3、焦燥の火傷
「だから、八組だけでも持ち物検査をすべきです!」
「お言葉ですが私の前いた学校では、それをやってプライバシーの侵害として裁判沙汰になりかけましたよ。それに貴重品の盗難は今に始まった事ではない」
「今回は規模が違う! さらに貴重品の盗難に場当たり的に設置した金庫も意味がなかったんですよ! もともとこの管理方式、見せ掛けだけの手抜きだと私はあれほど……ッ」
「そんな事より今は警察を呼ぶか呼ばないかです!」
「警察は教育機関して避けるべきだ。もし犯人が生徒だとしたらその子の一生を棒に振る」
「そんな事を言って本当は進学校の名を汚したくないだけなんじゃないですか? 保護者への説明はどうするつもりです!」
「よりにもよって海外の姉妹校との式典で校長が不在の時に……どうするんです教頭先生」
「い――今、下手に動くべきではないと思います。責任を取れる人はいませんし、せめて明後日の校長帰国後に最終決定すれば……」
「対応が後手に回ればそれこそマスコミと保護者の食い物にされる! 今打てる手は打つべきですぞ!」
「中身のアンケート出ました! 現金総額はおよそ約八万と七千五百六十五円。キャッシュカードや保険証は持ち込み禁止にしていた甲斐もありナシ。そのほかの中身は……」
俺は職員室隣の生徒指導室で待たされいる。その間は壁が薄い事もあって職員会議の内容がちらほら聞こえてくる。
溜息を一つ盛大に吐いた。
「ここで待っていてね。大丈夫、ちゃんと事情を話せば皆助けてくれるよ」
大沼は笑って言った。
俺はこれからどうなるんだろうか。
あの状況から助かったが、それも一時的なものだ。クラスでは確実にイジメが始まるだろう。何とか学校側が動いてくれる様な事を言っていたが、表立って何かできる訳ではない。
つまり犯人捜査は学校に任せたとしても、イジメは自分で対処しなければならない。
だが教室では俺の言葉を信じてくれる生徒はいない。誰もが犯人だと思い敵視している。
耐えるしかないのか?
ボールを腹に蹴りこまれ、頭を踏みつけられて笑い者にされている男子。校庭でのその光景が過ぎりぞっとした。
今度は俺が――。
正直、耐えられる自信がなかった。
待っている間はそんな事ばかり考えていたせいか、無駄に精神が磨耗する。
「お待たせ」
ドアが開く。気付いた時には隣の職員室は静かになっていた。一時間くらい経っただろうか。
それでも思考が悪い方にばかり行っていたので、教師の姿を見て安堵の溜息が出た。
大丈夫です。
そう、笑って返そうとして言葉を飲み込んだ。
……一人じゃ、ない?
他にも教師が入ってくる。四、五人……いや、十人? なぜこんなにも多い?
しかも全員が体格のいい男達だ。
悪寒がした。
まず一人は俺の正面に座ったが、残り全員が俺を取り囲む。教室と同じ緊張感と恐怖感。そう、敵意だ。
明らかに俺を威圧している。
俺を犯人扱いしている?
だとしたら事情を聞くという生ぬるいものではない。これから始まるのは恐らく尋問だ。
俺を思わず生唾を飲む。そして正面に座った教師が口を開いた。
「ではまず、六限の体育にいなかったそうだが、どこで何をしていたわけ?」
十人の体格のいい男達に威圧される中、エスケープした事も話さなくてはならない。そう考えるだけで全身が軋んだ。
「体調が悪く、休んでいました」
サボったとは流石に言えない。
「どこで?」
「校舎脇の木陰です」
「ふーん。で、それを証言できる人は?」
先程殴られた腹が急激に痛む。
――お前がやったんだろ?
そんな本心が聞こえた気がした。
「いません……」
目の前の教師がほれみろ、と言うように嘲笑う。
「アリバイはなし、か」
「俺を疑ってるんですか?」
教師は俺の質問を無視して続けた。
「なんで金庫に鍵をかけなかったの?」
「それは……」
俺は目を逸らしてしまう。
「既に金庫に鍵が掛かっていたからです」
「はぁ?」
「それに担当者の札が山本と書いてあり――」
「嘘を吐くなよ!」
俺の左側にいた体育教師が突然、テーブルを叩き耳元で急に怒鳴った。怒鳴られて俺は硬直する。その間に正面の教師が体育教師を宥め、話を続けた。
「でも確かに随分とおかしな話だよな? クラスの皆は今日の担当者は君だったと言っているし、山本は鍵をしていないと言っている」
「しかし現に鍵は掛かっていたんです」
「だからそのままにした? でもそうなると今度はなんで山本さんに確認しなかったの? 鍵を閉めたかどうか」
「前にもよく、その、休み時間に体育委員の片方が用事でいない時は、気を使ってもう一人が代わりに閉めていたので、今日のも」
「じゃあ、明らかに君の不備なわけだな?」
「ッ……た、確かにそうですが、でも」
「ちゃんと確認しない君が悪いだろう。盗難事件の責任の一端は君にあるわけだ。すなわち君がちゃんと管理をしていなかったが為に起きた事件というわけだ」
断言。しかも言っている事自体が間違っているわけでもない。さらに一端、等と言いつつ、その言葉尻には全部お前の責任問題だと非難しているのがありありと分かった。
「でも、そもそもこの学校の管理は前からずさんだった――」
「どの口が言う! 今度は責任転嫁か! ええっ木戸!」
再び怒鳴り散らしたのは先程の体育教師であった。その体格と威圧的な言葉から、明らかな敵意と怒りを感じる。それはそうだろう。
責任の一端は自習の受け持ちであった体育教師側にも行く。この男も追い詰められているのだと、恐怖の片隅で思った。
「そうではありません。ですが言われた通りに管理していたしても――」
「適切に管理していたらこんな事件は起こらなかったはずだッ! それとも何か、問題は制度にあって自分には落ち度はないと言いたいのか!」
「違います! ただ、ですがッ!」
唇を噛む。何を言っても通じる気がしない。だがそう思ったのは俺だけではないらしい。
「まぁ佐山先生も落ち着いて下さい。何も彼だってそこまで言いたいわけではないでしょう」
そう体育教師を制して、正面の教師は俺に再び口を開いた。
「でもやはり今回の事件の原因は君のずさんな管理だろ。その責任については分かっているよな?」
「確かに自分の管理に問題があったのは事実です……でも、それよりも、金庫に偽物の鍵をした奴がいる事の方が問題だと思います」
「だけどねぇ……」
そういって言葉を止める。わざとらしい沈黙。他の教師も同様の目だった。これは、そう……。
「君、アリバイないよね?」
疑惑の眼差し。クラスの連中と同じ目。
「なぁ木戸、今ならまだ、警察沙汰にはせず軽い処分で済むぞ?」
責任追求から一転、今度は犯人と仮定して尋問している。責任問題はただの非難する建前。本音はこっちか。
――ふざけるなよ。
「俺がやったって言いたいんですか?」
「残念だけど、君の言い分を証明する証拠は一切ないな」
「鍵はッ――確かに掛かっていたんです!」
「なぁ、よく考えてみろ、誰がわざわざそんな手の込んだ小細工をして貴重品袋を盗む?」
「盗む動機がないのは俺だって同じ――」
「あるだろう」
なんだと?
貴重品袋を盗むなんて理由、俺には――。
「推薦の費用」
眩暈がした。教師達は急遽、推薦が決まり金が入用になったと、それが動機だと思っている。
「い――いい加減にして下さいよ……ッ」
椅子から思わず立ち上がり、拳で机を叩く。だがすぐに横にいた体育教師も怒鳴り返す。
「いい加減にするのはお前の方だ! 下手な言い訳をしても裏は取れてるんだよ! 鍵が掛かっていたなんてそんな幼稚な嘘は通じねぇぞ!」
体育教師は次々と怒鳴りつけてくる。他の教師は誰も止めない。
「違います! 俺はやってないです。どうしてッ、どうして誰も信じてくれな――」
ようやく搾り出した懇願もすぐにかき消された。
「何が違う! 最後に鍵を閉める担当はお前で、その上授業中もいなかった。お前以外に考えられないんだよ! 自分だって分かっているんだろう!」
違う、俺じゃない。俺じゃないんだ。
「どうして……ッ」
あまりにも通じない言葉は、やがて怒りよりも他の感情を起こさせる。失望と悲しみ。
なぜ、誰一人として信じてくれない。教師達だけじゃない。クラスの連中もそうだ。どうして誰も俺の言葉を信じてくれない。
「ああ? 聞こえないぞ! もっとハッキリ言え!」
唇を再びかみ締める。泣きそうになった。
最初から犯人だと断定してかかってくるその事実は、もはや恐怖や怒りではなく、ただ悲しかった。
俺がやや顔を伏せたのを言いことに隣の教師は怒鳴り続ける。本人の事情を聞きもしないで、初めから犯人と決め付けていたのは明白だ。脅せばすぐにビビって吐くと思っているのだろうか。
「何とか言ったらどうだ、ええ! だんまりしてれば罪がなくなるわけじゃねぇぞ! 自分がした事が分かってるのかッ!」
ああ、くそッ。
俺は拳を握り締める。だが弱みは見せたくない。どっちにしろ、味方なんていやしない。
なにより、もう我慢の限界だった。
「先生……ッ」
悔しさと悲しさと怒気を込めて叫ぶ。
――仕掛けたのはそっちだからな。
無意識に拳を握り締めた。
「いくらなんでもこれはやり過ぎですよ! この話、県の教育委員会に持って行きますッ」
相手がその気ならこちらも容赦はしない。
これは教師がやる尋問ではない。教育者の態度ではない。
が、しかし。
「いいよ、行けよ」
「ぇ――」
正面の教師の予想外の一言に、いきなり出鼻を挫かれ思わずたじろいだ。どういうつもりだ。
「もし君が教育委員会にこの件を持っていけば、代わりに我が校は君の貴重品袋の管理不届きで、管理者であった君とこの方式を決定した私、そして隣の体育教師である佐竹先生。この三人にそれ相応の処分が下されるだけだから」
絶句した。
脅迫と変わらない。犯人でなければ責任者として処分する。逆に責任を逃れるならば犯人として追求する。俺を攻め立てる目の前の教師、二人との道連れ。
これが、教師のやる事か。
呆然とし、絶望的な思いに駆られる。しかし教師の意図は分かった。
――俺が“犯人”である事は揺るがないのだ。
教師陣の意図。彼らにとって俺は鍵がしてあろうが、なかろうが、犯人なのだ。つまりそう、管理者として犯人が見つからなければ責任を負わせ、犯人ならばこのまま教育者としてあるまじき追求を続け口を割らせ自供させる。どっちに転んでも責任は俺に来る。
そしてその根本にあるのは一つの思い。
「そんなに………………体面が大事ですか」
俺は焦点の定まらない目で独り言の様に呟く。彼等はこの事件に何の決着も着かないことを、事件が混迷しさらに大きくな騒動になることを恐れている。
それに正面の教師が同じく独り言の様に答えた。
「私達が守っているのは生徒一人一人だ。だが厳密には、学校を守る事でそこに在籍する生徒一人一人を守っている。このまま何かしらの決着のないままにする事は、学校の体面上できない。どれだけの学生の進路に、将来に影響が出るか。なぁ佐山先生?」
名前を呼ばれた体育教師の佐山も苦虫を潰す。
それで悟る。犯人が見つからず管理者の俺と監督者の体育教師佐山、そして管理方式の発案者である目の前の教師がそれぞれ責任を取るか、或いは俺一人が犯人として罰せられるか。その二つしか決着はない。
――もしここで「俺がやりました」と言えば、問題は大事にならず解決するのだろうか?
一瞬だけ、そんなあまりにも馬鹿げた考えが過ぎり頭を振った。そこに付け入るように目の前の教師が今度は穏やかに言う。
「さて木戸。さっきはああ言ったが私達も鬼じゃない。君が早く認めて財布を返してくれれば、全部丸く治めようじゃないか。なに、魔が差すことは誰にでもある。お姉さんの為だったんだろう? 今ならちょっとした事故で全て済むんだ。誰も君を責めはしない、よーく考えるんだ」
そういって柔和な顔をした。
――よくも、こいつはぬけぬけと。
変わらない。優しく言っているだけで、犯人だと決め付けている事になんら変わりはない。味方を装うフリをしてるだけ。
――だが……このままでは、本当に“一人の学生”として殺されかねないのも事実。
おそらく犯人は見つからない。教師もクラスの連中も俺が犯人だと、心のどこかで違うとは思っている。もはやそういう流れに全体が傾いてしまっている。味方もいない。希望もないのだ。打つ手もない。
そう、どうしようもない所まで来ている。
「…………………………それが、どうしたよ」
そんな思考に飲まれ、自分が如何に追い詰められているか気付く。怒りが込み上げそれを小声でそのまま吐き捨てた。
――ふざけるな、俺はなんのためにこの三年頑張ってきた。
ようやく手にした公立大学特待生への道を手放すのは姉さんへの、そして自分への裏切りに等しい。それは例え何があったとしても、できない。否、認められない。
――こんなところで折れるものか。例え教師も敵に回したとしても。
俺は、気力を振り絞る。答えは決まっている。
「………………です」
「え?」
「…………ないです」
「何だって?」
「やってないです」
そう、ハッキリと言ってやった。
正面の教師の顔が歪む。しかしすぐに別な教師が怒鳴り返す。
「お前しか考えられないんだよ! 今のうちに吐いちまえ!」
「やってませんッ!」
努めて冷静に、自嘲気味に、けれど揺るがず。
これでいいんだ。
あとはもう気力との勝負だった。
それから俺はただ、壊れたテープのように「やってません、知りません」を繰り返し続けた。
教師は怒鳴り、机を叩き、時には優しさを装い、時に罵り侮蔑し、俺が犯人である事を認めさせようとしてきた。
「誰がなんと言おうが、俺はやってませんッ!」
そして……二時間。
百二十分に渡る恫喝の末に、俺は朦朧とした意識で生徒指導室から放り出された。