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白きエーテルエッジ  作者: 本文:帆立 イラスト:響灼
第10章
38/52

第38話:繋がった手と手

 ブラックマター討伐に赴いた冒険者たちを助けるには、イクたちの出立は遅すぎた。

 線路沿いを馬で走るイク、ミド、イザベル、ミソギ。

 イクの腰に腕を回していたミソギが遠くを指差す。

 赤茶色の景色の彼方に黒い煙が立ち昇っている。


「戦闘が始まっている。彼らではブラックマターに太刀打ちできない」

「よしんば攻撃が通じたところで増殖を促すだけです」


 影人形に襲われた村に急行する。

 粗末な家屋はことごとく燃え上がり、周囲を赤く染めている。

 十数人で発った冒険者は半分に数を減らしていた。事切れて地面に伏している者が三人。足りない分は熱光線に焼かれたか、あるいは餌食として吸収されたか……。

 ブラックマターは四肢を細切れにされ、冒険者の屍に混じって転がっている。黒い灰の塊も恐らく影人形の成れの果てであろう。

 冒険者たちと刺し違えたのか?

 違った。

 地を揺るがす獣の唸り。

 人家を焼く火炎の只中、白い虎――ビャッコが影人形に牙を剥いていた。白い体毛に赫々たる火焔の色を映し、瑞獣の憤怒をあらわにしていた。

 ブラックマターの複眼に高熱の光が宿る。

 照射。

 赤い熱線がビャッコの胴体に浴びせられる。

 しかし、白い体毛は黒く焼け焦げるのみに留まっている。

 ビャッコは一瞬だけ怯むも、振りかざした極太の前足を振り下ろして反撃を繰り出した。尋常ならぬ腕力でブラックマターの身体は一撃で引き裂かれた。照射の途中であったせいで熱源が暴走し、炎上して自壊した。

 この攻撃を最後に、影人形の群れは全滅した。

 ビャッコは生き残った村人たちを白い体毛の巨躯で包み、包囲を狭めつつある炎からかばう。熱光線を受けた焦げ目や血がにじんで固まった痕が黒い縞模様に混じり、痛ましく残っている。土埃と煤にまみれ、満身創痍であった。

 懐で守られる村人たちは「助けてビャッコさま」「我らが守護神ビャッコさま、どうかご加護を」としきりにすがっている。ビャッコは傷の痛みによろめきながらも、彼らを火の手から守るのに専念していた。


「もう充分だよ!」


 居たたまれなくなって叫んだのは、ビャッコの前に現れた傭兵であった。

 彼女は以前の黒装束の上に革の胸当てなどの軽装備で身を固めている。

 右腕の鉤爪には黒い汚れがこびりついている。


「シロコ、アンタの噂は聞いてるよ。ヒラサカの飛行船を追いながら、行く先々で影人形どもから人間たちを守ってるんだってね。偉いな」


 やさしい『お姉さん』の笑みで、慎重ににじり寄る。

 ビャッコは敵意の唸りを上げる。

 威嚇のつもりか、小さな電撃が彼女の足元に生じた。


「誰かを守るって行為は尊いことさ。けど、自分の命を捨てたら意味がないじゃない。誰かを助けて自分が犠牲になっても足し引きゼロだ。生贄も同然だ」


 彼女は更に一歩、歩み寄る。

 ビャッコの身体が青白い電気を帯びる。電気の弾ける音とむき出しの牙で明らかな攻撃の意思を示しているにもかかわらず、黒装束の傭兵はまた一歩、近づいた。

 ビャッコが吠える。

 激憤にも慟哭にも似た咆哮。

 電撃が弾ける寸前、イクが二人の間に割り込んだ。


「キミの伝えたかった本当の想い。俺はあの日からずっと考えているんだ」


 ビャッコはあからさまにうろたえだした。


「俺はシロコの幸福を優先して旅をしてきた。自分自身、呪われた身だってことすらときおり忘れるくらい。そうするのがキミのためだと頑なに信じて」


 むき出しの牙が納まり、尻尾が弱々しく垂れる。


「独りよがりな信念は逆にキミを苦しめてきた」


 後じさり。


「俺に欠けていたもの。キミの真意。立ち込める霧の中から掴み取れそうなんだ」


 瑞獣は巨躯を翻す。村人たちを置き去りにして逃げていく。天を焦がす火炎の壁を突っ切って火の粉を撒き散らした。

 シロコ。必ず迎えにいくから。待っていてくれ。

 イクはビャッコを追いかけなかった。

 かたわらでうずくまる獣の少女に手を差し伸べていたから。


「煙を吸ったのか? 立てるか?」

「イク、もたもたするな。ブラックマターが再生を始めるぞ」

「火の勢いも強まってきました!」


 引き裂かれたブラックマターの断片がうごめきだす。修復可能な大きさに合体しようと、地面を這いずって寄り集まりだした。

 ミソギの聖なる光が照らされる。

 断片は黒い霧となって霧散した。

 ブラックマターがいなくなり。冒険者の一団は村人たちを村の外へと避難させるための活動を開始する。手負いの者は火災と煙の少ない脱出経路を指示する役で、傷の浅い者は負傷者を運ぶ役。毛むくじゃらのミュータントは片腕で老人を背負い、もう片方の腕で幼子を抱いていた。

 黒装束の傭兵は地面にへたり込んでいる。


「アタシのことは放っておけ」

「キミはシロコの唯一の肉親だ」

「お前のせいでそうなってしまった」


 心無い言葉を口にした彼女は、後ろめたげにイクから目をそらした。


「咎は受ける。俺たちを取り巻く因縁を清算してから」


 そらした視線を怖がりながら戻してくる彼女。

 目と目が合ったのを見計らってイクは言った。


「俺は叶えて、そして――見届けたい」


 イクの口元が自然とほころぶ。


「心からの幸せに喜ぶシロコとキミの笑顔を」

「あっ、アタシの笑顔も?」

「炭鉱での別れ際、キミが見せてくれた笑顔をもう一度」


 きょとんとする彼女。誕生日の幼子が両親からプレゼントをもらったときのような、笑顔の前兆である惚け方であった。


「力を合わせてシロコを迎えにいこう」

「……勝手にしろ」


 差し伸べられた手を彼女は握る。思いの外柔らかい、女の子っぽい感触だったのでイクは一瞬、動きを止めてしまった。

挿絵(By みてみん)

 素直に肩を貸した彼女はイクに体重を預けた。

 村人を隣の町に避難させた時分には鉄道も復旧していた。ただし安全な路線を選ぶ関係でタカマガの秘境への道のりはだいぶ遠回りになってしまっていた。



 途中下車した街の、宿屋の一室。

 薬液が沸騰するサイフォンを真剣に睨むミド。

 イクは薄汚れた壁にもたれ、彼の調合を見物している。


「意外だったね」

「手を差し伸べたときも、列車に連れていくときも、もっと抵抗されるかと思った」

「自分とキミが同類だって彼女、ちゃんと理解していたんだよ」

「理解していたって、許容するのは難しい」

「あの子が触れたイクの人となりが、彼女に降りかかった残酷な事実を上回ったんだよ。さもなくば、彼女は素手じゃなくて鉤爪をキミに向けていたはずさ。っていうか、たぶんさ、彼女はキミが手を差し伸べてくれるのを待ってくれてたんじゃない?」


 かすかな期待を隠してイクは「まさか」とミドの憶測を一笑に付した。


「あながち的外れでもないぞ。刹那の時間ながらも、お前たちは絆を結ぶのに十分な出会いを果たしたのだろう? 私がイクを見初めたときのようにな」


 丸椅子で足を組むイザベルが背を反らしてカップを傾け、冷めたコーヒーを飲み干す。そして席を立ち、イクを壁際に追い詰めるように迫り「まあ、最後に貴様をいただくのは私だ」と告白だか脅迫だかわからないような台詞を吐息に混ぜて口ずさんだ。


「エスパーダ家の跡取りを考える時期としては早くはあるまい」

「他所の男にしろ。俺は真面目に話をしているんだ」

「むろん私も大真面目だ」


 頬を赤らめさせたミソギは顔を覆い隠した両手の指の隙間から「だっ、大胆ですね」と二人の様子をこっそりちゃっかり覗いていた。

 アルコールランプの火を消し、ミドはサイフォンから目を離す。


「薬、効いてないみたいだね。キミが氷雷会からもらってたっていう薬の成分を分析したり、ミソギちゃんから呪いの話を聞いてみたりしたんだけど、いやはや現代人の僕には鎮痛剤が限度ってところかな」


 メガネをサイドテーブルに置いて彼はベッドに寝そべる。

 無機質な黒に変色して硬質化の兆しすら表れた右腕を、イクは他人のものであるかのようにじっと見る。


「命を削る一方、呪いの力は窮地を打破する武器になった」

「恩恵と災厄は表裏一体。僕らを苦しめるヒラサカやブラックマターも、本来は『地の底に眠る怪物』を倒す手段だったわけだし」

「ヒラサカもある意味、哀れな存在だ」


 とイザベルが肩をすくめる。


「操り糸だか台本だかで諸人を踊らせているつもりの奴も、グリア大陸という大舞台に立つ役者の一人に過ぎないというわけだ」

「そのとおりでございます」


 ミソギが相づちを打つ。


「ヒラサカはヨモツヒラサカに似せて造られた紛い物。魔王の真似事をして己の存在意義を確立しているのです」


 千年前『地の底に眠る怪物』が滅びたと同時にミュータント当初の役割は終わった。

 生物本来の使命である種の繁栄を地上の彼らがまっとうしている中、ヒラサカは千年跨ぎの破壊衝動に駆られ、荒野の新芽を摘み取らんとしている。根絶やしの先駆けとして禁忌の影人形を蒔いて。



 黒装束の傭兵――シロコの姉の様子を伺いに隣の部屋を訪れたイクであったが、いくらノックをしても返事がない。耳を澄ましてもひとけを感じられない。


「入るぞ」


 念を押してドアノブを捻って足を踏み入れる。

 部屋はもぬけの殻。

 開けっ放しの窓のカーテンが微風に揺れていた。

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