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7、スマートフォン


「T大の推薦は俺がいる限り無理だ。さっさと諦めろよ、木戸」


 ……。

 ……。

 正念場だった。


 五月中旬。三年に進級して初めての中間テスト。それは今後を――いや、三年間の集大成への最初の一歩。


 推薦で特に重視される三年一学期の成績を左右する前半戦。


 負けるわけにはいかない。誰一人として自分の前を走らせるな。勝て。なんとしても。


 敗北は過去の二年に傷をつける。

 勝利は三年目の飛躍へと繋がる。


 大丈夫。それだけの努力は支払った。それだけの時間も支払った。


 だが、障害もある。


 選抜クラス順位、一位。

 ――赤石。


 一年は俺も赤石も特進クラスで接点はなかった。しかし共に脱落者となった事でそれは大きく変わった。


 二年。幸か不幸か別々な組に分かれた。しかし言葉は交わさずとも同じ脱落者として、常に選抜のトップを争ってきた。進学希望先が公立T大学と人伝に聞いた時は武者震いすら起こしたのを覚えている。


 そして三年。

 俺と赤石はついに同じクラスになった。

 そして――テスト中にも関わらず俺は左隣の好敵手に意識を向ける。


 今は俺の隣にいる。


 試験直前に自分がいる限りT大の推薦は無理だと、俺に宣戦布告してきた相手。


 確かに公立T大学の指定校推薦枠は一つしかない。俺か赤石か、残るはどちらか一人。

 こいつに勝たない限り、公立T大学に進学出来る可能性はない……それを思うだけで敵意が全身を駆け巡った。


 しかし、赤石と競うのは不思議と楽しくもある。同じクラスになって赤石はプライドが高く、負けん気が強い事を知ったが、同時に元特進の意地がある事も知った。それからは何だか憎む敵というより、お互いを高めあえる好敵手と感じている。


 開始前の宣戦布告もペースを乱されるというより、こちらのやる気を出してくれる燃料になったと言っていい。


 こいつとならもっと上を目指せるんじゃないか? 一般入試で特進クラスの大学にも食い込めるんじゃないか?

 そんな気持ちすら抱くのだ。


 お互いに上に落とされた者同士、同じ境遇の良きライバルであり、倒さなくてはならない壁。


 それが俺の中の赤石だった。


 ――ふぅ。


 俺は最後の問題を終え、ペンを一度置いた。


 肩の力を抜き時計を見る。

 数学Ⅱの試験終了まで残り二十分。


 一通り解くのに三十分かかった。飛ばした問題は一問だけ。


 経過三十分、見直しに十五分、飛ばした問題に五分、合計五十分で試験終了。つまり予想通りだった。


 良し、順調だ。


 クラス二十八人が問題用紙と格闘する中で一歩リードを取った気がした。


 問題は隣の男。


 俺は一瞬だけ気が緩んだ。

 ずっとトップを争ってきた好敵手が気になって、思わずその表情を伺う。


 赤石はペンを既に置いていた。

 それは俺と同じく、問題を一通り解き終わった証だ。


 ――やるな。


 いや、そうは言っても所詮は学校の中間テストか。予備校や模試と比較すれば簡単な問題ばかりだ。だからお互いに現段階で解き終わっているならば、優劣をつけるのは解答の精度。


 ケアレスミスを如何にゼロに出来るかだ。


 実際、スピード勝負の第一ラウンドはほぼ互角で終了した。こっからは精度を求められる第二ラウンドになる。俺は答案に戻る前に、赤石の視線の先に何も考えずに目を向けた。特に意味はなかった。


 しかし、そう、それが全ての始まりだった。


 ……え?


『テスト中に絶対にあるはずがない物』


 それが、机の下で赤石の右手によって隠されている。


 そう。

 そう――スマートフォン。


「カンニング?」


 思わず、声が漏れた。


 静寂の中でその単語は二十八人の耳に響き渡る。


 空気が、凍りついた。


「……あっ」


 我に返り赤石と目が合う。


 俺は何事も無かったように視線を答案用紙に戻した。だが頭の中はパニックだ。


 ――赤石が、カンニングだと?


 幸い、さっきの言葉は試験監督には届かなかったようだ。ただこの近くの生徒には殆ど聞こえただろう。


 俺達の席は左端の一番後方に位置するから、周囲の生徒はこちらに振り向きたいが振り向けない状態なのだ。


 俺は、どうすればいい?

 携帯やスマートフォンは基本的に持ち込み禁止だ。ただ暗黙のルールとして目立って使用しなければ良しとされている。


 しかしテスト中にそれを見ていたという事はカンニング以外の何ものでもない。


 見逃すのか、それとも……。


 残り二十分、飛ばした問題以上の難問と戦う事になった。

 そして答えが出ないまま、チャイムが試験終了を告げる。


 答案が回収される。

 試験が一つ終わった開放感が教室に広がり、カンニングという発言への意識は弱まったのだろうか、特に俺に尋ねてくるヤツはいなかった。


 だが、今後の進路先を争ってきたライバルの不正行為。俺はそれの真偽を確かめずにはいられなかった。


「赤石……」


 俺は座ったまま微動だにしない選抜クラス一位のライバルを見下ろしながら言った。


「さっきのは、なんだ?」


 声は出来るだけ小さくしたが、自分の言葉に怒気があるのを感じた。


 それはそうだろう。ライバルと思っていたヤツがカンニングをしていたなんて、失望もする。加えてこんなにヤツに推薦を奪われるのかと思うと、怒りが込み上げてくる。


「なんのことだよ?」


 声が震えていた。動揺は手に取る様に分かった。悪い考えは確信に変わってしまう。


「お前、やったのか?」


「やってないね」


「俺は何をやったかなんて言ってないぞ?」


「詭弁が……」


 赤石はの表情は苦虫を潰した様になった。それでも赤石は譲らない。


「俺は知らない」


「知らないって何だよ」


「さぁ?」


「……さっきの事、教師に報告するぞ」


 赤石の顔から血の気が引く。だがしばしの沈黙の後、その表情が赤みを帯びてくる。


「だから、俺は何もしてない」


 ムキになって赤石が反論する。


「俺は赤石、お前が見ているところをこの目で見た」


 俺はカンニングを認めない事に、赤石は俺が引き下がらない事に、それぞれ苛立っていた。平行線の会話にお互い歯止めが利かなくなる。


「そんなのただの見間違えでしょ? テストに集中し過ぎて頭がおかしくなったんじゃないのか?」


「……選抜でトップ張ってたのは、カンニングのおかげかよ」


 俺の追い討ちに赤石は引き攣った笑い顔で言い返す。


「テストで負けそうだからって、言い掛かりは見っとも無いな木戸」


「カンニングしての選抜一位に価値なんて無いけどな赤石」


 ついに赤石が怒鳴る。


「だから違うって言ってるだろ!」

「どう違うんだよ!」


 俺もそれに感化されて怒鳴り返す。そして、赤石が立ち上がって叫んだ。


「俺がトップなのは、お前ら全員が馬鹿だからだ!」


 その言葉だけがクラス中に響き渡った。


 そう、クラス中に響き渡ってしまった。赤石はすぐにハッとした表情になった。


 クラスは先程とは打って変わって異常と言える程の静けさに包まれている。


 ただ、視線。

 無数の突き刺さる様な視線を感じた。


 ――地雷を、踏んだ。


 痛いほどの周囲の冷めた目。相手を見下すような、汚い物を見るような目。赤石の事ながら俺も焦った。


 輪の中からの阻害、排除の宣告。それが今、確かに下されたのだ。


「お前らが馬鹿だから――」


 この言葉が一瞬にしてクラスから赤石を排斥し、二十人以上の男女がたった一人に敵意を向ける状況を作り上げた。


「くそっ!」


 赤石は苦悶の表情を浮かべ、俺を押し退けて教室から出て行った。

 すれ違いざまに赤石が言う。


「覚えてろよ、木戸……」


 呆然と俺はその場に取り残される。それからは積を切った様に騒がしくなった。


「はぁ? なにあれ、調子乗ってね?」

「赤石って前からキモイと思ってたけど、死んだ方がいいよね」

「ねぇ、アイツさ、カンニングしたんでしょ? 誰か言ってたよ。最低じゃん」

「俺も聞いた。あいつカンニングしてるんだよ」

「うっわ、カンニングしたんだ赤石。それであたし等の事を馬鹿とか言ったの? マジ死ねって感じだよね」

「うっぜぇカスだな」

「それよくね? 今日からあいつは赤を垢にして、カスにしようぜ」


 次々と飛び出す非難に、俺は寒気を覚えた。


 だが、やはりそれが発端になった。


 それから五ヶ月。


 赤石はクラス全員からイジメを受けている。だからだろうか、今でも俺の脳裏にあの去り際の言葉が鮮明に残っている。


 覚えていろよ、木戸……。

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