11、裏
家には誰もいない。
いつもの事たが妙に落ち着かなかった。
姉さんから連絡があるかと思いスマートフォンを確認する。今日も遅くなると入っていた。
いつものなら机に向かう所だがそんな気力は当然起きない。さらに飯を作る気にもならず、適当に腹に菓子パンを入れ自室にこもった。
「くそっ!」
俺は体をベットの上に投げ出して天井を仰ぐ。悪態はほぼ無意識に出た。
事件の影響で部活動に入っていない生徒は、今日と明日だけ半強制的に六時までに下校させられる事になっている。
おかげで放課後は柳や河原崎も帰ってしまい、何も出来ず後悔に苛まれながら、俺は今自室で天井を眺めている有様だ。
丸一日無駄にした。その後悔と先ほどの大沼の言葉が蘇る。
――君が先生達と話している時に、僕の方で任意でいいからカバンのチェックをする様、指示があってね。八組の何人かに見せて貰ったんだ。
――河原崎君は、職員室前で君と別れて書類作って三十分くらいしてかな。教室に資料を取りに行った時、昇降口のところに柳君と一緒にいたんで声を掛けたんだ。
――その時に何気なくカバンの確認したいって言ったら、河原崎君だけ開けて中身を見せてくれたよ。ちょっと見たけど、何もなかったんだよね。
河原崎は犯人じゃないのか?
教室に盗んだ財布を置いて帰る。そんな馬鹿な話はない。危険すぎる。
それだけじゃない。
赤石は河原崎じゃないと言った。柳も笑い飛ばした。確かに動機らしいものは何もなかった。その上にバッグの中にも……。
動機的に白。状況的にも白。
今日一日使って分かったのは、河原崎は限りなく犯人から遠い所にいるということ。
「そんなはずはない」
状況は河原崎が犯人だと指している。いや、それ以外に考え様がない。思い当たる人間は逆に全員アリバイがあり、白だ。むしろあの教室は密室に近い。ゆえに唯一犯行が可能だったのは河原崎しかいないわけで。
じゃあ動機は?
じゃあ財布は?
そういう思考に陥り、後は無限ループ。
なにせ思い当たる人間は全て白。犯行当時、赤石はイジメにあっていてアリバイがある。
柳も加害者としてアリバイがある。大沼は別なクラスで授業中。教師が八組の方に行けば、生徒よりも目立つから必ず分かるはず。
山本が鍵を掛けていないと嘘を吐いている事も考えたが、大沼いわく彼女は他の女子と共に早く教室を出ていたらしい。
――犯人は河原崎。
やはりこれは揺るがない。つまりあるはずなのだ、決定的な動機と財布の隠し場所が。
――そう信じて明日も同じ事を繰り返すのか?
「ああ、くそっ」
もう明日しかないのに、そもそもの考え方が間違っている気さえしてくる。実は誰かが前を通り過ぎて校舎に入った事を、俺が見落としていて……そう考えを巡らせる。
しかし結局、いくら考えても河原崎が犯人という結論を辿った。
時計を横目で見る。五時。明日の放課後が最後だから、残り時間はちょうど二十四時間だ。
手がかりゼロ。
この悲惨な状況が今まで考えない様にしていた事を嫌でも意識させる。
君と僕は同じ、そうイジメの対象から言われた。
クラス全員の前で土下座する約束はかわせそうにない。
イジメなしと書かれたアンケートを鵜呑みにする担任は当てにならない。
ずっと目を背けて来た物を強制的に見せ付けられた気がした。そのショックが未だに抜けていない。
もし犯人を挙げられなければ確実に俺は終わる。柳は容赦をしない。大沼は決して助けてはくれないだろう。そして俺は毎日の様に暴力を振るわれ、犯罪者として扱われ、その末に赤石の様に腐る。
恐怖が時間が経つ毎に体を蝕んでいく。
部屋で一人、捜査に行き詰まり焦燥と不安に潰されそうになる。進んだ所から振り出しに戻され、一日無駄にしたという自己嫌悪。そして頭を過ぎる自分の末路に、胃が痛んだ。
「ああ、くそっ」
俺は三度目の悪態を吐く。
誰かに縋りつきたかった。一人で悩んでいても答えは出そうにない。
ふと、山本の顔が過ぎった。
こんな事にならなければ助けになってくれたのかもしれない。だが俺はハッキリと山本が責任者だと名指ししてしまっている。
自嘲気味に笑う。どの顔で会えばいい?
しかし他に友達もいない。ずっと一人だった。俺は学業を口実に人と関わらない事で面倒を避けてきた。そのツケがこうして回ってきているのだろう。
――自業自得か。
俺は人の助けを求めようとしている、そんな自分を無理に閉ざした。
「いっそ俺以外の誰かが犯人として挙がれば……」
だがそうすると逆に、冤罪でも誰でもいいから犯人を作り上げたくなる。そしてそれがイジメの加害者と同じ思考である事に気づきゾッとした。
――そうか、だから皆イジメるのか。保身のために。
そこまで考えて溜息を吐く。
やめよう、考えるだけ虚しい。そして再び天井を仰いだ時だった。
「…………もう、一人?」
自然と疑問が口に出た。俺は右手で口元を押さえる。
今まで俺の中にはなかった別な思考が浮かんでくる。それは全てを説明付ける可能性。
そうだ。
もう一人だ。それは十分にありえる。
河原崎が犯人だとして。
――その裏にいる共犯者の存在。
いれば河原崎に動機がないのも説明がつく。
河原崎は実行犯。そして指示を出した共犯の存在。
――赤石か?
……ない。赤石はあの通り上下関係がハッキリしているので、河原崎に命令なんて出来るわけが無い。それにもし赤石に同情したとしても、それだけで窃盗なんて罪を犯せるわけが無い。
――大沼か?
こちらもない。大沼は資料にも特に問題の無い生徒と書いている上に、二人きりの面談時にも怪しい会話を確かにしていなかった。
――やはり柳か?
ある。
俺の頭の中でいろいろと引っ掛かっていたものが解きほぐされて行く。貴重品袋が河原崎のバッグから見つからなかったのも頷ける。
――財布は柳が持っていた。
実に分かり易い構図だった。
「いや、だが、本当に繋がっているのかこの二人?」
二人の仲は良好だと、少なくとも俺は見ていて思う。しかし確信があるわけじゃない。
正直、判断し兼ねる部分もある。
それでもこれは言えた。河原崎と関わっている赤石と大沼はない。そうなるとやはり柳しかいないのだ。
河原崎が実行犯で指示を出したのは柳ならば話は通る。
動機は恐らく薬関連。
貴重品袋を盗んだ直接の原因は不明だが、何らかの形で薬が関わっていると読んだ。薬を考えれば多少の危険を冒してでも盗みを働く動機になる。
――もし柳が薬を所持している事が分かれば、風向きを変えられるかもしれない。
まだ逆転の可能性はある。
ただ、柳に言われて河原崎がそんなに簡単に実行するとも思えなかった。高校生が薬を売り捌くために薬を所持しているとも考え難い。いや、だったらむしろ柳の悩みを知った河原崎が柳のために……可能性は尽きない。それでも焦点は絞られつつあった。
まず柳の隠し事。
そして二人の関係。
二人は同じS中学の出身者だ。そこに事件の真相が隠されている可能性も高い。俺はそれから様々な考えを巡らせたが、それ以上の答えを出す事が出来なかった。
けれども決意は固まる。
柳の動機、そして河原崎と柳の関係を暴いてやれば事件の真相が顔を出す。どうせ残り時間で可能なのはそれだけだ。賭けるしかいない、その可能性に。
俺はようやくベットから起き上がる。ふと、柳に殴られた腹の痛みが消えている事に気付いた。痛みだけじゃない。迷いもそこにはなかった。