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白きエーテルエッジ  作者: 本文:帆立 イラスト:響灼
終章
51/52

第51話:はじめての依頼

 光が収束する。

 静寂が夜に舞い戻る。

 光に敗れて倒れていたのは、魔王を気取っていたトレンチコートの男。


「いささか君たちを過小評価してしまった」


 よろめきながら起き上がったヒラサカはしかし、息苦しげに胸元を押さえて再び膝をついてしまう。うつむき加減にあえいだとき、足元に展開されている聖なる魔法円にうろたえた。


「貴方の不死能力はわたくしが封じました」


 手をかざすミソギはフェニックスの因子を移植された者。傷はとうに癒えている。


「勝敗は決しました」

「……そういうことか」


 それに対して不死なる魔王の因子を持っているはずヒラサカは、大小さまざまな傷と致死量の出血で汚れている。永遠の命を持っていたはずの彼は、永遠の終わりを迎えることを悟り、きざな笑みに忌々しさを隠しながらつぶやいた。


「私の敗北だ」


 弱々しい拍手。


「おめでとう。君たちは邪悪なる魔王を討った英雄だ」

「この期に及んでなお貴方は芝居がかった台詞回しを」

「なにぶん、性分なものでね」


 喀血がかすれ声をところどころ途切れさせる。


「これが痛み。死の痛み。苦しいな。耐えがたき苦痛だ」

「その痛みこそ貴方が負った業の購い」

「購い、か。生存競争という原初の(ことわり)に従ったまでなのだがな」


 ミソギたちは武器を下ろす。

 ヒラサカにはもはや戦闘継続どころか、起き上がる力すら残されていなかった。


「『地の底に眠る怪物』の打倒を使命として造られたわたくしたちミュータント。その末裔たちは千年のちのグリア大陸で独自の文明を築き、人間と共存の道を模索しているさなかにあります」

「開拓と発展――革新が本質の人間と、ムラ社会で営みを完結する閉鎖的なミュータント。両者の価値観はあまりにも異なる。わだかまりは永久に解消しない。だいいち、ミュータントは人間に使役されるために造られた存在。初めから対等ではないのだよ」

「ブラックマターとの戦いを契機に、人間とミュータントは力を合わせました。大陸の端に追いやられて生活圏が重なったのも合わさり、両者は理解を深めつつあります。まるで、長きにわたる隔絶を埋め合わせるかのように」

「ほう」

「破滅に偏る貴方の野望は、結果として世界を良き方向へ導きました」

「皮肉だな」

「災禍に咲く花もあるのです」

「つまるところ、摂理の円環に捕らわれていたのは――」


 膝を立てることすらできなくなったヒラサカはコンクリートの床に横たわる。


「――はじめから、私独りだったか」


 そう言い残したきり、立ち上がることはなかった。

 エーテルエッジに薙ぎ払われて転がっていたブラックマターの残骸が、黒い霧となって夜空に昇っていく。

 イクは満天の星を仰ぐ。


「ヒラサカを倒したんだな」

「はい」

「ミソギが千年前の役目にこだわる必要もなくなったな」

「ええ。長い年月でした」

「秘境の復興が済んだら、旅に出てみるのもいいんじゃないか? 俺たちが守ったこの世界、ミソギは片隅にしか触れていないからさ。そのときは俺たちも一緒だ」

「いいかもしれませんね」

「……やるべきことを成したのにミソギ、悲しい顔をしないでくれ」


 ミソギは「いいえ」と悲しげにかぶりを振る。


「わたくしは成し遂げられませんでした」

「俺のことなら心配いらない。呪いを受けたときから覚悟していた。シロコの右脚を治せたし、お姉さんのカズラとも再会させることができた。ヒラサカの暴走だって止められたじゃないか」

「イクさんがこうなってしまっては無意味です」

「やさしいな、ミソギは」


――俺が笑顔でいるのを彼女はわかってくれているだろうか。


 呪いに支配され、漆黒の悪鬼と成り果てたイクはぼんやりした思考で憂う。視界を把握するためのみに備わった双眸は灰色に濁っており、捕食に用いる口はかろうじてあごが上下するだけ。うれしさもかなしさも、一切の表現を許されていない。


「シロコ。頼みがあるんだ」


 少し離れた位置でじっとしていたシロコがびくりとすくみ上がる。

 彼から手渡された太刀をおっかなびっくり受け取り、その意味を潤んだ瞳で問い掛ける。彼女の不安と怖れからくる心臓の高鳴りは他の者たちにも聞こえてきていた。

 ミド、イザベル、ミソギ、カズラたちは二人のやりとりを緊張の中、真剣に見守っている。彼らの想定する『最悪の頼み』をイクが口走ったとき、即座に止めるため。


「俺の右腕を断ち斬ってくれ」


 イクの頼みに応える者はいない。

 皆、顔を伏せてしまっていた。

 苦しさを噛み殺しながらミドが代表して口を開く。


「残念だけど、今更キミの右腕を切り落としたところで」

「安心してくれミド。捨て鉢になってるわけじゃない。最後の可能性は残されているんだ」


 悪鬼に姿を変えてしまったイクを救う可能性など、どこに残されているのか。

 ミドたちは依然として困惑している。

 感極まったシロコがついに声を荒らげた。


「できない!」


 昂ぶる感情に任せて泣きじゃくる。


「イクを斬るなんてできないよ! ぜったいにできない!」

「やっぱりシロコは昔のままだったんだな。ちょっとだけ泣き虫な」


 彼が冗談めかしてもシロコはしきりに首を振っている。


「約束したじゃない。私の隣にいてくれるって。ずっといてくれるって」

「もちろんさ」

「なら!」

「そのための依頼なんだ」

「依頼?」


 ぽかんとしながらイクと太刀を交互に見比べる。

 旅路の果て、人であらざる者になりかけた彼。

 幾多の戦いを切り抜けてなお刃を閃かせる曇りなき太刀。


「これはシロコが冒険者として生きていくための、最初の依頼さ」

「私の、最初の依頼」

「俺と世界を旅したい、って言ってたろ? このくらいの依頼のひとつやふたつ、こなさなくちゃな」


 イクに頭をなでられ、次第にシロコの涙は引っ込んでいった。心地よさそうに落ち着く彼女を、イクは感覚の消えた化け物の手で愛しげになで続けていた。

 地面から突き上げるような揺れが起こる。

 塔群に絡む樹木のいくつかが騒がしい音を立てつつ剥がれて倒れていき、止まり木にしていた野鳥たちが目覚めて夜空に飛び立っていった。

 大きな震動が収まってから、崩壊を兆しとなる微震が断続的に起こる。


「なっ、なななななんだかさあ、超ヤバイ予感がするんだけどどどどど!」


 微震でミドの声も震えている。


「塔が倒れるのか!」

「厄介なことに、壊れるのは塔だけじゃ済まない様子だ」


 屋上の手すりから身を乗り出すイザベルが、都市外周を見るよう仲間たちを促す。

 天空都市外周付近の道路に亀裂が走って分離し、雲の海へとまっさかさまに落ちていく。

 焼き菓子が砕けてこぼれるように、天空都市エセルは緩やかな崩壊を始めていた。


「さっさと逃げないとトリフネも落っこちちゃうよ!」

「時間がない。シロコ、頼む」


 黙りこくったままのシロコ。

 沈黙。

 長いようで短いだんまり。


「……うん」


 だんまりの末に彼女は彼の『依頼』に応えた。

 瞳に溜まっていた涙は消え、夜空の星と旧人類の夜景にも勝る清純な輝きが宿っている。


「つらい選択をキミにさせてしまってゴメ――」

「言ったでしょ。私はあなたの痛みを知りたかった、って」

「――そうだったな。ありがとう」


 シロコは太刀を振り上げる


「イク。本当にやるのかい……やるんだよね」

「イク。私が見初めた男なら、容易くやってのけろ。分の悪い賭けではないんだろ?」

「イクさん。貴方を信じています。また今度、列車に乗りながらお食事しましょう」

「イク。シロコを悲しませる真似をしたら……ただじゃおかないからな」

「イク。ちょっと痛いかもしれないけど、あなたならこのくらいの痛み、へっちゃらだよね」


――そうさ。このくらいの痛み。乗り越えられる。


 太刀が振り下ろされた瞬間はあっけなかった。

 感覚の死んでいた腕の肘から下が玩具のようにぽろりと落ちたのを、イクは他人事のように見ていた。

 急激な異変が訪れたのはその次であった。

 残された二の腕の切断面から血液の代わりに、黒い液体が濁流のごとく流れ落ちていく。

 それは、イクを悪鬼に変えていた呪いの正体。

 黒い液体が流れ出るにしたがって、彼の皮膚が本来の色を取り戻していく。

 液体が流れきると、彼は元のイクに戻っていた――失った右腕を除いて。

 よみがえった痛覚に歯を食いしばる。

 間髪いれずミソギの癒しの光が肘の切断面を治癒し、傷口はまたたくまに塞がれた。

 黒い液体は宿主を求めて地面を這い、斬り落とされたイクの右腕に集まる。寄生された右腕は黒く塗りつぶされ、輪郭を歪めながら肥大化していき、ついには摩天楼の頂上を影で覆いつくすほどまで成長した。

 歪み、膨張し、完成したのは大型爬虫類に酷似した四足のシルエット。

 明らかに異なるのは背中に生やしたコウモリの類に似た翼。

 邪竜。

 イクの右腕に巣食っていたのは黒き邪竜であった。


「古代人は竜を造る目的で呪いの印を……」

「こいつってば、ご丁寧に昇降機の入り口前に陣取ってるし。イクの復活を喜ぶヒマはいつできるのやら」


 邪竜型クリーチャーの極太の尻尾ひと振りで昇降機の入り口は頭をもぎ取られてしまい、ミドが「のわっ!?」と素っ頓狂な悲鳴を上げた。

 邪竜型クリーチャーは大きく息を吸い込む。

 胴体が絞られ、赤々と透ける炎の塊が腹から喉を通ってせり上がっていく。

 背後から物音。

 振り返ると、ヒラサカがかろうじて上体を起こしており、しかも伸ばした指先には魔力の光が灯されていた。


「ヒラサカ、まだ息をしていたのですか!」

「前門の竜、後門の魔王か」

「ついでにその門もたった今、吹っ飛ばされちゃったんだけどね」

「アタシがヒラサカにトドメをさす。メガネはあっちの竜をやれ」

「ちょっとそれ不公平だよ! 無茶振りってやつでしょ!」


 ヒラサカの指先に宿る魔力が弾けた。

 邪竜型クリーチャー周囲の空間に歪みが生じる。陽炎のゆらめき程度であったねじれが酩酊時の視界に等しい強さまで歪み、歪曲に巻き込まれた邪竜型クリーチャーは漆黒の巨体を捻られ引きちぎられ、自らの炎に焼かれて絶命した。

 竜のシルエットは溶けて液体に還り、蒸発して霧散する。


「大国グリアが崩壊し、国家間の均衡は崩れた。この私、魔王ヨモツヒラサカが滅びようと混迷の時代は永きに渡るだろう」


 縦揺れの次は横揺れ。足が折れた給水塔が倒れて屋上の手すりを潰し、大量の水が滝となってエセルタワーの真下に流れていく。


「ブラックマターに蹂躙された傷痕だらけの大陸で君たちが足掻くさまを」


 震動はいよいよ塔を破壊する規模に至る。


「黄泉の淵で見物するとしよう」


 足元が崩落し、コンクリートの瓦礫もろともヒラサカは奈落の底に呑み込まれた。


――脱出するわよ。みんな、私につかまって。


 瑞獣ビャッコに変身したシロコの背中に各々しがみつく。


「無事に帰宅するまでが冒険、ってね」

「シロコさん、もふもふです。ぬいぐるみのお布団に寝転がってるみたいです」

「この聖女、緊張感のかけらも見当たらん」

「面白い。ヒラサカの粋な悪あがきを楽しんでやろうじゃないか。フフッ、窮地が私の血を昂ぶらせる」


――振り落とされないでね。全速力出しちゃうからさ。


「ああ。みんなで帰ろう!」


 ビャッコが隣の塔に飛び移った数泊後、エセルタワーはばらばらに崩壊した。

 崩れゆく伝説の天空都市。

 アスファルトの道路にところどころ風穴が穿たれ、黒い空にうっすらと白い雲が流れている様子が窺える。ビャッコが次々と塔を飛び移っていく間にも、からっぽの都市は地面もろとも空の海にこぼれ落ちていく。

 ビャッコが跳躍するたび、満月が獣の影に隠される。

 強い風圧に前髪が激しく躍る。

 冷たい夜の大気が頬を凍てつかせる。

 イクは残された左腕で彼女の背中にしがみつき、吹きすさぶ風の痛みに耐えながら前を見据えていた。

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