第十三話 お忍びデート
ある休日、わたしはヴィクター殿下のお部屋にいた。というのも、先日、「次の休日にお茶をご一緒しませんか」と、殿下に誘われたからだ。断る理由もなかったので、わたしはふたつ返事で承諾した。
ヴィクター殿下の私室は、もちろん皇太子のお部屋らしく豪華なのだけれど、全体的に落ち着いた雰囲気だった。
「どうぞ」
にっこり笑う殿下に紅茶やサンドイッチ、ケーキなどを勧められ、わたしはティーカップを手に取った。とっても食欲をそそられるけれど、これは全部食べたら間違いなく太る。自分の食欲と格闘しながら、何を食べるべきか考えていると、ヴィクター殿下が言った。
「ローザリカ嬢は、街に出かける時、カフェに寄ったりなさいますか?」
「はい、たまに。紅茶もいいですけど、コーヒーも好きなので。殿下はお忍びで街にお出かけになったりなさるのですか?」
「ええ。もちろん護衛はつきますが、街に出るのは好きですよ」
そう答えたあとで、ヴィクター殿下は何かを思いついたような顔をした。
「そろそろ、二人だけで出かけたいですね。気候もよい時期ですし」
デートか。確かに、成り行きとはいえ、付き合うのをすっとばして婚約してしまったからなあ。デートをしてみるのもいいかもしれない。
わたしはティースタンドからチーズケーキを確保しつつ頷いた。
「そうですね。殿下は、どこかおいでになりたい場所はございますか?」
ヴィクター殿下は、考え込む仕草をした。
「あなたの行きたいところでよいですよ──あ、ですが」
「ですが?」
「ローザリカ嬢のご実家に行ってみたいです。まだ、ご家族にご挨拶をしていませんし」
何!? あのよく言えば素朴、悪く言えばおんぼろな我が家においでになりたいと!?
……冗談抜きでどうしよう。お母さまは住み込みで働いているから、お休みを取って帰ってきてもらわないといけない。それに、ヴィクター殿下を皇太子として紹介していいものかどうか、疑問が残るし。
唯一の救いは、ランダルさまを家族に紹介していなかったことだ。娘が立て続けに「この人と結婚します」と違う男性を連れてきたら、家族は驚愕し、頭を抱えるだろう。
悩むわたしを前に、ヴィクター殿下は楽しそうだ。
「ローザリカ嬢は、確かご兄弟がいらっしゃいましたね?」
「あ、はい。弟が一人」
「弟さんの好きなものはなんですか? プレゼントを用意したいので」
「弟は帆船や蒸気船が好きで……」
何を答えてるんだ、わたし。
*
結局、ヴィクター殿下の強いご意向により、最初のデートはわたしの家族への挨拶を兼ねたものとなった。いや、もうデートじゃないよね、それ。
ただし、殿下が皇太子であると名乗ったら、家族がびっくり仰天してしまうだろうことは想像に難くないので、彼の正体は伏せさせてもらうことに決まった。
殿下も、正体を明かすなり、わたしの家族がかしこまってしまうのは避けたいようだ。彼はあくまで、和気あいあいとしたムードの中、未来の家族と打ち解けたいらしい。
わたしはお母さまに、紹介したい人がいるので、一日だけお仕事を休んで帰ってきてもらえないか、という内容の手紙を出した。返事はすぐに届き、次の休日、わたしはヴィクター殿下を連れて、実家に帰ることになった。
ちなみにお母さまからの返事には、「どんな人を連れてきてくれるのか、楽しみにしています」と書かれていた。ヴィクター殿下はどこに出しても恥ずかしくない方だけど、やっぱり緊張する。
当日、わたしはヴィクター殿下と並んで歩いても見劣りしない、仕立てのよい清楚な服を着て、彼との待ち合わせ場所に急いだ。
だが、わたしが身支度に追われている間に、殿下はとっくに用意をすませていたらしく、既に広間で待っていた。
ヴィクター殿下の服装は、昔で言うところの商家の若旦那さま風で、こざっぱりとしている。小脇に大きめの荷物を抱えているけど、もしかして、前に話していたレミュアルへのプレゼントかな?
わたしは慌てて彼に駆け寄る。
「申し訳ございません。お待たせしてしまいましたか?」
ヴィクター殿下は嬉しそうにほほえんだ。
「わたしも今来たところです。それよりも、いいものですね」
「え?」
「いえ、だいぶ恋人っぽくなってきたな、と思いまして」
そうだろうか。わたしはなんだか照れてしまい、口ごもった。最初はとんでもない方向から飛んできた殿下との恋は、スローペースではあるけれど確実に進んでいる。そんな気がした。
二人で皇宮の外に出て、待たせていた馬車に乗る。帝室の紋章は入っていない、お忍び用の馬車だ。この馬車で出かけ、下町の手前で降ろしてもらう手筈になっている。
わたしが先に乗り込んで席に着くと、ヴィクター殿下はちょっとためらったあとで、向かいではなく隣に座った。
馬車の中って、広い部屋とは違って狭いし閉め切られているから、二人きりだという意識がより強くなるものね。時々積極的になるものの、こういう時の殿下の奥手さが素直に可愛らしいと思い、わたしはにやけた。
ヴィクター殿下が不思議そうに問う。
「どうなさったのですか?」
男性に可愛いと言っても、褒め言葉にはならないかな。わたしはごまかすことにした。
「ええと、殿下とこうしてお出かけできるのが嬉しくて」
ヴィクター殿下は、本当に幸せそうに笑う。
「わたしもです」
それからわたしたちは、他愛もない話をした。好きな本の傾向を訊かれて、引かれるかな、と思いつつも正直に「どうやったらたくさんお金を貯められるか、という本が好きです」と答えたら、殿下はおかしそうに笑っていた。
ちなみに、彼は本ならなんでも読むそうで、特に好きなジャンルはないらしい。「つまらない男ですよね」と言われて、わたしは必死に否定した。
ヴィクター殿下が特に熱を入れている趣味は馬術で、ユリアという愛馬をとても大切にしているということだった。あ、前に見たことのある馬だな。
話をしているうちに、馬車は進む。途中、有名なお菓子屋さんの前で降ろしてもらう。家とお隣へのお土産を買うためだ。ヴィクター殿下もついてきてくれる。殿下は結構甘党らしく、お勧めのお菓子を教えてくれた。
買い物をすますと、また馬車に乗る。雑談が再び始まり、やがて、馬車は止まった。窓の外を見ると、そこはちょうど、上町と下町との境目あたりだった。
「着いたようですね。降りましょうか」
ヴィクター殿下は従僕が開けてくれた扉から先に降りると、わたしの手を取って降ろしてくれた。そのあとで、御者に告げる。
「八時頃には、ここに戻ってきます」
ヴィクター殿下とわたしは、夕食を我が家でご馳走になる予定なのだ。お母さまとわたしの料理が、殿下のお口に合うといいのだけれど。
ヴィクター殿下を道案内しながら、見慣れた通りを歩く。といっても、帰省は年に一度くらいだから、懐かしいという感覚のほうが強い。
少し先を歩いていたわたしは、殿下を振り返った。
「殿下は、下町のほうにもおいでになったことは?」
「はい。来たことがありますよ。ところで、ローザリカ嬢、お忍びなのに、殿下と呼ぶのは困りますね」
いけない! 自分の迂闊さにショックを受けつつ、わたしは尋ねた。
「では、なんとお呼びすればよろしいでしょう?」
「名前で呼んで下さい」
確かに、それ以外に呼びようがない。
「……じゃあ、ヴィクター、さま」
「ヴィクター、と呼んでも構いませんよ」
それは、さすがに恥ずかしいし、わたしにも女官としての立場というものがある。わたしの反応を見て、殿下は仕方なさそうに、ふふっと笑った。
「それでは、行きましょうか。ローザリカ」
……今、さり気なく呼び捨てにされてしまった。




