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白きエーテルエッジ  作者: 本文:帆立 イラスト:響灼
終章
52/52

最終話:今を生く

 ある晴れた日。

 ある安宿での、他愛無いやりとり。


「おーい、イクってばどうしたのさ、ぼけっとして」

「ああ、すまないミド。物思いにふけっていた。懐かしい夢を見たから」

「へえ、どんな夢?」

「天空都市エセルを冒険したときの夢」

「あのときのね。あれから一年も経ったのか。右腕の義手には慣れたかい?」

「不便になったことは多いが、これはこれで別の使い勝手があるな。とりわけクリーチャーの攻撃を防御するのに重宝している」

「遺跡探索中に僕がオオカミ型クリーチャーに噛み付かれそうになったとき、間一髪でイクがかばってくれたんだったよね。えっと、あのときどうして僕は窮地に陥ったんだっけか」

「俺の警告を無視して無我夢中で薬草むしってたからだろ。やれやれ」


 右腕に装着した篭手の馴染み具合を確かめるイク。

 ミドは指先で帽子をくるくる回し、相棒の支度が済むまで退屈を紛らわしている。


「遺跡探索かぁ」

「冒険に飽きて、妻子が恋しくなったか」

「そうじゃないさ。国を巻き込むマフィアの陰謀を阻止したってのに、やってることは相変わらず宝探しってどういうことよ。僕ら世界を救った英雄だよ」

「俺たちの冒険を知ってる奴なんてどこにもいなかったからな。あのときはブラックマターや天空都市の魔法兵器で地上はめちゃくちゃだった。いいじゃないか。知られざる英雄で」


 一介の冒険者が魔王の陰謀を打ち砕いたなど夢にも思うまい。

 事実、荒廃したグリア大陸のどこを旅してもイクたちの名声など、よくて腕利きの冒険者止まり。地上に降り注いだ天空都市の残骸を調査していても、おこぼれを頂戴するガラクタ漁り扱いが関の山であった。

 彼に訴えかけるのが詮無くなったミドはベッドに身体を投げ、仰向けのまま窓の外を恋しげに眺める。

 かつて旅した空は今日も抜けるような青。細切れの綿雲が彼のメガネを泳いでいる。


「お宝のひとつくらいネコババしておけばと悔やまれるよ。僕ってばホントもったいない」


 悔しげに髪の毛をかき混ぜる。


「列車に乗るときは狭苦しい二等車両で、眠るときは立て付けの悪いおんぼろ宿。気がつけばそれを一年も繰り返してただなんて」


 振り返れば彼方に遠ざかった光陰。

 どんなに劇的な経験であろうとそれは所詮、生涯という果てしない道程での一瞬に過ぎない。思いを馳せるのもそこそこに、人は未来と向き合って生きていく。望む望まぬの意思とは無関係に強いられる。だから魔王を倒した英雄たちは今日だって、寂れた町の安宿で遺跡探索の支度に余念がない。

 それでもときどき夢に見る。天空都市エセルでの冒険――瑞獣ビャッコの背中に乗っているときに感じた、肌を切るような痛みを伴う夜風の冷たさ。満月の下に広がる灰色の都市……。


「俺は二等車両もおんぼろ宿も気に入ってる。冒険者らしくてさ。過去は懐かしむくらいに留めて、俺たちは今をせいいっぱい生きていこう」

「今を生きる、ね」

「物足りなそうな顔するなよ。今を生きる大事さはミドから教わったんだからな」

「へ? そうだっけ。言われてみればイク、初めて会ったときよりポジティブになったよね」


 知られざる英雄でイクは構わなかった。ひと山いくらの冒険者で構わなかった。奪われていたもの、失っていたものを全部取り返せたのだから。

 取り返しただけではない。

 その旅路で、かけがえのないものを得た。利き腕を代償にしたって、これっぽっちも後悔しないくらいの宝物であった。

 彼は今を生き、今を行く。

 次なる冒険は地下に広がる巨大遺跡。凶暴な大型クリーチャーが多数徘徊し、多くの冒険者が命を落としている。依頼主のミソギの話によると、最奥には灰色の塔まるごと一棟の電力をまかなえる魔力の結晶体があるらしい。秘境の復興には必須とのこと。


「大切な宝物を見つけられたから、俺は前向きになれたんだ」


 心を刺激する単語を耳にしたミドが目を剥いてベッドから飛び起きる。


「宝物!? どこにあるんだい?」

「ここにあるさ」


 イクは金属の右手を胸に当てる。


「見えざる証が」

「僕たちの心に――ってやつ?」


 ミドにからかわれてはにかんだ。

 そうだろうと思ったよ、と嘆息混じりに苦笑したミドはカバンを肩に提げる。

 列車の甲高い汽笛がおりよく荒野の彼方から。


「行こうか。遺跡前でイザベル嬢とカズラちゃんと落ち合う予定なんだから、乗り遅れたら大目玉だ」

「二人に会うのはひと月ぶりか。ミソギは元気にしてるだろうか。彼女とは半年近く顔を合わせていない」

「今度の冒険が終わったら会いにいけるんだから、それまでの辛抱さ」


 赤茶けた大地に細く伸びる線路。地平線の端から列車が姿を現す。白い蒸気を豪快に吐き、渇いた砂を巻き上げながら荒々しく力強く走っている。



 犬面の店主に宿賃を払い、掃き掃除をする赤毛の夫人にあいさつをして宿を後にする。列車の到着を告げるせわしないベルに急き立てられながら早足になる二人は、現地人で賑わう昼時の市場を抜ける。小ぢんまりとした駅の階段を、降車した乗客たちを避けながら小走りに駆け上がる。肩をぶつけてしまったニワトリ男の殺気を背中に感じつつ、二人は逃げるようにプラットホームへ急いだ。

 プラットホームには既に列車が停まっている。

 開かれた扉が彼らを次なる旅路へといざなっている。


「はやくはやくー。発車しちゃうよー」


 ぴょんぴょん跳ねながら手を振って二人を急かす、獣の耳を生やした乙女。跳ねるのに合わせ、背中に担いだリュックサックがやかましい音を立てている。銀に近い白い髪が波を描いている。

 発車のベルがけたたましく鳴り響く。

 業を煮やした彼女はイクの右腕を掴んで引き寄せ、二等車両内へ引っ張り込んだ。

 年老いた車掌の合図で扉が閉まり、列車は車輪を回してゆっくりと加速していく。プラットホームに立つ人々の姿はみるみる小さくなり、最高速度に達した列車はさびれた町を置き去りして荒野へと旅立った。


「そんなせっかちにならなくたって、じゅうぶん間に合ってたじゃないか、シロコ」

「左側の四人掛け席はここしか空いてなかったのよ」

「で、シロコちゃんが左手の席にこだわってた理由は?」


 四人掛けの席。イクとシロコが隣り合って座ったので。ミドはむなしい隣の席に荷物を下ろした。


「海を眺められるから」


 気の早いシロコは靴を脱ぎ捨てて膝立ちになり、今か今かと海原の景色を待ちわびている。イクも彼女の肩越しに車窓の景色を眺めていた。


「このままずっと旅していけるのよね。みんな一緒に世界中を」

「ああ。俺たちはこれからも隣り合って旅をしていくんだ」

「旅は道連れって言うからね――って、僕はお邪魔虫だったかな?」

「んーん。ミドもイザベルさんもミソギさんもお姉ちゃんも。みんな一緒よ。イクが勝手にうわついてるだけ」

「あっ、あんまりな言い草だなシロコ……」


 運命のしがらみを破った彼らの旅路を妨げられるものなどいない。

 列車は緩やかな右曲がりを伴うトンネルに突入する。真っ暗闇の中、列車の走行音が低く不気味に反響する。退屈な時間を三人は持て余す。

 そしてついにトンネルを抜けた。

 最初に感じたのは潮風のにおい。続いて太陽の光。

 待ちに待った三人は、陽光に細める目を車窓に向ける。

 晴れた景色が水平に流れている。

 右手に横たわるのは険しい大山脈。

 左手には紺碧の大海原が広がっている。

 揺れる海面は太陽の光を乱反射させている。


「新しい世界。私の知らない景色」


 そのまばゆさすら、彼女の瞳に宿る希望の輝きにはかなわない。



(了)

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