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白きエーテルエッジ  作者: 本文:帆立 イラスト:響灼
第12章
45/52

第45話:見えざる痛み

 懐中時計に似た物体をヒラサカは確かめてひとりごつ。


「天空都市の座標を特定。距離的に頃合か」


 青空を汚染する黒煙を吐きながら二つの飛行船は緩やかな降下を続ける。ミソギの操るトリフネはヒラサカの飛行船を振りほどき、上昇に成功した。航行能力を喪失したヒラサカの飛行船は、とうとう船底を雲にかすめさせた。

 自壊していく鋼鉄の舟。

 雲の下にこぼれ落ちていく船体の破片に、黒服の氷雷会(ひょうらいかい)構成員もちらほら紛れている。


「私はそろそろお暇させもらおう」


 ヒラサカが指差した空間に歪みが生じる。攻防に使用していたときのものとは異なり、歪みの中心はどこへと続いているのか正体不明の暗黒空間となっている。


「すまないがキミたちと心中する気は毛頭ないよ。天空都市エセルを玉座とし、私は人間たちの世界に黄昏と暁をもたらすのだからね。黄泉の主ヨモツヒラサカによる新世紀の幕開けだ。足下のグリア大陸はブラックマターの牧場として利用させてもらうとしよう」


 歪みの中心の暗黒に足を踏み入れる。


「残り短い空の旅は愛し合う二人で満喫したまえ」


 トレンチコートを翻し、ヒラサカは歪みの向こう側に去り行こうとする。


「そういえば」


 言い残していたことがあったらしく、その間際で足を止める。


「ベラドンナはキミたちを生かしてしまい悔やんでいたが、私は逆だな。幾許もない命で旅する青年と、身寄りをなくした獣の娘の冒険――物語として綴られるにうってつけではないかね。大空で散りゆくのも悲劇として完成されている」 

「……だけは」

「何か言ったかね」

「……お前だけは決して」


 不安定な足場を蹴って、イクは素早くヒラサカに接近する。


「ヒラサカアアアアアアアアアアッ!」


 悪魔的な外見と化した異形の右腕をヒラサカめがけて振りかざした。

 彼の激昂も計算の内だったらしいヒラサカは魔法障壁でイクの攻撃を受け止める。小ばかにするようにほくそ笑んだ。

 その障壁に亀裂が生じ、ヒラサカの余裕が消える。

 指先で出していた魔法障壁を片腕で補強しても亀裂は広がり続け、両腕を使って抑える。かろうじて持ちこたえていたところにビャッコの稲妻まで加わり、魔法障壁はとうとう木っ端微塵に砕け散った。

 防御は破られた。

 異形の右腕による渾身の一撃が、真っ向からヒラサカに叩き込まれる。

 衝撃で吹き飛ばされて甲板を二回跳ねた後、マストに背中を打ちつける。倒れ伏した彼が起き上がったとき、狂喜に歪む顔面は鮮血に染まっていた。

 腹を抱えてうつむき、震える。

 致命傷を負ったのかと思いきや、まじまじと見るとヒラサカは笑いを堪えていた。我慢の限界に達した彼は背を反らして天を仰ぎ、狂ったように高笑いしだした。大空を飲み干さんばかりに大口を開け、腹の底から笑っていた。


「面白い!」


 ひとしきり大笑いして冷静になった後、喜びを拍手で表現する。


「すばらしい番狂わせだ!」


 そうイクを賞賛した。


「天駆ける舟を落としてベラドンナを退け、更には私に手傷を負わせるとは!」


 皮肉ではなく心の底から褒め称えていた。


「いいや、番狂わせなんかじゃない」


 イクは強く否定する。


「どんな物語だって最後に悪は倒されて終わる。これは予定調和だ。魔王ヨモツヒラサカ、お前は生まれながらにして滅びの運命にある」

「不死なる魔王の私が滅びの定めを内包しているとは、興味深い矛盾ではないか」


 魔法円を空中に描いて返礼の一撃を繰り出しかけたヒラサカは、飛行船の崩壊が間近なのを悟ったのか動作を止める。足を引きずりながら歪みの暗黒に逃げていった。


――覆してみたまえ。この私、ヨモツヒラサカのシナリオを。人間がそれを可能とするのならば、私は喜んで滅びを受け入れよう。見せたまえ。魔王すら驚愕させるヒトの可能性……食物連鎖の頂点に立つキミたちの本領を。


 雲海に沈みゆく飛行船。

 そのそばを飛行するトリフネ。

 半壊したテラスに見える四つの小さな人影。

 目を凝らす。

 カズラがイクたちに向けて必死に腕を伸ばしている。強風と爆発にかき消されてもくじけず一心不乱に叫んでおり、ミドが羽交い絞めにしていなかったらテラスから足を滑らせてまっさかさまに転落していただろう。肘鉄を食らって突き飛ばされたミドに代わって、今度はイザベルが彼女を拘束していた。隣にはミソギもいて、長い髪を激しく躍らせていた。

 仲間たちの呼びかけもむなしく、飛行船は雲の中に落ちていく。


「ミド、イザベル、ミソギ、カズラ。後は任せた」


 イクとビャッコは呼びかけ続ける四人を最後まで見届けていた。

 雲に突入し、視界が白に阻まれる。


「シロコ。最期に一緒にいられるのがキミでよかった」


 ビャッコに寄り添うイク。

 ビャッコも彼のそばでしゃがみ、守るようにその巨躯で彼を包み込んだ。


「キミのぬくもりを感じながらなら、怖くない」


 彼女の体温を感じながら目を閉じたイクは、旅の思い出を懐かしんでいた。シロコとミドの三人で味の薄いポトフを食べて温まり、硬いベッドで夜を明かしたこと。北方地域にほとんど人家がなく、客室車両で何日も寝泊りした鉄道での旅路。輝ける記憶の数々が死に対する恐怖を薄れさせてくれた。むしろ大切な者と終わりを共有できることに、うれしさすら感じていた。

 船体の心臓部が致命的な爆発を起こす。

 芯の折れた飛行船はまっぷたつに折れて完全な崩壊を迎え、四散した。

 投げ出され、重力に引きずり下ろされ、瓦礫と共に墜落していく。

 意識が途切れる限界までイクはビャッコの首に腕を回して抱きしめていた。



 白い空間。

 見渡す限り白のみ。

 天も地も白。光源はどこなのか。

 イクは周囲を見渡す。

 深い霧に包まれており、自分の立つ場所がどこなのか見当がつかない。自壊した飛行船から投げ出されて地上へとまっさかさまに落下していたはずなのに、意識が戻ったときにはこの非現実的空間にぽつんとたたずんでいた。

 出口を求めてさまよう。

 歩けど歩けど霧中。いや、夢中。夢の中なのか。

 あるいは死後の世界。


「ねえ、イク」


 自分を呼ぶ声がして振り返る。

 女性がいた。

 高い背丈とくびれのある腰つき。美しい白い髪がしなやかな背中にかかり、彼女の微妙な動きにもそよいでいる。頭頂部に生える獣の耳が、彼女がミュータントの何者かであると教えてくれていた。

 大人びた整った目鼻立ち。

 まつげの長い目を細め、口元をうっすら微笑ませる、垢抜けた表情。

 艶やかな魅力を感じさせるその女性は、イクの手を取って自分の指を絡める。


「瑞獣ビャッコになった私が大陸を駆けて人々を護っていたのはどうしてか、イクにはわかっていたかしら」


 イクが呆けていたせいで女性は答えを聞かぬまま先を語る。


「感じたかったの。守る者の痛みを」


 イクの手を自分の胸に添え、心臓の鼓動を感じさせる。触れられるまで気づかなかった。異形と化していた右腕が元の、ヒトの手に戻っている。やはりここは夢の中なのだと確信した瞬間であった。

 ここはひと時のみ許された、安らぎの世界。

挿絵(By みてみん)


「この見えざる痛みをイクは誰にも味わわせたくなかったのね。やっと私はイクと同じ痛みを感じられた。対等になれた」


 自分の手をそっと重ねる。


「この痛みを独りで背負い続けるなんてつらすぎるわ。だから私と分かち合いましょう。負う者と負われる者の関係はおしまい。今日からは手と手を取り合う者同士。いいでしょう?」


 不思議と、感覚の消えた呪われし右の手から彼女の体温が伝わってきた。


「私とイクのふたりならきっと、どんな困難にも立ち向かえる」


 イクは首肯する。

 はにかんだ彼女は恥じらいを隠すように前髪を払った。


「隣に並んで共に生きる――その誓い、忘れないでね」


 蝋燭の灯が吹き消されるように、夢は唐突に途切れた。



 夢から覚めたイクは花咲く草原にいた。

 緑息づく天空の都市。

 その全容がこの高い丘から眺望できた。

 大地が鉢植状にくりぬかれ、雲と共に大空を浮遊している。

 朽ちたコンクリートの塔群は木々の苗床となり、森林を栄えさせている。白線の引かれた灰色の大地はところどころひび割れ、たくましくも樹根や草花が頭を出している。かつての人類の都市は今、植物たちが支配していた。

 機械文明を飲み込む密林。

 秩序だって造られた都市に自然が好き放題に根ざしている。


「おはよう、イク。目覚めの気分はどうかしら」


 膝枕で彼の目覚めを迎えたのは、夢で邂逅した白い髪の女性であった。


「誰なんだ。キミは」


 異形の右手で地面をついて上体を起こす。

 寝覚めのぼやけた視界と思考。


「あら。誰なんだ、とはごあいさつね」


 女性は胸を上下させていたずらっぽく笑う。

 さりげない仕草にどうしてか、イクは愛くるしさを覚えた。


「まさかキミは――」


 草花のにおいにむせ返りながら、イクは彼女の名をおっかなびっくり口にする。


「シロコ……なのか?」

「もしもシロコではないとしたら、私はさて何者なのかしら」


 からかう調子でシロコは首を傾げた。

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