第9話:予期せぬ敵
「列車強盗だなんて、僕らもツイてないよ」
「ミドの追っ手の可能性は?」
「いやいや、こんなに騒がしくしたら暗殺者失格だって」
座席の陰に身を潜めるミドは、帽子にかかったガラス片をうっとうしげに払う。
怯えるシロコはイクの背中から肩をぎゅっと握っている。
「悪い人たちがくるの? ひょうらいかいって人たち?」
「単なる無法者の類だろう。国や貴族と太いつながりを持つ氷雷会が、こんな悪目立ちする犯罪行為を企てるとは考えづらい」
氷雷会は賢いやり口で法の隙間を縫い、人々を欺き、見えざる手で財産を強奪していく。イクは奴らのあくどい性質を、身をもって味わわされていた。
視認できる限り、無法者たちは全員で六人いた。
そのうちの二人は運転室と機関部のある先頭車両に乗り込んでいた。だとすると、乗客を襲う役は残りの四人。二人一組で一等車両と二等車両をそれぞれ襲う算段であると推測される。
倒すべき最初の敵は二人。
奴らが車両に押し入ったときに打って出ようと、イクとミドは示し合わせた。
「後ろには逃げ遅れた乗客が取り残されている。戦闘を長引かせるのは避けたい」
向こう側から鍵をかけられてしまったらしい。逃げ遅れた乗客たちは一等車両へと続く後部扉を「開けろ開けろ」と死に物狂いで叩いている。
「あんまり騒々しくしちゃうと仲間が駆けつけてくるし、やるなら一撃必殺だね。さてさて、僕の本領発揮といったところかな」
元暗殺者の黒ぶちメガネはほくそ笑んだ。
予想どおり、無法者の男二人組みが二等車両に押し入ってきた。
大人しくしろ。妙な真似をしたら遠慮なく脳天に風穴を空けるぞ。お前たち貧乏人の命などどうだっていいのだからな――そんな脅し文句をがなりたて、仕上げに天井に向けて発砲した。乗客たちは揃って震え上がり、容易く大人しくなった。
二人組みのうち、片方の痩せ男はその場に留まって二等車両全体を監視し、もう片方の大男は座席間の通路を歩いて乗客たちに近寄っていく。二人とも、物陰で息を潜めるイクたちには気づいていない。
周囲に目を配らせながら通路を歩く大男が、ミドの隠れる席まで近づく。
機を見計らったミドが車窓の外に、火薬針をこっそり放り捨てる。
導火線に火を点けられていた火薬針は空中で炸裂した。
小さな爆発音がして、大男と痩せ男が揃って車窓に注意を逸らす。
その隙をついたミドが座席の陰からゆらり、陽炎のごとく姿を現した。
そこから先の出来事は一瞬だった。
大男の目の前に出てきた彼はすかさず敵の口をふさぎ、袖の下から滑り出した短刀で喉笛を突いた。大男は目玉がこぼれ落ちんばかりに目を剥き、声も無く絶命した。口から手を離したミドは再度座席の陰に隠れた。
敵の注意が逸れた、ほんの数拍のうちに暗殺は行われた。
大男が何の前触れも無く倒れたように見えた痩せ男は「おい、どうした」と不審がり、相方のほうへ近寄ってくる。彼も同様の手段でミドの短刀に始末された。
おちゃらけた青年による手際のよい殺人術に、イクは感心するばかりであった。
「ダテに竜の紋章を授かっておりませんよ。こほんっ」
短刀を鞘に納めたミドの、わざとらしい咳払い。
「ミド、旅芸人じゃなかったの?」
「違うってば! ひどいよシロコちゃん!」
二等車両の乗客たちをひとまず落ち着かせたイクたちは、自分たちと共に戦える者を募った。案の定、乗客の十数人はだんまりを決め込んでしまった。
列車の速度が次第に落ちていく。
残る無法者たちは四人。
馬を乗り捨てて乗り込んできたということは、迎えを担当する仲間が外に残っている可能性が高い。もしくは貨物車両の馬を奪って逃げる腹づもりか。いずれにせよ、列車が完全に停止する前に事を終わらせるのが得策である。
イクのその意見にミドも賛成した。
「シロコはここに残っているんだ。必ず帰ってくるから、待っていられるね?」
「……たぶん」
シロコが拗ねた返事と共に目を逸らした。
今は言い聞かせる時間すら惜しい。イクは不安ながらも納得せざるをえなかった。
シロコが目を逸らした先には、混乱のさなかに踏み潰されて散乱したサンドイッチの残骸。編みかごももはや原形を留めていない。瞳に涙が溜まっていく彼女の肩をイクは抱き寄せた。
ミドが刃についた血を慣れた手つきで拭い、ついでにメガネの位置を直す。
「一等車両の乗客は大切な『お客さま』だから無事だとして、さてさて運転室の車掌たちの安否はどうなのやら。先頭車両から叩くかい?」
「俺たちの動きを奴らに勘付かれたら身動きが取れなくなる。何せ、乗客全員が人質みたいなものだからな。仕掛けるなら両方同時だ」
「私も、私もイクの役に立ちたい」
片手を挙げながらぴょんぴょん跳ね、シロコが主張してくる。イクが難しい顔をして無言を貫いていると、彼女の跳ねる勢いが段々と弱まってくる。最終的に、叱られた子犬みたいに頭を垂らしてしまった。
「シロコちゃんは乗客たちの安全を守ってもらいたいな」
渋るイクに代わってミドが指示した。
「矢面に立って身体を張るばかりが戦いじゃないさ」
不満げながらもシロコは納得してくれた。
各々の役割を決め、イクは先頭車両に、ミドは一等車両にそれぞれ向かった。
蒸気機関車の本体――先頭車両。
狭い連結通路をイクは忍び足で進む。
突き当りには運転室の扉。小窓から中を覗き込む。
運転室の中央には、炉を内包する機関部が燃料を喰らって力強く上下している。正面奥には列車の操作機器が備えられている。
無法者の男二人が、運転手と車掌たちを隅に集めて銃で脅している。
リーダーらしき覆面の男が、タバコをくわえた男に後部車両の様子を見にいくよう、ちょうど指示しているところであった。
タバコをくわえた男が運転室から連結通路に出てくる。側面の死角に張り付いて息を潜めていたイクは、運転室の扉が閉まって音と視界が断たれたのを見計らい、みぞおちに当て身を加えて男を気絶させた。
覆面の男は仲間に起きた災難などつゆも知らず、依然として車掌たちに銃口を向けている。
イクは拳銃の引き金に指をかけ、呼吸を整える。
意識と呼吸のリズムが徐々に同期していく。
その二つが重なって一つになった瞬間、運転室の扉を蹴破った。
運転室に飛び込むや否や、イクが拳銃を轟かせた。
撃鉄の作動、火薬の炸裂、銃弾の射出――その一連の場面は、まばたきの刹那のうちに完結された。イクの肉眼が捉えられたのは、覆面の男の左目に銃弾が命中した最後の瞬間のみであった。
衝撃で吹き飛ばされた男は機関部に背中を打ちつけ、だらりと床に倒れこんだ。
赤黒い血糊が飛散した機関部の表面。
男の手から落ち、操作機器の下に滑っていく拳銃。
「今拘束を解くから、列車の運転を再開し――」
車掌たちを助けようとイクが拳銃を下ろしかけると……微風が前髪を揺らした。そして、揺れた前髪の先が切れて宙を舞った。
覆面の男が、起き上がりざまにナイフで反撃してきたのだ。
その予期せぬ反撃を瀬戸際で回避できたのは、幾多の死線を超えて研ぎ澄まされた冒険者の本能に他ならなかった。
頭を撃ち抜いたはずなのに何故。
しかし、その余計な戸惑いが、イクの判断を致命的なまでに遅らせてしまった。おまけに真後ろに退いた際、配管の凹凸に背中を強く打ち付けてよろめいてしまった。
無防備を晒した隙に乗じ、覆面の男が片手をかざす。
かざされた手のひらに火が点る。
右腕の呪いの印が疼き、危機を告げる。イクは防塵マントで全身を覆った。
男の手でくすぶっていた火は肥大化し、燃え盛る火炎弾と化して発射された。
雄叫びを上げる火炎。
肌を舐める高熱と、燃焼がもたらす酸欠。
極大の火炎弾はイクを飲み込み、運転室から連結通路まで猛烈に駆け抜けた。
意識が急激に遠退いたイクは膝を折って崩れる。防塵マントの耐火性能のおかげで、火だるまにされるのだけはかろうじて免れていた。
全身の水分を奪われ、喉が干乾び、咳き込む。
「火炎魔法……だと。ま、まさか」
覆面の男は姿を豹変させていた。
全身の皮膚は爬虫類のうろこで覆われ、覆面が破れて晒された顔もトカゲの頭そっくりに『変身』している。
銃弾が左目を貫通しているというのに、爬虫類めいたこの男はなおも生きている。しかも、戦闘を続行できるほどの生命力を保持した状態で。
「こいつ――ミュータントか!」