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10、状況的に


「一学期の期末から目に見えて成績が落ちてるねぇ。中間はそこそこだったのに、期末は赤点ギリギリだよ。まぁ現代文は何とか維持できているんだけど……」


 六限目。

 俺は廊下の椅子に順番を待ちながら座り、指導室の中の話を盗み聞きしていた。


「今回もたぶん、赤点は何とか回避できるかな? それでも厳しいのは変わらないから、志望校のレベルを少し落とした方がいいかもね」


 貧乏揺すりが止まらない。

 内心でやはり焦ってもいた。赤石、柳と近い人物を二人当たったがまるで手応えがない。状況的に黒。しかし動機的に白という矛盾が立ち塞がっているのだ。


「D大志望という事だけど、やっぱりR大の方がいいかな。R大ならそんなレベルも下げずに国語と英語の受験が可能だから、英語を中心に強化して行けば十分に狙えると思う」


 しかも明日の放課後が最後。

 そう考えれば残り一日しかない。こうして廊下で一人、椅子に座っていると焦りが全身を隅々を刺激する様な感覚に苛まれる。


「うん、分かった。後は……なんかあるかな? ほら、財布の件とか。え、何もない? そう、それは良かった。じゃあ面談はこれでお終い!」


 それでも手は考えてある。上手くすれば決定的な情報を得る事が出来るかもしれない。


 ドアが開いた。


「きっ、木戸……」


 扉から出てきた河原崎と鉢合わせ、河原崎が目を見張る。面談の順番は自由だが、流石に次が俺だと予想していなかったのだろう。


「お前、お前さ。赤石とか柳に俺のこと聞いて回ってるみたいだけど、俺になにかあんの?」


 河原崎が迷惑そうにそうに言った。


「いや、別に」


 口ではシラを切ったが、態度は隠さない。


「もし俺を犯人と疑ってるなら、それはないからな」


「アリバイでもあるのか?」


「だっ、だからッ! ……そういうの、嫌なんだよ」


「嫌?」


 河原崎は目を逸らして頭を掻く。

 違う、ではなく、嫌?


「言っとくけど、俺はただ静かに学校生活送りたいだけなんだよ。事件とは何の関係もない。頼むから巻き込まないでくれよ」


 こちらを見ずに誰に言うでもなく、うんざりした様に呟く姿は、とても演技には見えなかった。


 しかし状況的に黒である事はまず間違いないヤツだ。


「お前が白だと分かったら、そうするさ」


 そういうと河原崎は最後に俺をチラ見して溜息を吐き、長身を縮こませクラスに戻っていった。


 俺はその背中を見送ってから指導室の中に入る。


「失礼します」


 大沼がいつもの抜けた感じで「どうぞー」と手招きしていた。それに誘われる様に用意された椅子に座り対面する。


「じゃあまずは……何から話そうか」


 大沼もどうやら取っ掛かりが掴めないらしい。それはそうだ。一番、貴重品袋紛失で厄介な人物が俺だ。


 しかしこっちの目的はそんな話題じゃない。


「その前にT大の入学前に科される、例年の課題を見せて貰ってもいいですか?」

「え?」


 突然の申し出に大沼がどうして? という顔をする。


「先にどんな課題なのか頭に入れておきたいんです。突然出されて慌てるよりはいいかと思って」


「あ――ああ、そういう事ね。分かったよ。今取ってくるから少し待ってて」


 そういって大沼は指導室から出て行く――資料を放置したまま。


「三分ってところか」


 ここ二階の指導室から一階の進路室の距離、資料探しの時間を考えるとそれくらいだった。


 大沼が出て行ったのを確認して、俺はすぐさま置いていかれたバインダーに手を伸ばす。


 河原崎の資料は一番上にあった。生徒に対する担任のメモ欄を見つけたので、その中で重要そうな項目だけ拾っていく。


 名前――河原崎敦彦。

 素行――問題なし。

 進路――志望は私立D大経営学部。現状は私立R大の商学部が望ましい。

 成績――最初の一学期中間は良かったが、一学期の期末から急激に下降。ただし現代文は上位。数学に関しては赤点候補。

 家庭環境――父・母・祖母の四人家族。特に問題なく良好。

 出身中学――市立S中学。

 紛失事件――関係性なし。直訴の兆候も見られず。

 その他――なし。

 総括――成績が厳しいが進路はハッキリしており現実的。家庭環境も良く、素行にも問題が無い。特筆すべき懸念事項もない生徒。


「……これだけ、だと?」


 大沼の資料には期待していた情報は一切書かれていなかった。まさにどこにでもいる平凡な生徒の個人情報。


 そんな馬鹿な。これじゃ本当に何も動機がない。


 俺は同じページを何度も見返す。しかしどれだけ見返しても何の変哲もない情報しか書かれていなかった。


「くそっ……ん?」


 そう悪態を吐いた時だ。

 他にも資料が無いか漁っているとふと、柳のを見つけた。他意はないが気になって読み進めてみる。


 名前――柳祐樹。

 素行――問題あり。良い噂は聞かない。ただし指導に至るほどの事件は起こしていない。

 素行――就職。志望先は未定。

 成績――全体的に悪い。リーティングに関しては去年まで赤点で留年の危機もあったが、ここ最近は改善されている。

 家庭環境――母・妹・弟の四人家族。父親と母親は去年の七月に離婚。そのため奨学金を現在利用。


「母子家庭?」


 俺の目が釘付けになる。

 父親的存在の喪失。柳は俺と同じ様な境遇なのか。一瞬だが、柳が凄く身近に感じられた。


 相手は柳だぞ?


 しかしすぐに頭からそれを振り払う。家庭環境が似ているからと言って必ずしも同じとは限らない。現に柳はグレている。同情の余地はないと、無理に考えない様にした。


 再び用紙に目を落とす。


 ――カタッ。


 突然の物音。背後からだ。

 俺の時間が止まる。心臓を鷲掴みされた様な感覚。


 しかし音はそれっきり聞こえない。


 振り返る。誰もいない。気になって閉まっている扉に近づく。


 そして恐る恐る扉を開いた。


「……」


 だが廊下には水を打った様な静けさが広がっていた。周囲を見渡しても誰もいない。特に変わった様子はなかった。


 俺は安堵の溜息を吐き、全身の緊張を解く。


 気のせいか?


 だが確かに音がした。誰かが覗いていたのだろうか。


 嫌な感じだ。そろそろ担任も戻ってくるだろう。俺はさっきの資料を片付け始める。

 すると「K県の各高等学校による大麻等薬物乱用防止に係る取り組み」と言う紙が目に入った。


 ――あの、その、柳君は……なんか、薬をやってるとか、売り捌いてるとか。


 赤石の言葉が蘇った。


 紙に手を伸ばす。各クラスに配布されるものらしい。ただ書かれていた内容は、薬の危険やら罰則やら、具体例など巷でもよく聞くものだった。その中でも薬物使用者の特徴に目を向ける。


 瞳孔の開き、まぶたや鼻の炎症、衣類から甘い香り、注射痕を隠すための長袖……この辺りは気をつければ気づけるかもしれない。


 精神の不安定さ、性格の急変、過食と拒食、体臭、不眠、発汗や動悸、手の震え、頭痛、痙攣……だが最後の方は完全に依存症の症状だ。ここまで露骨に症状が出れば誰でも気づくであろう。


 興味が失せて資料を元に戻す。


「ん?」


 だがその際にアンケートの束が挟まっている事に気付いた。一週間ほど前、時期外れにも関わらず書かされたイジメについての匿名アンケートだ。


 少し気になってペラペラと捲っていく。だが内容はほぼ予想通りだった。

 前半二十六枚は全て同じ解答。


 ・このクラスでイジメはありますか?

 ――ありません。


 ふざけている、本当に。そうは言っても俺自身もないと書いた人間の一人であった。


 自分はこの時は何を考えていたのだろうか。今までは無関係を装ってきたが、俺は被害者になった。やられる側になって気付くというのも遅過ぎる話だ。

 ふと、最後の二枚だけ違う事に気付いた。


 ・このクラスでイジメはありますか?

 ――イジメはあります。


 たった二人だけか、イジメがあると密告できたのは。一人は何とも弱弱しい字だった。これは恐らく赤石だろう。もう一人は特徴的な字で、最後の「す」が妙に跳ね上がっている字だ。


 ……女子の誰かだろうか?


 一人は赤石だと分かるが、もう一人が誰か分からず少し気になった。


 密告にせよ、イジメが発覚するとクラス全体に影響が及ぶ。下手をすれば柳達に、いや、クラス全員に何をされるか分からない危険が伴う。


「あれ……?」


 俺はアンケートの最後にもう一枚紙があるのを見つけた。その字を見て、今度は何だかやるせなくなる。


『八組にはイジメなし』


 今見ていた資料と同じ、大沼の字だった。あの抜けた担任はこのアンケートを鵜呑みにし、そう結論付けたのだ。


「どうりでイジメがなくならないはずだ」


 一人呟くと直後、廊下に足音が響く。

 俺はすぐさまバインダーにアンケートを仕舞い元の位置に戻し、そして何食わぬ顔で椅子に座り大沼を出迎えた。


「お待たせ」


 最初こそ気付かれないか焦ったが、どうやら何も気付いていないらしい。


 その後はどうでもいい話題を話した。途中で保護者様のプリントを渡されたが、それを姉さんに見せる事はないだろう。


 そして時間も終りに近づいてきた頃だ。


「あ、そうだ。推薦の書類もなるべく早く出してね」


 ――あ。

 推薦の書類は……そう、柳に破り捨てられた書類だ。


「あ、あの」


「なに?」


 俺は唇をかみ締めた。


「その、書類を無くしてしまったんですが……」


「はぁ!? 無くしたって、あれは特別に取り寄せるものだよ、何考えてんの!」


 大沼の表情が一気に歪む。面倒を増やしやがって、表情はそう物語っている。目はあたかも厄介者を見る様だった。俺はそれに対して自分のせいでもないのに頭を下げて謝罪する。


「すみません」


「ったく……T大の入試センターになんて言えば……」


 そういって大沼は頭を抱えた。


 迷った。言ってしまおうか?


 書類は紛失ではなくイジメで破かれたと。しかし、この男が果たして動くのか?


『でも、詳しい事は僕じゃちょっと分からないから』


 そんな事を平気で言い放つ無神経さだ。それだけじゃない。さっきのアンケートも二人の意見をイレギュラーとして切り捨てていた。被害妄想や小さなものだと思っているのだろう。


 大沼は恐らく、動かない。


 直感的にもそう思い、憤りから弁明しそうになる口を噤んだ。それに、イジメを表沙汰にするのはクラスの誰にとっても得策じゃない。


「まぁ、そっちはなんとかするから、後は質問ある? 主に、その、財布関連で」


 そうだ。

 そちらを聞かなければならない。意識を切り替えて尋ねる。


「何か進展はありましたか?」


「いや、それが全くないよ。いろいろと事情を聞いたりしてるんだけど、どれもあやふやでね」


「そう……ですか」


 学校側は期待できそうにない。そもそも教師の質問に素直に学生が答えるとも思えない。俺の時みたいに尋問すれば話は違うが、話を聞くだけではまず無理だろう。イジメすら見つけられないのだから。


 それでも俺は大沼本人の意見を聞いてみる。


「先生は誰だと思います?」


 個人情報を見る限り河原崎はやはり動機的に白に感じる。それでも状況的に黒という真実は不動だ。だからこそ、何か決定的な取っ掛かりが欲しい。


「そ、それは……ちょと分からないかなぁ」


「そうですか」


 なんとなくだが、予想していた通りの返答に溜息を吐く。


 聞くだけ無駄だったか。

 だがもう少し、今度は直接的に探ってみる。


「ところで河原崎君が事件に関わってるという話、聞いた事ありますか?」


 もし何か出れば御の字。それでも、もう後がない俺は食い下がる。一日を棒に振るわけにはいかない。どうしても何か進展が欲しい。


 動機。いや、手掛かりでも何でもいい。動機的に白を覆す何かがあれば……いや、あるはずなのだ。必ず。


「河原崎君が事件に?」


「はい」


「それはないけど……どうして?」


「実はそれっぽい話を噂で聞いたんです。友達として僕も少し心配で」


 何処かに糸口はある。その糸させ掴めれば――。


「それなら大丈夫だよ。河原崎君は状況的に白だから」


「………………は?」


 なんだと。状況的に白?


「良かったね。彼は事件に関わってないよ」


 バカな。


 クラスに入れたのは河原崎だけだ。内部犯である以上、他に入れたヤツはいない。

 なのに状況的に白だと? アリバイなんてないはずだ。むしろ俺がこの目で見ていたのだから。


 この事実が覆える?


「どうして、そう言えるのですか?」


 大沼は笑う。

 そして、実はね……そう前置きして言う。


「抜き打ちで帰り際、河原崎君のバッグを検査したけどさ


 ――中には財布なんてなかったよ」


 残り、約一日。

 俺の推測は振り出しに戻った。


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