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庶民派女官は皇太子殿下に愛を囁かれる  作者: 畑中希月
第二章 婚約が決まって

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第十五話 もう一度、手を繋ぐ

 食事を終え、お茶を飲んだあとで、わたしとヴィクター殿下はお暇することにした。扉の前で、殿下がお母さまに向けて挨拶する。


「今日はご馳走さまでした」


「いいえ、またいらして下さいね」


 お母さまに続いて、レミュアルが言った。


「図鑑、大事にするよ」


「うん、また船の話をしよう」


 ヴィクター殿下はレミュアルに手を振る。わたしも名残惜しい気持ちを抑えて、お母さまたちに手を振った。

 わたしたちは踵を返す。今の時期は日が長い。九時を過ぎても日が沈まないし、約束の時間までは三十分ほどあるので、わたしたちは馬車までゆっくり歩くことにした。

 並んで歩きながら、わたしはヴィクター殿下を見上げる。


「弟によくして下さって、ありがとうございました」


「いいえ、元々子どもは好きですし、あなたによく似ているレミュアルくんは、素直に可愛いと思えますから」


 そんなことを言われると、照れてしまう。わたしは照れ隠しに、余計なことを言った。


「頭の出来は、全然違うのですけどね。あの子、教会学校しか出ていないわたしと違って、学校の成績はいいのです」


「そうですか。……話は変わりますが、ローザリカは子どもの頃、何になりたかったですか?」


 急に問われて、わたしは考え込んだ。

 なんだったかな……あ、そうだ。


「お菓子屋さんになりたかったです」


「どうして?」


「お菓子を毎日、好きなだけ食べられるから」


 ヴィクター殿下は破顔した。


「可愛いですね」


「笑い事ではないのですよ。当時は本当に貧乏で、お菓子なんてめったに食べられなかったのですから」


「それでも、子どもらしくて可愛い夢です」


 家でもそうだったけど、こういう時、ヴィクター殿下はこちらを気の毒そうな目で見ない。それは多分、彼がわたしたち家族を憐みの対象として見ていないからなのだろう。だから、我が家の事情を知っていても求婚してくれたんだと思う。

 ヴィクター殿下は、何かを思い出すような目をした。


「わたしはね、子どもの頃、教師になりたかったのですよ。学校で素晴らしい恩師に巡り合いましてね、その先生のようになりたかった。……ですが、諦めざるをえませんでした。わたしは皇太子ですから」


 わたしは何も言えなかった。


「けれど、数年前、新しい夢ができました。植民地を視察し、ネインと出会って思ったのです。いつか、植民地を解放し、それぞれの国と対等な関係を築こうと」


 驚いた。ヴィクター殿下がシャルダ出身のネインさんを信頼しているのは知っていたけど、そんなことを考えていたなんて。

 この帝国が豊かになったのは、戦争で多くの植民地を得たから──そんなこと、政治経済に疎いわたしでも分かる。それを次代の皇帝が手放すつもりだと言っているのだ。

 ヴィクター殿下は寂しそうに笑った。


「このことは、わたしとネイン以外、誰も知りません。父などは、薄々感づいているかもしれませんが」


 殿下は舗装された道を見やる。わたしの子ども時代に比べ、下町でも道路の整備が進んでいるのだ。


「……蒸気船に鉄道に電信──わたしたちは植民地の国々を搾取して、ここまで豊かになりました。ですが、本来、片方が優位に立ち、弱者を収奪するなど、あってはならないことです。わたしは、こう思います。我が帝国は既に十分、強大になりました。国を健康な状態で、これからも維持していくためには、そろそろ拡大路線を改めるべきなのだと。肥大した自らの重さに耐えられず、動けなくなる前に」


 それは、今のこの国では、とても少数派の考えのような気がした。人は、自分が奪われる側にならないと、なかなか他人の痛みには気づけないものだ。


 でも、幸せな日々が、たった一人の勝手な行動で失われることを知っているわたしには、殿下の考えはとても貴重なものに思えた。実現させることに想いを巡らせると、途方もなく困難な道だけれど、応援したいと強く思った。

 けれど、その前にもっと彼の考えを深く訊いておきたい。


「ヴィクターさまのお考えは素晴らしいと思います。ですが、それでは国民の生活水準が今より下がってしまうのではありませんか?」


 殿下は彼にしては珍しく、挑むような鋭い表情をした。いつもと違って、凛々しさが三倍増しだ。


「この数十年で培った我が国の技術力と世界の金融界における力は、例え植民地の物的、人的資源を失ったとしても、そう簡単には衰えませんよ。その辺りについても、ちゃんと考えてありますから、ご心配なく」


 殿下の顔つきにも声色にも、揺るぎない祖国への誇りが滲んでいた。


「さ、さようでございますか」


 わたしの考えのほうが浅はかだった。殿下は夢見る理想家というだけではないのだ。わたしは、ヴィクター殿下のロイヤルブルーの瞳をまっすぐに見上げた。


「どうして、わたしにそんな大切なお話を?」


ヴィクター殿下は歩みを止め、ほほえんだ。


「あなたは宮廷の外の世界を知っているし、自分でちゃんと考えられる人です。だから、知っておいて欲しかった。……それに、ローザリカ、あなたはわたしの大切な人ですから」


 殿下の手がおもむろに動き、わたしの頬と落ちかかった髪に触れた。彼が長身を屈めると、端正な顔が近づいてくる。

 あ、キスされる、と思った瞬間、わたしはぎゅっと目をつぶっていた。心臓が破裂しそうなくらい早鐘を打っている。


 だが、しばらくたっても、唇は落ちてこない。わたしは恐る恐る目を開けた。

 ヴィクター殿下は頬を染めて、戸惑ったように視線を下に向けた。


「──すみません。あなたの気持ちも訊かずに、こんな……」


 本当に二十二歳なんだろうか、この人。ピュアすぎる。

 わたしは努めて明るい声を出した。


「大丈夫です。全然気にしておりませんから」


「あ……それは逆に傷つきます」


「え!? も、申し訳ございません!」


 ヴィクター殿下は、くすりと笑った。


「いいですよ。その代わり、手を繋いでも構いませんか?」


「は、はい」


 わたしがおずおずと差し出した手を、ヴィクター殿下は取った。前みたいに普通に繋ぐのかと思ったら、なんと恋人繋ぎをされてしまった。緊張して、掌に汗をかかなきゃいいけど。

 わたしたちは再び歩き出す。しばらくの間、会話は途切れたが、こっそりヴィクター殿下を見上げると、彼はなんとも言えない幸せそうな顔をしていた。


 この方は、本当にわたしのことが好きなんだ。

 そう思うと無性に恥ずかしくなって、わたしはうつむいた。


「レミュアルくんのことですが……」


 再び紡がれた殿下の言葉に、わたしは顔を上げる。


「それほど優秀なら、わたしの卒業した学校に入学してもらってはどうでしょう? 彼は物怖じしないし、貴族や資本家の子息に囲まれても、うまくやっていけると思うのです。むろん、本人の希望次第ですし、入学はわたしたちが結婚したあとになると思いますが」


 それは願ってもないことだった。加えて、殿下がレミュアルの将来のことまで考えてくれていることが嬉しい。わたしは「是非、お願い致します」と、繋いだ手に力を込めた。

 やがて、馬車が見えてきた。二人きりの散歩も終わりかと思うと、少し寂しい。馬車に乗り込んでも、ヴィクター殿下は手を離してくれなかった。


 このまま皇宮に着かなければいいのに。そんなことを思ってしまい、わたしははっとする。

 皇宮に到着し、待ち合わせに使った広間まで歩いていくと、ヴィクター殿下は名残惜しそうに手を離した。


「今日はとても楽しかった。また、どこかに出かけましょう」


「はい、必ず」


 わたしたちは、それぞれ別の方向へと歩き出した。一度だけ振り返ると、殿下もちょうどこちらを振り返ったところで、目が合った。彼のはにかんだような微笑は、眠りにつく前までわたしの心から離れなかった。

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