第十話 ローザリカ派、結成
昼食を早めに切り上げたわたしは、ヴィクター殿下を待ち伏せするため、彼が食事を摂っているはずの食堂の傍で待機していた。扉の脇に立つ近衛兵の視線が痛いけど、気にしない。こっちだって必死なのだ。
でも、こうしてヴィクター殿下に突撃してしまうくらいなりふり構わないのは、なぜなんだろう。彼のことを好ましいと思うことはあっても、まだ異性として「好き」という段階ではないはずなのに。
再び婚約破棄をされてはたまらない、という自己防衛本能だろうか。
そんなことを考えながら待っていると、食堂の扉が内側から開いた。現れたのはヴィクター殿下だ。近衛兵に労いの言葉をかけたあとで、殿下はすぐわたしに気づいてくれた。表情をほころばせながら、こちらに近づいてくる。
もしも殿下に尻尾がついていたら、ぶんぶんと振っていそう。まるで、赤毛の大型犬だ。
「ローザリカ嬢、どうなさったのですか?」
「実は、少しお訊きしたいことがございまして」
「なんでしょう?」
わたしに会えたからだろうか。本当に嬉しそうな顔をしているヴィクター殿下を見ていると、フローレンス嬢のことを質問してもいいのかな……という気になってくる。
でも、こういうことは後回しにすればするほど、きっと訊き辛くなる。わたしは覚悟を決めて、質問することにした。
「あの、フローレンス・エイヴォリー嬢のことをお聞き致しました」
「フローレンス……嬢?」
ヴィクター殿下の表情は「誰、それ?」と、雄弁に物語っていた。
わたしは安心すると同時に、フローレンス嬢が少し気の毒になった。多少上から目線で申し訳ないけど、殿下との婚約に乗り気だったというし。
数秒後、ヴィクター殿下はようやく何かを思い出したような顔になる。
「……ああ、マリゴット公爵家のご令嬢ですね。彼女が何か?」
ヴィクター殿下がフローレンス嬢をなんとも思っていないのは、ほぼ確実なので、事実だけを確かめることにする。
「その方が、以前、殿下の婚約者候補だと噂されていたらしいのですけれど……本当ですか?」
ヴィクター殿下はロイヤルブルーの目を見張った。
「それをお訊きになるために、わたしに会いに?」
殿下がそう思うのも当然だ。好意を持っていたわけでもない女性について、婚約者(一応)がわざわざ訊きにきたのだから。だけど、悪びれても仕方ないので、わたしは正直に答える。
「はい。気になったので」
ヴィクター殿下は、ふわりとほほえんだ。
「一部の者が騒いでいただけです。彼女とは何度かお話ししたくらいで、特別な感情は持っていませんし、婚約したいと思ったこともありません」
こうやって、はっきり言葉にしてもらえると、安心度が二、三倍に跳ね上がる。わたしは自然と微笑していた。
「さようでございますか。お尋ねしてよかったです」
ヴィクター殿下は、わたしをまじまじと見つめる。
なんだろう。顔に穴が空きそうだ。
ほどなく、殿下はいたずらっぽい笑みを浮かべ、言った。
「もしかして、やきもちを焼いて下さったのですか?」
「や……」
やきもち!? わたしがそんなものを焼くはずがない! だって、まだ殿下のことを好きでもなんでもないんだもの。ただ、成り行きで婚約してしまっただけで……。
うん? わたし、どうして好きでもない相手と婚約なんかしたんだ? 殿下に押し切られたから?
わたしが心の迷宮を右往左往していると、ヴィクター殿下はくすりと笑った。
「困らせてしまってすみません。ただ、そうだったら嬉しいな、という願望を口にしただけです」
今まで恋愛スキルが低いと思っていたけど、ヴィクター殿下は温和で誠実な顔をして、実は天然女たらしなのかもしれない。
*
ヴィクター殿下と婚約してから五日がたった。食堂で夕食のチキンを切り分けていると、隣に座っているマダリーンが声をかけてくる。
「ねえ、ローザリカ。あなたとヴィクター殿下の婚約内定パーティーが開かれるって聞いたんだけど」
「え!?」
聞いてないぞ、そんなこと。
わたしの反応に、マダリーンはにやりと笑った。
「多分、パーティーを企画なさったのは皇妃陛下ね。あなたにも内緒だなんて、きっと気合いの入ったパーティーになるわよ」
「一人息子の婚約パーティーよ。気合いが入るに決まっているじゃない」
言ったあとで、わたしははっとする。気合いの入ったパーティーということは、様々な貴族や政治家が出席するに違いない。公爵家の跡継ぎであるランダルさまや、その婚約者のセラフィーナも、出席するんじゃないだろうか。
ランダルさまについては皇妃陛下も悪い印象を持っていたけど、誰を呼ぶかについては、好き嫌いだけで判断できないはずだ。
わたしがその懸念を口にすると、ローザリカはあっけらかんとして応じた。
「大丈夫、大丈夫。あなたがセラフィーナ嬢に対抗すればいいのよ」
あのセラフィーナに、わたしが太刀打ちできるとは思えない。
「対抗!? そんなことできるわけないじゃない」
マダリーンは噛んで含めるように言った。
「ローザリカ、あなたは今や、皇太子殿下の婚約者。それに比べて、セラフィーナ嬢は公爵令息の婚約者よ。どちらの立場が上かは、子どもでも一目瞭然よ」
「で、でも、あの人は、絶対わたしを目の敵にしてくるわよ。『どんな手を使って、皇太子殿下を篭絡したのかしら?』とか言って……」
その様子が目に浮かぶようで、自分で言いながら、わたしはますます憂鬱な気分になった。
マダリーンは、食堂で夕食を摂っている同僚たちを見回し、にこやかに言い切った。
「大丈夫よ。あなたには、わたしたちがついているもの」
わたしたちの話を聞いていたらしい何人かの女官仲間たちが、びっくりしていっせいに顔を上げる。
マダリーンは、彼女たち一人一人の顔を見回したあとで、同僚たちの中でも特に発言権を持つ、侯爵家出身の令嬢に目を留めた。
「ねえ、あなたたちもローザリカが悪しざまに言われるなんて、耐えられないでしょ?」
彼女は気圧されたように答える。
「それは、まあ……」
「でしょ? だって、ローザリカは将来の皇太子妃ですもの。わたしたちの誰かが異動して、彼女を主に戴くかもしれないしね」
マダリーンの言葉に、その場にいた全員が顔を見合わせる。
なるほどね。誰だって、未来の主になるかもしれない相手から、「あなた、あの時、わたしを助けてくれなかったわよねえ」なんて、事あるごとにいびられたくはない(断っておくけど、わたしはそんなことはしない)。
マダリーンの演説は続いた。
「どう? わたしたちで、セラフィーナ嬢に対抗するための、『ローザリカ派』を結成しない?」
さすが、我が親友は心強い。




