表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
デモンズラビリンス  作者: 漆之黒褐
第三章
73/73

3-25

 揺らめく闇世界の内部や、天上にある影面の先の景色が歪んで見える。

 【影潜】で潜り込んだ地面の先は地上とは異なる原理に基づいて存在する異空間。

 物理的に回避不能と判断した瞬間、まるで脱皮するように悪魔は影の中へと逃げ込んだ。


 悪魔の姿を象る残り糟は氷霧に触れてパキパキと凍っていく。

 取り残された寄生者は身を縮こませ空となった悪魔の中へと潜り込み暖を取る。

 だが彫像の様に無表情な顔に空いた目玉の空洞や鼻、口から冷気が入ってくるため暖房器具として欠陥品だと気付き、すぐに足裏を溶かして地面の中へと退避。

 その際、薄皮のみでとても脆い抜け殻がこのまま壊れてしまうのは勿体ないと思ったのか、それとも置いてけぼりにされた意趣返しなのか、寄生者は謎の液体で内側を塗りたくり補強した。

 周囲一帯銀世界となった森の中に凍れる悪魔の像が完成した瞬間だった。


 《隠者》が狂喜乱舞しながら悪魔の像へと近づく。

 氷に閉ざされた世界となった事で急激に気温が下がり寒そうに身体を震えさせていたが、気持ちの方はとても熱く燃え上がっていたので全く気にならなかった。

 酷使した身体が歩くのも辛いぐらいに疲弊しているという事実にも《隠者》は気付かない。

 いや、頭の中には欠片も気にしていないが身体の方はしっかり覚えているのか、半自動的に懐から一本の薬瓶を取り出し口の中へと流し込む。

 不気味に笑いながら薬を飲み口端からドバドバと垂れ流すその《隠者》の姿に、難を逃れたモンスター達は満場一致でアレには決して近づくまいと心に刻み込んだ。


 そのモンスター達の影の一つから音も無く悪魔が浮き上がる。

 血飛沫と血肉片が飛び交う――と、どのモンスターも想像したが、予想に反して彼等の生命が悪魔によって脅かされる事は無かった。

 ――と思った次の瞬間、悪魔と化した別の化け物が地面よりボコりと現れ、ぐばぁっと眼前に広がりモンスター達と悪魔に(ヽヽヽ)襲い掛かった。


 一喝と衝撃波。

 置いてけぼりにされて怒ったスライムの身体が周囲に飛び散り猛威を振るう。

 死の雨が降り注ぐ一帯、それほど大きくない範囲から必死に逃げ去るモンスター達の断末魔の悲鳴があがる。

 溶かす気満々で体内の酸性度を高めていた事で、四方八方に飛び散ったその液体に触れた地面や木々、モンスターの身体がシュウシュウといって溶かされる。

 レベルの低い者は液体が触れた瞬間に尋常ではない速度で溶かされたため、溶かし貫かれ頭に小さな風穴を空け絶命した者さえいた。


 怒れる相方に恐れをなして悪魔は後退。

 下がりつつもモンスターの首根っこを掴み前方へ投擲。

 一瞬で死地と化した空間に放り投げられた幼き狼は、キャンっと悲鳴をあげたあと、空中で手足をジタバタと動かしながらその人生で初めての天への祈りを捧げた。

 その願いが叶えられる事は無く、集結していたスライムにキャッチされ捕食されるという悲惨な運命を迎える。

 断末魔の悲鳴をあげる間すらなくみるみる骨格標本へと至った子狼に、悪魔よりもそのスライムの方が明らかにヤバい存在だとモンスター達は脳裏に焼き付けた。

 そしてそれは逆再生で蘇った狼もどきの姿を見て確信に至る。


 スライムが子狼の骨を軸にして変身。

 見た目では判別がつかないほど似せた狼もどきが疾走し、狼モンスターの群れへと突っ込みリーダーである番の雌の首へと齧り付く。

 目を疑う様な光景にも呆気に取られる事なく後方で事態の推移を冷静に見守っていたその雌狼だったが、襲い掛かってきた狼もどきと瞳を合わせてしまった事で動きを封じられ逃げる事は叶わなかった。

 狼もどきは凄まじい顎力と唾液の溶解力で瞬く間に雌狼の首を噛み切りその命を奪う。

 《魔隷商人》に捕まるまで数百という子を産み多くの人間達を苦しめてきた《狼玉姫ニブヘラ》だったが、その最後はなんとも呆気ないものだった。


 だが《狼玉姫ニブヘラ》もただでは終わらない。

 長く群れを率いてきた女傑は最後の力を振り絞り封印していたスキルを開放する。

 夫であり第十四代目の紐男ならぬ紐狼にこっそり植え付けていた【亜狼母神の因子】を暴走させ、更に【死兵】【狂狼化】【限界無視】【死徒新生】を使用。

 己の命を奪い去った狼もどきに憎悪の視線を向けながら逝った。


 今まさに逃げの態勢に入っていた夫の雄狼の瞳から恐怖の色が消え赤く染まる。

 全身の毛が逆立ち、剥き出しの犬歯から大量の涎を流し、大地をかぎ爪の様に突き刺していた爪が急激に伸び、徐々に身体全体を膨張させていく。

 己の意思を無視して強引に強化された筋肉が激しい痛みを発していたが、狂気する思考は一切の痛みを受け付けず、ただ見える全ての者を食い殺す事だけが脳を埋め尽くす。

 幼き狼の姿を象っている狼もどきの前に、元のサイズから一回りも二回りも大きくなった怒れる狂狼が立っていた。

 悪魔と《爆滅の隠者》の死闘に匹敵する獣同士の戦いが始まる。


 悪魔はその戦闘を楽しそうだな、と羨ましそうに見つめながら《狂奇の魔学者》の首をねじ切っていた。

 霜焼けになる事も厭わず悪魔の氷像をペタペタと触って弄繰り回していた男は、悪魔が後ろから近づいても声をかけても一切構わず終始己の世界に没頭していたため、詰まらないとばかりに悪魔は天誅を下した訳である。

 それ以前に悪魔は魔法より肉弾戦の方が好みだったため魔法主体で遠距離殲滅戦が得意な《狂奇の魔学者》にあまり興味を示さなかったのも一因だろう。


 屍を放り投げ、悪魔が後退。

 下がりつつも第玖位闇黒系魔法【闇弾】を多重行使。

 一瞬後を高速の飛翔物が通り過ぎ地面を穿つ。

 大地を抉る様に突き刺さったそれは赤く脈打つ不気味な大剣だった。


 闇色に輝く六つの弾を正六角形に並べる悪魔の視線が残る《隠者》の一人へと向けられる。

 それまで戦闘に加わらず遠くでずっと何やら詠唱していたその人物の顔には血の気がまるでなかった。

 男は悪魔を倒す為に自らの血を媒体にして強力な魔剣を召喚していた。

 風が靡き男の身体を隠していたローブの裾がめくれると、そこにはどうしてそれで立っていられるのか不思議でならないほど枯れ枝と化した足があった。


 死んでいてもおかしくない状態にも関わらず男はまだ生きている。

 それは男の命が魔剣と一体化している事が理由だった。

 その魔剣の名は屠血剣ガラノヴァ――これでも悪魔の一柱であり、本来ならば何百人分の生き血を捧げる事によって召喚が可能な高位の悪魔であり、剣に宿っている力は彼の悪魔の力の一端である。

 男は何十年と血を吸い続けた呪い剣と自らの命を代償に悪魔と契約を交わし、悪魔の力を剣に宿す事に成功していた。

 但し、その魔剣の力を開放するには自らの血のほとんどを捧げ、剣と己の魂を一体化させる必要がある。

 魂が剣の方に移るので肉体の方は残り滓で辛うじて生命を繋ぎとめている状態にあり、絶えず激しい苦痛が男に襲い掛かっている状態だった。


 並の人間にはまず耐えられないだろう苦痛や激痛、それに耐えるだけの意思の強さ――復讐の心を男は持っていた。

 全ての悪魔を滅ぼす為に悪魔の力すら利用する、そんな矛盾を抱えた男の苦痛の嘆きを好物としている悪魔の意思の欠片は、男が死ぬのを許さない。

 風が吹けば簡単に死ぬのではないか、そう思わせるほど命がカツカツな状態にある《隠者》に向けて悪魔が【闇弾】の一つを飛ばす。

 軟球サイズの鈍色の光は、しかし男にぶつかる前に突如として消失。

 揺らめいた空間に《隠者》の姿が呆け、波紋として広がりゆっくりと森の中へと消えていった。


 予想外に面白そうな状況に思わず笑みを浮かべた悪魔の背後で、屠血剣が宙に浮かびその切っ先が悪魔へと向けられる。

 音も無く水平に動いた魔剣に、悪魔は振り返る事なくその身を横に捌いて躱す。

 だが魔剣が通り過ぎた瞬間、悪魔の身体に血飛沫が舞った。


 斬空の刃でもなく風嵐系の魔法でもない、ましてや幻覚の類でもない事は斬られた胸脇に触れベットリと血が付着した事ですぐに分かった。

 物理的な根拠に基づくダメージならばそれ相応の現象が他にも起きている筈なのだが、それは無かった。

 物理法則を無視する魔法の類にしても物質世界に及ぼす影響というものはなかなか無視できるものではなく、候補として真っ先にあがった風嵐系の魔法ならば風刃の残滓が少なからずあるものだし、幻魔系の魔法ならばダメージそのものが偽物という可能性もあるのだがそうでもない。

 顔に付いている二つの瞳ではなく360度の空間すべてを視る【空間視】のスキルでも幻には視えず、【見切り】や【心眼】【気配察知】といったものにも引っかからなかった。

 それはつまり、その魔剣が余程高位の魔法もしくはスキルを行使したという事である。


 美味しそうな獲物の登場に悪魔が舌なめずりする。

 距離の概念がない特殊スキルなのか、それともまだ悪魔が持っていない最上位属性魔法、源位二属性のどちらかであるのか。

 【闇弾】を放った時に見えた様に、空間そのものに作用するという事ならば後者が適当か。

 盾や鎧などの防御も無視し、回避すら意味を成さない絶対攻撃だというのなら――そんな力が世界に有触れているのならば、まだまだ自分が知っている世界は狭すぎる。

 知り合いのゴブリン二匹の事を思い出しながら、悪魔はもっと世界へと脚を伸ばそうと心に決めるのだった。


 憎悪の込もった《隠者》の不気味な瞳が輝く。

 その意を汲んだ魔剣が重力を無視し、剣としての姿を否定する軌跡で悪魔を襲う。

 浮遊する魔剣が三次元軌道で刃を振るう。

 悪魔は間合いを取り兼ね後方へ跳ねる。

 持ち手のいない魔剣は自由にその軌道を変え悪魔を追い、不可視の刃で森の空間を切り取る。

 必要以上に安全距離を取り回避した悪魔の後方にあった大木が、刃も届いていないのに両断され倒木。

 その幹に手をかけ折った悪魔が、長い木の枝を片手に逃げていく。

 空中に浮いた1メートル半の不気味な紅い魔剣が慣性を無視して鋭角に軌道変更。

 斬撃から刺突へと変化した魔剣の峰に木の枝が強く叩きつけられ再び軌道が変わる。


 右に左に魔剣が軌道を変え悪魔に襲いかかり、悪魔の振るう木の大枝が打ち払う。

 金属と木が激しくぶつかり合う音が連鎖的に森に響き、音が鳴るごとに木枝の欠片や木の葉が乱舞し周囲に降り注ぐ。

 回数を重ねるごとに悪魔が持つ枝は整形され形を整えていく。

 無駄な部分が魔剣に削り取られ棍棒としての様相へと変貌していく。


 木から木へと立体軌道で逃げていた悪魔が停止。

 肘より先を失っている腕を眼下の《隠者》本体へと向け、その周囲に六つの水色に輝く弾を生成。

 連なった六つの弾が腕の回りを回転し、速度をあげ、光の環となった第玖位神聖系魔法【聖弾】が悪魔の肘先に収束。

 さながらレーザー銃の如く打ち出された光線が耳障りな高い音を発し《隠者》へと迫る。

 即興で魔法を改良し打ち出した悪魔自身はその反動で銃口に仕立て上げた腕が二の腕半分まで腕を焼き尽くされていた。


 《隠者》は、怪しい瞳を悪魔に向けたまま微動だにせず立ち尽くしていた。

 心臓を正確に撃ち抜かれ失った《隠者》の口から血が零れ、風穴の先にあった地面にもポッカリと斜めに穴が掘られその威力を物語る。

 だが《隠者》の瞳から輝きは失われない。

 命を宿していない《隠者》の抜け殻がいくら傷付こうが、魔剣に宿る悪魔が魂を牛耳っている限り死は許されない。

 跡形もなく消し炭にされるならまだしも、左腕、右腕、左足、右足、心臓、胴体など、鼻より下のどの部分が失われても魔剣の悪魔は再生を可能とする。

 再生後の姿が人でなくなる可能性は否めないが、脳が残っている限り《隠者》の苦しみは永遠永劫に続く。


 半壊した森の月明かりの下、剣を持たない魔剣使いの《隠者》と片腕を自爆で失った棍棒持ちの悪魔が、地上と木上で相対する。

 己の命を燃やして魔剣を操る《隠者》の瞳が再び怪しく輝き、空中に浮遊していた魔剣が猛威を振るう。

 悪魔は握りしめていた棍棒を投げ捨て、《暗殺者》から失敬していた短剣にて応じる。

 幾多の命を奪ってきた暗殺武器が小枝の様に斬り払われ――悪魔の身は守られなかった。


 夜空に浮かぶ月の光が二つにされた悪魔の姿を照らし出す。

 月下の〈アーガスの森〉の深部、かつては不帰の森とされていた大森林の南部に住んでいたモンスター達は悪魔の存在を恐れ逃げ出していた為、その光景を目の当たりにする事は無かった。


 木々の間では《宝瓶之迷宮アクエリアス・ラビリンス》より這い出してきたモンスターの大群が展開し、戦闘継続の意思を既に失っていた賊達や《魔隷商人》が使役するモンスター達を作業の様に捕まえ、殺し、その肉を喰らい、阿鼻叫喚の絵図を作り始めていた。

 ゴブリンやバグベアは悪食で人の肉も内臓も好んで食し、少しグルメなコボルト達は仕留めたモンスター達の肉――優先はリトルウールベアー(くま)と|サイレントグレイシーホース《うま》――を焼肉にして食する。

 そんな食事の真っ最中の彼等の瞳に映った悪魔の姿は、彼等の手を止めるには至らない。

 あの悪魔の非常識さをとっくに知っていた彼等は、真っ二つにされたところで死にはしないと本能で悟っていたので、目の前にある御馳走の方を優先する。


 例外は、彼等の統率を任されていた二匹のゴブリンぐらいである。

 何百年と生と死を繰り返してきてもそういう食事には全く興味を示す事の無かった一応は常識人であるそのゴブリン達は、馬の確保には失敗したが《魔隷商人》というちょっとレアな職を持っていた人間に着目し、暴走する仲間達の魔の手ならぬ食欲の手から守っていた。


 戦意を失い命を諦めていた襲撃者達ではあったが、御馳走に群がる下級モンスター達はハッキリ言って雑魚の一言であり取るに足らない存在である。

 にも関わらず次々と討ち取られていくのは、集団で個を確実に刈り取っていく統率者の存在があるから……だけではない。

 魔剣は魔剣であり、周囲に甚大な被害をもたらす。

 あらゆる生命体に対し周囲1キロに渡って軽度の疲弊や憔悴などの異常効果をもたらす魔剣の効果が、その場にいる全員の能力を著しく落としていた。


 背景にある雄大なる大自然にも、魔剣の影響は表れている。

 活き活きと葉を茂らせていた大樹は急速に元気をなくし枝葉の先から順に枯れ始め、闇夜で分かりにくいが腐養を多分に含んでいた大地の色はみるみる色褪せ、周囲を照らす焚火の炎も苦しそうに怪しく揺らめいている。

 骸と化した襲撃者達の肉体は急速に腐り始め、しかし魔剣の呪いの影響はそれだけでなく、肉体と分離する事を余儀なくされた魂の方にも影響を及ぼし、風の鳴き声に混じってどこからともなく悲痛な叫びが森の中に木魂していた。

 自然の光景に混沌とする怪しき不自然が混ざりあい、そこはもう異世界となっていた。


 破滅の矩形の先、大森林に出来た呪いに満たされた地、そんなあらゆる者が活力を失っていく場所において、ゴブリン、コボルト、バグベアのモンスター軍団は元気に活動していた。

 その顔には苦悶ではなく焦りの色。

 御馳走が急速に鮮度を落としていくからだ。

 生かしていようが鮮度は落ちるし、殺せば急速に鮮度が落ちていく。

 となれば、少し難易度が高いが獲物は生かしたまま喰うのが最善となる。

 だがそんな事をすれば反撃によるこちらのダメージもなかなか無視できないものとなってしまう。

 現に、命は諦めたが最後の悪足掻きをしてきた賊の一人に返り討ちにされたゴブリンがいた。


 その場にいる者達全員に等しく降りかかっている呪い。

 にも関わらず、命を落としていくのは悪魔の命を取りにきた者達ばかり。

 素の能力ではモンスター軍団の方が明らかに下であるにも関わらず結果が異なる理由は、戦術結果と戦意士気によるもの――ではない。

 この場には、悪魔ほどではないが明らかに非常識な能力を持ち合わせている二匹のゴブリンがいた。


 魔剣の呪いを無効化にするスキルを持ち合わせている雄のゴブリン。

 特定の効果を範囲化し、指定した対象にのみ影響を及ぼすスキルを持ち合わせている雌のゴブリン。

 主に高位の聖職者が持ち合わせている前者のスキルを何故ゴブリンごときが持ち合わせているのか、という事よりもむしろ戦術級の激レアスキルである後者のスキルが明らかにスキル熟練度が成長した状態で行使されている事の方が異常なのだが、その事に気付いている者はこの場にはいない。

 狭い世界のみでしか活動してこなかった両者の知識に、人間達の世界の常識など分かる筈もなかった。


 非常識ゴブリン二匹の御蔭で祭りと化している戦場の一角で、魔剣の刃の目は、両断した悪魔の姿を捉え続けている。

 両断した悪魔同様、瞳ではなく能力によって周囲の状況を把握しているため、魔剣の悪魔は相手が死したとは微塵も思っていない。

 悪魔の生命の滾りはほんの少ししか失われていないし、同じ悪魔であるが故にそんな事では悪魔という存在は死なないとも知っている。

 だが魔剣の悪魔は攻撃を再開することなく、ただじっと見ているだけだった。

 何故なら、契約者である《隠者》が苦しむ事こそが悪魔の求めるものであり、眼前の悪魔が死のうが苦しもうが魔剣の悪魔にとってはどうでも良い事だからだ。

 操者である《隠者》に攻撃する意思が無いのなら、魔剣はただじっとしているだけである。


 《隠者》は血を吐き、大地に四つ足となっていた。

 無理に無理を重ねた魔剣召喚、魔剣操、そして心臓の喪失。

 悪魔を両断した際に生じた気の緩みで一気にその影響が表面化し、ここぞとばかりに《隠者》の心身を苦しめていた。


 呪われた大地に血の養分が吸収され、その赤黒い血が呪いの影響を強める。

 だが悪魔には関係ない。

 呪いを無効化するスキルの恩恵を意図的に受けられていないのは別問題として、そもそも同じ悪魔の時点でその呪いの効果はない。

 それは《隠者》自身も重々承知している事であり、世の中そんなに都合よく事は運ばないという事も知っていた。

 悪魔は悪魔であり、契約した魔剣の悪魔にしても力を借りる事は成功したが、互いに協力関係にある訳では決してない。

 利用し利用される関係、利用価値があるからこそその魔剣の悪魔は己に力を貸してくれている、その代償は自身の苦しむ姿。

 きっと魔剣の悪魔はこう思っている事だろう――あの悪魔に勝つ事は出来ない、ただ苦しむだけ、さていつまで楽しませてくれるのか――と。


 歪む世界の中で《隠者》が唇を噛む。

 足元に広がる大地には、自身の中にはもうほとんど残っていないなけなしの血。

 生きてさえいれば血はまた作られるし、血はどれだけ失っても死ぬ事だけはない。

 しかし、しかしだ。

 絶対の防御だと信じていたあの魔剣の防御壁を易々と突破してきた聖光だけはやばい。

 相手が悪魔だからこそ使えないと思っていた神聖系魔法――それを何故あの悪魔が聖なる光を操れるのかが全く理解が出来ないが、現実にこうして肉体にダメージを受けた。

 それがいつもの魔剣の悪魔の戯れならば良かったのだが、あの一瞬で流れ込んできた魔剣の悪魔の感情から、そうではない事がうかがいしれた。


 いくら神聖系魔法でも相応の威力が無ければ魔剣の悪魔の防御を越える事は出来ない。

 それが突破された事実。

 もちろん悪魔の方もただでは済まなかったが、その程度のダメージなど悪魔が持つ膨大な生命力からすれば大したダメージではない。

 見上げた《隠者》の瞳に枝葉に掴み浮いている上半身と、その枝葉の上に悠々と立っている悪魔の姿が映る。

 上下の位置が明らかにおかしい悪魔の断面からは、血と思われる液体は流れ落ちていなかった。


 悪魔が不気味に微笑む。

 その微笑む唇で消し炭となっている腕の根元に噛みつき、顎の力だけで食い千切る。

 神聖属性の影響か、それとも傷口が炭となっている所為なのか、再生のままならない腕をそんな風に豪快に排除する姿に――強引な対処方法に《隠者》の魔剣がまるで笑っているかのように震える。

 その先端、鋭い切っ先に巨狼が突き刺さった。

 地上で高機動戦闘を繰り広げていた狼二匹の小さな方が短い脚で放ったサマーソルトウルフキック。

 蹴り飛ばされた巨狼も魔剣の存在は認知していたが、そこは狡猾な悪魔。

 同族の悪魔には手抜きはしても、理性も自我も失っている巨狼相手には容赦なく幻覚を見せ自らの位置を誤認させていた。


 脇腹を貫く魔剣に、巨狼が驚愕よりも怒りの表情を浮かべる。

 巨狼の咆哮とともに衝撃派が森に広がっていき、ゆらゆらと落下していた木の葉が砕け散り、大樹がバキバキと悲鳴をあげ、悪魔と子狼が後退していく。

 落下する悪魔の手には下半身の足首が掴まれ、それを棍棒代わりに振るい一時羽根を休めていた大樹を破壊。

 もう一度打ち付け、大樹を衝撃派の盾とする。

 後退する子狼は行く先で食事をしていたゴブリンとコボルトの首根っこに噛みつき強引に連れていく。

 いつの間にか頭部が二つに増えていた事に軽口のツッコミを口ずさんだのは、同じく人体の構造を無視して空中散歩する悪魔ぐらいだった。

 自立行動を開始した下半身に捕まっている悪魔の姿に、二匹のゴブリンが痛い視線を向けていたが悪魔は気にしない。


 悪魔の足が大地を踏み、自らの上半身を蹴り飛ばすと同時に爆発する様に疾走。

 足元の大地が爆ぜる。

 一足先に目的地へと向かう悪魔の瞳には、自暴自棄に女戦士へと襲い掛かる雄狼と化した《魔隷商人》の姿が映っていた。

 どうせ助からない命ならば最後ぐらいは女でも犯して楽しもうと、気絶していた女戦士を物陰へと連れ込み服へと手をかけたところで時間切れ。

 後頭部を殴られ首が吹き飛んだ《魔隷商人》は天国を味わう前に天国へと昇る。


 遠ざかる悪魔に、《隠者》が全身を蝕む激痛をおして魔剣に指示を出す。

 苛まれる脳に更なる苦痛が生まれ意識が遠のきそうになるが、《隠者》は悪魔を憎悪する切っ掛けを思い浮かべそれに耐えきる。

 契約を結んだ主の負の感情と苦しみを存分に味わう魔剣。

 その魔剣に手をかけ身体から引き抜こうとしていた巨狼の動きが唐突に止まる。

 そして次の瞬間、巨狼は魔剣に体内から血を吸われ呆気なく絶命。


 新たに力を得た魔剣の悪魔は、その場には存在しない本体の方で唇に笑みを浮かべ魔剣に力を注ぐ。

 今仕方、命を奪った巨狼の亡骸を不死者として復活させ自らの半身を持たせる。

 突き刺さっている身体から強引に魔剣を振りぬき巨狼の脇腹が爆ぜ肉片を巻き散らす。


 肉片と共に魔剣持ちの不死巨狼が落下。

 その合間に骨格がゴキゴキと鳴り響き、剣を振るいにくい狼の姿から歪な二足歩行の化け物へと変化を遂げる。

 悪魔の力で強引に肉体改造された不死巨狼は、伸びた足爪で大地を突き刺しえぐりながら前進。

 片腕に持った魔剣を振り上げ、そして振り下ろした。


 リミッターを解除された不死巨狼の全力の振り下ろしに魔剣の力が加わり、森の中を一直線に破壊し突き進む凶悪な斬撃の刃が生まれる。

 邪魔するもの全てを斬り払い、粉砕し、破壊する一撃。

 巻き添えをくらった盗賊の亡骸が両断され、その亡骸を捕食していたバグベアの腕が千切れ跳び、逃げ遅れた蛮鬼(バーバリアン)の命を蹴散らし、標的である悪魔の身へと迫る。

 下半身との合体を目論んでいた悪魔が不安定な体勢のまま腕を構える。

 眼前に迫る凶刃が、その規模と速度とタイミングの悪さから回避しきれないと理解したからだ。


 悪魔が実体の無い斬撃の刃に向けて雄叫びをあげながら全力で拳を振るう。

 己に到達するよりも若干早く振り抜かれた拳に上乗せされたスキルの数々が発動。

 悪魔を滅する為に放たれた魔剣の一撃に、巨大な空気の塊がぶつかる。

 続くのは爆ぜる強烈な衝撃と音。

 破壊の嵐。

 巨大ダメージを逃れる為に大ダメージ覚悟で放たれた【聖爆拳突き】の派生技【聖爆拳】。

 

 再生されたばかりの腕がその衝撃で吹き飛び、再び片腕だけとなった悪魔が疾走。

 魔剣の死角となる位置へと移動、鋭角に軌道を変え不死巨狼を横から襲いかかる。

 不死巨狼は腐った瞳ではなく不死者の特技である生体感知で悪魔の位置を正確に把握し、迫る悪魔に魔剣を振りかざす。


 魔剣で攻撃せよ――その呪いの命令によって動きが一手遅れ、不死巨狼の身が大地に沈む。

 攻撃より一手早く接近した悪魔は殴る蹴る足払い投げ倒すの連続攻撃で不死巨狼の身を叩きのめし、次に魔剣を持っていた腕を蹴り飛ばし、最後に己を中心とした【聖結界】を発動しその中で【神聖治療・弱】で不死巨狼の身を癒し焼き滅した。

 呪怨の悲鳴をあげながら不死巨狼は安らかな眠りへとつく。

 あとには骨一つ残らなかった。


 空中に蹴飛ばされた魔剣は己の役目を終え、事の成り行きを鑑賞する。

 そこそこ手をかけて生成した手駒をアッサリと倒された事を賞賛しつつ、そろそろこの遊びも終わりだなと察していた。

 《隠者》が再び魔剣を欲し、その呼び掛けに答え魔剣が慣性の法則を無視して飛翔。

 屠血剣ガラノヴァの刃は、しかし悪魔の放った投石に阻まれ、激突音と爆炎を散らす。

 自らの身だけではなく他の物質へも聖爆の力を乗せてきた悪魔の成長力と応用力に魔剣は空中で回転しながら驚いていた。


 もはやこれまで、刀身に負ったダメージを魔剣は回復させる事なく、再び《隠者》の求めに応じて飛翔。

 妨害攻撃を躱しつつ《隠者》の元に辿りつき、その刃で《隠者》の脳を刺し貫く――直前で悪魔に刀身を掴まれる。

 そして破砕。

 砕かれた破片は闇黒の霞となって消え去り、魔剣本体も赤黒い炎に包まれながら消滅する――その身に捕えていた《隠者》の魂ごと。

 魂を魔剣に宿っていた悪魔の元へと連れていかれた《隠者》の骨と皮だけの身体は、魔剣の加護を失った瞬間、風に吹かれて塵となって消えていった。


 そして戦いは終息する。

 迷宮の悪魔とモンスター軍団の圧倒的勝利として。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ