スパイ嫌疑(4)
美紗は、医務室が入る棟の入口付近にある懇談スペースに、一人ぽつんと座っていた。
医務室の前まで行ったものの、受付に何と事情を説明すればいいか適当な言い訳も思いつかず、結局、中に入ることもできなかった。
胸が締め付けられるような息苦しさに苛まれた。第1部長に疑われたまま、それを隠して仕事を続けることなど、とても耐えられそうにない。かと言って、自分の不注意が露見すればどんな騒動に発展するのかと思うと、恐ろしくてたまらなかった。
「医務室で休んでなかったのか」
すぐ後ろから低く抑えた声が聞こえた。美紗がはっと振り返ると、濃紺の制服を着た人影が、背中合わせに座っていた。
「大きな声じゃ言えないが、軍の情報機関同士の交流という枠組みの中に、ああいう極秘会議を挟むことも時々ある。そういったことを承知でうちに来たんじゃないのか」
日垣の問いに、美紗はただ首を横に振って答えた。喉がカラカラに乾いて、声が出なかった。
組織の名称から抱くイメージは、所詮はフィクションの世界が作り出したものに過ぎないと思っていた。統合情報局の仕事にもそこに勤める人間にも、本当に表と裏があるなどとは、想像もしていなかった。
「うちの部で例の準備室の存在を知っているのは、私と比留川と高峰だけだ。ただ、比留川は……」
日垣は、そこで言葉を切り、周囲の様子をうかがった。課業時間中にもかかわらず、二人のいる懇談スペースの周辺は、意外と人の往来が多かった。
「取りあえず、直轄チームの連中を巻き込まないでくれ」
「どういう……こと、ですか?」
美紗の掠れた小さな声は、二人の傍を歩き過ぎる人々の話声や足音でかき消された。
日垣は軽くため息をつくと、制服の胸ポケットから手帳を取り出した。そして、何かを素早く書き付けると、そのページを破り取った。
「どうも部内ではかえって話しにくいな。もう少し落ち着ける場所に心当たりがあるから、そっちで話そう。今日、この後、時間とれるか?」
美紗は黙って頷いた。
「そこの駅のA5出口付近に…、そうだな、七時頃来てもらえるか。着いたら下に書いた番号にかけてくれ」
言い終わると、日垣は、美紗の返事を待たずに立ち去っていった。