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白きエーテルエッジ  作者: 本文:帆立 イラスト:響灼
第2章
8/52

第8話:次なる旅路へ

 解熱剤を譲ってほしい。

 中年夫婦は、そんな依頼を持ちかけてきたのだった。

 イクたちが解熱剤の薬草を採取した噂をどこからか聞きつけたらしい。食堂で朝食をとっている最中に突然駆け込んできた夫婦は神に祈るかのように跪いて、三人を驚かせたのであった。

 それが、陽が東の端で照っていた時刻の出来事。

 今はだいぶ陽が高くなっている。


「あの子の熱、治るといいね」

「きっと治るさ」

「サンドイッチ、あとでみんなで食べようね」

「ああ。汽車の中で食べよう。長旅の退屈も紛らわせる」


 軽い足取りのシロコは、サンドイッチ入りの編みかごを大事に抱えている。

 街道筋を逆戻りしている途中、ミドがふとイクに尋ねる。


「ホントによかったのかい? 解熱剤あげちゃって」

「ミドは渡さないつもりだったのか?」

「いやいや、まさか」


 ミドは鼻歌を歌いつつ、指先で帽子を回して遊ぶ。


「驚いたな。畑の譲渡を報酬にされるなんて」


 つい先ほどまでの出来事を回想する……。

 依頼主の夫婦が住む家は、町の中心から離れたうら寂しい場所にあった。

 その小さな家は外壁が腐っており、かまどの火は絶えて久しかった。木の板も同然のベッドに寝かされていた娘は、薄い布に包まって咳き込んでいた。痩せた畑では芋が栽培されていた。

 解熱剤を譲ってもらった夫婦二人は「娘を助けてくれてありがとう」と幾度も感謝を述べていた。帰り際も視界から消えるまでイクたちを見送っていた。


「あの畑は、彼ら家族に残された唯一の財産だった」

「一番の宝物は娘さんだよ。大切な家族のためなら何だって投げ出せるのさ」


 さすがに土地をもらうわけにもいかず、代わりの報酬として夫人手製のサンドイッチを受け取っていた。硬いパンに萎びた野菜と薄い干し肉を挟んだ……一家にとっては精いっぱいのご馳走である。依頼内容とつり合うかはさておいて、昼食は確保できた。

 薬草採取と調合依頼は、数ある依頼の中でも極めて多い。

 グリア大陸における薬品の製造と販売は『エセル製薬』の寡占状態にあり、風邪薬一つ処方するにも高額な料金をふっかけられる。平民には手の届かない代物なのである。

 列車の常備薬も案外、横流しされてしまっていたのかもしれない。

 今更ながらそんな考えがイクの頭によぎった。


「エセル製薬の背後には氷雷会(ひょうらいかい)の影があると耳にしている」

「ぶっちゃけると、奴らの表向きの名義だよね。公然の秘密っていうの? マフィアがカタギ相手に堂々と商売してるなんて世も末さ」

「ひょうらいかい……あの怖い人たちだよね?」


 なけなしの作物の売上も、この地方を仕切る氷雷会幹部クルーガーの一味が『税金』の名目で徴収してしまう。増長に増長を重ねた近頃は凄腕の剣士まで雇い、耕作や牧畜に適した肥沃な土地を『限りなく非合法的な合法的手段』でぶんどっているのだとか。そんな理不尽な話を夫婦から聞かされていた。

 氷雷会にエセル製薬。マフィアは裏と表の両面から人々を苦しめている。

 イクは沸き上がる憤りを歯軋りで紛らわせる。

 列車の到着を告げるベルが遠くで鳴った。

 三人は足を速めた。



 プラットホームは列車を待つ乗客たちで混雑している。

 中流層の家族連れ、鉱山労働者、それと冒険者が乗客の大半を占めている。朝を賑やかすざわめきは、三人の会話をかき消しそうなほど賑やか。都会だろうが片田舎だろうが、酒場と駅はどこも人でごった返すのが常である。


「ミドはこれからどうするつもりなんだ?」

「お宝のありそうな遺跡をさがして冒険ってところかな。うーん、そうだね。夢は大きく、金銀財宝の眠る天空都市だ」


 呑気に青空を仰ぎながら答えるミド。

 要するに何も決まっていないのだ。

 暗殺者組織から足を洗った彼は、これからどうやって生きていくのか。真っ当な手段を経て脱退したのなら、昨夜のように闇に乗じて命を狙われるだろうか。裏切り者の始末を命じられた差し金の影は一つや二つではあるまい。暗殺者に似つかわしくない、お人よしで陽気な彼の無残な死にざまを想像して、イクは胸に苦しみを覚えた。


「目的が見つかるまで俺たちと旅をしないか」

「いいや。遠慮しておくよ」


 薄情なほどあっさりとした返答は、自分たちが一度の冒険を共にしただけに過ぎない、所詮は他人同士の関係であると暗に告げていた。イクは彼を引き止める理由を失ってしまった。


「ミドもイクといっしょ。私の命の恩人だよ」

「冒険者冥利に尽きるねぇ。僕はその感謝の言葉だけで満足なのさ」


 線路の彼方から大気を震わす咆哮。

 王都方面行きの列車がプラットホームに到着する。

 ミドがメガネのずれを直し、帽子を目深にかぶる。


「達者でね。呪いを取り除く方法、見つかるのを祈ってるよ。シロコちゃんの家族ともきっと再会できるさ……バイバイ」


 黒い鉄の獣が定位置で大人しくなると、車掌が各車両の扉を開けていく。

 目的地にたどり着き、わらわらと降りてくる乗客たち。

 列車に乗り込もうと、構内から次々とやってくる新たな乗客たち。身なりの良い紳士や婦人は一等車両へ、あからさまに平凡な格好をした男や女は二等車両へ分流する。

 前後から押し寄せてくる荒波に三人は呑まれる。

 乗り降りする客たちでごった返す中、イクたちに手を振る腕が遠くで伸びていた。

 やがて荒波が鎮まり、凪が訪れる。

 ひとけの失せたプラットホーム。

 黒ぶちメガネの青年も姿を消していた。

 シロコがおずおずとイクの袖を引っ張る。

挿絵(By みてみん)


「ミドのおじさん、行っちゃったよ」

「出会いと別れは常に背中合わせに存在している」

「ミド、いい人。誰かのためにいっしょうけんめいになれる人は、いい人。お姉ちゃんたちが教えてくれた。イクの隣にいるときと似てるふわっとしたの、ミドからも感じたんだよ」

「彼には彼の生き方がある」

「なら、どうしてイクはさみしそうな顔をしてるの?」


 シロコに問われ、自分の顔をまさぐる。

 磨かれた鉄の車体にうっすら反射する自分の顔を凝視する。彼女の言うとおり、確かに冴えないツラだと苦笑した。

 タラップにかけていた足を引っ込め、身体を真逆に反転させる。四人がけの席を取っておくようシロコに頼み、それからイクはあのお人よしを追いかけていった。



 駅の外で大陸路線図とにらめっこしていたミドは、人ごみを掻き分けて現れたイクの存在を認めるや、普段の年長者気取りな態度で冗談めかしてきた。


「早くも僕が恋しくなったのかい?」

「そうだ」

「……冗談のつもりだったんだけど、熱烈だねキミ」


 うつむき加減になり、帽子のつばで目元を隠す。


「参ったなぁ。僕の近くにいるとまたキミに危険が及ぶんだよね。ご存知のとおり僕さ、足を洗ったはずの組織の連中に恨まれてるんだ。何の組織かもまあ、キミなら大体察してくれてるよね?」

「なりたての冒険者は経験者といっしょに旅をするものだ。ミドは旅路での金遣いがまだわかっていない。あんな高い宿を毎晩借りていたら、いくら金があっても足りないじゃないか」

「個性的な口説き文句だ」

「力は合わせるものだと言ったのは他でもない、ミド自身だ。お前の言っていた『危うさ』とやらが、お前自身からも伝わってきたんだ」


 馬鹿正直なイクに面食らっていたミドは、ついに我慢の限界に達して「ぷっ、あはは!」と腹を抱えて吹き出した。からかわれたと勘違いしたイクは「どうして笑うんだ。俺は本気なんだ」と大真面目に憤慨していた。

 ミドは「参ったな」と帽子越しに頭を掻く。

 困り顔をしながらも、愛嬌のある口元からは嬉しさが見え隠れしていた。

 イクはそれを彼なりの返答と受け取った。

 信頼の証として握手を交わす。


「イク。キミには不思議な魅力があるよ、うん」


 プラットホームに引き返し、大急ぎで列車に飛び乗る。

 最後の二人が乗車すると車掌が合図を出し、列車は動きだした。

 息を切らした二人は、シロコが占有する四人がけの席に着いた。


「おっ、おかえり、ミド」


 上目遣いの彼女が小声で言う。


「ただいま。今後ともよろしくね」

「う、うんっ。ね、ねえ」

「なんだい?」

「え、えっと……サンドッチ、三人で食べようね」


 勇気を振り絞って話しかけてきたシロコにミドは微笑みかけた。彼女はサンドイッチ入りの編みかごをぎゅっと抱きしめて、町並みが流れる窓の方を向いてしまった。彼女の綻んだ口元は、かすかに喜びを表現していた。


「楽しい旅になりそうだ」


 何気なくミドが言う。


「旅をするからには楽しく愉快にいかないとね」


 最終目標はともかくとして。

 と彼は最後に付け足した。

 旅の終着ばかりに気持ちを捕らわれていたイクは、彼のほんの一言で、憑き物が落ちたかのように肩が軽くなった。微笑みながらうなずいてしまうくらいに。

 荒野とわずかな緑、古代人の遺跡が眠るこの大陸を旅していく。

 自分を慕ってくれる少女シロコと、気さくな青年ミドと。

 悪くない。

 自然と笑みがこぼれる。


「王都に着いたらお城いっしょに見ようね、イク。あとミドも」

「劇場やオペラハウス、教会や修道院も秀麗な外観をしている。いろんなところを見て回ろう。楽しみだな」

「うん、楽しみ」

「なんか僕だけオマケっぽくない? シロコちゃん」



 窓の外の景色が、人家の建つ町並みから不毛なる荒野へと移ろっていく。

 列車の速度が安定してしばらくして、代わり映えの無い荒地の景色に変化が訪れた。馬に乗った六人の男が岩陰から突如出現し、列車と併走を始めたのだ。

 最初に彼らを発見したシロコが「誰かいるよ」とイクたちを窓際へと促す。

 窓の外を覗いたイクとミドは揃って「なっ!?」と仰天する。

 併走する六人の男たちが二手に分かれる。

 先頭に向かっていった二人は馬から飛び降り、機関部のある先頭車両に押し入る。車掌の一人が男と揉み合った挙句、車外に放り出され、荒野に打ち捨てられた。

 残った四人は乗客たちの乗る二等車両に近寄ってくる。

 男の一人がやおら拳銃を抜いて――イクたちに銃口を向けた。


「みんな伏せろ!」


 叫んだイクがシロコを抱きかかえて床に伏せる。ミドも慣れた動きで座席の下に隠れた。

 シロコの手から離れた編みかごが床に落ち、サンドイッチが散乱する。

 次の瞬間、窓ガラスが外側から内側に向かって粉々に砕け散った。

 ガラスが砕ける甲高い音。輝きながら飛散するガラス片。

 乗客たちの動揺が、悲鳴を伴う恐慌に変わった。

 車両のドアが乱暴にこじ開けられる。立て続けに発砲音と車掌の断末魔。

 乗客たちは銃声のしたほうの逆、一等車両に逃げていく。

 押し退ける者、転ぶ者、泣きわめく者……車内は極度の混乱状態に陥っていた。

 床に落ちたサンドイッチが無残に踏み荒らされる。

 わけがわからないとった様子のシロコが、涙目でイクの肩を揺すってくる。


「落ち着いて。キミはここに隠れているんだ」


 イクは腰の拳銃を抜く。


「楽しい旅になりそう――だったはずなのに、幸先悪いねぇ」


 ミドが嘆いた。

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