5.
「と言うワケで実践した通り、『契約文句』『相手の了承』『接触』。この三つの要素が必要なんだ。聞いてるかーいカナト?」
「うるせぇなんで俺まで爆破に巻き込んだ! おかげで煤だらけだ!」
「日頃の行いの悪さだよ。さて、調子はどうだい?」
「ぼ、僕の調子はサイアクでーす」
「キミには聞いてないよ」
俺と同じく煤だらけのインキュバスを、サイカは足蹴にする。流石に、ちょっと憐れだと思わなくも――、
「あ、嗚呼、この痛み、女性から与えられる痛みって、なんて素晴らしく快楽的なのだろう! このアレックス、絶頂の極み――ッ」
思いたくない。
「なんかこう、言葉では言い表しづらいが――簡単に表現すると、何かが身の内に滾ってるような、そんな感じだ」
「それが、キミが今まで持っていなかった『魔力』と言うモノだよ」
「こいつが――」
今まで魔法が使えなかっただけに、どこか感慨深くも感じる。魔法関連の科目、実技だけはいつも不参加だったからな。
「でも、どうやって使うんだよ?」
「実を言うと、普通にボクらが魔法に使う方法とは、少々勝手が違ってね。こう、身体の中にあるモノを解き放つイメージで行けば使えるようにしておいた」
「イメージだけで言われてもいまいちピンとこねぇんだけどよ!?」
「察しが悪いなァ! だからキミはいつまで経っても凡人なんだ!」
「どうせ俺は凡人だよチクショウ! だからもっと具体的なアドバイスを求む! ください!」
「マニュアル通りにやっていますとは、アホウの言うことだよ! 自分なりに模索したまえ!」
「マニュアルは基本部分として重要だろォ!?」
天才と凡人とでは、見ている世界が違う。と、偶に言われたりするが、まさしく今のこれがそれなのかもしれない。察しろと言っても、なかなかに難易度が増し増しだ。
「――ところで、てっきりボクは、キミが『もっと早くからやってくれよ』っていうツッコミが入るかと思ってたんだけど?」
「やらなかった理由が、なんとなく察しがつくから、敢えて聞かねーよ!」
「ほうほう? でも、だが、しかし。気になるね、キミがボクの言葉を予想しているなんて。キミごときが!」
「ここでお前をいい加減殴っても、誰も咎めないと思うのは俺だけか?」
「か弱き女の子に暴力を振るうなんて、全国、いや、全世界の善良な人々ならず不良な人々からも大ブーイング受けるかな!」
ちなみに。俺が思う、コイツが俺へと魔力を溜めさせる魔法を付与しなかった理由は、「そうやって足掻くさまを楽しんで見ていたいから」が一番有力だ。
性格の悪さが、これほどにじみ出ている理由もなかろう。しかし、そう間違ってはいまい。
「とにかく、突然平和が脅かされた以上、それを使いこなせるようにならないと、自分の身が守れないよ? ――それとも、ボクが守ってあげようか?」
「それは――」
ちょっと、こっぱずかしい。下らないと言い捨てられそうだが、俺みたいなやつにも、一応男のプライドと言うモノがある。それに加え、他にも複雑な想いもあるのだ。
いきなり魔法を使えという無理難題を吹っかけられても。やはり譲れない部分と言うのは、どうにも頑固に重いわけで。
そんな、ちょっぴり心の中の葛藤が渦を巻いたそんな時だった。
「ヴォホホホホホホ! そォんなところに隠れてるなんてェ、悪い子達ねェエエエエッッ!!」
周囲に、空気を震わすような奇怪な笑い声が響いた。響いたかと思うと、
突然、周囲の景色が眩しく白いだ。
「――っ、……ッ!?」
一瞬のことで、何が起こったのかわからなかった。突然視界が真っ白に染まり、音がキーンと耳に響く。太陽を望遠鏡で覗いたような。
そうして視界が明けた時。
周りに広がっていたのは、焼け野原だった。
しかも、生ける者のみを器用に残して。
「ヴォホホホホ! かァわいい子ちゃんたち見ィつっけた♪」
再び響く、特徴的なオカマの笑い声。それは、大空に勇者の醜態が曝された時に聞いた三人のうちの一人の声。その主が、その中央に立っていた。
身の丈が一般的な成人男性の「倍」はあろうかという巨躯。全身がこれでもかと言うほどムチムチに筋肉で覆われた、髭面の大男。
その身に纏うのは真紅のタイツと燃え上がるような赤い毛皮のマントで、はだけさせた胸筋には赤紫色の炎と悪魔を合わせたかのような紋章が描かれている。
しかし頭の両側からは二本の角が上内向きにカーブして伸びあがり、その全身からは紅蓮のオーラが。それだけでも人間離れしていると言うのに、何より放たれているプレシャーと言うのだろうか? 圧倒的存在感が、この化け物を化け物以上の存在たらしめている。
「こォんにちはウサギちゃんたち! 初めましてなら自己紹介しなくちゃァねぇ? アタシの名はァ――、」
まさしく、それは――、
「獄魔王、ソルフェリィィィィィィィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイノッッ!!」
魔王の風格そのものだった。
「ひぃっ! ソルフェリーノ様ぁ!?」
「うん? あァら、アレックスちゃんじゃなァい? そんなところでお昼寝してたら、風邪ひいちゃうわよォ?」
先ほどの爆風の勢いで飛ばされ離れた位置でうつぶせに倒れていたインキュバスに、オカマのような喋り方の化け物が反応する。
「うぅん、風邪。風邪はイケナイわァ。そうなったら、アタシが温めて看病してア・ゲ・ル♪」
「いィいいいいいいいいいいいえ結構ですゥ!?」
サイカの罠にかけられるまで自信たっぷりだったインキュバスが、明らかに恐れ戦いている。どう考えても、相当恐ろしいヤツだと言うのが分かろうと言うモノだ。
「あ、あはは、まさか、ボクらの前に、本物の魔王が現れるなんて、ね」
「サ、サイカ、ぶじ、だった、か」
俺の隣で、地面にうつ伏せに倒れているサイカ。その顔はいつもの強気な笑みを浮かべようとして失敗し、ひきつっている。
「ちょ、丁度いいじゃないか、カナト。さっきあのインキュバスから奪った魔力、それであいつを倒してしまいなよ」
「は、はぁ――? お、おまっ、なっ、馬鹿か!? あんなバケモン、逆立ちしたって、」
太刀打ちできるわけないじゃないか!?
「あァらァッ! いいわいいわァ、これはもう、すこぶるいいわァッ!」
「――ッ!?」
オカマの声。それは、まっすぐ俺に向いていた。ドスドスと、その体躯に恥じない足音を立ててこちらへと近づいてくる。
「ヴォホホッ、ううん、かわいらしいカ・オ♪ アタシ好みだわァ」
「ひっ!?」
オカマの、大木ですら握り潰してしまえそうな腕、それが両側から俺を掴みあげる。
「あァら、怖がらなくてもいいのよォ? だァれにも痛い思いさせるつもりなんてないの」
身体が恐怖で動かない。この状況で動けるヤツは、古今東西探してもいるわけがない。
「その証拠に、ホラ! 建物は跡形もないけど、人も魔族も動物も植物も、みんな命ある者は無事よォ? アタシは博愛主義なのよォ。ダ・カ・ラ、怖がらないでほしいわァ」
「――カナト、一つ言い忘れてたけど」
「な、なに――?」
「相手から魔力を吸収したとき、多少その特徴を引き継いでしまうからそのつもりで」
「つ、つまり、どういう――?」
「――うん、インキュバスの特徴は魅了。異性やそう言った性嗜好の相手には、言葉では言い表せない魅力を感じさせるのさ」
「それが今何の関係があるんだよ!?」
「――アレ、割とネタで言ったつもりなんだけど」
「ネタって何だよ!? そんな事言ってられる場合かよ!?」
何か? この目の前の魔王を誘い♂ 油断させろとでも言うつもりか?
魔王と言うのは文献を読む限り魔族の最高クラスに位置する。そんな小手先の手段が通じるわけもないし、第一、それよりはまず間違いなく劣るであろう魔族の魔力を手にしたところで、やはり何かができるとも思えない。
「ヴォホホッ! そこの可愛らしい子猫ちゃんは、この子の次におめかししてア・ゲ・ル♪」
ちらりとサイカを一瞥し、再び俺へと目を向けるオカマ。そして、
「はァい、脱ぎ脱ぎしましょうねぇ♪」
俺の衣服が、指の先であっさりと剥ぎ取られてしまった。
「ヴォホホッ! 今の学校の制服もよかったけど、アタシからして見れば、アナタの魅力を完全に引きだせているとは到底言えないわァ」
そしてオカマ。自らのマントへと後ろ手を突っ込むと、そこから妙に華やかなピンク色のドレスを取り出してきた。
「まずは、これを着せまして――」
器用にも、俺を片手で持ちつつそれを纏わせる。
「次に、アタシの愛のテクニック♂ でアナタを昇天させてあげるわァ! ヴォホホホホ! 気持ちいいわよォ? アナタはこれから、淫らで美しい存在になるのォ!」
俺の脳裏に、勇者や学年トップイケメンの公開羞恥が映る。このまま行けば、俺は最も不名誉で恥ずかしい死を精神的に迎えることになるだろう。
ただただ死ぬより、それは恐ろしい。これがもし命を落とすことができれば、周囲の奇異の眼差しなど感じることもないのだろうが、その時はまず間違いなく俺は生きている。
そんな、俺の心を絶望が支配しかけたその時だった。
ドカンッ!
――と、いきなりオカマの顔面が爆裂した。
「キミ、流石にそれ以上は冗談越えるからよしたまえ、よ――ッ」
声のする方を見やると、サイカがオカマを睨み付け手を伸ばしていた。
「ヴォ、ヴォホホッ、ヴォホッ! うゥん、元気ねぇ――」
が、オカマにサイカの魔法が通じている様子はなく、むしろ喜んでいるような、声色だった。
「そうねぇ、アタシもせっかちさんだから、その気持ち、分かるわァ」
「――っ、おい!?」
オカマは俺を丁寧に横たえると、サイカを代わりに持ち上げた。
大男と、幼児体型の少女。屈強なボディビルダーと赤子を並べたような図。
そんな体格差の相手に、オカマは嫌らしい手を伸ばす。
「うゥん、その学校の制服はいいんだけど、ねぇ。アナタにも、もっと似合いの衣装があると思うのよォ」
「ほとんど裸のキミに、ボクの衣装をどうこう言われる筋合いはないよ!」
「でもまずはァ、素材の魅力を引きだしましょう!」
「うひゃァ!?」
おい待て、何あいつはサイカのスカートの下に手を伸ばしてるんだ!?
「美しさとは色気、色気とはすなわち発情から生み出すことができるわァ。つまり愛と性的な欲望は密接に結びついてるのォ」
「キ、キミの手なんかに負けたりしな――っ」
「いつまでそう言ってられるかしらぁン?」
「ひゃあんっ!?」
幼女が嬌声を上げる、犯罪チックな絵面。だがそれ以前に、このままいけばサイカは、憐れな勇者や周りの学生と同じ結末を迎えてしまう。
――そんな、こと……ッ、
「っ、カナト――?」
「え――?」
させるか、よ――ッ!
「このドッ、変態、がァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!」
気づけば俺は立ち上がり、全身全霊でオカマこと、獄魔王ソルフェリーノの顔面を殴り付けていた。
これ以上なく固く、固く握りこめた拳。全身に溜めこんだ鬱憤を、怒りを、その全て吐きだすかのように思わず全身全霊で振るった腕。
髭面に拳がめり込み。弾けたような手ごたえ。目の前の衝撃によって歪んだ顔。
獄魔王ソルフェリーノは、一度バウンドしてから更に跳ね、さらに遠方の山を突き崩した。
「…………」
ひゅうっと、風が一陣。
「う、そ、だろ――?」
何が起こったのかわからなかった。一撃で周囲の建築物を消し飛ばせるような魔王を、大男を、気が付けば殴っていた。んでもって、殴ったら棒で叩いた球のごとく吹き飛んでいった。
「ふっ、あははっ、やればできるじゃないか」
衝撃で手が離れた拍子に転落したサイカは、うつ伏せのまま笑っている。
「サ、サイカ、い、今の、は――?」
「正真正銘、キミが手にした魔力、それが放たれたのさ」
周囲で魔王の配下が呆然とする中、サイカは衣服をパンパンと払いながら立ち上がった。
「だ、だが、こ、こんな力、どこ、に――だ、だって、あの魔王の力なんかよりもよっぽど小さい……、」
「そうだね、炸裂したエネルギーはそりゃあ魔王の魔力の総量、その足元にも及ばない」
「なら、なぜ――」
「けどね、それが借り物の魔力であるから、今のようなことができたんだ」
その魔力の元々の持ち主であったインキュバスをちらりと見やる。周囲の魔族同様、呆然とした顔でオカマが吹き飛んでいった方向を見ていた。
「人間も魔族も、扱う魔力量はある程度コントロールできる。けれど、身体が無意識にMAXを制限してしまうんだ。普段身体に保持しているモノがごっそり消えたりすれば、変調を起こしてしまいかねないからね。丁度、あそこで倒れてるインキュバスのように」
「け、けど、俺の身体には大して影響が――」
「当たり前だよ。魔法が使えない、と言う事は、そもそも身体が魔力に頼ってないことと同義だ。それに、ボクが施した術式は、一見身体の内に魔力を蓄積できるようにしたように見せて、その実、身体の中にそれ専用の異世界を作りだすものだ。それとキミの身体をボクの魔力で繋げて、扱うことを可能に――、」
「すまん、凡人の俺にも分かりやすく」
「要は、後付けハードディスク」
「ますます意味がわからねーよ!」
――ついそのままオカマを殴ったが、よくよく考えれば、サイカをつかんで居たままなので、ヘタをすれば一緒に飛んでいってしまいかねなかったのではなかろうか。
だが、こうして無事なのだから、ひとまずよしとすべきだろう。
とりあえず、なんとなくだが、魔力を身体に蓄積させて、それを使える、と言うことだけは俺でも理解できた。
確かにこれなら、襲い掛かられても俺――いや、サイカも守れる、
「ほう、ソルフェリーノが敗れたか。それも、人間に」
「っ!?」
暗がりの中を貫くような、明確な存在感を示す声。するとサイカの背後、その地面からぬらっと影が現れた。その声は――最初に宣戦布告を行ったソンダイのモノだ。
「なるほど面白い。魔力を扱えぬ者に、その土台を作り上げる魔法とは。我ら魔族の中にも、そのような魔法を使える者はおらぬし、聞いたこともない」
「な、なんだいキミは――がっ!?」
「サイカ!?」
影ばかりで姿のはっきりしないソンダイは、腕と思しきそれでサイカを引き寄せた。首に、手をかけるようにして。
「そこから推測するに、この娘は新たなる魔法を作り上げる程の知恵があるのだろう。一つ作り上げるにも、本来はこの世の理を一つ一つ魔力で己を繋ぎ、試行を繰り返さねばならぬ。我ら魔王とて、膨大な時を要するのだ。それを、かように若い人間の娘が成し遂げた」
「キ、キミらが、単にアンポンタンなだけ、だろう――ッ」
「すなわち、だ。貴様は、我らが魔族の時代、新たなる発展の鍵となるやもしれん。共に来てもらうぞ。そして、我ら魔族の未来のために、働くのだ」
「だ、だれがそれで二つ返事すると思――」
「さらばだ、その他大勢の人間諸君」
「なっ、待――ぐあっ!?」
サイカへと手を伸ばしたところで、影は彼女ごと大きく爆発するように霧散した。
「う、く――っ、……ッ!?」
霧のように広がった影が消え去った時、天才少女の姿は影も形もなくなっていた。
――頭の中に、いつものように声が響く。包容力的な、妙に慈悲的な。そして、それを敢えて作っているかのような声が。
【これが、後に英雄と他称される少年カナトの、幼馴染の少女サイカを助ける旅のきっかけとなったのでした】