天空域(ハイエント)
時間にして3600秒ぐらいたっただろうか。
ディスプレイに緑色の光が灯った。
「竜骨活性40%を超えました。飛翔可能です」
動力係りのジェニーがそれを読み上げる。
「ちょうどいいわね。目標地空域までの距離は?」
こっちはわたしの仕事だ。
「10482000マィル、300秒ほどで到達します」
「わかった。300秒後、目標地空域に到達したら、ただちに飛翔するわ。
全員飛翔の準備を!」
「はい!」
全員がフェイの号令に返事をする。
「目標地空域まで7000000マィルを切りました」
「竜骨活性、43%から45%で安定してます」
「読み上げ開始します。18、17、16、15」
飛翔の瞬間が近づき、艦内に緊張が走る。
艦橋を360度を覆うホログラフには、星々がじっと光る宇宙が映し出されていく。
「13、12、11、10」
「竜骨起動!」
「はい!」
艦長の合図と共に、宇宙船全体が青い光で覆われていく。
「9、8、7、6」
「宇宙船ミルフィア、高次上昇を開始しました」
その青い光の向こうで、外の景色がカレイドスコープのように折りたたまれ、船の下のほうに流れていく。
「5、4、3、2、1」
「飛翔!」
そしてすべての星景色が、船の下方に流れさっていったとき、わたしたちは大気圏層の中で見る、夜が明け前の空のような、淡くうす暗い藍色をした空間の中にいた。
この空間は3次元格納2次元拡張空間。
通称、天空域と呼ばれる空間だった。
1万4600光年の彼方になど到達する術をもたず、困り果てた人類に竜が渡してきたのが竜骨と呼ばれるものだった。
骨といっても竜の死体から取られているものではなく、眠ってる竜の骨らしい。
彼らは生きるのに飽きると、肉体を宇宙の塵に戻し、骨だけ残して眠るのだとか。また活動を再開したくなったら、体を再構築するらしい。
この骨によってできるようになったのが、3次元格納2次元拡張空間を利用しての移動である。
竜たちに言わせると、この宇宙は時間を抜かしても五次元でできてるらしい。
ただし、残りの二つの次元はとても狭く、じぐざぐしてるのだとか。
そこを竜たちが無理やり広げて出入りしてるのが、3次元格納2次元拡張空間である。
人間たちが竜の骨を利用して、わざわざこの空間に入る理由はいくつかある。
このふたつの次元は、3次元空間の空間軸ように互いに直角には存在せず、何度か斜めに横切るように存在している。なのでこの二次平面を移動すれば、3次元の座標もおのずと変化していく。
そしてこの2平面は通常の3次空間と比べて宇宙の膨張の影響をあまり受けておらず狭い。
それがわたしたちにとって、大きなメリットだった。
この空間に飛翔を行い、この場所の二次元軸を数m進むだけで、3次元空間における何万kmの距離を稼ぐことができるのだ。
そしてじぐざぐしているという言葉の通り、この空間において3次元座標情報は、いくつかの断層をもっている。
つまり場所によっては1メートル先が、遥か数万光年先の場所であることもある。
これを利用すれば、座標移転じみたことも可能なのだった。
これにより、わたしたちは光速を超えることはできないが、光速を超える移動距離を稼ぐ手段を手に入れることができた。
それが竜が与えてくれた竜骨の力だった。
竜骨は3次元空間からこの空間に侵入するのを助けてくれる。
この空間でのわたしたちの三次元情報を保護する皮膜を張ってくれる。
この空間は3次元空間に比べとても狭いので、竜骨なしに進入すればわたしたちはぺちゃんこになってしまうのだ。
この空間での移動も、通常の推進装置では役に立たないので竜骨の力を利用する。
2次元空間から3次元空間に戻るときも、竜骨の力は必要だ。
何から何まで竜便りの技術だったが仕方ない。わたしたちには他に宇宙を速く移動する術がないのだ……。
この空間において注意すべきことは三つ。
まずは次元の穴ともいうべき場所。基本的にはこの空間でも三次元情報は連結されてるのだが、さっきもいったようにじぐざぐしてるせいで断層がある。
3メートル先が、100億光年の彼方でもおかしくないのだ。
そういう場所は少ないが、間違ってはいってしまえば、私たちの居住宇宙域では起こり得ない、凄まじい超巨大ブラックホールやわたしたちでは解明できないエネルギー放射やらに巻き込まれて一瞬で素粒子以下まで分解されてもおかしくない。
同様に数メートルさきが、別の3次元空間ということがあるのだから、自分たちの体の大きさに気をつけなければならない。
位相が入り組んだ場所で通常空間に下降したりすれば、船体がばらばらになってしまう。
そして最後に、ここは竜のおひるねの場所だということだ。
ここは通常空間より静かで寝心地がいいので、竜たちが侵入し無理やり広げてきたのがこの空間である。
わたしたちはそこを間借りさせてもらってるのだ。
この二次元空間には竜が寝ている場所がいくつかある。
もし彼らに宇宙船を衝突させ、気持ちの良い睡眠を邪魔し怒りをかえば。
瞬く間に粉みじんにされ、ひらべったい二次元空間の塵として、この空間を漂い続けることになるだろう。
有史以来、無茶な航行をして、竜の怒りを買ったものは数えるほどだがいる。
彼らは洩れなく、この二次元空間の藻屑となった。
それでもわたしたちの竜たちへの評価は、とても寛大な種族だということで変わらない。
無茶なことをした馬鹿が悪いのだ。
そんなことがあってもわたしたちにまだこの空間を貸してくれる彼らは、本当に寛大な種族だとみんな思ってる。
いまでは、宇宙空間を移動するほとんどの船が、竜骨を備えている。
そうでなければ、この広い宇宙をまともに移動することなどできやしない。
ただわたしたちの船ミルフィアに使われている竜骨は、眠っている竜の骨ではない。
はじまりの船団が分け与えられた眠っている竜の骨。いわゆる休竜骨は、我々、地球生まれの種族でいう脊椎に当たる。
宇宙を気ままに飛び回っている強靭な生命体と、銀河のはしっこで細々と生きてた貧弱な生物たちの構造的特長が一致するのは、宇宙の不思議というものだった。
だから彼らは友好的に接してくれるのだろうか。まあ、わからない。
休竜骨は彼らの本体であり、起きたときの再生の起点となる。
この骨はとても大きく、都市機能を持った宇宙船のような大型艦船に使われる。
わたしたちの船のような小型艦船にはそのような大きな骨は必要ない。
竜たちは自由に肉も骨も再生できる。起きている彼らに指の骨や体の一部の骨などを分け与えてもらい、建造されるのが分竜骨を使った中型から小型の艦船だった。
ただ体を切るのは彼らでも気分は良くないものらしいので、分け与えて貰うには彼らの気に入る贈り物をしなければならない。
そこで誰もが思うのが、眠ってる竜の骨を勝手につかったら怒られないかということだろう。
休竜骨を渡してきた竜曰く、『怒るやつもいるかもしれないけど、一度寝たら起きるのは数億年後だから大丈夫じゃね?』だそうだ。
はじまりの船団の人間もさすがに不安になって「もし、竜が起きて、自分たちに怒り出したら?」とたずねたらしい。
帰ってきた答えは、竜曰く『そのときは今度こそお前ら滅びるかもね』だった。
まあそれでも、使っちゃってるのだから事情はお察しください。
人間たちがこの広大な宇宙で繁栄していくには、それなりのリスクを負わなきゃやってられなかったのだ。
わたしたちがついに手に入れた広大な宇宙を、銀河社会を形成できるほどのを速度をもって移動できる手段。
それを可能にした竜たちが作った空間は、彼らへの尊敬をこめて天空域と呼ばれるようになった。
かつて人間たちが故郷の星に、惑星の地面に住まっていたころ見上げた空へ、その場所を例えたのだ。
そしてそれと合わせて、通常の三次元空間は地空域と呼ばれるようになっていった。




