第6話:闇夜の一閃
いくつも建つ古代人の塔が青白く、おぼろに浮かんでいる。
月明かりの下の遺跡は、昼間とは異なる趣がある。
静寂も相まって、もの悲しい雰囲気に包まれている。
「うわー、オバケとか出そう。絶対出るってこれ」
「幽霊よりクリーチャーの心配をすべきだな」
黒ぶちメガネの青年ミドは遺跡に入ったきり、弱音ばかり吐いている。月明かりが照らすまでもなく青ざめており、歩き方も爪先立ちの不恰好な忍び足であった。
イクは抜き身の太刀を携えている。闇夜はクリーチャーの視力が人間を勝る。奇襲に備えねばならない。不自然な動きをする影がないか、神経を研ぎ澄まして周囲に気を配っていた。
「ね、あっちの明るいほうを歩かない?」
「この大路が目的地への最短経路だと、ミドの地図には書いてある」
「そうだっけ? ううむ、シロコちゃんのためならしょうがないか」
夜を怖がる暗殺者だなんて、まさか。
イクは己の懸念を一笑に付す。
ミドの正体は、白い虎の一族の生き残りが復讐のために雇った暗殺者。
などという荒唐無稽な妄想が馬鹿らしくなったのだ。
ミドが何者なのか考えるのはひとまず後にしよう。とにもかくにも今はシロコのために薬草を摘むのが最優先である。心の内でそう思い直して、際限なく続く負の憶測を断ち切った。
競い合うように背を伸ばす灰色の塔群は、いずれも月に到達しそうなほど高い。
その下の大路を二人は歩く。
風化した道路はひび割れ、隙間から草木が好き放題に生い茂っている。そんな有様でありながら、黒い土を固めて平らに舗装されていた面影は千年経った現在も残っている。仕切りのされた両端は歩行者用の道で、白線で区切られた中央は馬車の通り道なのだろう。科学と魔法によって栄えた、かつての都市の姿をイクは想像していた。
道すがら、ミドはおもむろに草むらに寄って他の薬草の採取を始める。
あまりに長い間足を止めるので、イクが露骨に冷たい視線を送る。
とげとげしい視線に咎められたミドは「そうそう、シロコちゃんの薬が最優先だよね。もちろん憶えてるとも」と冷や汗を垂らしながら笑ってごまかした。後ろ手では、素早い手つきでポーチにありたっけの薬草を詰め込んでいた。
ミドが提供してくれた地図には、調合の材料となる薬草の採取地点がそこら中に記されている。この遺跡は薬草採取の穴場だという。
ミドが月を背にした塔を仰ぎ見る。
「栄華を謳歌した古代人の都市も、今やクリーチャーの住処かぁ」
「クリーチャーは、もとは古代人が科学と魔法で造り出した兵士の代理らしい」
「シロコちゃんたちミュータントの祖先も、古代人が造った生体兵器だって説だよね。生き物まで創造しちゃうなんて神さまだよ。天空都市もさ、あながちまだ空に浮かんでいて、古代人が暮らしているのかも。僕たちの生活を監視していたりね」
「それは困るな。地上に墜ちていてもらわないと、俺たちではお手上げだ」
「おっ、イクも天空都市の遺跡をさがしてるクチなんだね。いいねえ。夢が溢れるよね」
ミドの瞳がメガネのレンズ越しに輝いていた。
古代人が空に打ち上げた天空都市には貴族階級の財宝が隠されているという。
絵本や童謡で千年語られてきたそのおとぎばなしも、古代文明に直に触れる冒険者たちには真っ当な事実として語り継がれている。一攫千金を夢見て、天空都市の遺跡を求めて旅をする冒険者は星の数ほどいる。
「ミドは何を目的に冒険者になったんだ?」
さりげなさを装ってイクは訊いた。忘れようと努めても、短刀に彫られた竜の紋章がどうしても頭にこびりついていたのだ。
「いろいろあってね。僕の人生もいろいろあるんだよ」
などとはぐらかされ、不安がよみがえった。
「それよりもさ、あれ見てよ」
倒壊した塔が道を阻んでいる。二人は回り道を余儀なくされた。
回り道は冒険者の手が入っておらず、草木が好き勝手に伸びている。
腰まで茂る藪を踏み分け、垂れる蔦や伸びる枝を太刀で切り払っていく。
藪を抜けた先は泉だった。
泉の周囲には、特徴的な葉を持つ青い花が生えている。イクたちの求めていた解熱剤の材料である。
イクもミドは茂みに潜んだ状態で息を潜めている。
「厄介なのがいる」
ミドが耳打ちしてくる。
泉の前をオオカミ型クリーチャーが陣取っている。サソリ型や大蜘蛛型と同様、通常のオオカミより大きい。獅子と見紛う体格をしている。
オオカミ型クリーチャーは身体を丸めて眠っている。攻撃する絶好の機会である。とはいえ、この静かな夜で銃撃を轟かせれば、確実に仲間の群れを呼び寄せてしまう。
イクがもどかしがっていると、無謀にもミドが腰を上げて茂みから出ていった。引きとめようとするイクに彼は「待ってて」と唇の動きで伝え、人差し指を添える。最後にメガネ越しのウィンクを決めた。
衣擦れすら立てぬ、無音の足取りでミドは歩いていく。群雲が夜空を泳いでいくように、影が月の傾斜に応じて移ろっていくように、風景の流れに溶け込んでいる。ミドが泉のそばで花を摘み終えるまで、とうとうクリーチャーは眠りから覚めなかった。
ふいに、イクの視界に何かが光る。
目を凝らす。
忍び足をするミドの背後の瓦礫に人影。
人影が握る、月明かりを跳ね返す金属の物体は――短刀。
「危ない!」
イクは茂みから飛び出して咄嗟に叫んだ。
人影がミドめがけて短刀を投てきする。
彼の叫びが何を意味しているのかミドは瞬時に理解し、背後から迫りくる攻撃を寸前で回避した。それだけに留まらず、彼は応酬とばかりに己の短刀を投げ返し、人影の心臓付近に的中させた。まばたきの刹那の攻防であった。
伏した人影が弱々しく起き上がる。
イクは拳銃を抜き、即座に引き金を引く。
人影が死の間際に拳銃を撃つ前に、イクの弾丸が額を撃ち抜いた。
月明かりに晒された人影の正体は、不気味な黒装束をまとった男だった。
「ミド、まさか命を狙われているのか」
「事情は後で説明するからさ、まずはあっちのヤバいほうをどうにかしない?」
口元を引きつらせたミドが『あっち』の『ヤバいほう』を指差す。
泉の前で眠っていたオオカミ型クリーチャーが目を覚まして唸っている。
イクが銃口を向ける。
オオカミ型クリーチャーは斜めに飛び退いて軸をずらしつつ接近を試みてきた。
鋭い牙が並ぶ肉食獣の顎がミドの喉笛を狙って襲いくる。
クリーチャーの爪と牙が全身を引き裂いたかと思いきや、彼の姿は陽炎のごとく揺らめきながら立ち消えた。本体はクリーチャーの背後を既に取っており、あまつさえ、いつの間にやらその背中に無数の針を突き刺していた。
針に仕込まれた火薬が一斉に炸裂し、クリーチャーの背中の肉をもぎ取る。
致命傷を受けたクリーチャーは泡を吹きながら横倒しになった。
死する間際、月夜に響き渡る遠吠えを遺した。
「急いで退散だ。仲間を呼ぶ声だよあれ」
二人は泉から離れた。
仲間の救援を聞いて目を覚ましたオオカミたちが塔の下の大路に群がっている。
イクとミドは塔の内部に逃げ込んで、二階の窓から外の様子を窺っている。
オオカミ型クリーチャーの群れは遺跡出口までの経路上に集まっている。奴らがその場を立ち去るまで、塔の中でやり過ごす必要がある。もしもイクたちの臭いをかぎつけて塔の内部に侵入してきたなら……万事休す。
「ごめんね、キミを巻き込んじゃって」
壁に張りつきながら大路を見下ろすミドが小声を発する。
気配を殺した足取り、常識外れの投てき、視覚を惑わす幻影術、殺し屋が暗器として用いる火薬針――彼が冒険者を装った別の何者かであるのは、もはや明らかであった。
「事情とか説明しなくちゃダメ?」
「無理強いはしない。他人同士だもんな」
「キミ、やっぱり見かけどおりキザな少年だったんだね。シロコちゃんを看病しているときはやさしそうだったのに」
「こういうときに茶化さないでくれ」
おどけるミドをイクは非難した。
「騙すつもりじゃなかったんだよ。僕は本心からキミたちを助けたかったんだ。ここから逃げられたら、あらためて説明するよ。コソコソ隠し事をするのは身体に毒だしね」
最後の彼の言葉がイクの胸を突き刺した。
階下からの発破音が部屋を揺らす。瓦礫を詰めて塞いだ扉を破られたのだ。恐ろしげな唸り声と獣の足音が無数に聞こえ、段々と近づいてくる。二人は部屋の扉を瓦礫で塞いでから窓枠に足をかけ、垂れる蔦を掴んで二階から外に飛び降りた。
月明かりの静かな大路に着地する。
クリーチャーたちが扉の破壊にてこずっているうちに逃げよう。
そう思っていた矢先、藪から多数のオオカミ型クリーチャーが飛び出してきてイクたちの行く手を阻んだ。
「ありゃー、もしかして待ち伏せ? ついでに挟み撃ち?」
「上手く誘い出されたというわけか」
一匹のオオカミが遠吠えを上げる。
背後から多数の唸り声。塔に乗り込んでいた仲間が迫ってくる。
イクとミドは前後を敵に挟まれるかたちとなった。
「使うしかない」
イクは右腕に巻かれた布をほどき、呪いの印をさらけ出した。
膨大な魔力が溢れてくる……。