第39話:恥じらい乙女の許容
宿屋の中庭。
垣根にもたれて腕組みしている白い獣耳の女性を認め、イクは胸をなでおろした。
白い薄着の彼女は、黒装束の戦闘着をまとっているときとだいぶ印象が異なった。刺々しい敵意が消え、やわらかみが増していた。
女性的な線の身体でありながら程よく筋肉が備わっている。そして強固な意思を秘めた目つき。守られるよりも守る側の立場を貫いているのが一目でわかる。
強き乙女。
似ているのにまるで違う。
あどけなさの残る妹と瓜二つであるにもかかわらず、かもし出される雰囲気は全く異なっていた。
彼女の真剣なまなざしが向く方向にはボール遊びをしている子供たち。人間の少年は胸に抱えていた革のボールを放り投げ、猫面の少女が足をふらつかせながらそれを抱きとめる。よくも飽きずにそれを延々、交互に繰り返してはしゃいでいた。
そよ風。
窓のカーテンが揺れる。
ほどけた長い髪が流れる。
柔らかい影ふたつ、音もなく透明に波打つ。
彼女は地べたに座り、空を見上げて物思いにふけりながらぽつりぽつりと語りだした。
「街中を歩いてきたら、人間の生活に同胞たちが溶け込んでいた。青果市で品定めをしている羊の夫婦、乗合馬車に乗るトカゲ男、プラットホームに人間と並んで列車を待っている鳥頭。集合住宅の庭先でも婦人と談笑にふけりながらシーツを干している犬面もいた」
「僻地にブラックマターが侵攻してきたせいで、故郷を離れざるを得なくなったミュータントの部族が出てきたんだ。大陸の端へ追いやられつつあり、人間と生活圏が重なった」
王都周辺はブラックマターに加え、氷雷会残党、混乱に乗じた暴徒で混迷を極めている。国の召集令を無視した領主が治安維持に専念しているおかげで、影人形の侵略が未だ及ばないこの地方は一応のところ、治安は保たれている。
「人間はミュータントを受け入れたのか」
「初めから拒んではいなかったさ。普通に暮らす大多数の人間は」
「辺境に籠って拒絶していたのはアタシたちだったか」
「誰だって怖いに決まってる。異なる集団の中に入るのは。もちろん、受け入れるのだって。お互い怖かったのかもな」
諸々の事情を抜きにしても互いは本来、融和して暮らせる者同士なのだ。相互理解の他に不足していたのはきっかけだったのだ。ボール遊びに興じる子供たちがイクの確信を強めた。
「イク。お前はシロコの心に触れられた」
彼女の視線がイクに向き直った。
「血の繋がった家族であるアタシをも電撃魔法で拒んだ妹は、お前の言葉に耳を傾けていた。まるで死に場所を求めるかのように影人形どもを駆逐して回っているあの子を止められるのはお前だけだ」
だから、と続ける。
「約束どおりアタシに力を貸せ」
ぶっきらぼうに差し出された手。
「壊された営みを取り返したい」
イクは彼女の手を握る。
彼の心の奥底をさぐる強さで彼女は握り返した。
「お前とアタシは同類だ。ヒラサカの手のひらで踊らされた者同士だ」
違っていたのは各々の立場。ヒラサカの配役により、手を下す者か下される者かに振り分けられたに過ぎない。
「因縁にケリをつけたら報いは受ける」
ヒラサカの詐術であったとしても、自分本位に依頼を受けて最終的に実行に移したのはイクの意思であった。ゆえにイクは割り切れなかった。
「そんなのアタシの知ったことじゃない」
握った手を振りほどいて彼女はつまらなそうにそっぽを向く。
「お前の生きざまはお前次第だ」
若い人間と猫面のミュータント――大人の女性二人が各々の子供の名を呼ぶ。ボール遊びを楽しんでいた子供たちは「またね」と手を振り合いながら、それぞれの母親の元へと帰っていった。
「ありがとう」
「なっ、何がだ!?」
「俺を受け入れてくれて」
「ば……馬鹿か! 共同戦線を張ってやるだけだ。アタシは同胞以外と交わる気など毛頭ない。シロコを連れ戻したらさっさとおさらばする。氷雷会への復讐も自分一人でやるからな。じゃあな」
腑抜けた顔しやがって……シロコが懐いていなければ、お前など八つ裂きにしていたんだからな。
ぶつくさ文句をつぶやきながら、頬を赤らめた彼女は大股かつ足早に行ってしまった。長い髪を後ろ手に結ぶ仕草で恥じらいをごまかしていた。
雨水のたっぷりたまった水がめ。その水面に、清々しい笑みを浮かべる青年が映っていた。
プラットホームに甲高いベルの音が響く。
「運命ってのはホント、思いの外を巡るもんだね」
「猛者の臭いがする。私を興奮させる強者の臭いだ」
「仲間が増えて心強いです」
ミド、イザベル、ミソギの三人は彼女を歓迎した。
「暗殺者くずれに貧乏貴族、不老不死の聖女か。こんな寄せ集めどもでヒラサカに対抗しているとは。よく生き延びてこれたものだ」
新たな仲間はさっそく辛辣な評価を下した。
「寄せ集めには寄せ集めなりの底力があるのさ。頼もしき流浪の傭兵も加わるわけだしね。えっと……ああ、イク。彼女の名前をさ、教えてよ」
「えっ?」
イクは間抜けな声と共に首を傾げる。それからばつが悪そうに頭を掻いたので、イザベルどころかミソギまで呆れさせてしまった。
「まさかイクさん、彼女のお名前を……」
「訊いていなかったのか。やれやれ。おい、白い娘の姉。貴様の名を教えろ」
「アタシか。アタシの名は――」
一呼吸の後、
「アタシの名はカズラ」
彼女は名乗った。
「父が植物の葛から名を拝借した。家屋や樹木に巻きついて生え、モノによっては美しい花を咲かせる」
黒装束の傭兵カズラは誇らしげに己が名の由来を語った。
遠くから届く蒸気機関車の警笛。
列車を待つ人たちがその音を合図に整列しだす。ごった返す屋根つきのプラットホームは、駅員の指示であっという間に整理された。
黒々とした鉄の獣が彼らの前に滑り込んできた。
列車がぴたりと止まり、車掌が固いレバーを力いっぱい降ろして扉を開ける。車内に詰まっていた乗客たちが放流された後、列を成して待っていた人たちが待ってましたとばかりに乗車していった。
「よろしく、カズラ」
「どうせ短い付き合いだ」
やはり素っ気ない握手であった。
頭数が一人増えたせいで、四人掛けの席に着くときに一人あぶれてしまった。
「一駅ごとに交代だからね。ゼッタイだからね。はぁ、まったくツイてないよ」
コイン投げに負けたミドが最初に通路に立つ羽目となった。口では文句をついているものの、損な役回りを買って出てくれたのは彼なりの計らいであった。イクの座席の角にもたれ、帽子を指先で回して暇を潰していた。
ミソギが膝の上にハンカチを敷き、四角い固形非常食料を並べる。
「おやつにしましょう。黄色いものがチーズ味で、茶色いものがチョコレート味です。どうぞ召し上がれ……あっ、白いフルーツ味には気をつけてください。練りこまれたナッツが曲者で、歯に詰まって大変困るのです」
「古代文明の非常食は洒落た味をしているな。ワインが欲しくなる」
「酒か決闘の話ばかりだな、イザベルは。ああ、あと婿さがしもか」
「敗北者の僕はフルーツ味とやらをいただこうかね」
ミソギ、イザベル、イク、ミドの四人で盛り上がる。
窓枠に肘をつくカズラは流れゆく荒地の景色を眺めて興味ないふりをしながら、ちゃっかりチョコレート味の非常食料を口に運んでいた。ぶっきらぼうを装ってあごをもごもご動かしていた。
喉が渇く……。
水筒のキャップを捻って水を口に含んでいた。
新たな仲間を加えた列車の旅は十の日を経て北西の終点に。
久方ぶりに訪れた霧と湖の都。
西方都市タカマガは雪化粧を施されていた。