第一話 邂逅 その8
「こ、これで良し・・・、それと、その・・・、
すまなかったのう・・・・・・」
服を直した真狐が、顔を伏せたまま少年に謝罪をする
こちらの話を聞く気になったと判断した少年は、
謝罪に適当な応答をして一連の流れについて説明を求めた
「あ・・・、うむ・・・、確かにお主から見れば
訳が分からぬのも無理はない・・・」
「まず、わしは・・・、わしは確かめてみたかったのじゃ・・・」
「昔やっていたように男を誘惑し、
好意を抱かせることで呪いが解けるのかどうかを・・・」
「それと・・・・・・、もう一度お主の笑顔を見たかった・・・」
段々とか細くなっていく声で、真狐は少年に行動の真意を説明する
大体のことは理解できたが、最後の部分だけが良く分からなかった少年は、
笑顔を見たかった、という部分についてもう一度尋ねた
「・・・・・・」
少しの間黙り込んでいた真狐だが、やがて小さな声で呟き始める
「その・・・、昼間お主がいなり寿司をくれた時、
わしに向けてくれたあの笑顔・・・、
あれをもう一度見てみたいと思ったのじゃ・・・」
「思えばわしの中に奇妙な感情が生まれたのは、
お主が笑顔を向けてくれた時じゃった」
「胸がざわめき、心の臓は高鳴り、頬は熱くなる・・・、
こう言えばまるで病気のように聞こえるが、
不思議と嫌な気分ではなく、むしろ心地よかったかもしれん」
「再びお主の笑顔を見ればまたあの感覚を味わえると思うたが、
そなたの顔を覗き込んだ瞬間、心地よい感情どころか、
胸の辺りを痛みが走り、悪寒が全身を包み込んだ」
「わしはそこでようやく自分の過ちに気が付いた・・・、
先ほどわしの中に生まれたのは、
してはならんことをしてしまったという罪悪感だったのじゃ・・・」
弱々しい力で自分の胸を抱きながらそう呟く真狐の体は、
夏であるにもかかわらず小刻みに震えていた
少年は手を伸ばしかけたが、真狐が再び口を開いたことで、
その動きも止まってしまう
「善意でわしにいなり寿司を、あの笑顔と感情を与えてくれたお主を、
あろうことかちょっとした好奇心や悪戯心から誘惑し、
恥ずかしい思いをさせてしもうた・・・」
「今までわしのしておったことがどれだけひどいことだったのか、
人の心を弄ぶとはどういうことなのかを、今ようやく学んだのじゃ・・・」
「もっとも、もう少し早く気付くべきだったのう・・・」
真狐は改めて少年へ顔を向け、申し訳なさそうな笑みを浮かべた
「すまんかったな、ここへはもう二度と近づかんから・・・、
今宵のことは悪い夢だったと思って綺麗に忘れてくれれば助かる・・・」
そう言いながら立ち上がると、窓へ向かって歩き出す真狐
少年は慌ててそれを制止しようと、一番掴みやすい尻尾を掴む
「ひゃうっ! こ、これ、そこを掴んではならぬ、は、放してくれ」
尻尾を掴まれた瞬間、真狐の体は大きく跳ね上がり、
今までで一番の大声を上げつつ、手を放すよう少年に訴える
しかし少年は、ここで手を放せばそのまま真狐
がいなくなってしまうと考えたのか、
より強く手に力を込めて尻尾を握りしめた
「ううっ! わ、分かった、分かったからとにかく放してくれ、
これ以上強く握られると堪えられん」
解放を訴える真狐の目に涙が浮かび始めたことに気付き、
少年は慌てて手を放す
「ううう・・・、やっと放したか・・・、おお痛い・・・」
しかめっ面を浮かべながら尻尾の付け根をさすりつつ、
真狐は再び腰を下ろした
「獣の尻尾を粗雑に扱うでない、ばかもの、
妖狐とはいえ痛いものは痛いのじゃ」
恨みがましい目で真狐に睨み付けられた少年は、
慌てて謝りつつも、先ほどまでの暗い表情が消えたことに少しだけ安堵する
「それで、ここまでしてわしを引き止めたからには
なんぞ深いわけがあるんじゃろうな?」
痛みも少しだけ収まってきたのか、
真狐は少しだけ表情を和らげながら少年にそう尋ねる
しかし少年は、そもそも何故真狐がこの場を去ろうとしたのか、
その理由が分からなかったらしく、
真狐が去ろうとしていた理由を問いかけた
少年の質問を聞いた真狐は、驚いたような表情で少年を見ながら応答する
「う、何故と言われても・・・、つまりじゃな・・・、
わしは「真実の愛」とやらを見つけるため、
そして呪いを解くためお主の元を尋ねた」
「しかしわしは、軽い気持ちでお主を深く誘惑してしもうたのじゃ・・・、
それと同時に、こんなことをしては「真実の愛」など見つけることも、
手にすることも出来んと悟ってしもうた」
「そしてお主も、こんな化け物を愛することなど出来んであろう?
人の心を弄ぶ醜悪な化け物など・・・」
段々と表情を悲し気なものに、声を弱々しいものへ変えながら、
真狐は少年にかいつまんだ説明をした
しかし少年は、何故自分が真狐を愛することが出来なくなってしまったのか、
更に問いかける
真狐は先ほどよりも更に驚きながら、しどろもどろになりながら説明を続けた
「ええと、じゃからのう・・・、
いや、これ以上どう説明すればいいのじゃ・・」
「その、逆に尋ねてみるのじゃが、仮にわしと一緒に過ごすとして、
お主は何の不安もないというのか・・・?」
「先ほどのように深く誘惑されたりすれば
お主は一生わしの言いなりになるかもしれんし、
わしの妖力が元に戻ってしまえば、
わしはまた人を傷つけ弄ぶ化け物に戻るかもしれん」
「そういうことを考えたりはしないのか・・・?」
そこまで言われて、少年は真狐が何を言いたかったのかようやく気が付き、
改めて考えてみる
話を聞く限り、真狐はかつて人に迷惑をかけて回った妖怪ではあるようだ
しかし、今目の前にいるのは、自分の過ちに気が付き反省出来る心を持ち、
尻尾を掴まれて涙目になってしまう程度の、
一部を除けばかよわい女性も同然であった
何よりも、あそこまで悲し気な表情を見せられて放っておくことは到底出来ない
少年はもう一度ここに居て良いことを、
そして真狐を愛せるよう側で見ていることを真狐に伝えた
「よ・・・、良いのか・・・? 本当に良いのか?」
半信半疑の表情で問いかける真狐に、少年は優しく頷く
「わしが妖狐でも、かつて人を弄んだ化け物でもよいのか?」
畳みかけるような真狐の問いかけに、少年はもう一度頷く
「反省はしたが、それでも時々悪戯心が騒いでお主にちょっかいをかけたり、
軽く誘惑したりするかもしれんがそれでも良いのか・・・?」
聞き流すことの出来ない言葉が出てきたことで一瞬戸惑ったが、
男に二言はないと言わんばかりに少年はまた頷いた
途端に真狐の表情が明るくなり、
さきほどのような輝かしい笑顔を取り戻す
「おお・・・、おお・・・、なんと寛大な心・・・♪」
「わしのことを、何から何まで全て受け入れてくれるというのか・・・♪」
そこまで大それたことを言った覚えはなかったが、
少年は既に訂正が効くような段階ではないことを理解していた
「嬉しい・・・、とても嬉しいぞ・・・♪
思えば、こうして人に受け入れられるなんて初めての経験じゃ・・・」
「史陽、どうやらお主はわしが見込んだ以上の人間じゃった、
わしはまた一つ主に惚れてしもうたよ・・・♡」
歓喜の表情を浮かべながら、真狐は思わず少年の手を取る
唐突な行動に頬を赤らめつつも、少年は真狐の手を軽く握り返した
「わしもお主に好いてもらえるよう、いろいろやってみようと思う、
これから末永くよろしくの・・・♡」
こうして少年の日常に、一つだけ
騒がしい声が増えることになった