第37話:旅立ちの道しるべ
車輪が線路上の小石を轢くたび、立て付けの悪い車窓がやかましくがたつく。
大陸鉄道の二等車両。四人掛けの座席をイクたちは陣取っている。
各々思うところがあるのだろう。口数は四人とも少ない。
ミソギは窓枠に手をついて、流れゆく不毛の荒野を眺めている。
「案外揺れますね。車輪の音が胸まで響きます」
「千年前に鉄道は発明されてなかったのか」
「とうに廃れて当時は電磁リニアモーターが主流でしたから。蒸気機関車なんて電子媒体の資料でしかお目にかかれませんでした」
秘境の外を珍しがるミソギの話し相手をイクはもっぱらしていた。
「赤茶けた大地……外の世界はひどく枯れていたのですね」
「気に病むな。ミソギが悪いわけじゃないんだから」
車内はいつにも増して混雑している。座席は全席埋まっており、あぶれた者が通路に立っている。にもかかわらず、賑わいは普段より落ち着いている。むしろ重苦しい空気が車内に立ち込めていた。
大きな荷物を持った家族連れが多数。
異様にも、スラム住まいと思しきみすぼらしい親子と中流層の小金持ちが相席している。ネクタイの似合う立派な紳士の足元で、ぼろ布の老人がうずくまっている。皆、ブラックマターの襲撃から逃れる者たちであった。
「だとしても、この傷跡は紛れもなく旧人類によるものです」
人間の文明を苦手とするミュータントが車両の隅でじっとしている。毛むくじゃらの、かなり獣側に偏った外見をしている。剣と軽鎧で武装した人間の冒険者たちが彼とひそめき合っていた。彼らは厚い信頼に満ちた目で互いを見詰め合っていた。
「地を見放し、弱者を捨て置き、天に逃れた放漫たる彼らの決断は千年先の貴方がたにまで過酷を強いています。ヒラサカとてその一つです。禁忌の業にて生れ落ちたブラックマターもしかり」
影人形の勢力は牛歩ながらも王都周辺から着々と版図を広げている。
圧倒的な攻撃力は他を寄せ付けず、傷を負えば分裂増殖を誘発する。人間たちは逃げる以外の手段を持ち合わせていなかった。
ヒラサカはブラックマターを使役してグリア大陸を蹂躙した後、瓦礫の地に悠々と降り立ち、新たにヨモツヒラサカの王国を創る目論見なのか。
思い悩む間に、焼け焦げた廃村を列車は通過した。
同じような惨状にイクたちは幾度も立ち会ってきた。村を襲うブラックマターを退けたのも幾度か。ミソギの聖なる魔法で増殖能力を封じ、決死の攻撃を浴びせて倒す頃には大抵、村は戦闘の余波で火災に呑まれてしまっていた。無力感しか残らないこのような勝利を勝利と言えようか。イクは影人形を浄化するたび己の無力さに打ちひしがれていた。
「怖いよ、お母さん」
「ビャッコさまがきっと助けてくださるわ。お父さんも天から守ってくれてるわ」
そんな親子の会話をイクはざわめきから拾った。
ビャッコさま。
エスパーダ邸から旅立って十数日。その呼び名をたびたび耳にしている。
「あんな真っ黒な人形ども、俺たちがやっつけてやる。安心しなボウズ」
毛むくじゃらのミュータントが子供の頭に手を置く。
熊みたいな毛深い外見に子供は最初こそ怖がっていたが、男のにやっとした豪快な笑い方を見せられると震えを止めて「うん!」と力いっぱいうなずいた。
途中下車して立ち寄った町は他の町と同様、活気がなかった。
旅人で賑わうはずの市場は閑散として物寂しい。建ち並ぶ民家も静まり返っている。住人の多くは列車に乗って安全な北方に逃げてしまっていた。
町外れ。盛り上がった土に棒切れを挿したものが多数並んでいる。死者を悼む暇すら惜しかったのがありありとわかった。
「鉄道敷設の労働者たちだね」
「ブラックマターに立ち向かった連中も混じっていると聞く」
「遺体を持ち帰ってこれただけマシだ。滅ぼされた町の連中はどいつもこいつもブラックマターに食われるか灰にされていた」
「彼ら人間は……いえ、ミュータントですらブラックマターを倒すすべを持ち合わせておりません。しかし、それでも彼らはこの涸れた地を守るために命を賭し……」
イクたちの旅は彼らの犠牲で成り立っている。
四人とも粗末な墓の前で祈りを捧げた。
「俺にブラックマターを倒す力さえあれば」
歯を食いしばって悔しさを噛み殺す。
その横顔をミソギに見つめられているのに気づいたイクは「どうした?」と尋ねるも、彼女は「いえ」と言葉を濁してしまった。
手向けられた小さな花が埃っぽい風にさらわれていった。
宿を取り、酒場で夕食にありつく。
昼間から一転、店内は仕事帰りの労働者で活気付いていた。
大陸の危機だろうと、生きるには労働で賃金を得る必要がある。影人形がうろつく荒野にあえて繰り出し、線路を補修する使命が彼らにはあった。
俺たちにとっちゃ稼ぎ時だな。
違ぇねえ!
姉ちゃん。ぶどう酒もう一本追加だ!
酒をあおり、豪快に肉に食らいついて盛り上がる様子は冒険者に負けず劣らず頼もしかった。危険なこの土地にあえて残った連中なのだから当然であった。
掲示板の前は冒険者たちで沸いている。
「あのー、すみません。ちょっと通してください。あのー、すみませーん。わたくし、掲示板を拝見いたしたくてー」
人だかりの最後列で背伸びしているミソギ。
彼女の涙ながらの訴えは冒険者たちの賑わいにかき消されてしまっている。屈強な肉体の群れで可憐な乙女が孤軍奮闘しているさまは異様であった。
ミソギの手を取ったイクは、肩を無理やり人だかりの中にねじ込ませ、男たちを分け入りながら彼女を引っ張っていく。混雑を突破して掲示板の最前列に抜け出ると、ミソギはほっと息をついた。
「頼もしいですね。さすが男の子です」
「男の子、って歳じゃないんだがな……」
千年近く生きている彼女から見れば、自分はこわっぱも甚だしいのか。
同年代の外見の少女に保護者的な褒められ方をされて気恥ずかしくなったイクは、さりげなさを装って掲示板に視線をやった。
冒険者向けの依頼状を押し退けて掲示板をもっぱら占めているのは、ブラックマターの目撃情報。
王都を発端にして影人形たちは東西南北、無秩序に広がっている。他の生物を吸収して自己修復する特性や分裂能力についても言及されている。
白い虎の情報も寄せられている。
北方を駆ける白い虎『ビャッコさま』は雷の力で影人形を退け、行く先々で人々を守っているという。イクは白い虎にまつわる情報を求め、熱心に視線を走らせていた。
「おーい、パスタ冷めちゃうよー」
手招きするミドの着いているテーブルに大皿が運ばれていた。ホワイトソースのかかった、いかにも味の濃そうな麺が山盛りになっており、てっぺんには茹でエビが丸ごと鎮座している。
「早い者勝ちだぞ」
イザベルがさっそくそいつの背中にフォークを刺して強奪した。
「またパスタか。あいつと旅してからこればっかりだ」
「まぁっ。ごちそうですね」
「フフッ、エビは私がもらったぞ」
胸焼けするイクとは正反対に、ミソギはパスタの山を平らげてやらんと意気込んでいた。興奮のせいで広げた翼を迷惑に羽ばたかせ、鼻息は荒い。握ったフォークをやおらパスタの山に突入させ、かなり欲張りな量をぶんどっていった。
「憧れだったんです。映画みたいにこう『ガッ』『グバッ』ってご飯を食べるの」
「エイガ……? あとその『ガッ』『グバッ』っていうの何なんだ」
「映画は古代文明の演劇のようなものです。大衆娯楽ですね。いただきます」
ミソギはあんぐりと口を開けて『ガッ』『グバッ』と頬いっぱいパスタを『いただいた』のであった。
「いっぺんに食べたら腹を壊すぞ」
「ご安心ください。なんといってもわたくし、不死身ですから」
ミソギは得意げな顔で『フジミ』の箇所をひときわ強調して言い張った。
聖女の神聖さはなりをひそめ、少女のおてんばさがあらわになっていた。
月明かりを求めてイクは町の広場に赴いていた。
右腕を隠す布をほどき、肌をさらけ出す。
黒き呪いは指先から腕の付け根まで侵食している。本来の肌の色は、禍々しい黒に塗りつぶされていた。
ブラックマターの腕にそっくりだ。
怖気が走った。
呪いが最終段階に達すれば、自分も遺跡に巣食うクリーチャーか汚泥フェルナンデス、あるいはあの影人形と同類になってしまうのだとイクは怖れた。
「痛みますか?」
イクの影の隣に誰かの影が寄り添う。
影の主はミソギであった。
「たまにな。ミドが調合してくれた試作の薬を飲んでいるが、目立った変化はない。鎮痛作用のある薬草が配合されているから、発作を和らげるのには役立っている」
「その侵食具合ですと、次に白い魔法を使えば貴方の命は今度こそ――と申しましても、誰かを救うためなら貴方はためらいなく呪いの力を振るうのでしょうね」
ミソギは痛ましげにうつむいた。
長いまつげに隠された瞳にはイクへの憤りも垣間見えていた。
「ヒラサカに陥れられた過去の過ちが、献身という名の罪滅ぼしを貴方に強いているのですか?」
「誰かを助けたいと感じて、行動に移しているだけだ。エーテルエッジの力がなくたって、俺はブラックマターに立ち向かっていた」
やっぱり。
彼女のかすかなつぶやきすら聞こえてしまうくらい夜は静かであった。
「強迫的な正義感が、貴方の命をいたずらに消耗させるのですね」
善なる意志を『強迫的』と冷たく否定されてイクはうろたえる。
ミソギなら理解してくれると、慰めてくれると内心驕りがあったのだ。
「貴方が思う以上に、貴方以外の皆も強いのですよ」
「皆? ミドとイザベルか?」
「弱くとも小さくとも、生きる者たちは苦難を乗り越える力を秘めているのです。貴方が痛みを肩代わりしなくたって」
やおら距離を縮めてきた彼女が呪われし腕に触れる。
母性のぬくもりが柔らかい指から伝わってくる。
母が病床の子を愛でるように、ミソギは黒き手を頬に添えて温めた。
「信じてあげてください。守るべき者だと思っている人たちの生きる力を」
信じる。
ミソギに咎められ、その言葉の意味がぼやけてくる。
「他者のために奔走し、貴方自身の目的を置き去りにしてしまったら、結果的にそれは守るべき者を悲しませます」
「俺自身の目的」
「イクさんの、旅の動機です」
「俺は……俺は」
白い髪の少女の幻影が、目の前の聖女と重なって現れた。
似たようなことを彼女にも言われたのを思い出して胸が痛んだ。
俺は――とイクは思いを巡らせながらつぶやき続ける。頭の中で渦巻く数々の記憶から真実を手探る。
白きエーテルエッジでクリーチャーを退け、白い少女の足を断った記憶。
黒ぶちメガネの優男を旅の道連れに加えた記憶。
男装の闘牛士と列車を守った記憶。
崩落した坑道で黒装束の傭兵を手当てした記憶。
「俺はもしかしたら」
「はい」
「たぶんだけどさ」
「はい」
「誰かのために役立って」
一旦、言葉を切って息継ぎする。
「死にたいって思ってたのかもしれない」
呪いに冒されてクリーチャーと化した連中やフェルナンデスのような無様な最期だけはご免であったから、正義を遂行し、潔い死にざまを求めていたのか。
生き延びるために旅をしていながらその実は真逆。
意識の深層では死を考えていた。
シロコはそれを感じ取っていたのだろう。
……なるほど。彼女の想いにも気づかないワケだ。
イクは自嘲する。
――なんだかワケありっぽいね、キミ。使命感に駆られて気負う気配満々だ。そういう危うい雰囲気が心配になってさ、あのとき僕は声かけたんだ。あのときのキミは、背負う重荷に今にも押しつぶされそうだった。
以前、ミドに言われた言葉が意味の重みを増して思い起こされる。
シロコもミドもイザベルもミソギも、自分を頼りにしてついてきてくれたのではなかった。自分の危うさを心配して寄り添ってくれていたのだ。ミソギと繋がっているイクは今、その事実を納得して受け入れられた。
ちっぽけな己の輪郭がぼんやりと浮かんでくる。
「俺の本当の旅はここから始まるのかもな」
「死ぬためではなく、生きるための旅を」
「ここが始まりなんだってミソギが教えてくれたんだ」
「貴方の道しるべになれたのなら、わたくしは満足です」
旅立ちの標は翼の聖女。
「立ち込める迷いの霧、幾許か払えたお顔をしています。その表情、その気持ち、憶えていてください」
黒く染まる手に重なる白い手は、さながら闇を照らす導きの光であった。
あくる日、タカマガ都市方面への列車が運行休止となった。
荒野をさまようブラックマターの群れが線路沿いに出現したのだ。
影人形の軍勢は次の停車駅がある村に向かっているとのこと。
同時に『ビャッコさま』も付近で目撃されていた。
情報を酒場で得た冒険者の一団が馬にまたがり、土煙を巻き上げながら線路の彼方へ駆けていった。涸れた大地を蹴る蹄の音が朝焼けの世界に響いた。