プロローグ
◆第零週目◆
真実は、この世の中で一番面白い冗談である。
その言葉は俺が物心つく以前より、とある人が好んで良く口に出している言葉だった。
それが大昔の人が言った有り難い言葉なのかどうかは兎も角、知ってしまえば何の事はない、なるほど確かにこの真実は面白い冗談だ。
◇◆◇◆◇
たった今、殺したばかりの相手の姿を見下ろしながら一献。
口内と喉と胃を順に焼き尽くさんばかりに暴れる酒精。
〝魔櫻・夢幻〟という銘柄の強い酒を、夜空に浮かんだ綺麗な半月光の下で味わう。
それは、勝利者の特権。
処理の美酒。
空になった盃を手に『今宵の酒は格別か』という台詞が口から零れ落ちる。
敗者へと向ける嘲りの笑みも零れ落ちる。
――正直、穴があったら入りたいと思う。
それぐらい恥ずかしい。
自分でそう設定しておいて何だが、今日この時ほど後悔した日は無かった。
恐らく、この後に待っているのは苦痛を越える耐え難い折檻の数々だろう。
本人は「愛の鞭」と言い張っているが、あれは地獄としか思えない。
物心ついた頃には既に記憶に刻み込まれていた数々の恐怖は、今も俺の生き足掻く原動力となっている。
その地獄を知っているからこそ並大抵の窮地はそよ風程度にしか感じられない。
本当の地獄は勿論知らないが、たぶんどっこいどっこいの筈だ。
胴体を強制的に分離させられた侍が、無様な格好で地面に転がっていた。
所々はっきりと見えない部分があるのは、きっと飛び散った内蔵。
明らかに気分を害するグロい光景を見なくてすむのは有り難い。
千切れた腕は、某有名ゲームのモンスターのように、地面から生えるように立っていた。
斜めにバッサリ裂かれた俯せの上半身は、首が180度回転しゾンビも真っ青の死に顔を晒している。
下半身は明らかに間接の駆動範囲を越えていた。
見ているだけでも痛々しい光景。
内蔵まで描写されていなくとも何だか吐きそうになる。
これが狙ったものなのだとしたら、説教の一つもするべきだろう。
それが可能かどうかは別として。
人を殺した。
なのにこんなにも冷静でいられるのは、あまりにもそれが現実味を帯びていなかったからだろう。
この世界では人を殺すなど日常茶飯事。
人だけでなく怪物も殺すし、魔物も殺すし、神や悪魔だって殺す。
流石に絶世の美種族であるエルフを殺す時には皆色々と躊躇うらしいが――男性エルフはもちろん別――殺す事に罪悪感を覚えるなど微塵もない。
何しろ、ここは異世界なのだから。
……ああ、語弊があってはいけないので、ちょっと言い直しておく。
ここは異世界は異世界でも、人の手によって創り出された世界である。
一般的には仮想世界もしくはVRと呼ばれている。
だから、この世界で人を殺しても何も問題無し。
理解してくれただろうか?
なお、先に断っておくが、これは回想である。
◇◆◇◆◇
理解しがたい状況に陥ってしまったため、まずは状況を整理するために記憶の整理を行っているというのが現状だ。
現実が良く分からない。
良く分からないが、分かっている事もある
俺の名は天駆紫水。
いや、以前の名前が、と言うべきか。
何がどうしてこうなったのかは不明。
だが、現在その名は適当ではないので、一応〝匿名希望〟としておく。
別に〝名無しの権兵衛〟でもいい。
好きなように呼んでくれ。
それで、先の回想の事だが、俺の記憶は仮想世界で男性型アバターを倒した所で終わっている。
もう少し詳しく言うなら、絶対強者である筈の侍を倒した後、勝利時のパフォーマンスとして設定されている実行プログラムに従い、地面から生えてきた岩山に腰掛け、勝利時の残存HPに比例して欠けた月を眺めながら酒を飲んた後で、記憶はぷつっと途切れていた。
あの時いったいどんなバグが発生したのか。
今現在、俺の精神は本物の異世界にあった。
これが夢や妄想でなければ、俺は現実世界であの後、地獄を味わっていた筈だ。
八つ当たりとも言う。
そういう未来が待っていた筈だ。
それが何故……。
その原因を探るべく、まるで藁にも縋るつもりで現在記憶の海に溺れている。
溺れていた。
……まぁ、いいか。
夢ならすぐに覚めるだろう。
とにかく俺は死んだ。
誰かが殺した。
俺は死の痛みすら感じずに黄泉の国へと旅立った。
侍の身体を斬り裂いた左腕の感覚と、勝利したとは到底思えない気持ちのまま口にした酒の濃厚な味と灼き尽く熱さと。
宝石のような輝きを放つ星々が散りばめられた夜空に浮かぶ半月光の下で、無惨な骸と化した元は人であった生涯の敵の姿を最後に、俺の意識はぷっつりと途切れる。
霞がかる訳でもなく、闇に溶けるのでもなく、それは唐突な終わり方。
しかしながらそれで終わっていないから、こうしてその記憶を呼び起こした。
自身の身に起きた事が信じられないので、信じられないなりにケジメを付けるべく現実から逃避した。
恐らく転生。
転生だとでっちあげる。
一番分かりやすいから。
一度途切れた記憶と、その後になって新たに録画された記憶の前後では、何ら違和感が生じることなく俺という個の意識が在った。
これが以前のままの肉体を持ったままであれば、次元の狭間に落ちたとか異世界人に勇者として召喚されたとか都合の良い介錯が出来るのだが、どうにもそんな分かりやすい状況ではないらしい。
夢でも見ているのか?という考えも一瞬ならず何度も何度も脳裏を過った。
だが、現実はどうもその期待を尽く裏切ってくれるらしい。
前世で体験した死の淵よりも余程現実味の帯びた死が間近に迫れば嫌でも理解する。
殺されて、また殺されそうになった。
転生したら、すぐに何者かによって殺められるところだった。
何故だと叫びたい。
いや、輪廻転生という現象からすればそれは別段珍しい事ではなく、例えば人から蝶に転生した矢先に弱肉強食の牙が襲い掛かってきたとしても全く不思議ではない。
そう考えれば、まだ俺は恵まれていたのだと言える。
例え服以外は溶かす事の出来ないエロスライムに転生していたとしても、寿命が短い虫よりかは幸運だと言える。
いや、それは例え話だ。
俺はスライムになった訳でも、ましてや人として新たな生を受けた訳でもない。
また人になるぐらいだったらスライムの方が良かった、と言うつもりも当然ない。
だが、これはちょっとな。
前世は善人だったと自負している俺にとっては、あまり受け入れたくはない身の上である。
どういう理屈なのか、自分が何者なのか考えると、勝手に頭の中にその答えが浮かび上がってきた。
[種族:《魔物・悪魔系》]
[個体種名:《小悪魔・混血種》]
いきなり殺されかけただけあって、どうやらこの新しい人生の幸先は随分と悪いらしい。
主人公は、自分が善人であると思っている。