第7話:エーテルエッジ解放
イクが呪われし右腕を天に掲げる。
手の甲に浮かぶ黒いあざから白い光が放出され、夜がまたたくまに払拭された。
イクとミドを挟撃して追い詰めていたオオカミ型クリーチャーの群れが、にわかにうろたえだす。鋭い牙をむき出しに、今にも飛びかかりそうだった様子から一転、ほとばしる膨大な魔力に怯えて後ずさりしている。
「この白い光は! 魔法!?」
ミドは目もとをかばって強烈な光を耐えている。
煮えたぎる高熱がイクの右腕を襲う。彼の意思とは無関係に、高熱を伴う魔力の光はみるみる強まっていく。
オオカミ型クリーチャーのリーダーらしき一匹が雄叫びを上げる。怯えていた他のオオカミたちは、その号令に従ってイクめがけて一斉に躍りかかった。
白い光が極限に達する。
イクは光放つ右腕を横薙ぎに払った。
世界の色という色を白に塗りつぶす光。
疾走する魔力の刃。
魔力の刃『エーテルエッジ』は水面に波紋が広がるように円形となって周囲に拡散し、オオカミ型クリーチャーたちをまとめて薙ぎ払った。
烈風が巻き起こる。
吹き荒れる暴風、爆砕する地面、クリーチャーの断末魔……それらが白に染まった空間でかき混ぜられる。魔力の潮流は刃を生み出してもなお、すべてを破壊せんと荒れ狂った。
しばらくして、白い光と破壊の嵐が収まる。
闇が舞い戻ってくる。
月夜はむなしくなるほどの静けさ。
周囲は凄惨たる有様となり果てていた。
焦げた臭いが漂っている。
茂っていた草木は焼き尽くされて塵に。古代人の敷いた灰色の道路はえぐられ、茶色の地面がむきだしになっている。赤青黄三色の奇妙な街灯もへし折られ、塔のガラスは融解している。
オオカミ型クリーチャーたちは、眼球が蒸発した頭やら体毛の焼けた片足やら、肉体の一部分をわずかに残して消し飛ばされており、原型を留めているものは一匹としていなかった。
ミドは尻餅をついた状態で唖然としている。
「俺は遺跡を探索していたあるとき、古代人の遺した罠に陥って呪いを受けた」
右腕は熱が冷めても依然として痛みが続いている。
手の甲に刻まれた黒いあざが増えている。
「呪いは命をむさぼる対価として、エーテルエッジの力を押しつけてきた」
「人の命を魔力に換えてるってわけ?」
「呪いのあざは最終的に全身に至り、宿主をクリーチャーに変える」
「実際に目の当たりにしたかのような口振りだね」
「同じ呪いに蝕まれた相棒がそうだった」
「それがキミの背負い込んでる重荷……」
ずれていた黒ぶちメガネをミドは直した。
「僕のせいでキミの命を削ってしまったのか」
「エーテルエッジを使う覚悟はしていた。さあ、新手が来ないうちに帰ろう。解熱剤の調合、よろしく頼む」
「ああ、まかせてよ。借りはちゃんと返すからね」
ミドは自信満々に胸を叩き、ウィンクを決めた。
宿に帰ると、シロコがベッドから落ちて床に倒れていた。
外れた義足が隣に転がっている。
抱きかかえられた彼女の顔色はさほど悪くない。熱で火照っている程度である。ちゃんと息をしているし、心臓も動いている。イクは肝を潰した。
シロコがうっすら目を開ける。
まつげに溜まっていた涙がこぼれ落ちる。白くきれいな頬を伝って滴り、イクの膝を濡らした。
「どこいってたの? おいてかないでよ」
「解熱剤の材料をさがしに遺跡探索をしていたんだ。勝手にいなくなってごめん。キミを不安にさせまいと黙っていたのがアダになった」
「白い魔法、使ったの?」
イクの右腕は布が雑に巻かれており、呪いのあざが見え隠れしている。
シロコの瞳がまた潤んだ。
「シロコちゃん、案外体調を回復してきたね。さすがの生命力だ。今から薬を調合するからさ、イクは気楽に待ってなよ」
ミドは折りたたみ式の簡易調合器をテーブル上で組み立てる。組み立てたそれの下にアルコールランプを設置し、マッチで火をつける。ランプの火が触れるよう、水溶液の入ったガラス容器を直上に設置した。
水溶液を煮沸させている間、すり鉢で薬草を磨り潰す。薬草が粉末状になると、熱を通した水溶液と混ぜ合わせ、手際よく解熱剤を完成させた。
水と合わせて解熱剤を飲み込んだシロコは、えづきながら舌を出した。
「にがい」
「良薬口に苦し、なのさ」
ミドが枕元に近づくと、シロコは目をまん丸にして獣の耳をぴんと立て、ホコリを巻き上げる勢いでベッドにもぐってしまった。露骨に拒否されたミドはがっくり肩を落としてしまった。
「元気で何よりだよ。ははは……はは」
ミドは部屋鍵をイクに渡す。
「僕らの泊まる部屋は左隣ね」
「二つも部屋を借りていたのか」
しかも、冒険者などにはもったいない、中流層向け宿にもかかわらず。
「前の仕事を辞めるときにね、餞別をたんまりせしめてきたのさ」
いたずら小僧が宝物を自慢するときのように、重そうな袋をじゃらじゃら鳴らす。命を狙われる覚悟をしていながら、肝心なところで抜け目が無い。それが彼の性根なのだと、イクはなんとなく感じたのであった。
「俺はシロコの看病をする。ミドは先に寝てくれ」
「キミが体調を崩したら本末転倒なんだから、ほどほどにね。おやすみ」
「ありがとう。ミドのおかげでシロコを救えた」
「困ったときはお互いさまさ。うん、やっぱり僕は暗殺稼業よりこういう人助けが性に合う。キミたちと出会ってつくづく実感したよ」
いつの間にやらシロコが寝付いていた。
寝顔も寝息も穏やかである。
ミドが部屋を出ていってから、イクはランプの灯を消し、野営用の薄い毛布に包まりながらイスに着いた。疲労が限界に達して眠りに落ちる最後まで、寒々しい月明かりを便りにシロコの寝顔を見守っていた。
あくる日の朝。
窓を開けるやかましい音で、イクの意識は夢から現実に呼び戻された。
まぶしい朝陽がまぶた越しに突き刺さる。
小鳥たちが朝の歌をさえずっている。
目が光に慣れてからゆっくりまぶたを開くと、朝陽の逆光を受けながらはしゃぐシロコがいた。開け放った窓から身を乗り出し、庭の枝で羽を休める小鳥に触れようと精いっぱい腕を伸ばしていた。指先を動かして「おいでおいで」と語りかけるも、小鳥は飛び立ってしまった。
木立の隙間から届く朝の光が白い髪を輝かせる。片目をつぶったシロコは腕を額にかざし、まぶしい光を遮った。
少女のはつらつとした仕草のどれもが無邪気で無垢で純真で、見ているとだんだん心が清められていく。
「あっ! おはよう、イク」
「ああ。おはよう、シロコ」
イクは、この生まれたての朝と同じくらい晴ればれとした気持ちになった。大切な者を守れた幸福と充実感でいっぱいになった。
宿の食堂でイクとシロコは朝食をとっている。
冒険者の身なりをしているのは彼らくらいのもので、他の上等な服をまとった紳士や婦人たちから奇異、もしくは嫌悪の目を向けられている。居心地の悪さにイクは食事の味も満足に楽しめない。
なんだあの貧乏そうな連中は。
白い髪の娘、猫みたいな耳を生やしてるぞ。
もしかしてミュータントとかいうのじゃないか。
やだ、襲ってこないかしら。
周囲のひそめきに我慢できなくなったシロコは、フードを目深にかぶって顔を隠した。
まあ、普通の人間のミュータントに対する認識なんてこんなもんだよな。
イクは不愉快さを噛み殺し、諦め半分に紅茶を口に含んだ。
「さっさと食べて宿を出よう、シロコ」
「……うん」
そんな中、平然と朝食をとるメガネの男がイクとシロコの目の前に。
「よかったよかった。僕の調合した薬、ちゃんと効いたんだね」
ベーコンエッグを乗せたパンを口の中に押し込みながら、ミドがもごもごとしゃべっている。ボーイが丁寧に注いでくれた紅茶をがぶ飲みし、口の中のものをまとめて胃に流し込む。恭しかったボーイもさすがに口元が怪しくなっていた。
「ミド、よくそんなに食べられるな」
「イクは朝が弱いのかい?」
「……いや」
「ベーコンエッグ、食べないならもらうよ。もったいないからね」
「勝手にしてくれ」
ミドのフォークがイクの皿から器用にベーコンエッグをさらっていった。彼の図々しさにイクは呆れ果てるのを通り越して、感心すらしてしまった。
「あの、おじさん」
うつむき加減のシロコが、自分の膝に目をやったままおずおずと口を開く。
「お薬、ありがとう」
か細い声で礼を言った。
にこり、ミドが白い歯を見せながら「どういたしまして」と返した。
それから極めて深刻そうな面持ちになってテーブルに手をつき、鼻息荒らげシロコに接近する。
「念のため訂正をお願いすると、僕は『おじさん』じゃなくて『お兄さん』だからね。ここ結構重要だから」
シロコは目を白黒させながら首を縦に振った。
彼が暗殺者から冒険者に転向したのは正しい判断だ。
イクは心底そう思った。
ミドが二人分の朝食を平らげて、いい加減宿を出ようと腰を上げかけたとき、食堂の扉が乱暴に開け放たれた。
みすぼらしい風貌をした中年夫婦が、肩で息をしながら食堂に現れる。
中年夫婦は取り押さえようとするボーイを押しのけ、ざわつく食堂を突っ切って、イクたちの席にまっすぐやってきた。
「遺跡で解熱剤の薬草を採取した冒険者は……あなた方でしょうか?」
跪く夫婦は、救いの御手を神に乞う信徒に似ていた。