第四話 強敵 前編 その2
「おかえり、散歩にでも行っておったのか?」
家に戻った少年が、小さく声を掛けながら玄関をくぐると、
既に起きていた真狐からの返事が聞こえてくる
居間に直行した少年が飲み物を見せると、
真狐は目を輝かせながら喜んだ
「それはあの美味しかったジュースではないか?
わざわざ買いに行ってくれていたとは、嬉しいのう♪」
「では良い時間じゃし、早速飲まぬか?」
少しでも冷やそうと、飲み物を冷蔵庫へ入れようとした少年に
真狐が提案する
外で時間を取られ、少し温くなってしまったことを説明するが、
早く飲みたいらしく、真狐の主張は変わらない
「夏じゃからと言って冷たいものばかり取っておると体に良くない、
少しくらい温くなっていた方が良いかもしれんぞ?」
真狐は単純に今すぐ飲みたいだけなのだが、
その通りかもしれないと思い、少年はジュースを真狐に手渡す
「おお、ありがとう、ふむ、前のと似ているが、
これは味が違うのじゃな」
真狐は差し出されたジュースを受け取って喜びながらも、
ラベルの絵を見て味を判断しているようだ
「ところで、お主の持っているのはあれか、
以前も飲んでいた炭酸入りというやつじゃな?」
何気なく少年が持っているジュースに目をやりながら
真狐が尋ねた
少年は、蓋に手を掛けつつ真狐の問いを肯定する
「あの舌がぴりぴりする感覚はどうにも馴染めんかったからのう、
あれがなければそちらも飲んでみたいのじゃが・・・」
真狐が少年の持っているジュースに目をやりながら、
なんともいえない表情で呟く
以前真狐に炭酸ジュースを差し出した時、
泡立つ不思議な飲み物に目を輝かせた真狐は、
景気よくそれを口に含んだ瞬間、思い切りむせてしまったことがある
どうやら舌に伝わる感触に驚いてしまったらしく、
あれ以来、炭酸飲料が苦手になったようだ
「まあ、慣れんものは仕方がない、大人しく自分のを頂くと・・・・・・、
ん・・・、んん・・・? よく見ると何やらおかしいような・・・」
ジュースの蓋を開けようとした真狐が、急に怪訝そうな表情になって
ラベルをしげしげと眺め出す
何をしているのか不思議に思いつつ、
少年は力を込めてジュースの蓋を回す
その瞬間、ペットボトルは軽い音と共に煙となってしまい、
1枚の木の葉だけが残った
呆気に取られた少年が真狐の方を見てみると、
真狐のジュースも同じことになったのか、その手には葉っぱがある
訳の分からない少年は、あらゆる角度から一通り葉っぱを眺め、
何が起こったのか真狐に尋ねようとしたが、
少年が口を開く前に、真狐は呆れた声でため息を吐いた
「はぁ~・・・、わしとしたことがこんな悪戯に引っかかるとは・・・」
「史陽よ、このジュースを買いに行く時、誰かに出会わんかったか?」
真狐の問いかけで、先ほど女性と出会ったことを思い出した少年は、
女性と出会ったことと、その女性に耳と尻尾が一瞬見えたことを離す
それを聞いた真狐は、更に深いため息を吐いた
「はぁ~・・・・・・、やはりのう・・・、
ついでに言うと、その女はわしよりも背は低かったが、
少なくともわしと同じくらい大きな胸をしとったな?」
その女性の特徴が、真狐の言うものと一致していたため、
驚いた少年は知り合いなのかと真狐に問いかける
「恐らく、な・・・、確か一昨日辺りに話したと思うが、
わしに妖怪の知り合いがおると言ったじゃろう?」
その言葉で真狐の話を思い出した少年は、
同時にその時話していた妖怪の特徴と、
先ほど出会った女性の特徴が一致していたことを思い出す
「思い出したかの? つまりはそういうことじゃ・・・」
「どうせ近くで見ておるのじゃろう? 海狸!」
開け放ったガラス戸に向かって真狐が呼びかけると、
縁の下から1匹の狸が顔を出す
そして家の中に入り込んだかと思うと、
いきなり音と共に大きな煙に代わってしまう
煙が晴れると、そこに狸の姿はおらず、
代わりに一人の女性が、まさに先ほど出会った女性が立っていた
「ふっふ~ん♪ 久しぶりだね~真狐ちゃん♪
元気そうでなによりだよ♪」
「久しぶりじゃのう海狸、それで、これはもちろんお主の仕業じゃな?」
手元の葉っぱを見せながら真狐が問いかけると、
海狸と呼ばれた女性は悪戯っぽい笑みを浮かべながら答える
「もっちろん♪ 久しぶりに出会ったんだから、
インパクトのある挨拶をしないとって思ったんだ~♪
ねえ、どう? 気に入ってくれた?」
「下らん悪戯じゃな、全く・・・」
相手の笑顔とは対照的に、やや憮然とした表情で呟く真狐
呆気に取られながら二人のやり取りを眺めていた少年だが、
突然女性が振り向いて話しかけて来た
「えへへ~♪ 早速また会えたね♪
初めまして・・・、じゃないけどまあいっか、ボクの名前は京風海狸、
もう分かってると思うけど、妖怪さ♪」
「改めてよろしくね~♪」
そう言いながら、海狸は笑みを浮かべながら
握手を求めるように手を差し出す
少年も流されるままに名乗り、
差し出された手を取ろうとしたが
「よせ、その手を取るとろくでもないことになるぞ、
何せそやつはわしより悪戯好きじゃなからな」
「あ~! 真狐ちゃんひど~い、そんなことないもん!」
真狐が少年を制止し、海狸がそれに反発して非難の声を上げる
頬を膨らませて真狐に何かを訴える視線を向けていた海狸だが、
突然向きを変え、少年に健気な視線を送りながらこう言いだした
「ねえねえ、史陽君っていったよね?
キミはボクのこと信じてくれる!?」
「さっきの悪戯はちょっとした茶目っ気みたいなもので、
本当はただキミと仲良くしたいだけなんだよ? 分かってくれるよね?」
瞳を潤ませながらそう主張する海狸だが、
真狐は冷ややかな目を向け続ける
「泣き落としなんぞ古い手を使いおって・・・、
相手にすることはないぞ」
お互いに対立する二人の主張に挟まれた少年は、
どうするべきか迷ってしまう
旧知の仲らしき真狐の言葉を信じるならば、
海狸は邪なことを考えている可能性が非常に高い
しかし人の好い少年は、出会って間もない海狸のことを、
ただの悪戯好きと切り捨てることがどうしても出来ない
散々迷った挙句、少年は海狸の差し出す手を取ってしまった
その瞬間、海狸は満面の笑みを浮かべ、
真狐は半ば呆れたような顔になる
「はぁ・・・、やはり取ってしもうたか・・・」
「わぁ~♪ 嬉しい! キミはボクのことを信じてくれるんだね~!」
「じゃあ、お礼にいいものをあげるね♪」
そう言いながら、海狸は握手していた少年の手を引き寄せ、
手のひらを上に向けさせる
そしてもう片方の手で握りこぶしを作ると、
少年の手の上まで持ってきた
「素敵なお礼は何かな~?♪ 何かな~?♪」
海狸はそのまま少年の手のひらに自分の手を乗せると、
軽く閉じられていた握りこぶしをゆっくりと解く
その瞬間、少年の手のひらに、何か動くものが触れる
「答えはね~、可愛い可愛いクモさんでした~♪」
海狸が手を退けると、少年の手のひらには大きなクモが乗せられていた
驚きのあまり、少年は大声を出しながらクモを放り投げ、
慌てて真狐の後ろに隠れる
「あはははは♪ こんなに驚いてくれるとは思わなかったよ~♪
ボク、キミのこと気に入っちゃった~♪」
海狸はお腹を抱えて大笑いし、悪びれる様子は全くない
自分の後ろに隠れてしまった少年に、真狐は呆れながら声を掛けた
「だから言うたじゃろうに、
こやつはろくでもない悪戯妖怪なんじゃよ」
「それと・・・、一応安心して良いぞ、
さっきお主が手渡されたクモは偽物じゃ」
その言葉に反応した少年は、恐る恐る自分が放り投げたクモに目を向ける
そこには畳を這い回るクモの姿などはなく、1枚の葉っぱだけが落ちていた
「こやつの変化術はな、今のわしどころか、
妖力が完全に戻った状態のわしよりもずっと長けておる」
「1枚の葉っぱを飲み物入の入った容器に変化させたり、、
精巧に動く生物にすら変化させることも可能なのじゃ」
少年は真狐の言葉を聞きながら恐る恐る葉っぱに触れてみて、
動き出さないか確認した後、すぐにそれを庭へ放りだしてしまう
そこでようやく胸を撫で下ろすと同時に、
海狸にやや恨みがましい目を向けてみる
「どうしたの~? そんなに見つめられたら照れちゃうな~♪」
しかし、そんな視線も全く意に介さない海狸に、
少年は諦めたようにため息を吐いた
「こやつは並みの神経ではないからな、
そのくらいでは動じぬよ」
「まあ、こいつがどういう奴かはお主もよく分かったじゃろう、
こいつの側では気を緩めるでないぞ?」
真狐の言葉に、少年は力なく頷く
ふと、少年は本物のジュースがどこへ行ったのか気になり、
海狸に尋ねてみた
「ああ、あのジュース? 結構美味しかったよ?♪」
その答えで、既にジュースがなくなっていることを悟り、
少年は肩を落とす
「あれあれ~? キミ、結構ショック受けちゃってる~?」
能天気な声を出す海狸に、少年は小さく頷いた
「当然じゃろう、小さな飲み物とはいえ、楽しみにしておったんじゃ」
「それにわしだって、こやつと一緒に飲むのを
楽しみにしておったのに・・・」
何度目かのため息を吐きだす真狐だが、
対する海狸はやや悪戯っぽい表情を浮かべる
しかし二人が気づく前に、その顔はすぐ普通の笑顔に戻ってしまった
「そうなんだ~、ちょっと悪いことしちゃったね~」
海狸はうなだれている少年に近づくと、
優しい声で話かける
「ごめんね~、そんなにショックを受けるとは思わなかったの~、
謝るから、許して欲しいな~、ね?」
怒る気力も湧かないのか、済んでしまったことを
とやかく言うつもりもないのか、
少年は、何とはなしに海狸を許した
真狐の方は、そう簡単に許すつもりはないのか、
小さく鼻を鳴らしながらそっぽを向く
「わ~、許してくれるんだ~♪ 嬉しい~♪
キミ、やっぱりいい人なんだね~♪」
「でも、そうだね~、全然お詫びをしないっていうのも、
バツが悪いかな~?」
「だ・か・ら~、キミのジュースを飲んじゃったお詫びに~・・・」
海狸の表情が突然変わったかと思うと、
今度は少年にもはっきり分かるほど、
妖しげな笑顔を浮かべ出す
そして、スカートの裾を摘まみ、
ゆっくりと引き上げながらこう言った
「ボクのパンツ・・・、見せてあげよっか~・・・?♡」
海狸の言葉に、少年は思わず息を呑んでしまった
持ち上げられたスカートは、柔らかそうな太ももを露わになり、
足の付け根が見えそうな位置まで来てしまっている
だが、それでも際どい部分で止まっており、辛うじて下着は見えていない
しかし、手で持ち上げているため、当然スカートが僅かに揺れ動く
その度に下着が見えてしまいそうになり、
我に返った少年は慌てて思い切り首を振り、強引に目を逸らす
「これ海狸! 阿呆なことをするでない!」
そこで余所を向いていた真狐がようやく事態に気付き、
大声を上げて海狸を制止する
「え~? 喜んでもらえると思ったんだけどな~?
ボクのパンツじゃだめ~?」
海狸は摘まんでいた裾を離し、スカートを元の位置に戻す
刺激的な恰好を止めてくれたことで安心した少年は、
ため息を吐きながら、気持ちを落ち着かせつつ海狸に視線を戻す
「下着がどうこうという意味ではなく・・・」
真狐が言って聞かせるように海狸へ話しかけるが、
その発言を遮るように海狸が声を上げる
「あっ、分かった~♡ パンツじゃなくて、
おっぱいの方が良かったんだね~♡」
そう言うと、海狸は突然上着を勢いよく捲り上げた
海狸の思いがけない行動に、少年は一瞬唖然とする
その巨大な胸を支えるブラジャーがわずかに見えた辺りで、
ようやく反応出来た少年は、先ほどよりも力強く
思い切り首を振った
「じゃから、阿呆なことをするでないと言うとろうが!」
先ほどと違い、すぐ側まで近寄っていた真狐が、
海狸の両手を掴み、そのまま服ごと下へ降ろす
「え~、これもダメなの~? じゃあ触らせてあげたらいいのかな~」
自身の胸を両手で持ち上げ、扇情的な恰好を取りながら、
悪びれることなくそう言ってのける海狸に、
真狐がきつい視線を浴びせる
すると、真狐が言わんとしていることを理解したのか、
海狸はすぐに自分の胸から手を離した
「やっぱりダメ・・・? ちぇっ、全部ダメか~、
このくらいの男の子なら、充分喜んでくれると思ったんだけどな~」
「あ、ひょっとしてもう真狐ちゃんの体じゃないと・・・」
「馬鹿たれ、そういうことではない」
いい加減呆れかえってしまったのか、真狐は静かな言葉で海狸の疑問を否定する
「え~、じゃあどうしてダメなの~?」
それでも食い下がる海狸に、真狐が口籠りながら答えた
「・・・史陽は、その、女慣れしていないのでな、
お主の胸は刺激が強すぎる、というよりもはや凶器じゃ」
頬を掻きながらそう呟く真狐と、少し極まりが悪そうに頬を染める少年
それを聞いた海狸は、きょとんとした表情で
少年に問いかけた
「え~、本当にそうなの~?」
海狸の問いに、少年が小さく頷く
「ふ~ん・・・? でもさ~、見たくないってわけでも、
触ってみたくないってわけじゃないんだよね~?」
「案外、心の中では真狐ちゃんともっといろんなことをしてみたいって、
いけないことを考えてるんじゃないの~?」
艶っぽく、どこか挑発するような目つきで問い詰められ、
少年は言葉に詰まってしまう
しかし、少年が口を開く前に真狐が助け船を出した
「いい加減にせぬか、こやつはそんなふしだらなことを
考えるような男ではない」
「へ~、そうなんだ~、ふ~ん・・・」
「・・・・・・はぁ」
全く納得していない様子の海狸に、
真狐が小さく息を吐く
「・・・・・・すまん、史陽よ・・・、
少しの間、海狸と二人で話がしたい・・・」
込み入った話をするつもりなのか、
真狐は少年に席を外すよう申し出る
その神妙な面向きに重苦しい雰囲気を感じ取った少年は、
慌てて自分の部屋へ上って行った




