第十四話 実家にて
「ローザリカ、ここがご実家ですか?」
「はい。恥ずかしながら……」
黒い切妻屋根の、古ぼけた小さな家。ヴィクター殿下とわたしは、実家の前に立っていた。
殿下はわたしの目を見て言った。
「恥ずかしいと思うことはありませんよ。家というのは結局、どんな人が住んでいるか、ですから」
この方のフォローは、いつもまっすぐだ。勇気づけられたわたしは、「そうですね」と頷くと、前に進む。
「あら、ローザリカちゃん。帰ってきてたの?」
聞き覚えのある声のほうを見ると、いつもお世話になっている隣のおばさんが隣家から出てきたところだった。わたしはすかさず挨拶をする。
「お久し振りです。いつもレミュアルがお世話になってます」
「いいのよ。ところで、今日はすてきな人と一緒なのね。なるほどねえ、それでアルファさんが帰ってきてるのね」
アルファというのは、お母さまの名前だ。それはともかく、ヴィクター殿下のことを根掘り葉掘り訊かれる前に、わたしは退散することにした。おばさん、ごめんなさい。
「じゃあ、母が待っていると思うので、これで。あとで、お土産を持っていきますね」
「あら、いつも悪いわねえ」
おばさんは嬉しそうに笑うと、用事を思い出したのか、通りに出ていった。
わたしはヴィクター殿下とともに扉の前まで歩いていくと、ノッカーで戸を叩く。
「はい」
すぐに扉が開き、中からお母さまが現れた。うしろにはレミュアルの姿もある。わたしを見ると、お母さまの顔が輝いた。
「ローザリカ、久し振りね。元気にしていた?」
「ええ、お母さまこそ。……そうそう、こちらが、手紙に書いた紹介したいという方なの」
訊かれる前に、ヴィクター殿下を手で示す。お母さまは大層驚いた顔をした。
「まあ、その方が……。すてきな方ね。びっくりしたわ」
ヴィクター殿下はにこっと笑う。
「初めまして。ヴィクター・ミルトンと申します。お嬢さんとは、先日、婚約させていただきました」
偽名で自己紹介するのにも淀みがない。相当慣れていると見た。ちなみに、殿下の本当の姓はガーネットだ。
お母さまは慌てたように言葉を継いだ。
「ああ、申し遅れました。ローザリカの母のアルファ・フィールドと申します。とにかく、お入りになって下さい」
ヴィクター殿下とわたしは家の中に入った。お母さまが振り返り、殿下をじっと見つめているレミュアルを促す。
「ほら、レミュアル、あなたもご挨拶なさい」
レミュアルはなぜか、むすっとして名乗った。
「……レミュアル・フィールド」
この子、こんなに愛想悪かったっけ? 人見知りもめったにしないのに。
わたしの戸惑いをよそに、ヴィクター殿下は屈んで目線を下げ、笑顔でレミュアルに右手を差し出す。
「よろしく」
レミュアルは殿下の手を取ろうとしない。さすがに腹が立って、わたしは弟をたしなめた。
「レミュアル、この方は大切なお客さまなの。きちんとご挨拶して」
レミュアルは仕方なさそうに、ヴィクター殿下の手を取った。が、すぐに手を離し、「よろしくお願いします」の一言も言わない。
どうしたものかと考えていると、ヴィクター殿下は気にした様子もなく、レミュアルと目を合わせてほほえんだ。
「レミュアルくんは、お姉さんがどこの馬の骨ともしれない男を連れてきたから、面白くないんだろう?」
「なっ……」
レミュアルは顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。図星だったらしい。まあ、わたしはずっとレミュアルの面倒を見てきたから、第二の母親みたいなものなんだよね。母親が恋人を連れてきたら、特に男の子は、複雑な気持ちになってもおかしくはないのかもしれない。
お母さまはくすりと笑った。
「レミュアルの負けね。さあさ、ダイニングルームに行きましょう。狭い家で申し訳ないけど、ヴィクターさんのお話が聴きたいわ」
狭い我が家では、ダイニングルームが居間を兼ねているのだ。
わたしは先程買ったお土産を、お母さまに手渡した。
「さっき、おばさんに会ったわ。あとで、お隣にも差し上げてね」
「ありがとう、分かったわ。あら、これ美味しいのよね。いつもあなたが買ってきてくれるものと違うようだけど?」
お母さまは鋭いなあ。わたしは気恥ずかしくて、目を泳がせた。
「ああ、うん。彼が選んでくれたの」
当のヴィクター殿下が短い廊下を歩きながら評す。
「よく手入れのされた、落ち着いたお宅ですね」
お母さまが苦笑する。
「まあ、お恥ずかしい。あなたがいらっしゃるというので、慌てて掃除したのです」
「そういえば、わたしがお邪魔したいと言ったために、無理にお休みを取っていただいたのですよね。申し訳ありません」
「いいえ。娘がやっと彼氏を連れてきてくれたので、わたしも嬉しいし、安心したのですよ」
お母さまにそう言ってもらえると、わたしも嬉しいやら恥ずかしいやら。
ダイニングルームに入ると、わたしたち四人は席に着いた。
レミュアルはつまらなそうにテーブルに頬杖をついている。お行儀悪いぞ。
わたしが注意しようとすると、ヴィクター殿下が先に発言した。
「お二人は、お嬢さんによく似ていらっしゃいますね」
わたしとレミュアルは、揃ってお母さまと同じプラチナブロンドと翡翠色の瞳だ。
「よく言われます。この子たちはわたし似で……」
そう答えたあとで、お母さまはふと思い出したような顔をした。
「そういえば、誰かに似ていると思ったら……ヴィクターさんって、皇太子殿下に似ていらっしゃると言われません? お名前も同じですし」
ひ~! まずい!
確かに、新聞や雑誌には、殿下の写真が載ることもあるからなあ……。わたしが冷や汗をかき、心の中で悲鳴を上げていると、ヴィクター殿下は顔色ひとつ変えずに苦笑いした。
「はい、よく言われます。ですが、皇太子殿下の影響で『ヴィクター』はよくある名前ですし、もう慣れっこですよ」
もはや殿下の演技力の高さは、スパイ並みだ。わたしは胸を撫で下ろした。
ヴィクター殿下は、ふとテーブルの上に置いた包みを見下ろして、手に取った。皇宮から持ってきた包みだ。
「レミュアルくん、お近づきの印に、君へプレゼントだよ。気に入ってくれるといいんだけど」
レミュアルはむっつりとした顔で、プレゼントを受け取った。
「……開けていい?」
「どうぞ」
レミュアルは包みを開けた。中に入っていたのは図鑑だった。レミュアルの大好きな船の図鑑だ。レミュアルの表情が、曇り空から快晴になった。
「こういうの、前から一冊欲しかったんだ!」
さっそくページをめくり始めるレミュアルを横目に、わたしとお母さまは「高かったでしょう」「なんだか申し訳ないわ」と恐縮しつつ、お礼を言った。レミュアルも少し遅れて、感謝を伝える。
「ありがとう、ヴィクター」
わたしは思わず声を上げた。
「レミュアル! ヴィクター『さん』とおっしゃい!」
ヴィクター殿下は笑いを堪えていた。
「構いませんよ。気に入ってくれたようでよかった」
それからレミュアルは、ヴィクター殿下に質問をしまくった。
「ヴィクターは蒸気船に乗ったことがあるの?」
「あるよ。知っていると思うけど、帆船と違って、風の影響をあまり受けないですむから、順調に旅が進むんだ」
「ふうん。話には聴いていたけど、やっぱりそうなのか。ヴィクターはなんで蒸気船に乗ったの?」
「仕事でね」
「仕事? ヴィクターって上品だし、どこかの社長の息子? あ、姉さんが宮廷で出会ったなら、もしかして貴族?」
「一応、貴族のはしくれだよ」
これは、あながち嘘ではない。ヴィクター殿下は、皇太子の称号の他に、いくつも爵位を持っているのだ。
お母さまはヴィクター殿下が貴族だと聞いてもあまり驚かず、彼とレミュアルを前に目を細めた。
「レミュアルにもいいお義兄さんができるわねえ」
……恥ずかしいからやめて下さい、お母さま。
話に花を咲かせる男性陣を置いて、わたしとお母さまは夕食を作ることにした。といっても、下ごしらえは既にお母さまがすませてくれている。
パンにサラダにビーフステーキに、デザートのプディング。わたしたちは腕によりをかけてご馳走を作った。宮廷の料理に比べたら、なんてことないかもしれないけど、ヴィクター殿下は喜んでくれるかな。
「レミュアルー、配膳を手伝って」
「はーい」
お隣で食事をご馳走になる時に手伝っているのだろう。お皿を配るレミュアルの手際はいい。と、殿下が立ち上がった。
「わたしも手伝います」
「え、ヴィクターさまは座っていらして」
「大丈夫です。ナイフとフォークくらいなら並べられますから」
殿下の意志は固そうだ。わたしは折れることにした。
「……じゃあ、お願い致します」
ヴィクター殿下は、意外にも器用にカトラリーを並べていった。こんなかっこいいウェイターさんがレストランにいたら、お店が大繁盛しそうだ。
四人で摂った食事は美味しかった。ヴィクター殿下は味を褒めた上で、「あなたの作った料理が食べられて幸せです」と言ってくれた。そう言ってもらえると、こちらとしてもすごく嬉しい。腕によりをかけた甲斐があったというものだ。
でも、すっかり殿下に懐いたレミュアルが、口笛を吹いて冷やかしてきたのには参った。




