第五話 来襲 その1
季節は夏真っ盛り、舞台はある町に存在する何の変哲もない民家
丁度昼食も終わった頃、真狐が食器を片付けていたら、
二人の耳に玄関のチャイムが聞こえて来た
「はて、このような時間に客人か・・・?」
真狐が少年に尋ねるが、少年も特に誰かが来る覚えはないのか、
首をかしげながら曖昧な返事をする
「ふむ・・・、まあともかく待たせておくのも悪い、
とりあえずは応対してやるのが良かろう」
そう言われ、少年は一つ頷いて立ち上がり、
声を掛けながら玄関へ早足で歩いていく
雑に靴を履き、少年が玄関の扉を開けると、
見覚えのある顔が飛び込んで来る
「やっほ~♪ 史くん久しぶり~♪」
そこにいたのは、二日前に出会ったばかりの真狐の友人、
海狸の姿だった
「や~♪ 真狐ちゃんも久しぶりだね~♪」
「何が「久しぶり」じゃ、以前会ってから3日も経ってはおらぬぞ」
「そ~だっけ~? まあ細かいことは言いっこなし♪」
「全く・・・、まあいい、茶ぐらいは出してやるからそこに座っておれ」
満面の笑みを浮かべて居間に入って来た海狸を、
うんざりとした顔の真狐が応対する
真狐が冷蔵庫から麦茶を出している間に、
少年は来客用の座布団を出し、そこに海狸を座らせた
「わ~、気が利くね~、ありがとう~♪」
「本来ならこやつに座布団など必要ない、と言いたいところじゃが・・・、
ま、今日は客として玄関から尋ねて来たのじゃからな、
無碍にすればこちらの品が問われるからのう」
「お~、冷たい麦茶だ~、今日も暑いから丁度欲しかったんだよね~♪
真狐ちゃんもありがとう~♪」
コップに入れた麦茶を差し出しながらそういう真狐だが、
海狸の方は特に気にせず麦茶を受け取る
「ん・・・、はぁ~・・・、冷たくて美味しいね~♪」
「この暑さじゃからな、夏場には欠かせない飲み物よのう、
ほれ、史陽の分も入れておいたぞ」
海狸と同じく机に着いた少年にも真狐が麦茶を差し出す
少年も、真狐にお礼を言ってそれを飲んでみるが、
やはり冷たくて気持ち良いのか、自然とため息が出た
「ふふ♪ 美味いか?♪ 調子に乗って飲み過ぎると
腹を冷やすから、ほどほどにしておくのじゃぞ?♪」
さり気なく真狐が忠告し、少年も素直にそれを受け取る
そんな様子を傍から眺めていた海狸は、
微笑ましいものを見るような視線を向けていた
「・・・ふ~ん?♪ 相変わらず仲は良好みたいだね~♪
なんか真狐ちゃんもすっかりお嫁さんみたいになってるし♪」
「よ、嫁とな・・・、そ、それは些か気が早いぞ?
わしらはまだ恋仲であって、夫婦ではないのだからな?
いや、無論ゆくゆくはそういう関係になりたいと思っておるが・・・」
「嫁」という言葉に反応し、口ではやんわりと否定しつつも、
あからさまに尾を振って喜ぶ真狐
それを見ていた海狸は、不思議なものを見ているような、
そしてどこか呆れたような表情で声を掛けた
「・・・自分で話を振っといてなんだけどさ~、
真狐ちゃん、結構変わったね~・・・」
「む、そうか・・・? いや、その通りか」
「男も女も、人も妖怪も、恋をすれば変わるものじゃろう、
つまりわしが変わったのは史陽のお陰ということになるな♪」
嬉しそうな笑顔で少年の体を横から軽く抱き寄せつつ、
真狐が海狸にそう言ってのける
少年は、肩に感じる柔らかい感触に頬を赤らめながらも、
決して取り乱したりはせず、されるがままにじっとしていた
海狸が訪ねて来てからというもの、
二人の接触は随分増えているようだ
「おやおや~?、二人共、ボクがこの間来た時よりも
随分親密になってな~い? 過度な接触は極力控えてるとか
なんとか言ってた気がするけど、急にどうしたの~?♪」
「ふん・・・、まあ・・・、お主には負けてられんからな・・・、
これも恋人同士のスキンシップ、という奴よ」
「あはは♪ そうなんだ~♪ ねえねえ、真狐ちゃんが積極的になってくれて、
史くんも嬉しいかな~?♪」
その言葉に頬を染めながらも、少年は小さく頷く
「そう照れなくても良いではないか♪ わしはとても嬉しいぞ?♪
お主とこうして触れ合えることも、お主が少しくらい触れ合ったところで、
邪な感情を持つような人間ではないと証明してくれたこともな♪」
「それってさ~、史くんがボクの誘惑を乗り切ったこと言ってるの~?
だとしたら、今真狐ちゃんたちがこうして触れ合えるのは、
ボクのお陰でもあるのかな~?」
「決して認めたくはないが・・・、ほんの少し、
本当に少しくらいはそうかもしれぬな・・・」
「えへへ~、じゃあさ~?♪」
いきなり海狸が立ち上がると、そのまま素早い動作で少年の隣へ移動する
「ボクもちょっとくらい抱き着いてもいいよね~?♪」
そして、呆気に取られる少年に真狐の反対側から抱き着いてきた
真狐よりもやや大胆に胸を押し付けるような形で抱きしめられ、
少年の顔が更に火照って行く
「これ海狸、誰がそこまでしていいと言った?」
「え~? いいじゃない~♪
史くんはボクにも優しくしてくれるんでしょ~?♪」
「お主は加減を知らんじゃろうが、また史陽が倒れたらどうするのじゃ」
「でもでも~、真狐ちゃんがこうしてくっつけてるんだし、
ちょっとは女慣れしてきたんだよね~?♪」
「少しは慣れてきたかもしれんが、お主の体まで加わっては
少々刺激が強すぎるぞ」
「ちぇ~、まあボクとしても倒れられたら困るし、
仕方ないから離れてあげようか・・・」
渋々と言った様子で少年から離れる海狸
海狸が離れたことを確認すると、
自分もこれ以上抱き着いていては危ないと判断したのか、
真狐もゆっくりと手を離す
二人の体から離れた少年は、真っ赤になった顔を覚ますように、
手で扇ぎながら息を整える
「あはは、史くんお顔が真っ赤だね~♪
二人にくっつかれてそんなに暑かったの~?♪」
「分かっとるくせにからかうでない、
・・・そもそも、お主は今日何をしに来たのじゃ?」
「あっ、そうそう、二人に言いたいことがあったの、
忘れる所だった~」
本当に忘れていたのか、軽く手を叩きながら、
海狸は要件を話し始めた
「二人ともさ~、折角スマートフォンを貸してあげてるのに、
ぜ~んぜん連絡くれないんだも~ん、
だからこっちから遊びに来ちゃったの~」
「ああ、あれか・・・、わしは一応使い方を覚えたが、
史陽はまだ慣れておらぬでな」
「それにわしからお主へ話したいことなど別段思いつかぬし、
そもそも電話ならこの家にもあるからのう」
「え~、ボクからはお話したいこともいっぱいあったのに~、
史くんもさ~、電話するだけならそんなに難しくないでしょ~?」
海狸は頬を膨らませながら少年にも文句を言っているが、
当の少年は苦笑いをしつつ謝っている
少年は真狐とは違い、もともとの学習能力が高くないことに加え、
機械の類いは得意ではないのか、スマートフォンには
余り触れようとしていなかった
「真狐ちゃんに内緒で会おうっていうお忍びのお誘いが来ると思って
待ってたのに~」
「そんな誘いが来るわけなかろうに・・・、
第一わしがそんなことを許すとでも思うか?
仮に出かけるとしても必ずわしが同行するからな?」
「ってことは真狐ちゃんと3人ならお出かけしてもいいんだよね?♪
わ~い♪ みんなでお出かけするの、楽しみだな~♪」
「こ、こやつめ・・・、まあ、暑いこともあって、
あれ以来あまり外出しておらんからのう・・・、
史陽よ、こぶ付きというのはちと気が進まんが、
近々どこかへ連れてってくれるとうれしいぞ・・・?」
海狸と問答をしていた真狐が、唐突に矛先を変え、
少年に外出の催促を始める
急に話を振られてやや戸惑いつつも、
少年は真狐の要望を受け入れることにした
「おお、連れてってくれるのか?♪
楽しみじゃのう~♪ 今度はどこへ行けるのか♪」
「良かったね~真狐ちゃん♪ じゃあ予定が決まったら
ボクにも教えてね~?♪」
海狸に返事をしつつ、少年はどこへ行きたいのか
真狐に尋ねてみる
しかし、それを聞いた瞬間、真狐ではなく海狸から声が掛かった
「ちょっと史くん、それじゃ楽しみがないでしょ~?」
海狸の言葉が良く分からなかった少年は、
どういう意味か、今度は海狸に質問をする
「だからね~、どこに行くか分かってるっていうのも、
それはそれで楽しみになると思うんだけど、
どこへ連れてってもらえるのか分からないっていうのも
また別な楽しさがあるんだよ」
「どこが目的地なのか、行ってからのお楽しみだったらさ、
楽しい所に連れてってくれるのかな~? とか、
綺麗な景色を見に行くのかな~? とか、
そういう想像の余地が出てくるでしょ~? 分かるかな~?」
海狸の言わんとしていることは一応理解出来ているようだが、
それでも具体的にどう違うのかはっきりと分からなかったらしく、
曖昧な返事をする少年
そんな少年を見かねてか、真狐が助け船を出してきた
「史陽よ、海狸の言葉などそう真っすぐに受け止めんでよいぞ?
わしはお主が連れて行ってくれる場所なら、
例えすぐ側の公園であろうと嬉しいのじゃからな?」
すると、その言葉を聞いた海狸が、今度は真狐に矛先を変える
「も~、真狐ちゃんったらまたそんなこと言って~、
大事なデートなんだから、ちょっとくらい特別な場所にも
連れてってもらいたいでしょ~?」
「それに史くんはちょっと積極性がないからさ~、
たまには「黙って俺について来い!」的な感じで
リードされてみたいよね~?♪」
「い、いや、連れてってもらう身分でそこまでは求められんよ、
第一、大がかりな外出をしようにもあまり時間は取れんし、資金もない」
自分が大してお金を持っていないことに少し責任を感じながら、
真狐の言葉に同調して少年が頷く
しかし、それを聞いた海狸は、不敵な笑みを浮かべながら
二人にこう言い放った
「ふっふっふ~、そこは大丈夫♪ 運賃とか食事代とか、
デートの費用はボクが出してあげようじゃない♪」
「お主が・・・、全ての資金を出すとな・・・?」
海狸の言葉に驚いたのか、真狐は驚きを隠そうともせず、
はっきりと尋ねる
そんな真狐に、海狸は胸を叩きながら返事をした
「もっちろん♪ デートに混ぜてもらうんだから、
そのくらいはしてあげるよ~?♪
それなりに溜め込んでるから、心配はいらないよ~?♪」
「ねぇ史くん、どうかな~? これならいろんなところに行って
みんなで楽しめるでしょ~?」
「泊まりは難しいだろうけど、日帰りでも楽しい所は
いっぱいあるからね~♪」
魅力的な提案ではあったが、やや情けないからか、
はてまた何から何まで世話になるのは悪いと思うのか、
少年は難色を示す
「ううむ・・・、悪くはない提案かもしれん、が・・・、
お主に借りを作ると後がのう・・・」
真狐もまた良い予感はしないのか、海狸の提案に難色を示した
「二人ともそう警戒しないでいいじゃない~♪
あくまでもデートに混ぜてもらうお礼なんだから~♪
心配なんて何もいらないよ~?♪」
「いや、しかし・・・」
「あっ、そうそう、忘れる所だった~♪
今日はお土産も用意してたんだよ~♪」
二人がはっきりしない態度を取っていると、
唐突に海狸が手を叩き、どこからともなく箱を出す
「これ、美味しいケーキ屋さんで買ったプチケーキの詰め合わせ♪
ど~お? 色とりどりで美味しそうでしょ~?♪」
海狸が箱を開き、二人に中を見せると、
箱の中には様々な種類の小さなケーキが入っていた
「お、おお~? これがケーキというやつか・・・♪」
「そうだよ~♪ このハートが乗っかってるのはチョコレートで、
こっちの丸っこいのは果物が入っていて~・・・」
色鮮やかなケーキにあっさりと目を奪われ、
真狐は尾を振りながら海狸の説明を真剣に聞き入っている
少年も、このようなケーキはあまり食べたことがないのか、
期待の眼差しで箱の中を眺めていた
「・・・で、最後のこれがクリームたっぷりの甘い奴、
というわけで、これはお土産だから、
真狐ちゃん好きなだけ食べていいよ~?♪」
「なに・・・? これを全部くれるというのか・・・?」
「もっちろ~ん♪ ボクはいつでも食べられるから、
真狐ちゃんにぜ~んぶあげるよ~♪」
「あ、もちろん史くんも食べていいけど、
一杯食べて晩御飯が食べられなくなっちゃうといけないから、
1個だけにしとこうね~?♪」
受け取らないのも失礼だと思い、少年は食べる気になったが、
真狐は海狸の行動を訝しんでいるのか、
目の前に出された多彩なケーキとにらめっこを続けている
「うむむ・・・、確かに美味そうじゃが・・・、
これを食べればデートの件を断るわけにもいかん・・・」
「それに以前、お主からもらった甘いお菓子に
辛い物を入れられていて、ひどく舌を痛めたことが・・・」
昔から色々と悪戯を受けていたらしく、ケーキには何かしらの細工、
または意図が含まれていると考え、唸り続ける真狐
「も~、これは純粋にお土産として持って来たんだから、
別にこれを食べたからといって、借りを作ることにはならないよ~?♪」
対する海狸は、あくまでも純粋にお土産として持ってきたと真狐に告げる
「それに変なものだって別に入れてないよ~?
でも、どうしても信じられなかったら、ボクが先に食べてみようか?
・・・この真狐ちゃんが一番好きそうな奴を♪」
すると突然、海狸は不敵な笑みを浮かべながら、
おもむろに様々な果物の入ったケーキを口へ運ぼうとした
その瞬間、真狐が慌てて海狸を止めに入る
「ま、待て、何故その一番美味しそうなやつで毒見をするのじゃ!?
別にそれでなくても他の奴ですれば・・・」
「え~、でも、ボクが何か入れておくとしたら、
絶対真狐ちゃんが一番好きそうなものに入れるよね~?♪」
「それに史くんも食べることを想定して用意してるんだから、
何個も何個も悪戯を仕掛けるようなことすると思う~?♪」
「だから、一番怪しいのはこれってことになると思うけどな~?♪」
手に持ったケーキを指さしつつ、
海狸が勝ち誇ったような笑みを浮かべながら真狐に言う
「うぐ・・・、いや、そう思わせておいて・・・、
うう~む・・・、ええい、分かった!」
「このケーキは何も仕掛けられていない、純粋なお土産じゃ!
そう思ってありがたく頂こうではないか!」
散々悩んでいた真狐だが、食欲には勝てなかったのか、
最終的にはきっぱりと受け取ることにしたようだ
「ふふ、最初から素直にそういえば良かったのに~♪
じゃあ、これは全部二人で食べていいからね~♪」
海狸はケーキを箱に戻すと、改めて二人の前に差し出した
「おお・・・、このケーキが全て・・・、
あ、いや、無論お主にも分けるからな?
ささ、好きなものを好きなだけ選ぶが良い」
輝かしい目で箱の中を見つめていた真狐は、
少年と二人で食べるものだということを思い出し、
慌てて少年に箱を差し出す
好きなだけ選べと言われた少年だが、
真狐が無理をしてそう言っていることを分かっていたので、
件の、真狐が好きそうなケーキ以外の中から一つだけを取り出した
そして、この一つだけでいいことを真狐に告げると、
真狐から嬉しそうな反応が返ってくる
「おおお! 本当に良いのか? いや、でも確かに
あまり多く食べると夕餉が入らなくなってしまうからな♪ うむ♪」
「そうそう、だから残りは真狐ちゃんがぜ~んぶ食べてしまわないとね~♪」
「よ、よし♪ そうしようかの♪ では頂きます♪」
久しぶりの美味しそうなお菓子にやや興奮しているのか、
すっかり警戒を解いた真狐は、上機嫌でケーキを口にし始めた
「ん~♪ このクリームがたっぷり入ったものは、
上品な甘さじゃのう♪ おまけに後味も良い♪」
「こちらは・・・、栗が入っておるのか、これも悪くないのう♪
これもまた美味じゃ♪」
「そしてこれが、おお、見たこともないような果実が入っておるな・・・♪
して味は・・・、うむ、素晴らしい♪」
あれもこれもと、次々にケーキを口に運び、平らげていく真狐
海狸と少年は、真狐が食べ続ける様子を
微笑ましい物を見るような目で眺めていた




