか、夜会で見かけるよりも遥かに威厳に満ちた姿をしていた。セラフィーナたちはいっせいに、皇帝に向けてお辞儀をする。
皇帝がラヴィニアを見据え、口を開いた。
「アテンシャー公爵夫人、これだけの人数を揃えて、こたびは予に何用か?」
ラヴィニアは恭しく答えた。
「皇帝陛下に、是非、上申したいことがございまして参りました。皇太子殿下のご婚約についてでございます」
皇帝は眉を跳ね上げた。
「ほう。息子の婚約に、異議でもあるのか?」
皇帝の不快そうな表情を見て、セラフィーナの背中を冷たいものが滑り落ちていった。だが、皇帝と相対するラヴィニアは、余裕たっぷりの笑みを浮かべている。
「わたくしどもは、皇帝陛下の忠実な臣下でございますゆえに、皇太子殿下のご婚約を憂いております」
「ほう? なぜ、そう思うのだ?」
「まずは、皇太子殿下のご婚約者でいらっしゃるローザリカ・フィールド嬢のご経歴に問題がございます。彼女は女官になられる前は、召使でございました。しかも、その母君は貴族の家でメイドをなさっていて、暮らしぶりは下層そのものだったとか」
皇帝は皮肉げに片笑む。
「そうだな。それが原因で、そなたの子息に婚約を破棄されたとか」
「さようでございます。あえて申し上げますが、彼女は詐欺師でございますわ。これは、今日この場に伺候した者全ての、共通の見解です」
「証拠がなかろう」
ラヴィニアは余裕の表情を崩さなかった。
「証拠など、必要ございません。重要なのは、わたくしどもが、彼女を未来の皇太子妃とは認めていないということです。わたくしが声をかければ、より多くの者が集まるでしょう。貴族のほとんどが皇太子殿下の結婚式に出席しない事態など、あってよいものでしょうか」
皇帝は黙り込んだ。彼が次にどのような言葉を発するのか、セラフィーナだけでなく、この場にいる全ての者が固唾を呑んで見守っている。
やがて、皇帝は呟くように言った。
「……そなたらの要求、持ち帰らせてもらおう」
セラフィーナは信じられない気持ちだった。だが、ラヴィニアは確かに成功へと歩を進めている。全てはランダルと自分の杞憂だった。
皇帝が物憂げな顔で、ラヴィニアたちの退出を促す。謁見の間を出たセラフィーナは、ラヴィニアに駆け寄った。
「ラヴィニアさま、素晴らしいですわ。よく皇帝陛下をお相手にして、要求を通す方向に持っていかれましたわね」
ラヴィニアはほほえんだ。
「あら、だって、皇帝陛下といえども人の子ですもの。大切な跡取りの結婚式に、貴族が誰も出席しないなんて、親として耐えられないでしょう? それに、そんなことが新聞や雑誌に書き立てられたら、酷い醜聞になりますもの」
セラフィーナは舌を巻いた。この方だけは敵に回したくない。
「なるほど……そうですわね」
「それに、皇帝陛下はバランスを重んじるお方ですから。皇太子夫妻が宮廷で孤立無援になるなど、最も避けたい事態のはずですよ」
こう説明されると、皇帝が要求を呑むのは時間の問題かと思われた。気をよくしたセラフィーナはあることを思いつき、それを実行に移すことにした。
「ラヴィニアさま、わたし、用事を思い出しましたわ。お先にお帰り下さいませ」
「あら、そう? じゃあ、お先に失礼させていただくわ」
セラフィーナは足早にその場を去り、ある人物の元へ向かった。ローザリカの元へと。
*
その日、休憩に入ったわたしは、お茶でもいただこうと食堂へと向かっていた。マダリーンとは休憩時間が違うので、ヴィクター殿下への告白はお預けだ。
来るべき日のために、どんな風に告白しようか考えていると、恥ずかしい妄想が頭に浮かぶ。違う! わたしはそんなに乙女チックなキャラじゃない!
「こんにちは、ローザリカ」
頭をぶんぶんと振っていると、声をかけられた。我に返って前を見る。当のヴィクター殿下がこちらに向けて、歩いてくるところだった。
あまりの動揺に、わたしは声を上擦らせた。
「こ、こんにちは! ヴィクター殿下」
「前にも言ったように、『殿下』はつけないで構いませんよ。これから休憩ですか?」
「は、はい」
「では、わたしの部屋で、お茶でもいかがですか? わたしもちょうど、休憩を取ろうと思っていたところなので」
……ということは二人っきりになれるということだ。これは、告白のチャンスかもしれない。もちろん、殿下からのお誘いが嬉しいのもあって、わたしの心臓は高鳴りだした。
それに、殿下の執務室って一階だから、二階のここまでわざわざわたしを捜しにきてくれたってことだよね? わたしと一緒にお茶を飲むために。どうしよう、幸せすぎる。
「はい! 是非、ご一緒させて下さい」
ちょっと前のめりすぎたかなあ、と自分でも思ったけど、ヴィクター殿下は嬉しそうに頷いてくれた。殿下の笑顔、やっぱりいいなあ。
にやにやしてしまうのを抑えながら、殿下と並んで彼の部屋を目指す。
今、告白したら、タイミング的に早いかな? やっぱり、部屋で二人きりになってからのほうがいいかな? でも、今まで散々失敗してきたし、できるだけ早いほうがいいかもしれない。
わたしは深呼吸をした。バクバク言っている心臓をなだめながら、運命の一声を出す。
「──あの、殿下」
ヴィクター殿下が小首を傾げる。
「はい」
その時、うしろから声がかけられた。
「皇太子殿下!」
殿下と同時に振り向くと、侍従が歩み寄ってくるところだった。殿下が問う。
「何用ですか?」
「皇帝陛下がお呼びです。至急、陛下の御許においで下さい」
ヴィクター殿下は、彼にしては珍しく、渋い表情をした。
「……分かりました。すみません、ローザリカ。また今度、ご一緒しましょう」
告白の機会がまたもや奪われたことは痛手だったけれど、正直、ほっとしていることも事実だ。ええい、不甲斐ないなわたし。また出直すとしよう。
すまなそうに詫びる殿下に、わたしは頷いて見せた。
「はい。では、また今度」
ヴィクター殿下は名残惜しそうに踵を返し、侍従とともに去っていった。
わたしは当初の予定通り、食堂に向かうことにした。すると。
「ローザリカさん、ご機嫌よう」
背後からかけられた聞き覚えのある声に、わたしは振り返る。
そこには、セラフィーナ・ブラッドフォードが立っていた。




