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デモンズラビリンス  作者: 漆之黒褐
第三章
64/73

3-16

 深淵たる水宝の森〈アーガスの森〉。

 古の神々の一柱《水玉之月樹神》が《木の精(ドライアド)》の娘と恋に落ち《樹宝之亜神》を産み落としたという神秘なる場所。


 〈アーガスの森〉には、数千年の時が経過した今も、彼の二柱と、それを祝福せし神々が振りまいた〝神力(デュナミス)〟の効力が残っている。

 他の亜人種よりも神に近い生命体であり神々の力の恩恵を受けやすい《森の民(エルフ)》や《妖精の民(フェアリー)》達は、世界各地にあるその様な〝神力〟に満ちている森を非常に居心地良く感じるため、好んで住み着き隠れ住んでいる。

 つい最近になって位置を特定されたエルフの隠れ里も、そんな居心地の良さから千年以上も前に移住してきたエルフ達の子孫だった。


 だが〝神力〟は多くの種族にとってはあまりに強すぎる力であるため、時として森に住む動物達を変質させる。

 変質した動物達は、生存のため〝神力(デュナミス)〟を体内に取り込み、生命体に適応するの力――〝魔力(アルマナ)〟へと変え、そしていつしか魔物(モンスター)と化す。

 そして世代を重ね、永劫に存在し続ける〝神力〟の恩恵すらも得る『存在進化(ランクアップ)』を許されし種へと成長する。


 そんなモンスター発祥の地とも言える森の至る所に、約三百年前に誕生した《黄金十二異界(ゴールドダンジョン)》の一つ《宝瓶之迷宮アクエリアス・ラビリンス》の入口が存在した。

 〈アーガスの森〉の東西南北に1つずつ、中央に5つ存在する迷宮の入口。

 太陽が沈み夜の帳が落ちてから暫くした頃、その森の南側にある入口から入った先のダンジョン〈アルバリ洞窟〉で、悪魔と鬼の2体が激しい戦闘を繰り広げていた。


 一方の悪魔は、【優良(ハイクオリティ)固有(ユニーク)】の闇斧〝呪魂と血吸いの巨斧(ダークヴォウジェ)〟を片腕で振るう、半透明の不定形腕2本と黄金色の線毛が特徴的な、赤黒き戦士《幻鬼悪鬼(アルドメキアインプ)覚醒種(アウェイカー)》の〝アル〟――真名・天駆(あまがけ)紫水(しすい)


 その悪魔の怒濤の攻撃を鬼気迫る表情で必至に避けているのは、レアスキルで召喚した【至高(スペリオリティ)遺物(レリック)】の魔剣〝常闇の(オプスキュリテ)鬼剣(デモンスレイヤー)〟と、1年前の遠征で手に入れた【(通常(ノーマル)・)希少(レア)】の〝ディバインソード〟を両手に持つ、この〈アーガスの森〉の中にいるモンスターの中では上位に入る強さを持った《上位子鬼(ハイゴブリン)選良種(エリート)》の〝ゴブ幸〟――真名・幸刀柄(ゆきとうづか)白貴(はくたか)


 全力を出して戦い命を削り合う両者。

 昨日は仲良く笑っていた悪魔が羅刹の形相を浮かべ、言葉を交わす事無く鬼を殺すための攻撃を繰り出す。

 それはまるで連続する爆発の如き攻撃の嵐だった。


 ゴブ幸が悪魔の攻撃から逃れるために距離を取る。

 その行動を予期していたのか、悪魔が追い縋り怒りの咆哮を放つ。


「ガァアアアアアアアアッ!!」


 周囲の土砂が破壊されていくほどの桁外れの衝撃波を伴った悪魔の咆哮は、【恐慌(パニック)】や【奪気(スタン)】【魂痺(スタンソウル)】といった心身を犯す様々な状態異常を誘発する。

 心の弱い者であればその一声によって気絶し、例え気絶には耐えたとしても身体の自由を奪われた後には物理的な衝撃波が待っている。

 殺意が含まれていた場合には【即死(デス)】の効果も持つため、たかが咆哮なれど力量の差は即死に繋がるという凶悪なスキルだった。


「ウギャァアアアアアアッ!!」


 生存本能が働いたゴブ幸は、咄嗟に己もスキルを多重発動させ咆えた。

 ただの咆哮対決ならば、種族的に小柄なゴブ幸は声量において不利であり、ゴブ幸には勝ち目がない。


 悪魔の咆哮には物理的な衝撃波まで伴っていたが、それはスキルの効果によるもの。

 声量や物理攻撃がこの咆哮攻撃の本質ではないと直感で悟り、最も危険な状態異常の誘発に対してゴブ幸は全力で対抗した。


 ゴブ幸があげた悲鳴の様な咆哮は一瞬で悪魔が放った雷鳴の如き咆哮に押し潰されたが、不可死の攻撃だけは打ち消し、身と鼓膜へのダメージだけに押し止める。

 スライム牧場の入口から2人の戦いを眺めていた者達は――透明度を高くしたスライム達を分厚く並べて防壁とし、攻撃の余波を全てスライム達に吸収させていた――物理的な余波はスライムによって完全に吸収され、直接その咆哮を向けられた訳では無かったため、非常に危険な状態異常をくらった者は少なかった。

 だが、精神世界面(アストラルサイド)からの攻撃までは防御しきれず、気絶してしまう者が続出。

 日々の訓練で何時の間にか精神防御力が異常に高くなっていたその家の者達以外、ほとんどがその後の戦闘を見る事は適わなくなった。


 だが悪魔にとってその咆哮は、ただの挨拶でしかなかった。

 全力の殺気が籠められた掛け声をあげながら、悪魔は血色の紋様が刀身に刻まれた巨斧を振り下ろし鬼の首を狩りにかかる。

 身長に差はほとんどなくとも肉厚の体格と圧倒的な気魄、身長を越える重量級の大斧の存在感ゆえに、ゴブ幸からすれば巨人が迫るようにも見えただろう。


 悪魔が繰り出してきた攻撃は人生の先駆者として圧倒的経験値を誇るゴブ幸からすれば見慣れている実に直線的な攻撃であり、予測出来る軌道であり、それほど脅威と感じるものではなかった。

 しかしそれが分かっていても全力で回避行動を取らざるをえない、圧倒的な恐怖感。

 技ですらない、ただ距離を詰めて斧を力任せに振り下ろすだけという単純な一撃。

 少し前に戦った不死者が繰り出してきたものと違わないもの。


 但し眼前の悪魔のソレは不死者が機械的に行った動作をあらゆる面で上回っており――桁違いに速く、鋭く、重く、そこに籠められている想いが強く、威力の規模がまるで違った。


 大気が引き裂かれ、音の壁が突き破られる。

 呪われた武器となった〝ダークヴォウジェ〟によって肉体のリミッターを解除された悪魔の、破滅の一撃。

 咆哮によって生み出された衝撃波を蹴散らし、白刃の軌跡が音を置き去りにしてゴブ幸ごと世界を断ち斬らんと……世界ごとゴブ幸を断ち斬らんと迫る。


 《上位子鬼(ハイゴブリン)選良種(エリート)》という希少種よりも珍しい亜種が備える優れた種族的才能を長年の経験によってより高みに昇華させているゴブ幸は、兎に角生き足掻くことには誰よりも得意だった。

 そんなゴブ幸の自信ですら、この悪魔の速度は児戯の如く吹き飛ばす。

 両者の間にあった距離は最初から無かったかの様に、悪魔の踏み込みで刹那の間に踏破され、悪魔が迫る。


 刹那の間よりも疾く振り降ろされる巨斧――悪魔の断斧撃。

 世界すら断ち砕かんと落下してきたそれを見切り、ゴブ幸は咄嗟に両手の〝常闇の鬼剣〟〝ディバインソード〟で斧の横腹を撃ち、その反動と同じ方向へと跳躍する事で急加速を得て離脱した。


 斧と剣、金属と金属が衝突して耳障りな異音が響き、ほぼ暗闇に満たされた洞窟内に火花が散る。

 その両方が、大地を砕いた轟音と盛り上がった土石によってすぐに消し去られ、ダンジョン内に広範囲の地震が発生。

 逃げ遅れた足の一部が削られつつもなんとか死の一撃から逃れたゴブ幸だが、余波によって飛び散る石岩が容赦なく襲い、音に遅れてやってきた2重の衝撃波によって追加ダメージを受け、一瞬にしてボロボロと化していた。


 もしゴブ幸が自信に奢って白刃取りでも敢行しようものなら、その一撃を受け止める事は出来ず一刀両断されていただろう。

 巨斧の一撃は、オークの巨体ですら軽く吹き飛ばす事の出来るゴブ幸の渾身の一撃ですらまったく軌道を変える事無く地中に没していた。

 所持していたのが並の剣であれば威力に耐えきれず壊れていたのも間違いない。

 剣を召喚する時に、大きな代償をし払う事になっても兎に角今召還出来る剣で最も強いものを、と指定していた事もゴブ幸の命を救う結果となった。


(やば、これ詰んだかも)


 想像していた強さよりも桁違いの強さを見せた悪魔に、ゴブ幸は驚愕すると共に大変焦っていた。

 破壊の痕を深々と刻み、その衝撃だけでもガッツリと体力を削っていった悪魔の規格外ぶり。

 これぐらいのダメージならばスキルですぐに自然回復するので命に別状は無いし、痛みもカット出来るので今後の行動にも支障はきたさない。

 ただその先に待っている未来は決して良いものではないだろう事だけは分かった。


 ゴブ幸は即座にまた(ヽヽ)逃走へと移った。

 しかし舞い上がる土砂石岩の向こう側から一瞬見えた怒りの色に彩る瞳が不可思議の効力を発揮し、ほんの僅かな時間ゴブ幸の動きを止める。


 悪魔が持つスキルの中でそれを可能とするスキルは6つ――【威嚇】【幻獣王の威嚇】【魅了ノ魔眼】【蛇の瞳】【支配の呪縛】【人鬼族統括】――であり、それに【子鬼の因子】が【支配の呪縛】【人鬼族統括】の影響を強め、【満月の加護】による全効果の底上げ、【幸運・弱】による成功率微上昇を引き起こしている。

 ゴブ幸も多数所持しているスキルの恩恵によって高い耐性を持っているが、全てをカバーしている訳でもなく、特に運が関わる要素には何故か非常に弱い。


 生まれてからまだそれほど時が経っていない、『存在進化』もしていない悪魔(とゴブ幸は思い込んでいる)がこれほど強力な状態異常攻撃を使用出来るのは、悪魔種という明らかにゴブ幸とは異なる別格種の優位性と、何かとんでもないレアスキルを持っていること、そして何よりこの悪魔は〝持っている〟タイプだからだとゴブ幸は考えていた。

 悪魔が手にしている巨斧の力強さも、不死者が持っていた時より数段存在感を増していた事もその裏付けとなっている。

 決して運だけでゴブ幸の行動を阻害したとは思わない。

 その慎重さが、長い長い死のループでゴブ幸に【万物の理に逆らう力】を呼び込み、それが今ゴブ幸の命を何度となく救っていた。


 一番最初に玉座ごと悪魔の自宅の居間を破壊し尽くした一撃。

 ゴブ幸以外の者だったならば、その一撃で決着がついていた。


 かつてこの悪魔と死闘を繰り広げた幻獣種アルドメキア・キマイラ〝エクシュノートス〟であっても、『存在進化』した後で〝四半覚醒〟した悪魔が全身全霊で放つ精神世界面(アストラルサイド)からの魂すら砕く強烈な一撃の直撃には耐えきれなかっただろう。

 悪魔の一撃はまさしく悪魔の一撃であり、強烈な斧の一振りを防がれようが避けられようが、同時に発生する異なる世界からの攻撃で広範囲を薙ぎ払い、物理的な攻撃に勝るとも劣らない凶悪な威力を発揮する。

 ゴブ幸も、特殊な亜種《選良種(エリート)》となった事で精神を防御する術を身に着けていなければ、精神世界面からの攻撃でズタズタにされ、運が良くてもギリギリ死んでいないといった状態で次の瞬間には地面に転がり、動けなくなったところを確実に仕留められていた事だろう。


 だが、それが果たしてゴブ幸にとって良かったのかどうか。

 今こうして逃走を封じ込められ、すぐにまた死を呼ぶ怒濤の攻撃に曝される事となり、ガリガリと命を削り続ける戦いは――それはもやは虐め以外の何でも無いのだが――苦痛以外に得るものはない。

 端から見ている者達が皆『早く楽になれば良いのに……』と思わず思ってしまうほどの悲惨な光景が延々と繰り返され、ようやく距離が取れたと思った瞬間に〝死の宣告〟を伴う凶悪な咆哮。

 そして、超高速の突進から繰り出される悪鬼羅刹の断刀斧。


 戦いが長引くにつれてゴブ幸の見切り精度は上がるが、悪魔の成長も尋常ではなかった。

 壮絶な破壊を呼ぶ一撃がゴブ幸を掠めて大地を砕き割る。

 攻撃はそこで終わらず、間髪入れず切り返しの刃がゴブ幸の身に襲い掛かり、遂にその身体を斧刃がとらえる。


 ゴブ幸の胸に深い傷が刻まれ、大量の鮮血が飛沫いた。

 三日月の軌跡がゴブ幸の身体を通る光景を――間違いなく心臓のある位置を通っていたのをゴブ姫の瞳がとらえ、声にならない悲鳴をあげる。


 その刹那――。

 ゴブ幸の姿が霞の如く掻き消え、身体一つ分後ろにゴブ幸の姿が現れる。


 悪魔の一撃は確かにゴブ幸の身体をとらえていたが、一瞬早く死の危険を察知したゴブ幸の超速回避行動が間に合い、心臓を刃が通る事だけは免れた。

 ゴブ姫が見た光景は残像。

 しかし飛沫いた血は本物であるため、ゴブ幸が大ダメージを受けたのは紛れもない事実。


 胸に刻まれた深い傷の痛みで顔をしかめながら、ゴブ幸は【急速再生】を発動――スッパリと切断された傷口から溢れ出る血が肉へと変わり傷口を塞いでいく。

 急激に奪われた体力は周囲に漂う〝神力〟と〝瘴気〟を吸収する事で補う。

 応急処置であったため痛々しい傷は胸に残ったが、それは落ち着いた時にまた傷口ごと肉を抉りだして再度丁寧に回復すれば問題無かった。


 死亡一歩手前だった傷を瞬く間に再生する間に、悪魔の攻撃準備も整う。

 治療中の相手に攻撃は仕掛けないという普段の癖が出るも、攻撃準備は着々と行われており、ゴブ幸の後ろに百を越える小さな淡い金色の光――【光弾】の展開を終えていた。

 悪魔の視力をも奪う程の眩しき輝きで洞窟内が満たされ、ゴブ幸のみが突進する悪魔の姿を映す。


 退路を断たれている事を悟ったゴブ幸は前に出る事を選択。

 悪魔が繰り出してきた突進攻撃を壁に見立て前受け身で受け流す。

 巨大ハンマーのような一撃に身体ごとぶつかった事により鈍い音が発生し、受け流しきれなかった力が衝撃波となって体内を突き抜け骨を砕く。


 錐揉みするように回転して弾き飛ばされたゴブ幸の瞳が【光弾】の過剰光量を映し、瞳としての機能を一時喪失。

 そのタイミングをまるで見計らった様に【光弾】の約半数がゴブ幸に次々殺到し、ヒットするたびにゴブ幸の身体が衝撃で小さく跳ね飛んだ。


 【光弾】一つ一つはゴブ幸の身を傷付けるほどの威力はなかったが、視界を奪われたゴブ幸は【光弾】の雨を四方八方から為す術なく受け続ける羽目になり、空中に固定された。

 当然、その先に待っているのは致死の攻撃。

 【空間視】【反響定位】で位置を把握出来る悪魔は、今度こそゴブ幸の息の根を止めるべく〝ダークヴォウジェ〟を振り降ろす。


 残る半数の【光弾】が悪魔を背後から照らし、影を生み出す。

 悪魔が接近してきた事をその影によって察知したゴブ幸は咄嗟にダメージ増覚悟で【被衝撃力増加】という脆弱系スキルを半身に対して最大効果で発動。

 【光弾】から受ける衝撃を自ら増加させる事で強引に空中移動する事で窮地を脱した。


 弾かれる様に逃げたゴブ幸を追って悪魔が前進。

 振り抜いた斧から片手を離し、踏み込み一つで追いつくと同時に拳を振るう。

 斜め下から迫ってきた弾丸の如き拳がゴブ幸のお腹に突き刺さり、背中へと貫き抜かんと猛る。

 宙に浮かぶゴブ幸は、今度こそ回避する事が出来ない。


 ゴブ幸は、避けられないのならばと、内蔵を逃がし素直に貫かれる事を選ぶ。

 重要な器官さえ無事ならば、それはただの傷と同じ――積み重ねてきた死の経験からその解答を刹那の間に導き出し、即座に実行に移す。

 ついでに身体を捻り、腹に穴を開けられて悪魔の腕を残すのではなく、脇腹まで肉を抉ってもらう事で次の回避行動へと繋げる。

 脳の回路を焼き切らんばかりの強烈な痛みが発生するが、そんなものはただ延々と闇に沈んでいく死の恐怖に比べれば、生きている実感を感じられるだけマシ。

 事が成功した時、ゴブ幸の顔には苦痛に歪む以外にも若干の笑みが浮かびあがっていた。


 片足で地を蹴り、ゴッソリと失った腹部を再生させながらゴブ幸が後退する。

 これまでと変わらぬ速さで、後ろ向きに逃走を図る。

 その背中に、退路を塞ぐ様に漂い集まっていた【光弾】が次々と衝突するがお構いなし。

 眼前の悪魔が持つ習性を逆手に取り、死なない程度に瀕死の身体を治癒しながら、ひたすら後ろに走る。


 そんな中、悪魔が小さく笑みを浮かべた。

 本当ならば数十回は殺している筈の攻撃が、まだ一度も求める結果を出していない。

 力の差は歴然。

 なのに仕留めきれない。


 かつてそれを幾度となく愛すべき人に対して行っていたという事実を悪魔は思い出し――逆の立場になって初めてそれがいったいどういう気分だったのかを悪魔は知り――久しく忘れていた〝武人の血〟を思い出した。


「獣の如く力押しでは失礼、か……ここからは本気でいく」


 その悪魔が化け物である所以――人であった頃に修めた数々の武術を解放する。

 心無きモンスターであった時には使えなかった、その悪魔を真に悪魔せしめている力の一端。

 それは、今もひたすらに逃走を図っている子鬼の強さを認めた証拠であり、また沸き上がる闘争本能と悪魔の理性の表れでもあった。


「――えっ? ちょっ?!」


 悪鬼羅刹と化していた悪魔の瞳に人間らしさが戻っただけだったが、それはゴブ幸にとってより死に近くなったと確信せざるをえない脅威を感じさせた。


 それまでは恐怖や脅威は感じていても冷や汗は流していなかったゴブ幸の全身に、嫌な汗が一斉に噴き出す。

 と同時に、何となく本来の目的が何時の間にか変わってしまっている様な錯覚をゴブ幸は覚える。

 ただ兎に角【逃げの一手】を全力発動という考えは変わらないので、その違和感はとりあえず忘れて、引き続きゴブ幸は生き延びる事に専念する事にした。


 後ろ向きに跳び逃げるゴブ幸を追って、悪魔がゆっくり歩きながら――ゆっくりに見えるのに高速移動するという歩法を使い――その距離を徐々に詰めていく。

 幻覚にでもかかったかの様な現象にゴブ幸が焦りを感じだすと、悪魔は更に歩行速度に緩急をつけて錯覚を促す。

 【幻覚(ファントム)】や【錯覚(イリュージョン)】の類の状態異常ならばゴブ幸も高い耐性を持っているが、脳の混乱から自己発動した状態異常(さっかく)だったため、気が付かないうちに状態異常へと陥っていた。

 【集中】を使用して悪魔を視ていた事、【冷静】などのスキルを持っていなかった事もその要因だろう。


 ゴブ幸の意識が自身に集中している事を感じ取ると、悪魔は次の段階へと移る。

 それは、視界に映らない程の超速度の移動ではなく、意識に映らない移動。

 ――名を、紫水流(しすいりゅう)縮地法(しゅくちほう)――相手に動いている事を悟らせず間合いを詰める縮地の歩法を我流昇華させた動きでゴブ幸に近づき、その目元を鷲掴みにする。


 突然に視界が闇に閉ざされたゴブ幸は、それが悪魔の攻撃だという事を瞬時に悟り、勘だけで回避行動を取る。

 しかし悪魔は攻撃を加えず、掴んだ頭部を起点に空間の流れを読み取り、どの様な力が働いているのかをつぶさに観測する事を選んだ。


 何の力も働かなかった(ヽヽヽヽヽヽ)結果、ゴブ幸は重力に引かれるまま倒れ落ち、そのままゴロゴロと回転してその場を離れる。


 決して平らではない地面を何回も何回も転げ回り身体中に傷とコブを作っていくゴブ幸。

 その身体の上に悪魔が気配を殺して近づき、勢い良く踏みつける――大地を砕く轟音、破砕され巻き上がる粉塵、周囲一帯の空間の流れを無視して素通りするかの様に動くゴブ幸――踏脚の踏み込みを軸足とし、サッカーの如く蹴り抜くも標的の身はとらえられず。

 斬脚による旋風の一刃がただただ洞窟内を鋭く斬り裂いた。

 腕の一つでも斬り飛ばそうと放った一撃だったが、その目論見を達成する事は出来なかった。


 次は【火弾】百二十五を生成。

 一辺が【火弾】五の立方体状に展開し、火傷ダメージ、熱の動き、炎の揺らぎ、空間の流れ等、より多くの情報を求める。


 退路無き全方位攻撃に対しゴブ幸は突貫。

 【光弾】の時と同様にダメージが発生するのみで何の力も働かず、香ばしく焼けた臭いを香らせる〝涙目ゴブ幸の炙り焼き・レア〟が出来上がる。

 そのゴブ幸の周囲に再び百二十五の【火弾】が形成。

 同時に悪魔が背後から必殺の掌打――紫水流(しすいりゅう)隠殺技(おんさつぎ)表門(ひょうもん)羅卦(らか)掌柳破(しょうりゅうは)――をゴブ幸の背中零距離から心臓に向けて撃ち込む。


 しかし炸裂する空間破壊技の超震動攻撃波は標的の体内を通り抜け、百二十五の【火弾】を一斉に吹き飛ばすのみに終わる。

 標的の体外には一切出て行かない筈の衝撃の波が周囲の空間を一瞬で砂塵世界へと変え、盛大な砂埃が舞い踊った。


 通る筈の攻撃が通らない――その現象に心当たりがあった悪魔は、【幻獣王の爪連撃】を発動。

 土煙で何も見えなくなった空間を×印に二十の爪刃を刻む。


 その一撃からは逃げ切れなかった(ヽヽヽヽヽヽヽヽ)ゴブ幸に爪痕が刻まれ、血飛沫が砂塵を砂礫へと変える。

 その発生点へと向けて、再び悪魔が【幻獣王の爪連撃】で薙ぐ。

 するとまた血飛沫が舞い、確かなダメージを与える事に成功した。


 そこにあるのに決して触れる事の出来ない世界。


 ずれた世界、平行世界、異空間、異次元、呼び方は色々あれど、近くにあるならばその届かない世界すら斬り裂く事の出来るスキル【幻獣王の爪連撃】。


 幻魔属性に代表されるスキル/魔法の中にはゴブ幸が使う回避方法を可能とするモノも存在すれば――ゴブリンが持つようなスキルではないが――それを打ち砕くモノも存在する。

 下手をすれば渡った先の世界から戻って来れなくなるという危険性もはらんでいる為、ゴブ幸も滅多な事では使用しない。

 仮に戻って来れなくなると向こう側の世界では食事などを取れなくなるため、ほぼ確実な死が待っている。

 しかし、今現在その命を脅かされているゴブ幸にとっては渡界失敗によるリスクなど意味を持たず、ほぼ躊躇い無く連発使用していた。


 その反則技が破られた事に、ゴブ姫が言葉を無くした。

 恋人関係にあったゴブ姫にだけそのスキルの存在をゴブ幸は打ち明けていたからだ。


 ただ、ゴブ姫の驚きはそれだけにとどまらなかった。


 ゴブ幸がいつのまにかそんな危険な技を連発していたこと、それほどまでに追い込まれていたこと、悪魔がただの筋肉馬鹿でなく想像以上に頭が回ること。

 死にはしないだろうと観戦気分で2人の死闘を視ていたゴブ姫は――観戦者達の中で唯一ゴブ幸が生還する事に賭けていた(ヽヽヽヽヽ)ゴブ姫の顔が蒼白に染まる。

 一人勝ちだったのが、一人負けの目が出てきた事で――他は全員、悪魔が勝利する事に賭けていた。不死者襲撃騒ぎは悪魔が帰還した事で収束を確信し、仲間達の死に対する悲しみは騒ぎ楽しむ事で彼等への弔いとされていた。その賭け事の発案者は誰だったかは言うまい――今更ながら恋人を失うかもしれないという恐怖が襲い掛かった。


 その恐怖をまるで煽るかの様に、悪魔が再び笑みを浮かべながら逃げるゴブ幸を追いかける。

 ゴブ幸は恋人と同じ様に顔面に恐怖を張り付かせて、命だけは何卒!と何度となく心に浮かべた思いを今初めて言葉にし――即時却下された。


 肩に担がれた呪斧。

 一泊の間も無く振り降ろされた刃。

 それを迎え撃つ闇色の鬼剣。

 刃毀れの激しい銀剣。

 火花を散らす衝突。

 大地を穿つ轟音と衝撃波。


 均一に慣らされていた広場が、蟻の巣状にあった集落が、迷路の様なダンジョンが。

 悪魔が繰り出す無差別の破壊によって平等に灰燼と化していく。


 地面が砕かれ、天井が崩落し、壁が削られ、撒き散らされる石礫や岩礫が降り積もり、粉微塵に粉砕され砂塵へと変わり、大気が悲鳴をあげる。


 それでも子鬼の命は失われる事無く、悪魔の破壊が繰り返される。

 そんな恐ろしい轟音が鳴り響き絶え間なく地揺れが続く〈アーガスの森〉南部からは、暫くの間、モンスターの姿がいなくなった。







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