14、決定的証拠
「……あと一時間で全てが決まるわけだから、覚悟だけはしときなよ」
大沼はそういって職員室へ向かった。
放課後になり、最後の時間が巡ってきた。先程の授業のエスケープは既にその担当教師に謝罪してある。
HRが終わり生徒達が帰り支度を始めている。
予定だと会議は五時に終わり、結論が出たら呼び出しの放送をかけると大沼は言っていた。
現在四時。残り一時間。
――柳を追い詰められるかは際どい。
視聴覚室から見つかった錠剤の入れ物と柳から匂った甘い香り。
しかしそれだけ。
河原崎が柳に協力した決定的な動機か証拠も足りない。それをこの放課後で見つけられるか見つけられないか。
これが事実上、最後のチャンス。
教室から出て行く河原崎達の後を、下校する生徒達に混ざり追う。今日はクラス会が夜からあり、学校から行った方が近いため直接向かうらしい。それまで校内の何処かで時間を潰すのだろう。
柳、河原崎、そして他二人で昇降口の方へ移動して行く。
基本、このメンバーから河原崎が離れる事はないだろう。だとしてもこちらが犯人を特定したと言えば、河原崎は付いてくるしかない。
だから特に呼び出す事はしなかったし、どちらかと言うと柳と河原崎の間で、その決定的なやり取りが起きる事を俺は期待している。
どう行動を起こすか……そう考えを巡らせた時だった。
「じゃあ、先帰るわ」
「おう」
昇降口を出た所で河原崎がグループから外れ、一人校門へと向かう。
――なに?
河原崎だけ先に帰るのか。どうする、このまま後を追うか。
もう時間はない。帰宅されたら手立てはない。何かしら行動を起こさないと。
――いや、むしろ好都合か。
俺は柳達が中庭の方へ消えたのを確認し、河原崎の後ろに続く。なるべく距離を置き道の端を歩いた。
どちらにせよ柳と別れてしまえばこれ以上の情報は得られない。
ならば直接当たる事になる。むしろ一人別行動してくれた方が有難い。二人が関係しているなら、先程の錠剤の入れ物を見せれば、怯む。それでハッキリする。
――ぶつけるしかない。
俺は河原崎が事件当時校内に消えた所を目撃している。そして柳が黒だという事も掴んでいる。
必ず落とす。
そう、一人校門に向かう背に念じた、その時だ。
突然、河原崎が振り返る。
え――バレ……た?
全身が硬直する。
しかし下校する生徒が他にもいるおかげで、道の端を歩いている俺には全く目をくれず、ただ昇降口の方を見ていた。
そして踵を返す。
――なぜ、戻る?
突然、昇降口の方へと戻り始めた河原崎に動揺する。忘れ物か何かだろうか。
とにかくその後に続く。
昇降口に入った。どうやら柳達に用があって戻ってきたわけではないらしい。
何処へ向かっている?
河原崎はただ廊下を進んでいく。真っ直ぐ行くと教室がある。やはり忘れ物か。
だが、河原崎は階段を上り始めた。
なに?
教室でもない。どういう事だ。俺は全く検討がつかなくなった。ただ河原崎の後を追う。
そして辿り着いた場所は河原崎とは無縁の場所。
――図書室?
成績の悪い河原崎が図書室になんの様だ。すぐ出てくるかもしれないので中の様子を気にしつつ、扉の中には入らなかった。
しかし五分しても河原崎は一向に出てこない。
一体、中で何をしている?
俺はついに扉を開けて中に入った。
二、三人の生徒が勉強している。その中に河原崎はいない。
何処へ消えた?
この高校の図書室は少し入り組んでいる。そのため入り口からでは全てを見渡す事が出来ず、中に入っていった。
そして一番奥の最も見え難い死角に辿り着く。
――いた。
耳にイヤホンをつけ、参考書とノートを広げて勉強していた。
なぜこんな所に……いや、それは別として、これは忘れ物ではなく、ここが目的地だったという事か?
『じゃあ、先帰る』
河原崎の言葉が蘇る。
――柳達に嘘を吐いた?
思わず興奮した。
河原崎が柳達に嘘を吐いて、こんな誰にも見つけられない死角にいる。
密会。
ここが目的の場所だとしたら、それしかない。誰かを待っている。それも表沙汰に出来ない話、いや取引をするために。さらに会話なら電話で済む。なのにここにいるという事は物の移動があるということ。
そして相手はまず間違いなく――事件の共犯。
残りは三十五分。
俺は一度、入り口の方へ戻る。
周囲にそれらしい人物はいない。勉強していた事から相手はまだ来ていないのであろう。
だとしたら例え死角で待っていても、たった一つの入り口に張り付いていれば、まず間違いなく『共犯』を見逃す事はない。
俺はカウンターにいる図書委員の男子生徒に話しかける。
「なぁ、さっき入ってきた三年生ってよく来るのか?」
河原崎の位置からかなり距離があるから聞こえないだろうが、なるべく音量は落とした。
「三年生って、河原崎先輩の事ですか?」
「先輩?」
「はい。同じ中学の先輩だったので」
「へぇ。それで、よく来るのか?」
「うーん、そうですね。毎日来てますよ」
「は?」
毎日だと。
そんな頻度で会っているのか?
「なぁ、その時に一緒にいる生徒は誰か見なかった?」
「あー、いや。……いつも一番奥に消えてしまうんで自分はちょっと分からないです」
「そうか、ありがとう」
図書委員にそう言ってカウンター近くの、なるべく入り口から見え難い席に陣取った。
この位置から出入りする生徒を細かく観察した。
柳。
まず来るとしたらアイツしかいない。そして恐らくその目的は……。
柳、河原崎、貴重品袋、薬、取引。
頭の中でその単語が一つに纏まっていく。そして事件の真相がおぼろげながら頭に浮かんでくる。
問題はそれは所詮仮説に過ぎないこと。やはり証拠を押さえなければ……。
そうして俺はジッと入り口を見つめ続けた。
……しかし。
しかし気付くと既に二十分も経過している。
残り時間は十五分しかない。
まだか。
焦りが大きくなっていく。
既に人の出入りは五人ほど。しかし全くと言っていいほどに見知った顔はいない上に、河原崎のいる奥へ行く者もいない。
まさか……来ないのか?
嫌な予感がした。もしこのまま待っていても来なかったらそれで終わる。
くそっ。
貧乏揺すりが激しくなる。俺はいてもたってもいられず、何度か河原崎を見に行くが、相変わらずの様子だ。そしてそんなことをしていても時間は刻々と過ぎる。
残り十分。
まずい。本当に時間が無い。
俺は何かを間違えたのか?
いや、そんなはずはない。確かに河原崎は黒だ。そこは揺るがない、否、そこだけは揺るがないのだ。
なのになぜ来ないんだ。
少なくとも河原崎は柳達に嘘を吐いてまで図書室に来る理由があるはずだ。勉強が目的とは到底思えない。下校時刻もあるから時間調整しているとも考え難い。
だが来ない。証拠もない。
時計を見る。
――残り五分。
「………………くそっ」
ダメだ。もう待てない。
もうこれが最後のチャンス。俺は立ち上がって死角へと向かう。このままサシで落とすしか残された道はなかった。
河原崎の背後に立つ。だが河原崎は後ろに立っていても気付かないらしい。
決定的な証拠が何かあれば……しかし無いものはしょうがない。俺は覚悟を決め、深呼吸を一つした。そして声を掛ける。
「おい……おいっ」
「ん?」
そんな間抜けな声を上げて河原崎が振り返り、俺だと分かって表情を強張らせた。
「……木戸、なんで」
「犯人が分かった」
回りくどく行くよりも、直接的に責めた。その言葉に河原崎の目が一瞬だけ見開かれる。加えて呼吸が少し乱れた様だった。唇が小さく震えている。明確な怯え。
――やはりこいつが犯人だ。
その様子を見て俺は確信を強める。一方の河原崎が擦れた声で聞き返した。
「……だ、誰だよ、犯人って」
「――お前なんだろ」
その言葉に顔が真っ青になる。分かり易い。これならあの錠剤の入れ物で落とせるかもしれない。
「な、いきなり来て言い掛かりはよせよ!」
「証拠はある」
河原崎の動きが止まる。俺はその隙に畳み掛ける。しかし錠剤はまだ切らない。だからまずは――。
「証拠って、なんだよ」
「俺はお前が体育の時間に教室に消えた所を見た」
河原崎はその言葉にしばし沈黙する。
しかし――。
「それは……ねぇって。だって俺は校舎に入っていないし」
俺の証拠に河原崎は落ち着きを取り戻す。
「だが俺はこの目で――」
「少なくとも俺は入ってない。ビデオにでも残ってるわけじゃないだろ?」
今度は少し声を大きくして河原崎が断言する。先ほどの怯えは消え、その瞳からは自信が伺えた。
まさか見られていたのを知っていたのか?
もしくは証拠がないのを知っていたのか?
河原崎に体勢を立て直され、こちらが動揺してしまう。
しかし、先ほどの動揺を含め、やはり犯人はこいつなのだ。なにより時間がない。自白させなければこちらが終わる。
俺はアプローチを変えた。
「じゃあ何でお前は、柳達に嘘を吐いてここにいるんだ」
河原崎が一瞬こちらを見る。そしてすぐに目を逸らした。
「おっ、お前、なんでそんな事知ってんの……別に、そんなの俺の勝手だろ」
また唇が微かに震えている。再びその表情に焦りと驚きが浮かんだ。
やはりあるのだ。
その反応を見て確信を強める。ここに知られたくない事が何かある。
問題はそれが何なのか。証拠でもあれば一気にケリをつけられるのに。
「じゃあ、なんで毎日こんな人目につかない所に来てるんだ?」
「そ、それは……」
河原崎が返答に窮して頭を掻く。
「それは、柳と関係あるんじゃないか?」
「はぁ? ちげちぇよ!」
図書室の中で異様な声を荒げ、河原崎が続けて怒鳴る。
「さっきから犯人、犯人って、俺の動機は何だよ。どうして俺は貴重品袋を盗まなきゃならないんだよ!」
相手は動揺しているにも関わらず、逆に痛いところを突かれる。
確かに決定打はないのだ。だが正直、時間からしても厳しい。
――切るのは今しかない。こいつが……最後の頼みだ。
錠剤の袋。
俺はポケットにあるそれに手を伸ばし、河原崎の反論を押さえつける様にして怒鳴り返す。
「動機はあるさ。お前はこれを――え?」
だが、最後まで言えなかった。
ポケットから袋を取り出しながら薬と途中まで言い掛けて、俺は完全に硬直してしまう。
視界に『それ』が入ったのだ。
――え?
河原崎がこちらを見て首を傾げる。
「な、何だよ……」
むしろ俺が聞きたかった。
――それは決定的な証拠だった。
なぜ? なんで?
そんな馬鹿な。どうして……どうしてそれが。
俺は穴が空くほどにそれを見つめた。
だがそれは紛れも無い同一の物で、逆に確信を深めてしまう。
これは一体どういうことだ?
「黙ってないで何か言えよ!」
河原崎の言葉も右から流れて留まらない。
『それ』。
机の上にあるノートに書かれている河原崎が書いた文章だ。
そう、たった四文字が俺のこれまで築き上げてきた仮説の予想斜め上を行った。
『あります』
見た事がある。
確かに覚えている。
妙に印象的だったのだ。
あの女っぽい字に特徴的な「す」。紛れもなく、同一人物が書いたものだ。
俺の脳裏、一行の文が浮かび上がった。
――イジメはあります。
もう一人のイジメの密告者。それは河原崎だった。
どうして…………加害者の河原崎が?
そして同時に先程の河原崎の言葉が蘇る。
『俺はただ静かに学校生活送りたいだけなんだよ』
その瞬間、合致した。合致してしまった。
河原崎がなぜ柳に嘘を吐いてこんなところに一人でいるのか。
河原崎は――嫌っている。
柳を嫌っている。
俺は二人に何があったのか、そこまで詳しくは分からなかったが、それでも一つ言える事があった。
――河原崎は犯人じゃない。
最後の最後で、俺の考えは根底から覆され、これまでの全ての努力が泡と消えた。
頭が真っ白になる。
しかしその直後、終わりを告げるアナウンスが俺の耳に入ってきた。
――三年八組、木戸君。
――三年八組、木戸君。
――学年主任がお呼びです。生徒指導室までお越し下さい。
そして。
俺は事件解決に、失敗した。