第十七話 静かなる策謀
わたしが足を向けたのは、マダリーンの部屋だった。今日は彼女も仕事が休みなのだ。もしかして、出かけているかもしれないと思いながらも部屋をノックすると、間延びした声が返ってくる。
わたしはゆっくりと扉を開けた。本当は早く相談したくてたまらないのだけれど、あまりにせかせかしてもみっともないので、ぐっと我慢だ。親友とはいえ、人の恋愛相談なんて迷惑なだけかもしれないし、気を悪くしたマダリーンに「はあ!?」なんてリアクションをされるのは避けたい。
「マダリーン、ちょっといい?」
マダリーンはベッドに座って本を読んでいた。皮肉屋なくせに、王道の恋愛小説が好きなことをわたしは知っている。
マダリーンは顔を上げた。
「人生を謳歌しているはずの人がどうしたのよ? せっかくの休日なのに、殿下とご一緒じゃないの?」
「それが……さっきまでご一緒だったんだけど……」
「何? まさか喧嘩でもした?」
わたしは口ごもりながらも説明した。ヴィクター殿下とはうまくいっていること。先程、フローレンスが襲来し、彼女を追い返した殿下を見て、彼を好きだと自覚したこと。
マダリーンは「ふーん」と笑った。
「おのろけ、ごちそうさま。それで、何が問題なわけ?」
「問題大ありよ! だって、このままじゃ、今までみたいに殿下とお話しできないじゃない」
「そう? そんな風に初々しい態度をとられたら、殿下はますますあなたのことをお好きになるかもしれないじゃない」
「そ、そうかしら」
「もし、変に思われないかと心配なら、気持ちを伝えてみれば? そうすれば、殿下も納得なさるでしょ」
それは名案のような気がする。わたしの声は自然と弾んだ。
「なるほど! そうしてみるわ。やっぱり、マダリーンは頼りになるわね」
「調子いいわねえ。ま、うまくいったら、ちゃんとお返ししてね」
「ええ、そうさせてもらうわ」
「じゃ、愛しい殿下の元に、お戻りあそばせ」
マダリーンに促され、わたしは部屋を出た。
扉の前で、ふと我に返る。
訊くのを忘れた。どんな風に告白すればいいんだろう……。
*
結局、わたしはマダリーンの元に戻り、どうすれば効果的な告白ができるのか教えを請うた。マダリーンは呆れながらもアドバイスしてくれた。ありがとう、我が友よ。
そんなこんなで、わたしはヴィクター殿下のお部屋を再び訪れた。
ヴィクター殿下はわたしの顔を見ると、驚きと嬉しさがないまぜになったような表情になる。
まずい。彼のそんな態度を見るだけで、胸が甘く締めつけられてしまう。
殿下はほほえむと、問いかけてきた。
「もう、ご気分は大丈夫ですか?」
「は、はい。少し休んだらよくなりました。もう平気です」
ごまかしながら答えたけれど、殿下は気づかなかったようだ。心配する彼に、もう大丈夫であることを強調し、わたしたちは再びテラスに出た。
さて、問題は、どのタイミングで告白するかだ。
二人とも椅子に腰かける。さっきわたしが残していったティーカップに、殿下は視線を落とした。
「紅茶が冷めてしまいましたね。淹れ直しましょうか」
殿下がティーポットに手を伸ばしたので、わたしは慌てた。
「あ、自分で淹れ直します」
思わず、ティーポットに触れる。すると、ちょうどヴィクター殿下の手に、掠ってしまった。
「も、申し訳ございません」
わたしは、きっと赤面していたと思う。殿下はそんなわたしを見つめると、くすりと笑った。
「何を謝る必要があるのですか?」
そう言って、わたしの手にご自分の手を重ねて、さらになぞるように触る。その艶かしい動きに、恥ずかしさを通り越して眩暈がしそうだ。
この方、やっぱり、わたしより年上だわ……。
心臓がドキンドキンとものすごい音を立てている。思考停止に陥ったわたしに、ヴィクター殿下がすまなそうに声をかける。
「謝るのはわたしのほうですね。調子に乗り過ぎました」
ヴィクター殿下はさっさとわたしの紅茶を淹れ直すと、にっこり笑った。
「さあ、お茶会を続けましょうか」
その後、動揺しまくったわたしが告白できなかったのは、言うまでもない。
*
アテンシャー公爵のタウンハウスのサロンに、十数人の貴族たちが居並んでいた。公爵夫人ラヴィニアの呼びかけによって集められた、ローザリカとヴィクターの婚約内定を、苦々しく思っている者たちだ。
もちろん、セラフィーナもその中にいる。
不意にランダルが入室してきたので、セラフィーナはソファーから立ち上がった。
「ランダルさま!」
駆け寄ってきたセラフィーナを見て、ランダルは一瞬目を細めたが、すぐに真顔になる。
「セラフィーナ、悪いが、わたしは母上に話があって来たんだ」
「ラヴィニアさまに?」
ランダルは頷くと、客と談笑しているラヴィニアに、つかつかと近づいていった。
「母上」
「どうしたの? ランダル」
「母上が今から行おうとなさっていること、やめていただくわけには参りませんか」
セラフィーナは息を呑んだ。今まで、ラヴィニアに意見するランダルを、見たことがなかったからだ。
ラヴィニアは艶然と笑った。
「あら、わたくしの息子は何を言っているのかしら。あなた、ローザリカ・フィールドにだまされていたことを憤慨していたのではなくて?」
「わたしのことはよろしいのです。ですが、まだ内定とはいえ、ローザリカ嬢は皇太子殿下の婚約者です。手を出せば、必ずこちらに火の粉が降りかかってくることでしょう。いえ、火の粉から大火が起こるかもしれません」
滔々と諫めるランダルを、ラヴィニアはじろりと見やった。
「あなたは黙っていなさい、ランダル。わたくしたち貴族が集まれば、皇太子殿下の婚約といえども、覆すことができるのですよ」
「ですが……」
「ランダル、二度は言いませんよ」
「……はい。失礼致しました」
ランダルはそれ以上の説得を諦めたらしい。憂い顔をしたまま、しばらくその場にたたずんでいたが、サロンを出ていった。
あとに残されたセラフィーナは困惑した。
ローザリカは、ランダルだけではなく、ヴィクターをもだましているに違いない。その彼女を皇太子の婚約者の地位から引きずり落とすのは正義だと、セラフィーナは信じて疑っていない。
だが、ランダルのラヴィニアに対する諫言は、セラフィーナの心に一抹の不安を呼び起こすには十分だった。それに、これは大好きなランダルの言葉でもある。
セラフィーナの心配をよそに、ラヴィニアは立ち上がり、客たちを見回した。
「皆さま、先程は、息子が興を削ぐようなことを口にして、申し訳ございません。ここにおいでの皆さまは、皇太子殿下のご婚約に懐疑的な、真に皇室への忠誠が厚い方たちだとお見受け致します」
ラヴィニアの言葉を受け、客たちが発言した。
「その通りです」
「騎士階級崩れの女官に、皇太子妃は務まりません」
ラヴィニアは、満足そうに頷いた。
「ご理解いただけているようで嬉しゅうございます。婚約内定のパーティーでは、皇太子殿下の良心に訴えかけるような手段を用いたから、失敗したのですわ。そこで、今回は、もっと効果的な方法を考えました」
ラヴィニアの作戦を客たちは身じろぎもせずに聴いていたが、彼女が話し終えると、口々に「そうだ、それしかない」と賛同した。
そんなことをして本当に大丈夫だろうか、という憂慮を、セラフィーナはついに口に出して投げかけることができなかった。




