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◆第十週 四日目 星源日◆
動く時はもう少し情報を整理してから動くべきだと痛感した。
昨日は水源日。
つまり、最も水場に近づいてはいけない日だった。
俺という管理者がいなくなった事で放置され続けていた水草どもは、俺のいない先週の水源日に大増殖。
あっと言う間に占領された水場は、水草天下となっていた。
そこを強引に何とかしようとしたところ、圧倒的な力を誇る俺の襲撃にミミクリーアクアリウム達は最後の手段とばかり抜いてはいけない閂を開いてしまう。
そして現れたアクエリアンシャァァァァァァァァァック。
一匹ならいざ知らず、いったい何処の養殖場だと言わんばかりの数で襲い掛かってきた鮫群に、あわや大惨事になるところだった。
アクエリアンシャークは格が違いすぎて俺以外の者達はまるで歯が立たない。
つまり最初から最後まで俺一人で頑張る必要があった。
まぁ、それはそれ。
『存在進化』する以前であれば一匹は兎も角、数の暴力で圧殺されていた可能性は大。
多少苦労したが、成長後の俺の敵では無かった。
水場が大量の鮫血で真っ赤に染まってしまい、暫くは使い物にならなくなってしまったが。
食糧難は解決したが、今度は水不足。
そうならないために、追加の水場の作成指示を出していたというのに。
尚、あの鮫群を一人で圧倒した俺は――しかも朝までコース――皆から〝化け物〟を通り過ぎて〝理外の何か〟だと言われた。
彼等の非常に狭い世界観では、アクエリアンシャークがこの近辺での圧倒的強者であり、そんな化け物的存在を軽く上回る俺は、もはや雲の上の存在らしい。
あれ、あのキマイラもどきは?と聞くと『何それ知らない』という答えが。
どうやら彼奴は気付いた相手は全員殺していたようだ。
そんな顛末の後。
完徹して程良く脳に眠気というとろみがかったので、朝寝と洒落込むために寝室へ。
すると、何やら絶望しきった全裸の女性二人が貝殻の上で俺の帰りを待っていた。
不思議に思いつつ、今は寝ることを優先するため空いている貝殻へと籠もる。
蓋を閉じる前、何やら啜り泣く声が聞こえてきた。
二人の身に何があったかは知らないが、慰めるのは双方共にもう少し落ち着いてからが良いだろう。
今は泣かせておこう、ホトトギス。
◇◆◇◆◇
そう言えば、就寝前に何も食べていなかった。
腹が抗議してきた昼飯時に起床。
餌付けついでに、女性2人と昼を一緒に食べた。
本日のメニューは、鮫のステーキとフカヒレスープ。
料理人は俺。
職業『調理士見習い』とスキル【料理】の効果の程は如何に?
調味料の類が絶望的なので味付けはほとんど皆無。
なのに、口の中を襲った味に、思わず驚きの声をあげた。
それは、ただ焼いただけとはとても思えぬほど、素晴らしい味だった。
引き締まった身は魚とは思えぬほどの絶妙な歯応えがあり、香ばしい匂いと共に口の中で美味さが舌から頭まで抜けていく。
肉を一噛みするごとに肉汁が溢れ、それがソースの様に肉の味を引き立てる。
素材自体が美味すぎた。
一口食べただけで、もう3人とも夢中になっていた。
隣にあるスープの存在を忘れるほどに。
分厚い鮫ステーキを夢中で堪能した後。
残ったスープを見る女性2人の瞳が、若干ながら恐怖の色を宿していた。
理由は明白。
餌付けされているという自覚と、それに抗おうという意志の現れ。
ステーキがあれほど美味いなら、スープも当然美味い筈。
その2人の目の前で、俺はまるで見せつけるようにスープを飲む。
瞬間、天にも昇る心地に満たされた。
悪魔な俺の背にまるで天使の羽根が生えたように身体から重力の枷が消えていく。
これが、前世でも美味いと評判のフカヒレスープ――そう思わせる程の衝撃を俺は受けていた。
実際には全く違う食材とも言えるのだが、そんな事はもうどうでも良かった。
いつも思うが、この世界のモンスターは基本的に美味い。
しかも高位になればなるほど美味くなるという、何その補正。
職業とスキルによる補正も間違いなくあるだろう。
この世界を作った神に、俺は思わず心の中で感謝の言葉を捧げていた。
2人が食欲に負けて悪魔に籠絡されるのに、それほど時間は掛からなかった。
勿論、餌付けだけが理由ではない。
食事中に思わず俺が彼女達に通じる言葉を喋っていた事も理由の一端だろう。
言葉の壁が取り払われるだけで、互いの距離はぐっと近くなる。
彼女達が使っている言葉は、フォルとクズハが使っていたものと同じ言語だった。
つまり、〝標準亜人言語〟。
その言語を、俺は前世で使っていた言語と全く同じ様な感覚で喋れるので、彼女達とのコミュニケーションには全く問題無かった。
余談だが、スキルとして覚えている【犬鬼族言語】や【子鬼族言語】などを喋る場合は、ちょっと意識するだけで話す事が出来る。
但し、熟練度の数値分だけの話力として。
聞き手の場合は自動翻訳。
さて、彼女達と話してみて判明した事だが、どうやら俺は彼女達をお嫁にいけない身体にしてしまったらしかった。
いったいいつの間に……。
全然身に覚えがない。
……などと主張すると、既成事実があると強弁された。
まさかの寝取られ!?
それとも、寝ている間に夢遊病の如く致してしまったのだろうか?
【強姦】とか【処女の血潮】とか、心当たりがありすぎて否定しきれない。
なるほど、寝る前に彼女達が絶望の表情を浮かべていたのは、それが理由か。
初対面の悪魔に無理矢理手籠めにされればそりゃ絶望するだろう。
貝殻を灯りで照らしてみると、確かに破血跡もあった。
――ん?
時系列がおかしい様な……。
兎にも角にも。
そういう訳だからと、彼女達は俺に身の安全を要求してきた。
具体的には、俺の相手をするのは致し方ないが、それ以外の者達とは絶対に肌を重ねたくないと言う。
もっと具体的に言うと、好き勝手に強姦される繁殖奴隷にはしないでくれと。
元からそのつもりはないので了承する――俺の相手云々はまず横に置いといて。
最大の懸念点を口約束した後も話し合いは続く。
俺は二人に危害を加えないと約束し、面倒を見ている3種族の子供達同様に衣食住を保証する。
それにもし3種族などに襲われたら責任を持って俺がその者を裁き、二度とそのような事が起こらないように厳しく教育をするとも言う。
あと、いつになるか分からないが街に行き解放する予定だとも。
全部が全部、彼女達にとって都合の良い事ばかりだったので、出来る限り誠実な態度で接しても彼女達の瞳からは半信半疑の色は最後まで消え去らなかった。
ただ、半分は信じてくれたからか、今度は彼女達の方からポツポツと話し始めてくれる。
先に心を開いてくれたのは、俺との既成事実を強弁してきた女性――ショートカットの朱髪をした、活発そうで気が強そうな少女。ちょっと小動物的な愛嬌がある――だった。
朱髪さんの話を要約すると、2人は自由気ままな冒険者で、この迷宮にはもう一人いた男性と共に落ちてきたきたらしい。
冒険者としてのギルドランクは、2人共ようやくランクD――黄銅クラスと言っていたが、詳細を知らないので頭の片隅に記憶しておく。
朱髪さんのメイン職業は『軽剣士』。
もう一人いる清楚系の女性――空色髪のストレートロングヘアーをした、ローブを羽織っている少女。一見物静かそうに見えて芯が強く刃物の様に鋭い雰囲気を窺わせる――の方は『聖術士』。
連れの男性は2人の力量を鑑み、実入りは少ないが比較的安全係数の高いこの《宝瓶之迷宮》で修行がてら探検しようと思ったそうだ。
意図せず迷宮奥深くに突っ込む羽目になったそうだが。
そこからの苦難の一月は割愛。
この状況に至った経緯は、よくある話で、思いがけない強敵遭遇による逃走結果。
不運は続き、連れの男性が決死の覚悟で敵を押さえている間に必至に逃げた先で、2人はモンスターハウスに飛び込んでしまい捕まってしまう。
この迷宮は腐っても《黄道十二異界》。
甘く見ていたツケをし払う形となった。
男性の生死は不明だが、間違いなく生きてはいないだろう、と。
ただ2人は、それでも運が良かったとも言っていた。
悪魔の俺がいる前で言うべき言葉では無いが、確かに俺もそう思う。
2人は美人の部類に入るうら若き乙女なので、普通ならゴブリン達に捕まった時点で最悪の未来しか待っていない。
それは命を落とすよりも悪い未来だ。
しかし偶然にも2人はラミーナの機転?で貞操を奪われる事無く、かつて牢屋で見た女性達の様に精神崩壊に至る事も無かった。
あとついでに、俺という紳士の庇護下に入った事で、元の生活に戻れる可能性も出てきた。
朱髪さんが事情をそこまで話してくれたところで、少し気持ちが楽になったのか、ずっと黙していた空髪さんが涙を流し始めた。
その涙に気付いた朱髪さんも涙腺が決壊し、空髪さんに抱き付き小さな声で啜り泣く。
空髪さんは朱髪さんの胸に顔を埋め、声を噛み殺したまま泣き続ける。
言葉の通じない世界で、相容れないモンスター達に囲まれ、多大なストレスを受け続けていた彼女達は、ようやく泣けるだけの余裕を手に入れる事が出来た。
今はただただ感情のままに泣かせてあげる事にした。




