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白きエーテルエッジ  作者: 本文:帆立 イラスト:響灼
第11章
44/52

第44話:求めていた答えは

「シロコ」


 唇を震わせて紡いだ少女の名は、天空の風にかき消される。

 心の底から呼びかける。

 かれるまで、ありったけの声で。

 脚を折って弱々しくうつ伏せになっていた瑞獣ビャッコは彼の気配を察するなり頭を上げる。風に乗った呼びかけが届いたのか、両脚を再度もがかせる。繋がれた魔力の鎖のせいで動作は半ばで封じられていた。

 牙を生やすいかめしい瑞獣の面に、少女シロコの幼い面立ちのまぼろしが重なる。

 衰弱したビャッコはイクのまなざしを真っ向から受け止める。むしろ彼の助けを乞うかのように、積極的に見つめ返していた。慣れない義足でつまずいて転び、イクが手を差し伸べてくるのを待っていたあの頃と同じであった。


「キミが――」


 飛行船内部の爆発。

 不意の縦揺れがイクの声を遮る。


「キミがあの日に残していった問いかけ」


 半壊状態の船体は水平を保つ機能を喪失しており、爆発が治まってからも二人を前後左右にもてあそんでいる。重力に引きずられる砲塔は、舟の傾く方向に従って倒れる。船体表面の塗装や装飾が剥離してこぼれ落ちていく。

 崩壊は間近。


「結局答えを見つけられないでここまで来てしまった」


 多くを語り合っている猶予はない。


「だから今、胸の中にある想いをありのまま伝えたい」


 落下したプロペラの刃が甲板を派手にぶち抜く。飛び散った瓦礫がイクの肩にかすり傷を負わせた。


「キミの求めていた答えでなかったとしても届けたい」


 ヒラサカの飛行船はトリフネを巻き添えに墜落の兆しを見せている。


「離別の日より、少しでも近いところまで届くと信じて」


 彼は単純な言葉で彼女を求めた。


「シロコ。ずっといっしょにいよう」


 刹那、風が止む。

 

「隣に並んで」


 風が凪いだ後の、音の消えた空白が訪れる。

 遮るものが失せた、空が与えてくれた最後の機会。


「力を合わせて、共に生きよう」


 呆気にとられるほどの静寂。

 照りつける太陽。

 直射日光の鋭い熱に素肌が痛みを覚える。

 ビャッコは微動だにしない。

 イクは彼女の返事を待っていた。別れのあいさつだとしても、喉を噛み千切られたとしても、潔く受け入れる心積もりであった。

 ディオン教授と切ない別れをしたミソギを最後まで慰められなかったし、押し隠していたミドの苦悩に安易に触れてしまった。イザベルの初恋をふいにしてしまった。

 他者を慮ることの下手さをイクはこの旅で痛感した。シロコが自分を拒絶するのも当然だと諦めていた。結局自分は痛みを伴う戦いの中でしか誰かのためになれないのだと気づいてしまった。己の価値を見失い、彼女は自分のどこを好いてくれていたのかと苦悩する夜まであった。

 それでもイクは白い虎とこの天空で再会したとき、無意識に呼びかけていた。あれこれ悩むよりも先に彼女を求めてしまっていた。自分本位な欲求であった。


「……シロコ。教えてほしいんだ」


 だからイクにはわからなかった。


「あの日から俺は何も変われていないはずなのに」


 彼女が愛情を求めて頭を屈めたことが。


「どうしてキミは俺を受け入れてくれたんだ」


 魔力の鎖を限界まで引きずったビャッコは、イクに擦り寄って彼を慰めた。イクは彼女の白い毛並みを、両腕をいっぱいに使って撫でて欲求に応えた。


「情けないな。キミが欲しがっていた言葉がどれだったのかわからない」


 短い告白の中に彼女を繋ぎとめる言葉は確かに含まれていた。シロコが届けた想いはイクの心で永い眠りについており、それが今、ここで萌芽した。無自覚でありながらイクはシロコの想いに応えていたのだ。


「おかえり。ただいま。シロコ」


 やっと彼女に触れられた。

 こうする日をどれだけ待ち望んだことか。

 満足するまでビャッコの頭を撫でる。

 彼女の姿が四足の虎になろうと、二人の関係は依然として当時のまま。慣れない義足で危なっかしく歩き、数歩進んで喜びはしゃぐシロコを褒め、頭を撫でていた日々から変わらずにいる。

 遠い過去への憧憬が今、現実となり腕の中に。

 手触りとぬくもり、懐かしさをイクは味わう。

 青空が涙でにじむ。

 ビャッコは飼い猫が主人に甘えるように喉を鳴らしていた。


「帰ろう。お姉さんも待ってる。ああ、ありがとう。平気さ。痛みは感じていないから」


 撫でてくれたお返しに、イクの右腕をビャッコはやさしく舐める。

 数ヶ月の旅路で、二人とも随分と外見を変えてしまった。

 黒く変色、硬質化した右腕は金属的な光沢を放っている。朽木のように節ばっており、五本の指は鋭利に尖って悪魔の爪を連想させる。布を巻くだけでは隠し通せなくなるほど異形化したそれは、人の身であり続けるのを許さぬと暗に告げていた。

 痛みを感じていないのは本当である。そもそも右腕の感覚自体が喪失していたからビャッコの舌のくすぐったさは感じず……乱入してきたベラドンナの短刀を手の甲で受け止めても平気であった。

 ベラドンナは拳銃を握ったもう片方の腕を突き出してくるが、船体の揺れで至近距離での射撃を妨害される。イクは異形の右腕で拳銃を払い落とした。


「ベラドンナ。何故シロコがここにいる」

「あなたとは何度目の対峙だったでしょうか」

「シロコの鎖を解け」

「ミドの戯言もあながちデタラメではなかったようですね。私とあなたは似ている」

「俺は生きるために戦っている」

「そうですね。決定的な相違点があるとすればそこでしょうか」


 右腕と短刀のつばぜり合い。

 ほくそ笑むヒラサカが彼女の肩越しに見える。

 凪は終わり、また風が吹いていた。

 邪悪な気配を多分にはらんで。


「感動の再会に水をさしてしまったかな?」

「シロコを捕まえてどうするつもりだ。ヒラサカ」

「ささやかな親切心、とでも言えばいいかね。キミは彼女に会いたがっていただろう? もう少々華やかな舞台でお披露目するつもりだった予定が……舟を飛び越えて会いにくるとはキミもせっかちだ。プレゼントの包みを破いて開ける子供さながらだな」

「お前のその戯れに俺たちは翻弄されてきた」

「覇者の特権だ。人間が娯楽で動物を狩り、肉の味を楽しむように、この私ヨモツヒラサカも現世に生きる者どもを舞台で演じさせる権利を有しているのだよ」


 トレンチコートのポケットにつっこんでいた両手を広げ、ひと呼吸置いたヒラサカは、朗々と台詞を続ける。


「黄泉の魔王に抗う力を有するのならば発揮したまえ。手負いの獣が牙を立てるように雄々しく。さあ!」


 邪悪な高笑いが空を汚した。

 制御不能に陥ったヒラサカの飛行船はトリフネもろとも緩やかな墜落を始める。

 イクとベラドンナは同時に真後ろに飛び退く。


「必然、因果、宿業、宿命……運命的な要素で私たちは繋がれ、幾度離れようと必ず一定の距離まで引き戻されるのでしょう」


 ベラドンナは戦いの構えを止め、短刀を鞘に納める。長いまつげの伸びるまぶたを落とし、伏し目がちになる。


「白い虎の一族の集落を壊滅させたあの日以降、自身の判断と行いによってもたらされた結果を目の当たりにし、私は後悔を重ねてきました」

「今さら懺悔のつもりか!」

「イク。やはりあなたを始末しておくべきでした、と」

「なっ!?」

「白い娘ともども、あの日に」


 風で前髪がたなびき、隠されていた片目が晒される。

挿絵(By みてみん)


 ベラドンナは右腕を掲げる。

 黒服の袖がずり落ち、黒く金属質に変異した全容が晒された。


「首領の歩みを阻む障害ならば、路傍の小石であろうと排除します」

「呪いの力に身体を奪われるぞ!」

「使い捨ての殺人道具として育てられ、磨耗の末に捨てられる定めであった私に、首領は氷雷会(ひょうらいかい)という居場所と、白きエーテルエッジを与えてくださいました。この光は聖なる力」


 呪いの黒い印が絡む肌に魔力の光が満ちていく。

 白い魔力を蓄積させた腕を振り下ろそうとしたベラドンナはしかし、身体を硬直させて動作を止めた。

 無表情をついに崩し、目を剥いて驚愕する。

 イクの背後にいたビャッコが魔力の鎖を破壊し、彼女の喉首狙って躍り掛かってきたのだ。

 雷光をまとった白い影が疾走する。

 その勢い、弓から放たれた矢。

 ビャッコが駆け抜けた軌跡に稲妻の残滓が火花を散らし、それからわずかに間をおいてから風が巻き起こった。

 ベラドンナの顔面からみるみる血の気が失せる。

 足をふらつかせ、奇妙なステップを踏む。

 彼女が左右のバランスを崩したのも当然であった。呪われし右腕はもぎとられ、鋭い牙の生え揃うビャッコの口に咥えられていたのだから。

 右腕の切断面からどくん、と血の塊が噴出する。

 顔面蒼白のベラドンナは遅れて襲い掛かってきた苦痛に歯を食いしばり、眉間に皺を寄せる。

 噛み千切った右腕を吐き捨てたビャッコは、即座に二度目の襲撃に転じる。

 瀕死のベラドンナにその攻撃をいなす手段はない。

 稲妻を帯びて疾走するビャッコ。

 瑞獣のあぎとは無防備な彼女の胴体に食らいついた。

 ビャッコがあごに力を加える。

 枝を踏み折るような背骨の砕ける音がし、ベラドンナは『く』の字に折れ曲がった。

 絶命した彼女をビャッコは甲板から空に放り投げた。

 まっさかさまに転落したベラドンナの姿は雲に紛れて消える。

 甲板に打ち捨てられた黒い右腕が自我を持ってうごめきだす……。

 溶かされた金属のように液体となったそれは、団子状に丸まった後に四つ足の小さなクリーチャーに生まれ変わった。


「無作法だなイクくんは。食べ差しの始末も飼い主の役目ではないかね」


 ヒラサカがパチンッと指を鳴らす。

 クリーチャー周囲の空間がねじれ、巻き込まれたクリーチャーは捻り潰された。


「それにしても」


 失望混じりの溜息。


「ベラドンナも存外容易く壊れたな。優秀な道具と評価していたのはつまらん買いかぶりだったか」


 クリーチャーの死骸は黒い霧となって天空の風にさらわれた。

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