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デモンズラビリンス  作者: 漆之黒褐
第二章
39/73

2-24

 闇の帳が落ちかけた夕暮れ時。

 大蜘蛛芋虫の死臭と、豚鬼の血臭と焼臭と、巨燕蜂の蜜臭によって満ちた深い森の中。

 彼の存在は、まるで何か不可思議な力によって呼び出されるように、忽然と現れた。


 気配も無く、前兆も無く。

 森に住む小さな羽虫達も、この過酷な環境下で必至に生き抜く鳥達も、欠片も彼の存在を事前に感じる事は出来なかった。


 ただ彼の存在が現れた瞬間、多くの音が急に消え去り、森の中には吹き抜ける風とざわめく木の葉の音色だけが残る。

 その圧倒的な存在感に、あやゆる生持つ存在が息を止め、時間も止めた。


 この〈アーガスの森〉の南部一帯を統べる、南森の王。


 幻獣種アルドメキアキマイラ。


 名を、エクシュノートス。


 伝説では、《宝瓶之迷宮アクエリアス・ラビリンス》の下層に存在していたと云われている固有種。

 約300年前までは地上になど絶対に現れなかった災害級モンスターは、いつの頃か森の南に住み着き、その圧倒的な暴力で日々を暴虐武人に振る舞っていた。


 自由に姿を消し、自由に気配を消し、存在すらも(ヽヽヽヽヽ)自由に消し、自由に狩りをする。

 闘争とはもはや無縁の長い時を過ごし、退屈な毎日すらも睡眠を貪る事で克服し、生きている意味すらも忘れ去った牙無き獣。

 故に、今キマイラが行っている狩りも、もはや狩りと呼べるものではなかった。

 何故なら、今繰り広げられている殺戮は、一方は必至に逃げているのに対し、一方は喰うために狩っているのではなく戯れに火遊びしているだけだからだ。


 刻一刻と焼き殺され数を減らしていく仲間の姿に、遊び相手に選ばれてしまったジャイアントスパロウ・ビー達が、一匹でも多く巣に仲間を送り出すためにあらゆる手を尽くして森の中を跳び回る。


 異なる方向へと飛ぶ。

 決死の覚悟を持ってキマイラに飛び向かう。

 空中に制止してキマイラの一挙手一投足を観察し、回避のタイミングを測る。

 奇妙な円運動をして注意を引き付ける。

 木の陰に隠れて気配を消す。

 死んだふり。


 驚異的な事に、彼等は普段は絶対に取らない異常行動すらも取っていた。

 全力で逃げてもキマイラの移動速度には決して叶わないと彼等は皆、本能で知っている。


 キマイラが最近もっぱらに主食としているオークを自分達が細切れにしてしまい、キマイラの機嫌を損ねてしまったとジャイアントスパロウ・ビー達は考えていた。

 この〈アーガスの森〉の南部にて生息している者達は皆、キマイラの機嫌を損ねるという事がどうなる事か身を以て知っている。

 例えキマイラのテリトリーの外へと逃げようとも、鬼ごっこと隠れん坊に特化しているキマイラからは逃げきる事は不可能。

 というよりも、気配も存在も全てを消せる存在に鬼ごっこで勝てる訳が無い。


 このキマイラ〝エクシュノートス〟が本気になれば誰も気付けないのだから。


 それでも一縷の望みをかけてジャイアントスパロウ・ビー達は必至に生き残る道を探し続ける。

 何とかして機嫌を回復させるか興味を失わせないと、種族そのものが最後まで刈り尽くされる可能性があるのだ。


 最悪、今ここにいない仲間達も遊び対象とされ、殺され尽くす。

 その可能性は決して低くない。

 年々過疎化し続けている南の森は、キマイラという絶対者を抜きにすれば、弱者達にとっては楽園だった。


 また一匹、仲間が業炎に包まれ灰となって消える。

 遠くへと逃げようとした仲間から順番に命を散らしていく。

 たまたま目の前で死んだオークの死骸を横から掠め取っただけで、ジャイアントスパロウ・ビー達は屠殺者に襲われた。

 いつものように存在そのものを消して近づいてきた屠殺者に気付く事が出来ず、奇襲を受け、狩りの対象と認定されてしまった。


 もはや助かるかどうかは気紛れなる屠殺者の気分次第。

 種の存続のため、形振り構っている場合ではなかった。


 避けきれない高速の火焔弾に消し炭となった仲間の身体を粉微塵に粉砕し、一瞬前まで死路だった道へと飛び込む。

 未だ高温が残る空間へと身を躍らせたため身体全体が炙られ致死に近いダメージを受け悲鳴をあげる。

 無謀過ぎる行動だが、だからこそ其処は生存の道は僅かに高い。


 緑の葉の海にポッカリと出来た業火の道を火達磨になりながら突き抜けていく。

 しかし灼熱地獄の道を選んで尚、そのジャイアントスパロウ・ビーは己が先へと既に先回りしていた屠殺者に屠られ、運命を変える事は出来なかった。


 キマイラは百獣の王も霞む程の巨躯を誇っているのだが、限界を越えた速度で散り散りに逃げるジャイアントスパロウ・ビー達をまるで蠅を叩き落とすかの如く一瞬で距離を詰めて屠っていく。

 邪魔な樹木は避けるでもなく、圧倒的な速力と威力、強靭な体躯によって歯牙にもかけず破砕されていった。

 そのたびに、限界の高度まで逃げていた木上のスパイダーキャタピラー達が支えを失ってボトボトと落ちていく。

 スパイダーキャタピラー達は、間違っても暴虐の王に興味を持たれないよう、地面に叩き付けられるよりも先に自ら意識を手放していた。

 例え下が火の海だったとしても。


 やがて、動くもの達の数が二桁をきり、森の中にあった命の息吹が途絶え始める。

 命の数は無限ではないため、キマイラの戯れがいつまでも続く事は無い。

 気絶したスパイダーキャタピラー達も結局は助かる事もなく、ジャイアントスパロウ・ビー達に至っては言うまでも無かった。


 キマイラの口から何度となく吐き出された火焔によって周囲一帯は焦土と化し、多くの無害な虫や鳥達もその炎に巻き込まれて命を落とした。

 そしてそれは同時に、その日の狩猟の終わりが近い事を意味していた。


 キマイラも馬鹿ではない。

 自らが暴れればどれほどの被害が出て、そしてそのうちどういう事態になるかを、300年という長い時間の間に何度も経験している。


 《宝瓶之迷宮》によって様々な制約を課せられているキマイラは、自らが出てきたダンジョンの入口から一定以上離れる事が出来なかった。

 その範囲内の全てを焦土に変え、命という命を狩り尽くすという事が、結果的にどれほど過酷な退屈をうむのかを誰よりも理解している。

 と同時に、それは自らの苦痛も招くことになる。

 何故なら、生きるためにとても大切な、それでいて楽しみの一つでもある食事すら満足に取れなくなるのだから。


 制約上、餓死する事は無いのだが、飢えによる苦しみだけは延々と続く。

 死ぬ事も出来ず、食べる物もないという日々は、まさに地獄だった。


 ブブブブブブブブブッ……。


 最後の最後まで空中で制止し続け、嵐が過ぎるのをただただ待つ事を選んでいたジャイアントスパロウ・ビーの羽音が、静かな森の中で唯一響き渡る。

 見通しの良くなった頭上は闇色に染まり、その下では炭と化した木々が今もくすぶり続け、その内の赤光が周囲を照らしていた。


 今また一匹の仲間が身体を真っ二つにされ絶命する。

 最も頑丈な筈の尾針が甲高い音をたてて砕け散り、その破片が月光に反射し幻想的な光景を作り出していた。

 あまりの威力で爆散した肉片と共に蜜液が宙を飛び、一泊遅れて音が届けられる。

 更に遅れて強風がやってくるが、もはやその風圧には慣れているジャイアントスパロウ・ビーは僅かに重心をずらし飛行体勢を巧みに変える事で、己の身を打つ風を相殺。

 その絶妙な飛行感覚は仲間の誰も持ち合わせていない妙技だったが、それを誇らしく自慢すべき仲間は既に無く、その未来は永遠にやってくる事はなかった。


 思い出したかのように振り向いた屠殺者の瞳が、遂に最後に残った一匹を映す。

 金色の剛毛に身を包みし体長5メートルを越える王者が、体高2メートルを越える猛獣が、尾の先にある蛇と共に威嚇の咆哮をあげた。


 南森の王は、弱者を嘲笑う。


 体長よりも大きく横に広がった二対の翼を大きく羽ばたかせ、飛竜の如く急上昇して更に弱者へと威圧をかける。

 その翼の一薙ぎに無数の鎌鼬が生み出され、風圧に耐えようと重心を傾けたジャイアントスパロウ・ビーの身を容赦なく斬り刻んでいった。


 天空へと舞い上がり、キマイラの身が月に重なる。

 狩猟の終わりを告げる最後の一撃を放つべく、壮大に、雄々しく、猛々しき王の風格をこの世の全てに見せつける。


 キマイラは決して急がず、慌てず、雄大に風をきって降下していった。


 それを成せば、この楽しき一時は終わってしまう。

 そうすればまた退屈な時間がやってくる。


 あまりにも強すぎるが故に、そうして自重しなければあっと言う間に楽しみすらも尽きてしまう、この小さき世界。

 いつ終わるとも知れない無限の牢獄。

 とても憂鬱で、至極億劫な人生。

 だからいつも、この最後の時だけはゆっくりと時間をかけて殺す事にしていた。


 しかしどのような一撃であっても、この森に住む者達はその一撃で沈む。

 故に伸ばせるのは、こうして攻撃するまでの僅かな時間のみ。


 その時間もあっと言う間に過ぎ、自らの間合いに獲物が入ってくる。

 獲物は逃げる素振りすらなく、最初から命を諦めていた。

 例え逃げたところで結果は変わらない。

 それ以上何も考えず、王者は大木すら軽く破壊する豪腕を勢いよく振り降ろす。


 降下の速度を上乗せされたその強撃は、尋常ではない膂力と重量を乗せて、死の音すら発する事無く標的を打ち砕き、破砕。

 後には何も残らなかった。


 全てを終えてしまった事にキマイラの瞳から色が消える。


 狩猟が終わったのならば、その後に待っているのは退屈である。

 最後の獲物を仕留めた瞬間、もはやこの世界には未練も無いといった風にキマイラの頭から思考が削り落とされ、それと同時にキマイラの巨躯からも色が消えていく。

 僅か数メートル先にある地面へと激突する勢いのまま、キマイラは幻の如く透けていき――。


 次の瞬間、唐突にその瞳がギラリと輝きを取り戻す。

 最も油断するそのタイミングで、幻獣王の横胸目掛けて悪魔が襲い掛かった。





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