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18、素顔


 視聴覚室で他二人の生徒を無視して、俺と柳は睨み合っている。互いに微動だにせず。


 片方が俺を小バカにした様な口調で言う。


「いまさら何のようだよ。また頭でも下げに来たか?」


 しかし今は全く気にならない。俺は柳の目を見てハッキリと誘った。


「――財布の中身について、サシで話がある」


 目の色が変わる。柳だけ動きが完全に停止した。他の二人は会話の意味が分からずただ首を傾げている。


 しばしの沈黙の後、柳が他の二人に言う。


「お前ら、もう時間だから先に行け。俺はコイツと話をつけてたら一人で行く」


 柳はそういって二人を先に行かせた。


 首を傾げはしたが特に二人とも異論はないようで、出る時にこちらをチラ見したくらいだった。そして防音扉は閉ざされ、視聴覚室には俺と柳だけが残される。それからしばらく沈黙が続き。


「それで?」


 無音の視聴覚室に柳の問いが響く。俺は柳の前の椅子に腰掛けて、言葉を選び、際どい所から入った。


「……いつから、やってるんだ?」


「何のことだ?」


「この部屋での事だよ」


 目に見えて柳の顔から血の気が引く。


 流石に予想外の切り出しだったらしく再びの沈黙。こちらの真意を図っているのだろう。


「この視聴覚室が何だって言うんだよ?」


 しかしすぐに表情を立て直し、当たり障りのない反応をされる。


 柳が薬をやっているのは、ほぼ確定的だ。

 そしてその証拠はおそらく盗まれた財布の中に入っている。


 ここからは俺の推測だが、柳は今回の事件で一番とばっちりを受けた人物だ。思えば一番財布に拘っていたのこの男だった。わざわざ俺のバッグを漁ったのも、財布を回収するため。俺に啖呵を切らせたのも、探させるのが目的だったのだろう。だからさっきすれ違いざまに『ガッカリだ』と言った。柳にしてみれば、俺の事などは本当のところどうでもよく、大事なのは財布の中身が無事に手元に帰って来ることだ。


 そして中身は――ドラック。


 財布の中に薬があり、その財布が落し物として見つけられて、薬を所持しているのが発覚するという事は実際にある。


 ただ問題は。


「なんか俺がヤバイことやっているって、証拠でも出てきたのかよ?」


 そう証拠がない。

 すれ違いざまに甘い香りを嗅ぎ取ったこと以外に提示できる証拠がないのだ。錠剤の袋を出しても白を切られたら終わる。下手なやり方をすれば取り逃がす。それはもう、解決への糸口が閉ざされるのと同じだ。


「……質問を変えよう。じゃあ、いつも一人でいるのか?」


 質問には答えずに再び質問を重ねる。沈黙が降りた。そして柳は慎重そうに、試す様に答える。


「……ああ、一人だが?」


「じゃあ、昼休みは毎回ここに来るのか?」


 俺の返答を聞いたその時、柳の表情に変化があった。


 なんというか、安堵というか、脱力というか、少しだけ空気が和らいだ様な錯覚を受ける。


 なんだ?


「毎日じゃねぇがよく来る」


 今度は断言した。それに違和感を覚えるが、既に遅い。


「木戸、残念だがもう六時だ。そろそろ行くぜ」


 そうして柳は立ち上がる。


「ま、待て!」


 バカな。

 どういう事だ? 間違えたのか? 何を?


 俺は慌ててポケットに手を突っ込んだ。


 ――切り札。


 それを切った。


「お前が財布に固執するのはこれが理由じゃないのか?」


 そういって柳に袋を突きつける。


「………………そんなゴミ、俺は知らねぇが」


「この薬の残りは俺が持ってると言ってもか?」


 一瞬、柳から表情が消える。


 ――当たりか。


 が、しかし。


「下らねぇ」


 柳は踵を返した。

 思わず愕然とする。これは柳と関係がないのか? じゃあこれは一体――。


 しかしそんな思考の間にも柳は横を通り過ぎていく。


「ま、待て、話はまだ……」


 何を間違えた?

 柳は今の俺との対話の中に危惧している事がないと勘付いたのだ。


 しかし一体、どの部分に?


「うっせぇよ。テメェはもう終りなんだ。せいぜい、逃げる言い訳でも考えてろ」


 そういって教室のドアを開ける。


『お前が財布に固執するのはこれが理由じゃないのか?』


 違う。反応はあったが、それよりももっと前だった。


『昼休みは毎回ここに来るのか?』


 これか?

 いや違う。もっとだ。もっと前だ。そこじゃない。


『いつも一人』


 そうだ。引っ掛かったのはおそらくその部分。

 しかしなぜ?


「おい、早く出ろよ。鍵は俺が持ってるんだ。お前も帰るんだろ、さっさ出ろ」


「あ、ああ」


 何かが分かりそうな気がする俺は、椅子を立ち上がる姿勢のまま曖昧に返事をする。


 ……つまり一人ではないから安心したのか?


 薬は二人で使用している?


 じゃあ一体誰と?


「急げよ、鍵を閉めんだから」


 苛立った声で急かされる。


「い、今行く……」


 さっきの二人なのか?


 いや、それだとそもそも『一人』と聞かれても柳が安心する意味はない。


 なぜ『一人』だと安心できるんだ?

 河原崎か? いや違う。それはさっき否定した。

 だがそうすると柳にとってそんな相手が――。


 いいや、違う。


 ――もし、二人でなければ出来ない事だったとしたら?


 そこで全く想定外の別な人物の顔が過ぎった。


 まさか。


 いやそれはない。

 ……それはないが、もしそうだとするなら、あの甘い香りの正体は薬ではなくなる。


 俺の中で全く新しい推測が生まれた。


 だがそれで繋がる。視聴覚室、甘い香り、失踪……。

 都合の良い解釈。そう思う自分がいる半面でだがもうそれしかないとも確信する。


「おい、いい加減に」


 ――賭けるしかない。


 俺は柳が怒鳴るのを遮って尋ねた。


「こ、腰は痛くないか?」


「…………はぁ?」


 正直、我ながらもっとマシな聞き方があるだろうと思った。柳も意味が分からず口をポカンと開けている。


 だが、それしかない。俺は意味深に取れる様に緊張感を込めてハッキリと言った。


「……だって、よく“あの人”とやってるんだろ?」


 一瞬だけ眉をひそめて、柳が硬直して表情が強張っていく。何か言おうと口を開くが、言葉が出ないらしい。


 ――やはり。


 俺は推測が的中したと思った。


 柳がここへ来ていたのは薬なんかじゃない。

 そう、別の理由だ。


 柳はリーディングの女教師と肉体関係を持っている。


 昨日の昼休みに柳と話していた教師だ。あれは捕まっていたわけではなく、二人して事情を終えて出てきたのだろう。


 なぜか鍵の閉まっている視聴覚室に出入りできるのか。確かにこの教室は防音で映像の視聴用にカーテンがあり事情には最適な場所。


 ゴミ箱にやたら多かったテッシュ。それは事情を終えた後の片付けに出たものだろう。


 そして柳から感じたあの甘い香り。あれは薬の匂いではない。『香水』の匂いだ。抱き合っている時に、むしろ抱き合ってでもいない限り移りはしないそれだ。


「……どいう意味だ」


 柳は扉を閉めて中に戻る。


「不思議だったんだ。お前が何でこの視聴覚室の鍵を持っているか。そして自由に出入りできるのか。それに完全防音で外から見えないこの部屋は『事情』に最適じゃないか」


 はっきりと意味が伝わったのだろうか、柳は目を閉じて黙った。


 相手はリーディングの教師。この視聴覚室の担当教師でもある。その相手と密会しているのだから、鍵を自由に使えたのだ。


「さらにお前が薬を使っているじゃないかと考えてゴミ箱を漁った時に、やたら大量のテッシュが出てきた。さらにお前からした甘い香りだ。最初、薬の匂いかと思ったがあれは香水の匂いだったと考えれば説明がつく」


「……全体的に証拠としては弱ぇな」


「昼休みにお前がいなくなるのは周知の事実。そして香水やテッシュの事があれば、誰もが疑うだろう。噂は真実よりもよりも強い。それは冤罪を掛けられた俺がよく知っている……それにこの薬だ」


「なに?」


「これは少なくともお前――いやお前達のである事は確かだろう。なにせ他にこんな物を捨てる人間はいないからな。なら二人の事情に関係したものと考えられるわけで……どうする、これが一体何なのかあらためて病院で調べてみるか?」


 その言葉に柳は沈黙した。


 彼は目を逸らしカーテンの閉まっている窓を見つめた後、舌打ちをしてから、ドカッと倒れ込むようにして俺の正面の椅子に再び座った。


「……匂いは、迂闊だったな」


 吐き捨てる様な口調だった。


「ああ、ヤってるよ」


 言葉とは裏腹に思いの外、柳は落ち着いている。もしくは癇癪を押し殺している様にも見える。


 しかし俺は自分で言った割りに、かなりの歳の差からイマイチ納得がいかなかった。自白したとしても女教師と柳は十二歳も違うのだ。

 顔色を伺いつつ恐る恐る尋ねた。


「……だがお前、意外だな。三十路近い相手に惚れ――」

「こっちだって好きで抱いてんじゃねぇんだよ!」


 静寂を引き裂く様な強烈な怒声。俺は思わず気圧される。そして柳はこちらを見ずに呟くように言った。


「……誰が好き好んで抱くかよ、あんな女」


「は? お前が手を出したんじゃないのか?」


 吐き捨てる様に屈辱的な表情で柳が言う。


「……成績だよ。俺が喰ったんじゃねぇ。俺が――喰われたんだ」


 ――あ。


 俺はその言葉に面談時の資料に書かれた一文を思い出す。


『リーティングに関しては前まで赤点で留年の危機があったが、ここ最近は改善されている』


 取引したのだ。

 二人の関係は恋愛等ではない。柳は顔も体もかなり良い部類に入る。あの教師は迫ったのだ。成績を交換条件に肉体関係を。


 女教師に対する恐ろしさと同時に、その取引に柳が応じなければならなかった事実に、凄まじい気持ち悪さを覚えた。


 赤石、河原崎、俺……そして柳までもが成績に追われ、成績を追っている。事件前に漠然と思っていた気持ち悪さがリアリティを伴って今、目の前にあった。誰もが淀みに飲み込まれている……。


 だがすぐ俺の思考を遮って、自棄になった様に柳が言う。


「で、俺は何をすればいい? 土下座か? 自主退学か? それともテメェの奴隷として生きようか?」


 その言葉は自嘲的にせせら笑う表情に反して痛々しかった。


「どうせいつかは破綻する綱渡りの生活だったんだ。覚悟は決めてある」

「いや、俺は別に――」

「テメェだっていい気味だろッ! 笑えよ! 人を散々貶めてきたヤツが、女教師の脅しにいい様にされてんだぜ? 滑稽じゃねぇか」


 止まらない柳の自虐に黙らせる意味も込めてハッキリと言う。


「柳、なら俺と手を組め」


「――なに?」


 目を見張る柳に畳み掛ける。


「盗難事件の犯人が分かった。ただし俺一人じゃ追い詰められない。明日の朝が最後のチャンスなんだ。だからこの件は見逃す。協力して欲しい」


 柳が呆れた様子でこちらを見る。


「馬鹿か……信用ならねぇよ。どうせ都合良く利用して捨てるんだろ。さっきの土下座と一緒だ。させておいて嘘でしたってオチだ」


「俺は推薦が取り戻せればそれでいい。財布に俺は関与しない。それに、お前を信じてる」


 俺は柳を説得するのに、姉さんの言葉を借りた。


 しばし柳と見詰め合う。そして頭を掻きながら、やはりこちらを見ずに柳が言った。


「信じるってアホかよ……そもそもなんで信じるんだよ?」


「理由は二つ」


 俺はなるべくありのままを告げる。


「一つはお前がバッグを漁っていた事だ」


「ん? ……ああ」


「本当はあの時、お前は焦っていたのだろう。だからあんな真似までした。それだけじゃなく、俺をけし掛けた。だからさっき俺に対してガッカリしたと言ったんだろ」


「それで俺がマジだと分かり安心したと?」


「……もう一つある」


 これでダメなら、説得は無理。その覚悟で切り出す。


「お前が母子家庭だから」


 柳の動きが止まった。表情がしまる。


「……テメェ、知ってたのか?」


「ああ。犯人を調べている途中に知った」


 柳が小馬鹿にした様に笑う。


「母子家庭だからなんだよ。まさか親を脅迫しようなんて」


 違う。そうじゃない。


「俺は両親がいない」


「――ぇ」


 柳が目を見張る。

 俺は初めて同年代のやつに家のことを話した。他のやつには、山本にも言っていないことだ。


 俺は柳が自分と同じだと信じた。


 ――だからお前は就職という進路を選んだんだろ?


 視線が絡む。


 だがすぐに柳は目を細めた。憤りと申し訳なさを同時に感じた様な、感情を持て余している複雑な表情。


「……てめぇが成績に固執する理由はなんだ?」


「俺を一人で養ってくれた姉さんのため」


 俺は思いを込めて言い切った。


「そうか」


 安堵の中に自嘲が混じった様な消えそうな声だった。


 それから柳はうな垂れて動かなくなる。三度目の沈黙。


 俺はその間、祈る様にして答えを待った。


 そして顔を上げた柳の表情は――。


 ああ、初めて、かもしれない。


 柳という人間の素顔に触れた気がした。


「……聞くだけ、聞く」


「え?」


「聞くだけだ。やるかやらないかは俺が決める」


 俺は思わず喜びで浮き上がる腰を何とか抑える。すぐにでも話そうとしたが、本題の前に二つ気になっている事を尋ねた。


「その前に、柳にもう二つ聞いてもいいか?」


「なんだよ」


 俺はさっき柳に突きつけた錠剤の入れ物を取り出し、柳に投げた。


「この薬は一体なんだった――」


「アフターモーニングピル」


「なに?」


「ハッ、緊急用の経口避妊薬だよ……国外の品だからとゴミ箱に捨てたのも失敗だったな」


 柳は一人笑う。


「あの女はな、ストレスが溜まると急な“呼び出し”をする。俺が時折消えるのはそれだ。そんでその時にそいつを使っていたんだよ。流石に使用済みのゴムを捨てる訳にはいかねぇだろ…………で、もう一つは?」


 あまりにも淡々と事情を語る柳に気圧されつつ、もう一つの質問をする。


「あ、ああ……じゃあ財布の中身ってなんなんだ?」


「あれか? マイクロSDだ。後は分かるだろ。もしもの時のために行為を隠し撮りしておいたんだよ。女教師を道連れにするためにな。だだ財布の中といっても、細かく調べなきゃ見つからない場所に入れてあるから、見つかりはしねぇだろうけど」


 動画だったのか。俺は土下座の動画やこれまでの事を含めて、柳はかなり用心深い男なのではないかと思った。


「分かった。じゃあ本題だ。明日、柳には財布の回収をして欲しい」


「財布の回収?」


「ああ。明日の朝に財布を戻しにきた犯人を捕まえて財布を回収して欲しい」


「犯人が戻しに来るのか?」


「くる。そのために今日のクラス会で河原崎に、三つの情報を流して欲しい」


 河原崎の名前が意外だったらしいく柳が怪訝そうな表情をして何かを言おうとしたが、すぐに飲み込んだようだ。


 それを見て俺は続ける。


「まず、俺が今日の会議で正式に処罰が決定して、明日から自宅謹慎で学校に来ないって事。加えて自宅謹慎により推薦が取り消された事。そして俺がその処分に反発して明日にでも警察に被害届けを提出するという事。この三つを伝えて欲しい。もちろん嘘だが」


 柳が頷く。


「それとこれから一緒に教室に来て、金庫の中に何もない事を確認し、金庫に財布を戻したのが俺ではないとアリバイも一緒に証明して欲しい」


「分かった。だが俺からも聞きたいことがある」


「なんだ?」


「どうして犯人は金庫内に返す?」


「犯人の目的は『盗難』という事件にある。中身は目的じゃない。だから最も安全で、返した人物の特定を防ぐためにすぐには見つかり辛いところがいい。そうなると金庫しかない」


 それに金庫なら俺が犯人であることを強調できる。まさに絶好の機会。


 それだけ聞くと柳はおもむろに立ち上がった。


「分かった。協力はする。だがテメェと馴れ合うつもりも、今までの事を謝罪するつもりもないからな」


「構わない。ただ目的は同じだ。それは忘れないでくれ」


 再び視線が絡んだ。

 俺達は二人揃って無言のまま視聴覚室を後にした。


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