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白きエーテルエッジ  作者: 本文:帆立 イラスト:響灼
終章
50/52

第50話:摂理の環の外で

 気取った足取りでヒラサカは歩み寄ってくる。


「子孫を残すため、花は花弁と蜜で昆虫を誘う」


 床を叩く靴の足音。


「獣は他の獣を喰らって生を繋げていく」


 それはさながら終末を刻む振子の音。


「私たちは違う」


 舞台の中央で彼は歩みを止めた。


「己の満足を目的に衣服や宝石で装飾し、美味な食事や心地よい音楽を楽しむ。ときには殺しすら嗜む。原初の(ことわり)であるはずの種の繁栄とはおよそ無関係に」


 深緑に呑まれた旧人類のきらびやかな都市を一瞥してから、切れ長の眼をさらに細め、挑発を多分に含んだまなざしでイクを捉える。

 両端のつり上がった口から黒い気配が漏れる。

 イクは太刀の柄に手を添える。

 七人を包む夜の空気が張り詰める。

 息苦しいほどの緊迫。


「悲しくも私にとって最高の享楽は『闘争』だった。氷雷会(ひょうらいかい)の首領であろうと私もやはりミュータント。獣の側面を多く残していた。そんな人の欲望と獣の本能が交わった、禁忌に等しき矛盾の極致が私を――」


 両手を広げたヒラサカは、背を弓なりに反らして満天の星を仰ぎ――


「混沌を渇望する魔王へと仕立て上げたのだよ!」


 魔王を自称するに相応しき高笑いで大気を震わせた。

 総毛立つほどの禍々しき悪意が拡散する。

 停滞していた時間が急速に針を進める。

 周囲に多数の魔法円が出現し、次々とブラックマターが召喚されてイクたちを取り囲んでいく。熱を宿す複眼は皆、彼らに狙いをつけている。

 舞台の終章が幕を開けたのだ。

 イクたち六人は背中合わせに輪をつくり、各々の武器を構えた。


「はぁーやれやれ、大勢お出ましだ。まっ、雑魚は僕らが引き受けるよ」

「露払いはしてやるから、イクはミソギと一緒にヒラサカを討て」

「一応言っとくけどイザベル嬢。あいつらに増殖されたら困るから戦闘能力を削ぐ程度に攻撃してよね」

「加減しろと? やはりメガネくんは面白い。ブラックマターどもを完膚なきまでに叩きのめして、その間にイクがヒラサカの息の根を止めればいい話だろ」

「あー……だめだこりゃ。ブラックマターの百倍は物騒だよこのお嬢さん」

「フッ、褒めても何も出ないぞ?」


 そんな調子でミドとイザベルは冗談を交わしている。カズラは「下らんおしゃべりばかり」と呆れたふうに首を振っており、シロコは苦笑しながら肩をすくめていた。

 それから二人はイクの方に向き直る。


「アタシとシロコの幸せを見届けたい――お前は以前そう言っていたな」

「あらっ、イクったらそんな口説き文句をお姉ちゃんに?」

「茶化すなシロコ……とにかく、引導を渡すのはお前に譲ってやる。ただし、生きて帰ってこい。刺し違えるだなんて真似はアタシが許さない。天空都市エセルで再会できたアタシをぬか喜びさせるなよ」

「がんばってね。あんな奴さっさとやっつけて帰りましょ。この戦いは終わりなんかじゃない。私たちの旅路の途中に過ぎないんだから」


 言うだけ言ってカズラはすぐにそっぽを向き、シロコはおどけたついでにウィンクした。


「不謹慎かもしれませんが」


 わざとらしく咳払いしてからミソギは言葉を続ける。


「イクさんたちとの旅、とっても楽しかったです。機関車に揺られながらおしゃべりしたり、酒場でおっきなエビとスパゲティを食べたり……貴方のそばにいるだけで世界が広がっていきました」

「楽しかった、か」

「イクさんはどうでした?」

「かけがえのないものをたくさん手に入れた。この旅で、俺は」


 まぶたを閉じれば浮かんでくる、苦難と幸運に満ちた旅路。

 荒野の土ぼこりをまとわせた冒険者たちが集う酒場。銅貨一枚のぶどう酒を飲みながら水っぽいポトフを食べ、夜はボロ宿の硬いベッドに寝転がる。そして立て付けの悪い窓から月を眺めながら、隣で眠る友とささやき合った。

 望郷とも呼べる懐かしさすら感じてしまう。

 心の海が澄んでいく。

 その凪ぎを保ちながら抜刀する。

 寒々しいまでに研ぎ澄まされた刃に都市の煌きが反射する。


「幸福と過酷を合わせて今の自分が成り立っている。今、この瞬間だってそうさ。この戦いは、俺たちがこれから生きていくための戦いだ」

「異形の右腕を持つ君に、あと幾許の生が許されているのかね?」

「呪いを解く方法なんてお前を倒してからゆっくり考えるさ」

「なるほど。君も言うようになったな」


 ヒラサカは虚空から呼び出した死神の大鎌を手に取る。


「ならば来たまえイク君! 全身全霊で終幕を演じようではないか!」

「お前の野望は俺たちが打ち砕く!」


 太刀と大鎌。

 二つの刀刃がぶつかり、火花を伴って弾き合った。


「その程度かね!」


 刃と刃が閃く。


「くっ」


 閃きと共に甲高い金属音が響く。


「君の剣がヨモツヒラサカの心臓に及ぶにはまだまだ遠い」


 イクとヒラサカの戦いは互角とは言い難かった。ヒラサカは鎌による大振りな攻撃の隙を空間歪曲の魔法で補い、イクが懐に潜り込むのを阻んでいる。防戦一方を強いられるイクは、首を刈り取らんと襲いくる鎌をいなし、物質を捻じって破壊する空間の歪みを回避しながら活路をさがしていた。

 視界の端では仲間たちが死闘を繰り広げている。

 捕縛を試みて伸縮する腕と熱光線による攻撃はミドたちの体力を刻々と消耗させている。しかも、威力のある反撃を行ったところで増殖を促してしまい、戦況をいたずらに悪化させてしまう。下手に手を出せないこちらも分はだいぶ悪い。

 突然の地鳴り。

 塔全体が震動を起こし、ふらつくイクたち。ブラックマターたちは揃って地面に転び、じたばたともがきだす。

 天空都市の(きわ)で青白い魔力の光が浮かび上がる。

 まやかしの曙光は数拍の間、夜の闇を払拭した。


「『黄昏と暁』第二射が……!」


 ミソギは愕然とし、杖を落とす。

 ヒラサカは青白い空を満足げに眺めている。


「次は何処を焼いたかわかるかね? 聖女ミソギよ」

「焦土と瓦礫にまみれた世界に降り立って王を気取るつもりですか、貴方は!」

「枯渇した大地、富の偏在、マフィアの横行、ミュータントとの軋轢……根本まで腐敗したこの国の王に私がなりたいとでも? 私は一旦この土地を地ならしし、望みどおりの王国を築き上げる。それこそが我が氷雷会の計画した『黄昏と暁』。神の御業である破壊と創造の代行」


 パチンッ。

 ヒラサカが指を鳴らすや、イクの足元に出現した魔力の鎖が彼の手足を地面に縛る。

 呪縛の魔法を解くため駆け寄ってきた無防備なミソギの前にヒラサカが躍り出る。恐怖に硬直する彼女に彼は大鎌を振り下ろした。

 血飛沫が跳ねる。

 仰向けに倒れたミソギの身体が黒々とした血だまりに浸かる。肩から腹まで開いた致命傷。青ざめた顔は血の気と生気、両方を失っている。


「そもそも、たかがミュータント一人に滅ぼされる種ならば遠からぬ未来に絶滅する定め。私か、私以外の何者かが手を下すかの些細な違いだ」


 ヒラサカは捕縛されたイクの前まで寄ってくる。


「この舞台が魔王を討つ英雄譚なら、ここから逆転の一手があるはずだが」

「……」

「残念だよ。だんまりでは三流の役者で終わってしまう」

「皆が……築き上げてきた世界を……貴方はこうも容易く……」


 瀕死のミソギがあえぐ。

 魔王の大鎌が高々と振り上げられる。


「ヨモツヒラサカの名の下、瓦礫の上に王国を築く!」


――ヒラサカ!


 愉悦の高笑いに獣の咆哮が覆いかぶさった。

 落雷と強烈な雷光。

 瑞獣ビャッコが一直線に飛び、怯んだヒラサカに爪と牙を立てる。雷光の直視で視界を奪われた彼は片腕をかざし、空間歪曲の障壁を闇雲に張ってビャッコを弾き返した。


(きょ)をついたのは白い娘か!」


 最高の場面を邪魔された魔王がついに取り乱した。

 逆転の一手が打たれたのだ。

 血路を拓く機はこの刹那。


――呪いの印よ。俺の命を喰らうなら、対価としてその力を貸してくれ。


 イクは禁断の願いを唱えた。

 願いに応えた呪いの印は異形の右腕に膨大な魔力をまとわせる。異形の右腕は自らを縛っていた魔力の鎖すら吸収してしまった。

 可視化した高密度の魔力は剣を形作る。

 ヒラサカが黒い霧をまとわせた大鎌で襲いくる。

 イクは光放つ剣で迎えうった。

 黒い闇と白い光が衝突し、暴走した魔力の破片が所構わず飛散する。膨大な魔力の近くにいるせいで、制御を狂わされたブラックマターたちは病的に痙攣しながら倒れていく。

 白と黒。

 押し勝っているのは白。


「それ以上エーテルエッジを使えば、仲間との約束を違えてしまうのではないかね?」


 エーテルエッジを受け止めるヒラサカの笑みからは余裕が消えている。


「守るさ」

「なに?」

「俺は約束を守る」


 そう言いつつも、心には正反対の意志が燃えたぎっている。


――この命が尽きようと、最後の戦いに決着をつける。


「よすんだイク君」


 あからさまな狼狽。

 光を浴びて表情を捻じらせるヒラサカの呼吸は息苦しげに乱れている。


「がっ、くっ……不愉快な光が……ッ!」


 白い光に包まれていくヒラサカとは真逆に、イクの肉体は黒に染まっていく。

 右腕に寄生していた呪いの黒いあざが、腕の付け根から全身へと侵蝕していく。皮膚を硬い黒檀の色に変異させ、人間として残っている箇所を余さず喰らっていく。

 やがて……呪いに全身を乗っ取られたイクは漆黒の悪鬼へと姿を変えた。

 四肢を除き、彼が人間であった痕跡はもはやかけらもない。

 意識が混濁し、心までも喰われていく。

 自分がヒトでなくなっていくのがぼんやりとわかる。

 しかし、大して悲しくはなかった。

 感情そのものが消滅しつつあったから。

 それでもイクはクリーチャー化する瀬戸際で踏みとどまれていた。

 イクがイクでありつづけるために必要な心の核を繋ぎとめていたのは、白き乙女のやわらかな手であった。

 シロコの手のひらがイクの右手に添えられている。


「イクがいてくれるから私は『生きよう』ってがんばれる」


 彼女の背に彼の見知った、幼かった頃の彼女のまぼろしが重なる。


「だからあなたも願って」


 闇はことごとく押し退けられてゆき……


――そうだな。

――彼女が望んでいた俺たちの旅はこれからだったんだ。

――生きよう。


 天空都市エセルは光の白に溢れた。

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