2-9
熱気渦巻く武闘技場に、嗄れた声が響く。
月一の娯楽という事と、今日は俺という餌が放り込まれている事が重なってか、その声は喧噪に紛れてほとんど誰も聞いていなかった。
百人は軽く収容できる広場でも収まりきらないほどに魔物達が溢れ、なかには肩車をしたりピョンピョン跳びはねて視界を確保しようと努力している者達もいる。
それぞれは小さなざわめきや奇声でも、洞窟という音が反響しやすい閉鎖空間では巨大な音となって周囲に響き渡る。
そんな広場に出る際に【空間視】でチラッと彼等の様子を確認すると、どうやら賭け事が行われているようだった。
賭けられているのは食糧や装備品などといった物がほとんど。
中には石のような塊もあったが、恐らく鉱石の類だろう。
金銭的な形を持っている物は……無い事も無かったが、ここではまともな価値があるようには思えない。
どちらかと言えば鑑賞物や装飾品の一種か。
賭け事以外では、最前列の一角を陣取る各種族の老人達の手には酒らしき液体が握られていたり、少なくとも調理されたものだと分かる料理の類も見受けられた。
酒を何処から手に入れているのか、料理はどの程度加工されているのかかなり気になるところだが、今はそれが分かっただけでも良しとし、目の前の事に集中する。
この武闘大会を開催している事からしても、彼等がただの野蛮なモンスターではない事は明らかだ。
やはり思っていた以上に知能はあるらしい。
というような思考のよそ見をしている間に、最初の敵が目の前にやってきた。
試合開始の合図もまたずに突撃してきた重装戦士。
左手に持つ金属製の大盾を前面に出し、右手に持つ剣を死角に構えながら猛然と突き進んでくる。
そこには重戦車のような力強さがあった。
この試合場には俺を除いて3人の戦士がいたが、その者が先手を取るためには重量の関係でフライングするより他ない。
血気盛んな事を喜ばしく思いながら、その突撃に備える。
重装戦士との距離が1メートルをきる。
以前の俺ならば、そのような状況であれば間違いなく初手は回避を選び様子を見るところなのだが、【空間視】の御陰で今は死角の様子も集中すれば把握する事が出来る。
有効範囲がまだ狭い事と詳細を把握するには時間と集中が必要なのが難点だが、大まかに把握するだけなら問題無い。
特に今回は敵の動きが鈍重であるため、相手が何をしようとしているのか細かく考察する事が出来た。
まずは大盾による一撃。
攻防一体の突進技で俺を弾き飛ばし、体勢を崩した所で剣で攻撃してくるつもりか。
敵の身体の動きからそう読み、対抗策を模索する。
幾つか有効な技がすぐに脳内でヒットしたが、どれもちょっと面白くない。
状況的に考えて、ここは単純に力比べするのが一番美味しいと思う。
それにミミクリーアクアリウムとの力比べでは結局よく分からなかったしな。
折角の機会だし、この初戦で俺自身の力量を測っておくとしよう。
これからまだまだ強いヤツが出てくる筈なので、それまでに自分の力量をもっと良く把握しておくべきだ。
と言うわけで、真正面から受け止めてみた。
そしたら、なかなかにズシッとした良い手応えを感じる事が出来た。
背丈が2倍ぐらいある重装備の戦士の一撃なのだが、なるほど、この程度では俺の身体はビクともしないのか。
初撃なので相手も大夫手加減をしているのだろうが、この感じなら倍の威力でも問題無く耐えられそうだ。
ぶつかってきた戦士が少なくない衝撃を受けているのが分かる。
ぶつかった時の衝撃でなく、驚愕による衝撃。
まさか受け止められるとは思っていなかったのだろう。
余程ショックを受けているのか、暫く待ってみても次の攻撃がやってこない。
仕方なく、こちらから攻撃してみる事にした。
腰を落とし、拳を握りしめ、ついでに【一騎突貫】で攻撃力を高め、金属を殴るので【硬化】で肉体強度をあげる。
――ッ!
気合い一発。
相手が吹っ飛んだ。
肉と鉄がぶつかったとは到底思えない甲高い音が鳴り響き、鉄の塊が宙を飛ぶ。
ゆっくりと放物線を描き鎧人形が一回転。
背中から大地に着弾し、兜が地面を叩き、1度バウンドした後に止まる。
あれほど騒がしかった会場中の喧噪が突然シーンと静まりかえった。
その顔は一様にして驚愕に染まり、瞳にはあり得ないと言いたげな光。
恐らく漫画にすれば目玉が飛び出している描写がされているだろう、そんな雰囲気だった。
いや、まさか吹っ飛ぶとは。
相手が踏ん張っていなかったからというのもあるだろうが、あの重量物を宙に浮かばせてしまうとは思ってもみなかった。
しかも殴った大盾は盛大にひしゃげている。
一応、本気で正拳突きを放ったのだが、想像以上に威力がありすぎだろう。
それを放った俺本人も驚きである。
流石、異世界。
俺の予想を軽く超えてくれる。
広場の中央で重装戦士がピクピクしている。
すぐに起き上がれるような状態にはないらしい。
その様子を見て、周囲の瞳が徐々に剣呑な色へと染まっていく。
見せ物に沸いていたテンションが、異なる高みのテンションへと彩っていく。
殺人を強要する誰かの怒りの声が鳴り響き、その声に呼応して怒号が次々と沸き上がり、俺の処刑場でもあった武闘大会が戦場のそれへと移り変わっていく。
その熱い声援に応えるように、処刑人の一人が疾走。
広場を照らしている松明の光がその者の姿を見失い、彼の者の影が消える。
見事な穏形の業、そして速度。
素のままの俺であれば、油断をしていれば間違いなくその必殺の一撃を躱しきる事は出来なかっただろう。
閃光の如き鋭い刃が、俺の首筋を背後から迫り来る。
10メートル以上も離れていたのに、一呼吸の間も待たず襲い掛かってきたその一撃を、俺はサイドステップして躱す。
【反響定位】でだいたいの位置を把握し、【空間視】でその方向を集中的に探ってより正確な情報を割り出し、【逃げの一手】【機動力強化】を瞬間的に発動させて回避する。
【硬化】を使って防御してみても良かったが、失敗すれば命が無さそうだったのでやめておいた。
背後も見ずに必殺の一撃を躱された事に、それをした暗殺者の瞳がやはりというか驚愕の色に彩る。
だがその顔はすぐに気が引き締められ、追撃の剣閃が生まれる。
単純な力や技術ではなく、速度のみで繰り出される無数の刃。
重装戦士がパワータイプとすれば、こちらは間違いなくスピードタイプ。
圧倒的な手数で勝負をする軽剣士。
その全ての攻撃を、俺は時に躱し、時に往なし、時に受け流す。
手を【硬化】で保護した状態で、まるでナイフを扱うように丁寧に捌いていく。
その剣撃には摩擦で斬る技術はなく、ただただ素早く振り回しているだけだったので可能な対処だった。
兎に角素早く剣を振るい、数を撃ち込み相手を傷付け体力削っていく事を目的とした攻撃の数々。
先程の移動速度にこの斬撃数であれば、並の者であれば容易く圧倒できるだろう。
しかし俺にはきかない。
剣よりも小回りのきく素手で、しかも右腕と左腕の2つを使えるので相手より手数が2倍あるという理由も勿論あるが、それを抜きにしてもこの程度の速度であれば前世の俺であっても十分対処できる。
ただ振り回すだけの剣術では、相手の動きから次にやってくる斬撃を予測出来る俺には到底通じない。
ある程度慣れてきたら瞬間的に受け止める事も雑作無かった。
先程はたった一撃で倒してしまうというとても勿体ない事をしてしまったので、今度はじっくり遊ぶ。
縦横無尽に襲い掛かってくる剣圧に押されているように振る舞いながら、【ライフスティール】で色々と強奪していく。
どうやら相手の持っている武器を攻撃しても【ライフスティール】は有効らしい。
受け流していると見せてちょっと強めに剣の腹を叩けば、相手から微少の体力をスティールし、追加効果で稀にそれ以外の何かをスティールする。
通常よりも低確率ではあるがスティールする事が出来た。
剣術の奥義の一つに剣と一体化するというものがあるらしいが、敵から強制的に剣と一体化しているものとして扱われるというのは、流石にどうかと思う。
が、気付かれていないならば別に良いか。
それに昨日は食事抜きだったので体調は万全とは言えなかったしな。
空腹を満たす事は出来ないが、体力を回復させるには丁度良い。
というか、攻撃すればするほど元気になっていくこのスキルはちょっと卑怯だと思う。
但し、あまり露骨にやり過ぎないようにする。
スキル熟練度の強奪が成功するという事は、同時に相手が持つスキル熟練度を下げるということ。
そのうち動作に影響し始め気付かれてしまう可能性が高いので、程々にしておく。
そんな事を思い始めた頃。
あまりにも攻撃が当たらないからだろう、コボルト戦士は背中に背負っていた槍も手に持ち、剣と槍の二刀流になった。
丁度良く攻撃回数が1.5倍程度に増えたそのタイミングで俺は攻撃をきりあげ、やや大袈裟に回避行動を取り始める。
押され気味の演技を、明らかに劣勢の演技に変える。
広場では殺せ殺せのコール。
まだコボルトの言葉しか理解出来なかったが、恐らく他の二種族も同様の言葉を発しているのだろう。
その観客達が起こす震動は小さな地震のようにまでなり、広場は異様な熱気に包まれていた。
だが次の瞬間。
再び広場がシーンと静まりかえった。
理由は語るまでもなし。
白目を向いたコボルトの戦士がドサッと地に倒れたからだ。
観客達よりも熱くなりすぎたコボルトの戦士が隙だらけの大振りの一撃を放ってきたので、その背後を取って手套を叩き込み気絶させた。
それ以上でもそれ以下でもない。
結果が全てを物語る。
過程をもう少し詳しく語るなら――。
逃げる俺。
駿足で以て常に俺の背後へと回り込み攻撃を仕掛けてくるコボルト。
それを察知し、逃げ跳びながら振り返りつつ懸命に攻撃を回避していく俺。
がむしゃら十数連撃を叩き込み終わったので、再び地を蹴って俺の背後に回り込むコボルト。
それを察知し、逃げ跳びながら……そのエンドループ。
何故だかいつも以上に疲れているコボルト。
そろそろ飽きてきた俺。
再び俺の背後を取ったコボルトが、疲れをおして渾身の一撃を繰り出す。
その時既にコボルトの背後へと回り込んでいる俺。
首筋に手套をトン。
コボルトがドサッ。
観客、シーン。
急展開。
一瞬で攻守が逆転し一撃で沈むという光景に、俺以外の全員の頭が追いついていない。
否。
一鬼だけいた。
戦いが始まる前からずっと俺の一挙手一投足をじっと眺め続けていた挑戦者がようやく動く。
俺を格下の相手だと思わず。
俺を同格の存在だとも考えず。
初めて俺の姿を目にした時からずっと警戒の色を浮かべていた真の戦士が、己の力量を測るために歩みを開始する。
そのゴブリン――柄まで金属の斧槍を両手で構え、左肘にはバックラー、腰には短剣数本と投斧に長剣、背中には短槍2本を装備し、黒い革製の防具を着た小柄な戦士は、一分の油断も無く距離を詰めてきた。
俺が無防備な背中をさらし、コボルトに攻撃を叩き込んだ後にわざと油断する素振りを見せても動かなかった戦士が、低い姿勢のまま突き向かってくる。
1対1という状況が生まれ、俺の瞳がそのゴブリンの姿を映した時が始まりの合図だった。
真正面から叩き潰すという意志の籠もった瞳がそこには灯っていた。
遠心力を足されたハルバードが唸りをあげて下から襲い掛かってくる。
普通は重力加速を得られる上段の一撃が好まれるのだが、そのゴブリンは初手に下段からの一撃を選ぶ。
地面を削り、振り抜かれる刃。
回避を必要としない紙一重の斬撃。
そのフェイントの一撃の向こうからやってきた蹴りを俺は腕で受け止める。
受け止めた足先には、仕込まれていた刃がいつのまにか姿を現していた。
面白い。
そう思った矢先に飛来した短剣を、首を反らして躱す。
手放されたハルバードが宙を舞う。
自由になった片方の腕で投擲を行ったのだ。
間髪入れず、もう片方の腕が背中の短槍を握りしめ、次なる攻撃の準備に入る。
しかし強引過ぎるその動きはどう見ても隙だらけだった。
俺はその誘いには乗らず後退する。
ゴブリンも背中の短槍は握る素振りを見せただけで、実際には背中から引き抜かなかった。
その数瞬後。
俺がそれまでいた位置に、ハルバードがザクッと突き刺さる。
何の事はない、ゴブリンは自ら隙を作り本命の一撃を隠していたのだ。
予想以上に小賢しい一面を見せてきた最弱種に驚きつつ、素早く距離を詰める。
狙うはハルバード。
そろそろ武器が欲しいと思っていたところに丁度良い得物が刺さっているのだから使わない手はない。
だがゴブリンがそれを許さない。
両の腕から投擲された短剣がハルバードの左右を通り過ぎ、絶妙な間隔で俺の身に迫る。
回避か、迎撃か。
回避すれば間違いなくハルバードはゴブリンの手に握られる。
短剣は牽制の意味合いが強く低速だったため、スキル【硬化】を使用すればダメージを負う事無く迎撃可能。
だが俺の第六感は回避を選べと叫んでいる。
いや、叫んでくれなくても回避するのだが。
実はどちらを選んでも問題無かった。
3本のの短剣をやり過ごした後、更に一瞬遅れて短斧が上から降ってくる。
更に短槍が投擲され、最後にハルバードが鋭く薙ぎ払われた。
それは回避した結果。
迎撃を選んだ場合は、2本の短剣を受け止め、その後ろに隠れていた短剣を撃ち払い、時間差でやってきた投斧を回避し、その後は同じ状況が続く。
回避しようが迎撃しようが、3手4手先まで組み込まれた連続攻撃に俺は阻まれて目的を達成出来なかった。
第六感が教えてくれなくとも【空間視】で把握していたし、強行する事も出来た。
が、このゴブリンを相手に力押しするのはあまりにも詰まらなすぎる。
それは美味しくない手だ。
最初は力VS力だった。
次は速度VS速度。
ならば今回も相手の流儀に則って勝負するべきだろう。
相手もそれを理解した上で、俺に挑戦してきているのだから。
思わず笑みを浮かべてしまった俺に、ゴブリンの緊張が一気に高まる。
今日のこの催しは最初から最後まで詰まらない事になるだろうと思っていたのだが――どれだけ順当に勝ち上がっても、最後には俺VS敵全てという状況になると確信していたというのに――なかなかどうして、この世界は俺の予想通りにはいってくれない。
最初は、敵にまわるなら全員殺すのも止む無しと思っていたが。
例え不本意でも、この世界で生き残るためには必要悪として殺らなければならないと覚悟していたのだが。
仕方ないからこれからの人生は悪魔らしく悪魔として生きていくべきか、と諦めにも似た境地ではあったのだが。
このゴブリンの様に真っ直ぐな戦士も中にはいるというのなら、少しその考えを改めようと思う。
存外に、こいつらは俺の知る人間とあまり変わらないのではないか?
ならば俺の取るべき道は――。
[リトちゃんはスキル【剣術】を対象よりスティール]
[リトちゃんはスキル【隠密移動】を対象よりスティール]
[リトちゃんはスキル【急所斬り】を対象よりスティール]
[リトちゃんはスキル【我流二刀術】を対象よりスティール]
[リトちゃんはスキル【狩猟】を対象よりスティール]
[リトちゃんはスキル【剣撃・薙】を対象よりスティール]
[リトちゃんはスキル【剣撃・斬】を対象よりスティール]
[リトちゃんはスキル【短剣術】を対象よりスティール]
[リトちゃんはスキル【斧術】を対象よりスティール]
[リトちゃんはスキル【斧撃・投】を対象よりスティール]
[リトちゃんはスキル【小手先】を対象よりスティール]
[リトちゃんはスキル【薙ぎ払い】を対象よりスティール]
[リトちゃんはスキル【小盾防御】を対象よりスティール]
[リトちゃんはスキル【早熟】を対象よりスティール]
[リトちゃんはスキル【成長限界突破・壱】を対象よりスティール]
[リトちゃんはスキル【修羅道】を対象よりスティール]
[リトちゃんはスキル【直感】を対象よりスティール]
[リトちゃんはスキル【子鬼族言語】を対象よりスティール]
[リトちゃんはスキル【加工】を対象よりスティール]
[リトちゃんはスキル【練気】を対象よりスティール]
[リトちゃんはスキル【集気】を対象よりスティール]
[リトちゃんはスキル【被虐性欲】を対象よりスティール]
[リトちゃんはスキル【妖子鬼族言語】を対象よりスティール]
[リトちゃんはスキル【採掘】を対象よりスティール]
最長老「よっしゃーーーっ!! 儂の一人勝ちじゃーーーっ!!」
胴元「!? (や、やばい……何とかしなければ!)」
最長老「今日は儂の驕りじゃー! 無礼講じゃーっ! みんな思う存分楽しむんじゃ~っ!」
次の日
最長老「あれ? 儂の金、どこいったんじゃ? おかしいの~」
胴元「(言えない……飲み食いの請求を大幅に割り増しして相殺しただなんて、絶対に言えない……)」




