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デモンズラビリンス  作者: 漆之黒褐
第三章
72/73

3-24

 横に抱いた女戦士によって並々と注がれた毒の盃を一息に飲み干した悪魔が、戦いに臨む襲撃者達の第一歩と時を同じくして口元に笑みを浮かべる。


 このままずっと二人だけの夜が続くのであれば、それも吝かではなかったんだな――そう呟いた悪魔の言葉に、酔いがすっかり回っていた女戦士は一瞬振られたのだと勘違いした。

 美味しい酒が手に入るのなら一晩悪魔にその身を預けるぐらい安いものだと考えていた女戦士。

 しかしすぐに思い違いに気付き、身を固くする。

 女戦士も歴とした冒険者の端くれ。

 これでもランクBの白銀(シルバー)クラスとして長く活動しており弟子も取っている。

 異常に静かな森の様子と四方八方から微かに感じる殺気を感じ取り、女戦士はこれから何か大変な事が起ころうとしているのだとすぐに理解した。


 一点に集約されている視線。

 向けられている悪しき感情――その中に潜んでいる下卑た思い。

 寄り添っているが為にそれらすべてを知覚し、把握し、いつの間にか包囲され狩られる立場にある事を察する。

 ゆっくりと近づいてくる気配の数々が何を目的としているのか、女戦士も分からない訳では無かった。


 悪魔が、隣にいるのだから。


 不安そうに見上げてくる女戦士に悪魔が何事かを囁き、後ろに下がらせる。

 その動きに襲撃者達も気付かれた事を悟り、即座に気配を断つことを止め走り出す。

 ――だが、次の瞬間。

 戦いの始まりに一層に意識を集中させていた男達の視界から、悪魔の姿が突然に掻き消えた。


 溜めに溜めた一撃を放とうとした《隠者》が、まずは手斧を投げ牽制するつもりだった《戦士》が、遠吠えで仲間を鼓舞し死地へと送り込もうとした狼が、標的を見失い動きを止める。

 観察に徹し悪魔の様子をつぶさに見ていた《盗賊》の瞳はおろか、気配を感じ取る事に長けていた《隠者》の鋭敏な超感覚でもとらえる事の出来なかった悪魔の動き。

 唯一、《暗殺者》だけが悪魔の現在位置を正確に把握していた。


 その姿が掻き消えようと気にせず突っ込む者達もいる。

 悪魔よりも女戦士に興味を持っていた《悪漢》や蛮鬼(バーバリアン)、殺す相手がもう一人その場に残っているため全く気にしなかった猿鬼(オロリン)亜子鬼(モブリン)等は足を止める事無く、同じように呆気に取られていた女戦士の無防備な背中に襲い掛からんと狂刃を振り上げた。

 だが彼等の半数は、突如進行方向に発生した隙間もないほど埋め尽くされた無数の業火に阻まれ、足を止める事となった。

 急停止に間に合わなかった者や気付いていても尚突っ込んでいった者はその業火に焼かれ、絡みついてくる炎に全身を火達磨にされる。


 戦闘が起こる事を予想していた悪魔は、周囲に充満していた酒気を幻魔系魔法第拾位【幻霧】、第玖位【毒霧】、第捌位【麻痺霧】等で留め、奇襲に対する備えを予め行っていた。

 そこに火炎系魔法第拾位【着火】を使用すればどうなるか。

 結果は当初の予想よりも大きな効果をあげ、火達磨にした者達を大いに苦しめた。

 その原因が《盗賊》が用意した毒酒の特性にあった事は皮肉だろう。

 霧状にしたアルコールに着火すれば一瞬だけ激しく燃え盛るだけで、大したダメージも与えずにちょっとした時間稼ぎが出来るかな、と実験のつもりで使用したのに異なる結果を得てしまったその事態に、内心一番驚いていたのはそれを実行に移した悪魔の方だった訳だが。

 尚、炎が絡みつくという特性の方はスライム酒の効果だった。


 二度続けて驚かされる事になった襲撃者達。

 炎の結界が行く手を阻んでいる時間は長くは無かったが、炎が消えた後も地面の上ではメラメラと燃えたままの仲間達がおり、標的の姿は未だに消失。

 再び顔を青くして、やはりこの戦いに参加するべきでは無かったと今更ながらにまた後悔し始める。

 同じように驚いたまま固まっている女戦士も急激な事態の変化についていく事が出来ず目を見開いていた。


 余人とは思考回路が異なる《隠者》達だけは口端により一層の笑みを浮かべ、全神経を研ぎ澄ませ悪魔の姿を探す。

 最重点で警戒するのは自らの背後。

 その理由は至極簡単で、この中で最も強い者は自分だと各々思い込んでいるので狙われるとしたら自分だという当然の理論である。

 背後を取られる事など久しくなかったことなので、それはそれで望むべく状況。

 研究色が異常に高い《隠者》の一人だけは狂喜乱舞して他二名よりも警戒が疎かではあったものの、希少な研究対象に殺されてしまうという事態はそれはそれで喜ばしい人生の終わり方だと考えていたので、むしろ彼等の中で最もその状況を待ち望んでいた。


 パチパチと爆ぜる焚火の前で女戦士は別の意味で怯え、しかし同時に何か心の奥底から言い様の無い悦びが生まれていた。

 相手が悪魔とはいえ姿形は人のそれとはほとんど変わらず、むしろ美形の部類。

 それでいて自らよりも遥かに強い男が、命を懸けて自分を守ってくれるという。

 女戦士は戦いの世界に身をおいて既に十数年も経つが、これまでは男に守られる事に喜びを見出すことは全くなかった。

 むしろか弱き女達を守る事にこそ喜びを見出しているタイプだった。

 それでいて酒好きなのだから、生まれてくる性別を間違っていると何度も言われたものである。

 そんな自分が、まるでお姫様の様な扱いを受けている――女に飢え欲望を滾らせた悪漢達が今にも自分に襲い掛かろうとしている光景と、そんな自分を一人の騎士が命を懸けて守ろうとする構図――完全に妄想であり事実とは少しばかり異なるのだが、若かりし頃にはほんの少しだけそんな未来を夢見ていた時期があった女戦士なので、戦士としての矜持はすっかり忘れ自らの得物を構える事は無かった。


 一人だけ場違いの妄想を繰り広げていたこの場で唯一の被害者(ヽヽヽ)をよそに、ようやく我に返った男達が地面の上を転がりまわる仲間達に駆け寄り、水氷系魔法や地獄系魔法で火を消し始める。

 治癒効果のある魔法が豊富で効果も高い神聖系魔法を使える者がその場にいれば良かったのだが、聖職者とは真反対の者ばかりの集団であるため、残念ながらそっち系の属性に適性を持った者はいなかった。

 そうは言っても傷や火傷に対する備えは例え賊であっても常識の範疇なので、手持ちの回復薬やそこそこ効果のある魔法を使用して手際よく処置していく。

 奴隷モンスターの方は放置。

 最初から使い捨てする気満々であった《魔隷商人》なので、消化のみそこそこ対処させただけで、火傷などのダメージは放置し索敵の方を優先させる。


 その存在を最初に発見したのはモブリンだった。

 地上から消えたのだから真上に飛んでいるのでは……そんな適当論理で上を見上げてみたところ、炎の光に僅かに照らされた二つの存在を木の上に発見し、そのモブリンはギャッギャッっと鳴き叫ぶ。

 その姿は偶々そのモブリンの位置からしか見えない絶妙な位置取りであり、それは件の《暗殺者》が己の身を潜める為に選んだ位置だった。


 黒いシルエットが二つ。

 その片方が腕は伸ばされ、もう片方の頭を掴んでいる。

 頭を掴まれている者は四肢をだらんと下げ、その足は木の枝に付いていない。

 その者は既に事切れていた。


 いったい誰が――《隠者》は互いに顔を見合わせ、そしてその者が自身の知らぬ存在であるのを察する。

 地上では苦痛を浮かべた表情のまま焼け死んだ者達の屍が2つ出来ており、それが最初の被害者だと彼等は思っていた。

 しかし現実には、己を越える実力の持ち主……恐らく領主が放ったのだろう監視者が真っ先に潰された。

 黒装束に身を包んでいる事からして《暗殺者》である事は明らか。

 誰にも悟られず確実に仕事を成す者と言えば、この界隈で有名な《暗殺者》は《闇影クナイ》か《風殺しのフウゾウ》あたり。

 だが両者ともそう簡単に動く輩ではなく誰の下にもつくことなく活動しているため、今回の様な急な仕事には絶対に参加する様な事はない。

 たまたま居合わせたという線はまず無いだろう。


 《隠者》達が相手の力量を値踏みするなか、枝の上に佇んでいた悪魔は三方から向けられている視線を一つ一つ確認し、少し考える素振りを見せたあと地上に降りた。

 戦いの邪魔になる為か《暗殺者》はその場に残され、まるで洗濯物を干すかのように枝に掛けられていた。

 表情を一切変えないと言われている《暗殺者》の表情が、何が起きたのか理解できない、という様な表情を浮かべているのが印象的だった。

 消えた時とは真逆で、ゆっくりと地上に降りてきた悪魔が着地する音が、静まり返った夜の森に響く。

 賊達とモンスター達の間に、最初の頃にあった活気はもうどこにも残っていなかった。


 悪魔が一歩踏み出す。

 何気ないただの歩みだったが、襲撃者達の目には殺戮の宴の開始を告げる、死の宣告に等しきものとして映っていた。


 そんな弱気な思いを吹き飛ばすかの如く《隠者》が咆哮をあげ、次いで静かだった森に爆発の様な轟音が鳴る。

 土煙とともに木々の破片や木の葉や土砂が空中に舞い上がり、森に穴を穿つ。

 連鎖する爆発は悪魔目掛けて一直線に続き、連続する爆発によって速度を増した《隠者》が悪魔に急接近する。

 先ほどの《暗殺者》を仕留める際の悪魔の動きを〝静〟とするなら、その《隠者》の動きは〝動〟。

 足裏で魔法を爆発させその反動を以て速度とする、頭が可笑しいと言われる《隠者》ならではの歩法。


 舞い上がる土砂を置き去りにして、《隠者》が森を爆走していく。

 五指の開いた左手の指先で、灼熱が鈍く輝いていた。

 頭部を覆っていたローブがめくれ、長い髪が背後にたなびき、雄々しい顔が決死の感情を示している。

 《爆滅の隠者》の異名を持つ戦闘狂が、それまでずっと秘匿していた最強の牙を初手に悪魔へと襲い掛かる。


 その反対側の空中を、輝き煌めく氷霧が一筋の風となって向かう。

 あらゆる被害を無視して、研究対象を氷の棺へと閉じ込める水氷系魔法。

 生まれ持った膨大な魔力を惜しげもなく注ぎ込み、それでも絶対とは言えないため副作用は酷いが魔力を急激に回復させる劇薬を多数使用する事で、より低温に、より高範囲へと魔法を拡張する。

 強引すぎる魔法の行使に、後先を考えない思考。

 人は彼の事を《狂奇の魔学者》と呼び畏怖していた。

 町の中には絶対に入れないようにするほど。


 悪魔が少し驚いたように目を見開き、唇に笑みを浮かべる。

 一瞬で眼前へと肉薄する武闘家と、防御も回避も無意味だと主張する死角からの無差別魔法。

 見える実力以上の能力を初手で使ってくる両者に、悪魔は自身の思い違いを自覚し少し恥じた。


 腕の下から生えているもう二本の腕が意思を持って動き、付け根からぐりんっと180度回転し背後へと向かっていく。

 家主と連携を完全に無視した行動。

 右手の五指から五条、左手から五条という液体が射出され、十条の細い水糸が空中で交差する。

 全てを氷界に閉ざす《狂奇の魔学者》の氷霧がそれに触れた瞬間、水糸は一瞬で燃え上がり巨大な炎の壁を生み出した。

 それをしたぷよぷよと水質に揺らめく悪魔の腕は、その透き通った肌の内側に酒瓶を映す。


 あ、いつの間に――と悪魔は思ったが口には出さず、目の前に迫った《爆滅の隠者》の左手五指と真っ向からぶつかりあっていた。

 爆音と衝撃。

 灼熱する五指は触れた悪魔の拳を燃やす。

 更に凶悪な握力がガッチリと拳を掴み離さない。

 赤い手はしかし《隠者》自身の腕をも燃やし炭へと変えていく。

 悪魔も《隠者》も構わず腕を押し込み、互いの力を競い合っていた。


 《隠者》の唇に喜びが浮かぶ。

 全身全霊をかけた必殺の技を難無く受け止めきった悪魔の力に驚愕を覚えると共に、それだけの存在に巡り合えた事に感謝する。

 その技は五指の指先に触れた瞬間に超圧縮した魔力の塊を爆発させるものであり、極小範囲ではあるが5指の超爆発による5方向からの爆縮効果で触れたものを確実に破壊するべく編み出されたものだった。

 だが現実はどうか。

 4つある腕の一つだけでも確実に破壊するべく放った秘技が、真正面から堂々と受け止められた挙句、未だ原型を留めており破壊されていないという。

 これが喜ばずにいられるものか。


 実際には悪魔の右拳は一度破壊されていた。

 見ただけで十分にやばい一撃だと察し、かつ身体の何処かを掴み壊す技だと判断し、それならば壊される場所をこちらで決めた方がその後の対処がしやすくなるかと思い、殴ってみた。

 もちろん事前に拳へ【硬化】【痛覚遮断】のスキルを使用し、手首から二の腕にかけても保険として【痛覚麻痺】を発動。

 なんか結構熱そうに見えたのでオフ状態にしていた【火炎耐性】もオンに変え、他に何か良いスキルはあったかな――殴るなら【錬気】【集気】あたりがそれっぽいかも――などと考えを巡らせたところで時間切れ。

 殴った後で【筋力強化】の魔法があった事を思い出したが、既にその時には爆縮効果で拳は潰されていた。


 では何故今も拳が拳としてあり続けているのか。

 答えは、それは拳ではなく拳を象った腕の一部であるから。

 手首より先が失われたので【部分変化】によって前腕を拳の形に変えて対処したに過ぎなかった。

 裏では現在進行形で【欠損再生】【補液再生】により徐々に前腕が修復中である。

 《隠者》の五指から放たれる高熱は、付け焼刃の【火炎耐性】で防ぐ事など出来はしないので、修復する側から焼かれているのだが。

 ただの力比べをしているだけなら《隠者》もすぐにおかしいと気付いたのだろうが、もう一方の腕同士では苛烈な攻防が繰り広げられていた。


 まともに食らえば砕き折られる悪魔の攻撃が上下左右から《隠者》に迫る。

 必殺の一撃を咄嗟の迎撃でいとも簡単に相殺した悪魔の力は想像以上で、角度を変え軌道を変え放たれる悪魔の左腕を《隠者》は必死にさばく。

 零距離の攻防。

 攻撃回数は《隠者》の方が多かったが一撃の鋭さと重さは悪魔の方が上であり、防御したところで腕が耐えきれずに骨を砕かれかねないため《隠者》は高速反応で兎に角受け流した。

 高速反応するとはいえ神経伝達と脳と身体の間には越えられない時間が存在する。

 足りない時間は長年の先読みで対応するしかない。


 激しい回避と間隙を付く攻撃で《隠者》の脳が焼き切れんばかりに回転する。

 自らの力と速度と反応の最高点が更新されていく感覚に《隠者》は喜びに打ちひしがれるが、それでも悪魔の強さには届かない。

 いつどこで修業したのか技術すら悪魔には目を見張るものがあった。

 左半身で力比べをしながら右半身で悪魔を撃つ。

 大地に根付く左足を軸に右足を小刻みに動かし、一撃一撃を放つのに最適な体勢を作り上げ右拳で攻撃する。

 持てる魔力は全て必殺の一撃に費やした為、残っている肉体力のみで眼前の悪魔を倒すべく果敢に攻める。


 悪魔の左腕が確実に《隠者》の攻撃を受け止め、弾き飛ばし、往なす。

 破壊の嵐を生む《隠者》の拳撃に防御の突破を許さず、業とらしい隙を時折に見せては絶妙なカウンターで凶撃を振るう。

 その背中ではもう2本の腕が《狂奇の魔学者》と水と炎VS氷と岩の魔法合戦をしているのだが、まるで他人事の様に悪魔は意識を向ける事は無かった。

 《爆滅の隠者》ごと生き埋めにするが如く殺到する岩石の雨が五指から放たれる水刃の網に絡めとられ細切れとなり、鞭の様に振るわれる五指によって蹴散らされる。

 その隙間を縫うように展開される凍てつく息吹は、霧散させた水刃の網を適当なタイミングで着火し燃滅による無効化が行われる。

 一人二役という馬鹿げた悪魔の戦闘方法に、自身も大概非常識な存在だとは思うが上には上がいるものだなと彼等は思い始めていた。


 《隠者》の右手が悪魔の攻撃に大きく吹き飛ばされる。

 その力を利用して右手は穏やかに円を描き、僅かに回復した魔力が注ぎ込まれ赤く灼熱。

 悪魔の瞳に入らない死角で赤い軌跡が生まれる。

 渾身の一撃が来るという事を悪魔は《隠者》の重心の変化から察し防御系のスキルを超高速の並列思考で発動。


 一瞬遅く必殺の技の準備を終えた《隠者》が悪魔の右腕を捕まえていた左腕から力を抜く。

 腰溜めに構え、虚空の間に息を肺内に取り込み、倒すべき敵の姿を刃の眼差しにて強く見据える。

 そして一撃。

 【正爆拳突き】と名付けられた破壊の拳が悪魔の鳩尾へと叩き込まれた。


 これまで何千何万回と放ってきた《爆滅の隠者》が最も得意とする拳撃。

 腰を深く落とし真っ直ぐに相手を突く正統派の打撃技【正拳突き】を改良し、拳の加速時と衝突時に爆発を組み合わせ目にも止まらぬ速度で拳を相手に叩き込む凶悪な技である。

 素の筋肉だけでも音速を越える一撃が自らへのダメージも省みない狂気の技へと昇華された結果、《爆滅の隠者》の右腕の神経は全て破壊され、ほぼ義手と変わらないものとなっていた。

 何度となく重度の負傷状態に陥ってきたその《隠者》の右腕が悪魔の反応速度を越えてクリーンヒットするのに、《隠者》は当然の結果であると自負する。

 一撃必殺、されど一戦一撃縛り。

 拳から手首、前腕、二の腕、肩、首、唇から眼球、脳へと響く衝撃の波に遅れて爆音が森に木霊し、全ての音を洗い浚い掻き消していく。

 同時に右腕から血飛沫が舞い、骨が弾け砕かれ、筋肉が断裂し、腕としての機能が完全に失われる。

 一撃必殺の代償に右腕が使い物にならなくなるという馬鹿げた行為を何千何万回と繰り返してきた男の頭を狂っていると思わないものはいない。


 真っ向から受ける事を選んだ悪魔の横顔には、理解不能だが知っている(ヽヽヽヽヽ)といった表情が浮かんでいた。

 ポッカリと空いた左腹部に吹き込む風が爆煙を攫い、黒ずんだ傷跡を生々しく曝け出す。

 防御スキルがまるで意味を成さず、《爆滅の隠者》の拳に触れた部分が跡形もなく消し炭にされた事実に気付き、悪魔の表情が徐々に異なる色を帯びていく。

 時が止まった様に静かとなった森の中で、眠っていた悪魔の血が顔を出す。


 その言い様の無い恐怖を本能で察した《隠者》が咄嗟に後退し――鮮血の尾を曳いた。

 空中を飛翔しながら退く《隠者》から流れ落ちる血が森に雨となって賊達の身に降り注ぐ。

 【正爆拳突き】で負った右腕からではなく、悪魔が失った場所と同じ個所にポッカリと空いた穴から《隠者》は大量の血をばらまいていた。

 突然降ってきた血雨に頭上を仰ぎ見た賊の瞳には、まだそれに気付いていない《隠者》の雄々しい戦士の顔が映っていた。


 空中を飛翔していく《隠者》の奥歯が嚙み締められる。

 右と左、どちらの諸刃の必殺技も悪魔には通じなかった事で、彼に残された技は後三つしかない。

 正しくは四つあるのだが、うち二つはまず間違いなく命が失われるため、技としては存在していても両方が使える訳では無かった。

 他二つにしても使えばその後の戦闘力や行動の幅が著しく落ちるので現実的ではない。

 何より、それを放ったところであの悪魔を倒せるとは到底思えなかった。


 ならばどうするか――その思考に頭を高速回転させながら《隠者》は大地に激突し、己が肉体が既に事切れていた事に最後まで気付かないままこの世を去った。

 悪魔と人との差。

 肉体の枷に縛られない魔力の塊である悪魔には致命傷でなくとも、人の身では致命傷。

 そっくりそのまま同じ技を放ちその結果に満足した悪魔は、失った左腹の空間を残っていた手で(ヽヽヽヽヽヽヽ)スカスカと確認する。

 もう片方の腕は即興で放った【正爆拳突き】ならぬ【爆拳突き】の爆発に耐えきれず爆散し肘より先が無かった。

 悪魔の表情に痛みの色は見えない。

 そのまま悪魔は次なる敵に対するため、平然とした様子で背後に振り向いた。


 瞬間、背中に付いていた二つの腕が放った十条の鋭利な水糸が弧を描いて森を切り裂き、森に甚大な被害をもたらす。

 悪魔と《隠者》の戦いに息を飲んでいた賊達に大量の木材の雨が降り、そちらにも甚大な被害をもたらす。

 それをした悪魔自身も一瞬後に自らの過ちを恥じ、《狂奇の魔学者》が放った氷霧に身を凍らせる事となった。


 四つ腕を生やした霜降りの悪魔の彫像は、後にその森の観光名称となったという。

 


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