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9、灰色の男


 昨日の余り物を詰めた弁当の味は、先程の赤石の言葉によって分からなくなった。


 これから柳の所へ行かなくてはならない。

 残り一日と四時間。落ち込んでいる暇は無い。しかしショックがないと言えば嘘になる。


 俺は重い腰を上げて、柳を探すためにぶらぶらと一階の廊下を歩き始めた。


 ――否定、出来なかった。


『君と僕は同じなんだから』


 あれは俺の……未来なのか?

 赤石が自分の末路であると、否定できる要素は何一つ無い。だから俺は赤石の死を信じたくなかったのだ。赤石がああなるのなら、俺がそうならない理由がなくなる。


 もし、このまま犯人を見つけられなかったら――その考えが過ぎり鳥肌が立つ。


 脳裏には未だに怯えきった赤石の姿が焼きついていた。言い知れぬ恐怖が、俺の中を駆け巡る。


 やめろ、そんな考え。


 無理に思考を振り払う。そうだ。今は赤石ではなく柳だ。

 状況的に河原崎が犯人である事は確定しているから、後はその動機を見つければいい。しかし赤石は知らなかった。そうなると残りの柳と大沼に期待するしかないのだ。


 しかしその柳は一向に見つからない。


 教室にはいなかった。廊下や他のクラスにもいない。適当に探せば見つかると思っていたが、何処にもいない。


 俺は反対側から来た他クラスの女子に目が留まる。確か柳と仲の良かった他クラスの生徒だ。すれ違いざまに声をかける。


「ちょっといい? 柳の知り合いだよね?」


「え、そうだけど。なに?」


 一方的に見かけただけの相手なので、こちらが尋ねる事は苦ではなかった。ただ相手はあからさまに警戒していた。


「ああ、いや。大した事じゃない。俺は柳と同じクラスでちょっと用事があるんだ……昼休み何処にいるか知らないか?」


 俺の言葉に女子生徒は警戒を解いた。


「柳かぁ。んー、柳は……私も知らない。あいつ、昼休みよく失踪するから」


「失踪?」


「ええ、なんか何処で何やってんのか知らないけど、たまにいなくなるのよ」


 気になるな。


「ところでさ、木戸ってヤツを知ってる?」

 突然名前を出せれて俺の心拍数が上がる。


「知って、いるが」


 本人であることは無意識に伏せた。


「どんなヤツ?」


 どんなヤツ?

 今目の前にいるのがそうだと言いたかったが、俺はあえてはぐらかした。


「何か用事あるのか?」


 女子が少し驚いて答える。


「用事なんてないけど、クラス全員の財布を盗んで、見え見えの嘘を吐いた馬鹿はどんなヤツなのかと思ってね」


 思わず拳を握り締めた。予想はあっても、心の深いところに言葉が刺さる。


 俺の様子に気づかない女子が、腕を組んで言葉を漏らす。


「彼のせいて私達の進路にまで影響が出るかもって話も聞いたのよ。ほんと、いい迷惑だわ」


 俺が木戸だと気づいていないという事は、この言葉は本気なのだろう。その事実が余計に辛かった。


「あなたもそうは思わない?」


「俺は……どうだろうな」


「あなたも被害者なんだから、もっと責めるべきよ。全く、そんな犯罪者は学校から消えればいいのにね」


 それが限界だった。

 俺は丁寧に礼を言って別れた。相手の女子は意外にも「あ、長話してごめん。よくわかんないけど頑張ってね」と最後に笑いながら声をかけてくれた。

 俺のことを知らないだけでこの態度だ。根は誰も悪いわけじゃない……それが逆に酷くやるせなかった。


 俺は先ほどの言葉を否定しようとして柳を捜すことに集中した。


 しかしそれから一階から三階を調べたが、何処にもいる様子はない。もう十分程でチャイムがなる。俺は三階をうろつくのをやめて階段へ向かった。


 すると階段で俺は、望みとは違う、もっとも会いたくなかった人物と鉢合わせた。


 ――なんでこのタイミングで。


「……山本」

「き、木戸くん」


 上から降りてきた山本と、下から上ろうとした俺が階段の折り返し地点で鉢合わせる。


 無視できる空気ではない。

 お互いに相手を意識して動けない状態だった。


 迷う。

 無視するか、喋り掛けるか。


 先ほど赤石から預かった予備の鍵の番号を伝えるという口実ならある。


 逡巡の末――よし。


 俺は決意して口を開く。


「山……」


 しかしすぐに。


「ごめん……木戸くん」


 そう言って身を隠すようにして、山本がさっさと降りて行く。すれ違う時に顔を盗み見たが、それは複雑な表情だった。


 怯えと蔑み。あと悲しみ。

 その顔を見ると俺は何も言えなくなってしまった。


 結局、俺は一人階段に残される。気持ちが分からなくもない。山本は未だに俺を犯人だと思っているのだろう。


 裏切られた悲しみ。

 貶められそうになった恐怖。

 犯罪者だという蔑み。


 その全ての心情が俺にも分かった。


「……予備の鍵の番号は、伝えなくてもいいか」


 気持ちを逸らす様に、誰に言うわけでもなく、言い訳を吐く。それでも意識は沈んだままだ。


 山本の表情が頭から消えない。


 失望。

 あらためて失ったものを見せ付けられた。


 俺は親しい者に悲しまれ、恐れられ、蔑まれる事がこんなにも辛いものだとは思わなかった。


 もし、このまま犯人として昔の友達や姉さんの信頼まで失ったら……。


 考えるな。俺はマイナス思考を再び振り払う。そして意識を別な方向へと向けた。


 再びの決意。


 ――河原崎を捕まえる。そうすれば全て解決する。


 やはり全てはそこに集約される。知らない女子生徒に蔑まれることもなくなり、親しい者の信頼を取り戻す事も出来る。


 そのためにも今は柳だ。


 残り時間もなく期待はしていなかったが、見るだけ見ようと四階へ上った。


「……あ」


 ところがそこに柳はいた。

 廊下で教師に捕まっている。相手は八組のリーディング担当で、俺とも面識がある三十路くらいの女教師。生徒思いの先生で、よく個別の補習をしてくれる先生だ。俺も世話になった事がある。


 どうやら柳が注意を受けているらしい。


「何してるんだ?」


 俺は時間もないので思い切って声を掛けてみた。柳はまずいところを見られたとばかりに舌打ちをする。


「あら、木戸君じゃない」


「柳が何かしたんですか?」


 そういうと先生は少しはにかんで。


「いえね、ちょっと成績のことで」


 柳の成績?


 そういえば柳の成績は素行の割りに低いとはあまり聞いた事がない。聞かないという事は大抵の場合は良くも悪くもないはずだが……。


「じゃあな」


 そういって柳は踝を返して階段を降りて行った。俺は呼び止めようとする先生をその場に残して後を追う。無言で先に階段を降りて行く背中に尋ねてみた。


「おい」


「なんだよ」


 足取りを止めず不機嫌そうに声を荒げる。


「いいのか、先生の話は?」


「どうでもいい。補習の事でたまたま捕まっただけだ」


 そういって降りて行く柳。このまま、河原崎の事も聞いてみるか?


 だが不機嫌な時に聞くべきでないとは思い、どうしようかと悩んでいると逆に声を掛けられた。


「てめぇ何なんだよ。後ろついてくんじゃねぇ。犯人でも捜してろ」


 柳が階段の折り返し地点で足を止めて振り返った。


「お前が犯人って言う可能性もあるだろ」


「証拠はあんのかよ」


「いや……」


「証拠もねぇのに、俺に張り付いてるなんて余裕だな。お前、明日の放課後に職員会議で処罰が決まるんだろ。あの女の話だと自宅謹慎になるとかならんとか」


 言い淀む俺を見て柳が嘲笑う。あの女とは女教師の事だろう。


「それがなんだ」


「じゃあ犯人を捕まえる期限は明日の放課後までだ。放課後の時点でお前の罰が決まる。それはお前に罪があった事が確定するって意味だろうが」


 釘を刺された。

 俺の中では十分にそのことを理解したから、明日の放課後をタイムリミットと考えていた。しかし土下座については心の何処かでもし無理だったらぼかして、上手く長引かせてしまえばいい、そんな甘い考えがあった。


「土下座は明後日の朝だな。明日の夜は中間テストの打ち上げがあるから、明後日の朝にお前はクラス全員の前で土下座して謝罪するんだ。僕が犯人です、皆の財布を盗んでごめんなさい。ってな」


 そういって笑う柳。神経を逆撫でられ、聞き返す。


「……俺が犯人を捕まえればお前が土下座するんだぞ? いや、お前が捕まる側かもしれない」


「出来るもんならやってみろよ」


 絶対に捕まえられないと思っているらしく、柳は断言した。そして怪訝そうに見ている俺を今度は鼻で笑う。


「それにお前、そんなに俺のことを疑ってないだろ」


「なにを――」


 図星を突かれて怯んだ。


「やっぱりな……俺を疑ってたらこんなあからさまなやり方はしねぇ。それにさっきの教師の方に尋ねる。で、本命は誰だと思ってんだ? 浅はかな木戸くんよ?」


 人を小馬鹿にする様にして言い放つ柳に俺は言い淀んだ。


「……まさかお前、河原崎とか思ってねぇだろうな?」


「なに?」


 柳の表情は至って真面目だった事もあり、俺はその言葉につい反応してしまう。


 河原崎について何か知っているのか?


 そう尋ねようとして、柳は――。


「クッ……ハハハハッ!」


 大声で笑った。


「ハハハ、なんだ図星かよ! ははっ、河原崎だけはねぇよ。理由もなく何か盗めるタマじゃねぇからな、あのヘタレは。その動機だって何もないぜ。バッカじゃねぇーの?」


 どうやら本当に可笑しいらしく、まだ笑い続けている。俺は怒りと同時に赤石の言葉を思い出した。


『河原崎君はちょっと無いかな』


 柳の態度を否定できなかった。状況的に河原崎しか犯人はいないのに、なぜ?

 反論しようにも二人に説を否定されてしまい、俺は口を噤む。


「何も言い返せないのかよ……こりゃダメだな。なんにせよあのヘタレだけは違うだろうよ。他を頑張って調べるんだな」


 笑い終えた柳は最後にそう吐き捨て、階段を降りていった。


 一人階段に取り残される。


 どういう事だ。

 犯人だと確信していた河原崎を一蹴されてしまった俺は、ただ拳を握り締めるしかない。


 頭は怒りと混乱が支配している。


 実際に赤石だけなら、ただ赤石が知らないで済まされた。だから俺は赤石の意見を真面目に捉えていなかった。


 しかし柳にまでこうして否定されてしまうと、本当に動機面で怪しくなってくる。少なくとも柳が何かを隠している様子はなかった。


 状況的に黒。動機的に白。


 俺の中の河原崎は段々と灰色になってくる。


 ――そんなはずはない。


 状況的に黒。

 それが正しい真実だ。確かに絶対的な証拠はなく、推測どまりではあるがまず間違いない。


 校舎に消えたのは河原崎だけで、内部犯である事は確実。そして他の連中にも殆どアリバイがある。


 そう自分に言い聞かせて俺は焦る気持ちを抑えた。


 しかし残された可能性は大沼のみ。


 河原崎とは一体どんな人間なんだ?

 ヘタレと言われる人間が盗みを働かなくてはならなかった理由とはなんだ?


 しかしその溢れ出す疑問は、すくざま五限のチャイムによってかき消された。




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